201.海への道のり――戦術と戦略
この世界では火災旋風などと言われて理解出来る者は多くない。
当然、作戦に参加するエルフ達にしても、あまり理解していない。
焚火を焚いたとき、火勢が強まると、火がつむじ風状になるのを見た事がある者が、あれのことかと思っても、レンが考えるそれとはサイズが全く異なる。
だから予め作戦に関わる者たちには体験して貰う必要があった。
集まったエルフ達は彼らは川原を見て首を傾げた。
広い川原には、一面に薪が敷き詰められており、その一部に薪の山がある。
その山の周りには幅3m程の溝があり、溝には薪は置かれていない。
火を燃やすのだから、薪が山になっているのは分かる。
が、それ以外の場所に薪がある理由が分からなかった。
彼ら同様、大きめの焚火をイメージしていたライカも不思議そうな表情をする。
「レン様、なぜこのように広範囲に薪を敷き詰めたのでしょうか?」
「ん。火災旋風の怖さを知ってもらうためかな……それじゃ、点火と成長はそこのふたりにお願いしよう」
レンは、作戦参加メンバーの中から、火の精霊闘術、風の精霊闘術をほどほどに使えるというふたりのエルフを呼び出す。
火が使える女性がオルガ。風が使える男性はキール。
いずれも齢200才ほどと、エルフの中では比較的若い。
「オルガはまずあそこに積んだ薪の山に、出来るだけ高温になるように点火して、火を育てる。キールは火が消えないように、全方位からゆっくりと風を当てる。火の手が高く上がってきたら、キールはその風を火の向きに沿って当ててやる感じかな」
「分かりました」
とオルガが答えるが、キールは難しそうな表情である。
レンは地面に燃え上がる炎に沿って下から上に上がる矢印を描いて、キールに見せる。
「絵にするとこんな感じかな。火吹き竹で火を熾す時のように、火元に沢山の空気を当ててやる感じ」
「難しそうですね」
「やってみるとそうでもないから、まずはやってみて。無理そうなら俺が手伝うから」
それならば、とキールが了承したところで試験開始である。
まずはオルガが指先から血を流し、精霊闘術を使って薪の山に火を点ける。
乾燥した薪は、浸透した魔力によって、その内側から燃え上がる。
白い煙が上がり、そこに炎が生まれる。
オルガは周囲の薪も加熱して、火が点きやすい状態にする。
火が大きくなりかけた所で、オルガがおや、と不思議そうな表情をする。
「本番でも薪で点火するけど、燃料の大半は生木になる。だから今回は薪の下には生木を切っただけの丸太があるよ。手応えの違いを意識してみて」
「生木が燃える温度はかなりの高温ですよね」
「そうだね。だから、火の精霊闘術だけでやるのはちょっと面倒だろ? だから風を送って温度を上げるんだ」
「金属加工でフイゴを使うのと同じですね?」
「あー、そういう事か」
オルガの言葉で自分の役割を理解したキールは、恐る恐る火元に当てていた風を、直接当てずに火元から上に回転するように変化させる。
直接風を当てると空気(酸素)も供給されるが折角暖まった燃料も冷却される。
この方法に変えたことで、空気の供給はやや減ったが、火で熱せられた空気と外の空気が混じり合って循環することで冷却効果は低下。火の色が明るく変化した。
程なくして、大量の酸素を含んだ空気の供給により、火の手が高く上がり始め、それはやがてつむじ風のような形をとる。
効率よく周囲の空気を取り込み、燃焼に使った後、強烈な熱を帯びた、大量の火の粉混じりの排気を上空に吐き出す。
白く変化した炎の内部では、鉄すら歪む温度となった火が燃え上がる。
周囲の温度が上がり、酸素が供給されれば生木だろうが燃え上がる。
薪の下の生木から凄い勢いでガスが出て、あっという間に炭化していく。
あっという間にあがった、人間の背丈の10倍にも及ぼうという火の手に、エルフ達の顔が引き攣る。
「良い感じだ。ここまで火が育ったら、後は自然に空気が吸い込まれる。ふたりとも指示があるまでは手を出さないで、風の動きを見ていて」
「了解です……ああ、ホントに空気が引き込まれてる」
「……これなら一定範囲内の蝶は吸い込まれて焼かれるわね」
