第十一話。セリカ(芹香)
『魔族』を狩る。それは人間の身には過ぎた事。
しかし、強い意志を持って成せばなる。和解もまた。
誤解は解け、微笑みと共に彼女達は歩みだす。
あなたの想いを許そう。あなたの心を許そう。
あなたの存在を許そう。あなたがどのような存在であっても認めよう。
あなたの言う言葉の全てが。
私には同意しかねる意見ではあるが。
私と私の友の想いを、心を、存在を、
ありかたを、意見を認めるかぎり。
あなたの存在そのものが
わたしたちに危害を加えると確信するその日まで。
(詠み人知らず)
――― すべての人間が、『あなたたち』の思い通りになるとは思わないほうがいいわよ? ―――
瞳にかかった長い前髪を掻き揚げて真由美は呟いた。
短銃の筒先がセリカ(芹香)の額に触れていた。
夕焼けの光が二人を紅く染める。
海鳥の声が何処からとも無く聞こえ、穏やかな風が吹く。
セリカ(芹香)には自分が置かれた状況を呑みこむことがまだできていなかった。
真由美の冷たい瞳の奥底に戸惑いの様子を隠せぬセリカ(芹香)が映る。
セリカ(芹香)は呟いた。
「あの」
真由美はなにも言わない。
セリカ(芹香)は言った。
「ピストルを、人に向けると暴発した時危険ですよ」
「・・・・」
風が真由美の前髪を揺らす。
「安心して。この距離なら外さないわ」
「絶対に」
二人の影が道路に長く伸びる。
「……当たると死にますよね」
だんだん事態が呑みこめてきたらしい。
「墓石に刻む名前くらい聞いておいたほうがいいかしら? 」
セリカ(芹香)の両足があとずさろうとして……。
「きゃ!!? 」
転んだ。
「いたぃ……」
お尻をさするセリカ(芹香)に真由美は冷たく言い放つ。
「もうすぐいたいなんて感じなくなるわ」
ぱきゅん。発砲。
銀の弾丸が短銃から射出される様子がセリカ(芹香)にはやけにゆっくり見えた。
かわせない。
目を閉じようとしたが。弾丸が届くほうがはやい。
死にたく無い。死ニタク無い。
――― シニタクナイ!! ―――
その時だった。
セリカ(芹香)の艶やかな黒い肌の輪郭がぼやけた。
きめ細やかな肌の艶が消える。
ぱすっ。
真由美の放った銃弾はセリカ(芹香)をすり抜け、地面に着弾した。
この異常な事態に対しても真由美は眉一つ動かさず、次の引金を引き、セリカ(芹香)の影を射った。
セリカ(芹香)の影が……本体と無関係に動いた!!
「あ"……ああ……ぁぁ……」
がたがたと言う音。それはセリカ(芹香)自身が震える音だと彼女はかろうじて気付いた。
弾丸は直撃こそしなかったものの衝撃波と砂が両の腿を打ち、苦痛に芹香は涙を流した。
「『影と入れ替わる』チカラ。か」
真由美の冷たい瞳に脅えるセリカ(芹香)が映る。
風が真由美の長い前髪を揺らす。
落日の光が真由美の黒い短銃の筒先を紅く映す。
「『基本的に』、『同じチカラは連続して使えない』のよね? 」真由美はそう呟き。
「『小父さん』の受け売りだけど」そして距離を詰める。
ゆっくりと近づく靴音がやけに間延びして耳に届く。セリカ(芹香)は恐怖した。
(とうさん……! かあさん……! おじさん……! たすけてっ?! )
わけがわからない。なぜ射たれるのか。
何故真由美は自分を殺そうとしているのか。殺されたくない。
訳も解らず死ぬのなら。理由が知りたい。
セリカ(芹香)の涙に濡れた瞳がまっすぐに真由美の瞳の中に吸いこまれた。
セリカ(芹香)は思った。
――― 殺サレタクナイ。知リタイ。理由ヲ知リタイ! ―――
真由美は寂しげに微笑んだ。
「『同族の血を受けたモノ』に『瞳』は効かないわよ。
壱度目。なにも出来なかった。弐度目。返り討ちに出来た。
……そして参度目。もう諦めなさい。私はあなたの仲間を一人で倒しているわ」