「吸い込まれた空気は熱気を帯びて高く上っているから、あれに巻かれた虫も落ちそうだな」
等と周囲のエルフ達も話をしているが、突然。
「あ? あれ? レン殿! 火がおかしな動きを!」
オルガが悲鳴のような声をあげる。
「うん。それを見て貰いたかったんだ。オルガはそのままで構わないよ。当たり前の話だけど、火があんな状態なら、周囲の可燃物は輻射熱だけで燃え上がる」
周囲からの酸素供給を受け、凄まじい勢いで火の手があがる。
その熱をあびた周囲の薪も次々に着火していく。
そこに吹く風は炎に熱せられているため、風による温度低下の影響は小さく、むしろ、火が広がるのを手助けする。
当然、延焼が始まる。炎の柱が広がり、複数に分かれ、制御不可能な動きを始めるのを見て、オルガは途方に暮れた。
「それじゃキール。少し難しいけど、あの火の回り、川の方以外の空気の動きを止めて。風の壁を作る感じで」
「え? あ、はい。えーと……」
魔法が発動すると、火の回りの空気の動きが停滞する。
空気の壁である。
固体ならその壁を通過することができるが、気体や雨粒のような小さな液体は通過できない。
空気の壁そのものは酸素を含むが、その酸素が消費されてしまうと新たな酸素は供給されないため実質窒素の壁となり、酸素の供給を断つ。
3方向からの酸素の供給を断たれた火は、唯一新しい空気のある川の方に火の手を伸ばす。
結果、開いている側から空気を吸い込み、上に吹き出すように空気の流れが変化し、炎もその形になり、複数に分かれかけた火柱が一本になる。
「火と空気の壁の距離を変えないように作った壁をそのまま移動させる感じで……そう、それで良い」
空気の壁に囲まれた炎は、そのまま川に近付いていく。
同時に炎を上げている面積は小さくなっていく。
酸素供給を断たれた炎の近くの薪は、少ない空気の中で加熱されるため、燃え上がりこそしないが炭になっていく。
しかし、それも川原に掘られた溝から先には中々燃え移らない。
「ライカ、火に掛からないようにしつつ、火の回りの熾火になってるところに水を」
「はい。分かりましたわ」
ライカが水を撒くと、周囲に水蒸気が立ちこめる。
それにより、酸素を奪われて熾火になりかけていた炭が、冷却される。
同時に、高温の蒸気が炎に吸い込まれる。
入ってくる空気中の酸素が減少したことで、火の手も急激に小さくなっていく。
最終的に、火災旋風は酸素が供給される方向――川縁まで移動し、そこで燃料を使い果たして鎮火した。
「さて。今起きたことの意味が分かるかな?」
レンに聞かれ、オルガが答える。
「火を点け、空気を供給することで炎が大きくなりました。で、その供給を止めた後も、炎は勝手に空気を吸い込んで大きくなって、燃料がある方に燃え広がろうとしました」
キールがそれに続ける。
「空気の壁を作ることで、火に新しい空気が触れなくなり、火は壁のない方に移動をしました。つまり、この火災旋風はある程度我々が制御できるのですね?」
「まあ燃え広がる方向を多少指定出来るってだけだね。空気の壁は本当に弱い物だから、過信しないように。森の中だと燃えた木の枝が空気の壁を壊したりもするかも知れない。そうなれば、新鮮な空気を一気に取り込んで、火は爆発したりもするよ。ただ、対象が小さい内なら燃え広がらないように制御する方法があると知っておくことで、延焼の不安は多少は減るんじゃないかな?」
「小さいとは思えませんが……でもそうですね」
納得するキールに、レンは質問を続けた。
「溝の効果とライカが水を撒いた理由は分かったかな?」
「溝は、火の延焼を食い止めるためですね。あれだけ大きな炎でも、横方向への延焼はかなり止められて驚きました」
「水を掛けたのは、熱を持った炭は新しい空気に触れると燃え上がりますから、空気に触れないようにと、冷やす為かと」
「そうだね。空気を奪われて強引に火を消されて炭になったけど、熱まで奪われた訳じゃないからね。空気に触れてまた燃え始めないように水を掛けて温度を下げたんだ」
酸素を奪っただけでは、温度は変わらない。
そのまま酸素を与えなければ時間経過で冷えていくが、それにはかなりの時間を要する。