セリカ(芹香)は逃げようとするが、恐怖のあまり身体が動かない。
いや、動いてはいるのだが、両の腕も両の脚も、
そこから立ちあがって逃げ出すには過剰過ぎる力が出て立つ事もおぼつかない。
ドタバタとのたうつセリカ(芹香)を冷たい瞳で見据え、
真由美はゆっくりと近づいてくる。
真由美はセリカ(芹香)を見た。
目の前の怯え、涙を流す少女はどう見ても一般的に言う凶悪な魔物とは思えない。
だが。
真由美は呟いた。
「小父さん曰く」
落日の光が二人を強く照らす。
「『けして奴らの美しい見た目、怖がる様子を信じるな』」
これは彼女の経験則でもある。
暴れるセリカ(芹香)の喉元を押さえこむ。
「『単純な腕力だけなら人間の方が強いと言う事をけして忘れるな』」
そして。
銃口を芹香の小さな唇に押し当て、捻じ込んだ。
「『確実に殺せ』」
引金を引いた。
だが。銃声はしなかった。
……。
……少々前後する。
恐慌に陥ったセリカ(芹香)は真由美から逃れようと手足をばたつかせていた。
真由美の靴音が近づいてくる。
セリカ(芹香)は暴れる自分とはまた別に、
今の自分を客観的に見ている冷静な部分があることに気が付いた。
死にたくない。そう思った。
自分の心の声が響く。死にたくナイ シニタクナイ! と。
――― じゃ、殺される前に殺さなきゃ♪ ね? ―――
最後の声は自分の心の声ではなかった。
真由美に殺されることより、 『何か』が自分の心の中で喋ったことに彼女は真の恐怖を感じた。
セリカ(芹香)の瞳はまっすぐに真由美を捉える。
真由美は彼女の喉元を押さえこみ、銃口をセリカ(芹香)の唇に押し当てた。
鉄の味が捻じ込まれ、歯に当たる。強い痛み。
――― そうじゃないでしょ? ―――
自分の意志と関わりなく、
落日に長く伸びる真由美の影に視線が移った。
今の二人の状況と同じく、
真由美の影は彼女の影に銃口をつきつけている……。
……はずだった。
……真由美の影が地面から立ちあがるなど有り得ない。
影が光線と無関係に勝手に動く事などあるはずがない。
ましてや、真由美の影が真由美自身の頚動脈を締め上げようとするなど!!
真由美が再度引き金を引きおわった時間に戻る。
真由美の影が両の腕を大きく広げると、真由美の動きもそれに倣った。
真由美は急に自分の両の腕が大きく外に開き、
セリカ(芹香)をうち損ねたことに驚きを隠せなかった。
「なっ?!! 」
セリカ(芹香)は思わず叫んだ。
「真由美さん!! 危ない!! 」
真由美の両の手が虚空を掴む。
何もない空間に真由美の両手の指が絡みつく。
……同様に、真由美の影は真由美の首を締め上げていた。
真由美は暴れようとするが一ミリも動くことが出来ない。
セリカ(芹香)は立ちあがって真由美を締め上げる影を振りほどこうとしたが、
影が掴めるわけがない。
真由美の両の瞳が妖しく輝いた。
「私の『瞳』には。……あなた達の『チカラ』は……効かないのよっ!! 」
影は雲散霧消してまた普通の影に戻った。
自分の影を踏みにじる真由美。
憎々しげにセリカ(芹香)を睨む真由美。
「『影と入れ替わる』チカラと思ってたけど。
『入れ替える』ことも出来るのね。上位能力・『影使い』。……あなたも“純血”のようね」
その眼力に威圧されてたじろくセリカ(芹香)。
「あなたをみて“可愛そうだから助けたい”と思ってしまう人がほとんどでしょうけど」
真由美は言った。
「私は騙されない」
真由美の足元。
黄色くなった枯草に、見る見るうちに青と緑が戻った。
そして、真由美の両の足に絡みつき、歩みを止めた。
真由美は無言でそれを蹴り飛ばして引き千切った。
「『一時的な蘇生』。『植物操作』? ……無駄よ」そして鼻で笑う。
「それほど『チカラ』持ちなら。
さぞかし狂気の世界とは親しい間柄でしょうねぇ」
セリカ(芹香)は覚