その間、ずっと空気の壁を維持するのは現実的ではないため、レンはライカに水を掛けさせたのだ。
その話を後ろで聞いていたエルフたちの顔にも納得の色があり、
(まずは成功だな)
と判断したレンは、オルガとキールに疲労度を確認した。
「結構な火勢だったけど、疲れ具合は?」
「私は大して疲れてません」
「俺もです。空気の壁を維持するのがちょっと神経を使いましたけど、魔法としては大したことないですし」
「つまり、ふたりいれば、火災旋風一本をある程度使えるわけだね。例えば、一本終わって次に、となったら何本くらい行ける?」
「同時でないなら3本くらいは行けると思います」
とオルガ。
「順番にあの火を作るとしても、風の制御は割と神経を使うから、俺は2本が限界かな。同時は無理ですね」
それに続いて、精霊闘術としては吹き荒れる風で物を吹き飛ばす「風の盾」を作る方が空気の形の半固定化よりも遙かに難しいが、細かく制御し続けるという一点で、この操作はかなり疲れる、とキールは言う。
「なるほど……本番では一応ふたり一組で一本のつもりだけど、想定外があった場合に、もう一本程度なら行けそうってのは助かるよ」
予定外の位置に火柱を立てられるなら、黒蝶が想定外の動きをした際にも対応できる。
レンのその説明に、エルフ達はなるほど、と頷く。
「さて。それじゃ、別の人達にも練習をして貰おうか」
レンは薪が燃え尽きた所に薪を足し、中途半端に水がかかった炭はそのままに、次のペアを呼んだ。
そして、作戦に参加するエルフ達全員の練習が終わる頃、エルフ達は確かな手応えを感じていた。
「あの火に巻かれれば魔物でも燃え尽きますよ」
「いわんや黒蝶は単なる虫だ。旋風に吸い込まれればそれで終わりだな」
「不安があるとすれば、黒蝶が空高くに舞い上がった場合だが……」
「それにしたって、上空は炎が吐き出した高熱があるんだ。あれに触れて生きていることはできないだろうよ」
そんなエルフ達に、レンは一言付け加える。
「一応言っておくけど、目的は殲滅じゃなくて火柱の間を通る蝶の漸減だからね?」
「ぜんげん?」
「少しずつ減らすことかな。火柱の間を通過するごとに減らす、という意味合いで使ってる」
「あ、いえ、言葉の意味は分かりますが……火災旋風を使えば殲滅だってできそうですけど」
不思議というよりもやや不満そうなエルフ達にレンは、その理由を説明する。
「それを目指すと、一匹たりとも逃がしたくないって考えることになる。そうなれば、その対処も並行して行なうことになり、作戦の不確定要素が増える」
「それは理解出来ますが」
「本来の目的――氏族の森の保護――からすれば、森の中に深い空堀を掘るだけでも動物の侵入をある程度食い止められるんだ。黒蝶を焼くのは、万が一強風に煽られて黒蝶の進路が大きく変わったとしても、数が減っていれば発生するガスで死人が出なくなるというのを期待してのこと。村に被害を出さないことだ」
レンの語る目標を聞いたエルフ達は、
「村を守るなら全滅させた方が……ああ、そうか、死骸の量が少なければ、ガスは大したことないから」
「下手に一匹たりとも、なんてやったら却って防衛線が崩壊しかねないか」
と納得する。
「そうだね、群れの数が少なければ、通過後に残す死骸の数は減る」
「でも、それなら、村の手前に火災旋風を作れば」
「それをすると、氏族の森を結構焼くし、万が一があった場合、村が焼け落ちるよ?」
「あ、そういう危険もあるのか」
読んで頂きありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっています。
感想、評価などもモチベーションに直結しております。引き続き応援頂けますと幸いです。
火災旋風で結構な文字数を使ってしまいました。避難所造りとか省いたのに。。。
ちなみに、焚火台レベルでも火がつむじ風のような形になる程度なら観測できることがあります(火の粉が上がるので危ないですが)。
大規模になると、鉄すら溶けかねない熱量になります。
あ、サブタイトルの戦術目標は火災旋風による敵の排除。
戦略目標は蝶を減らして村への被害を抑止すること。です。




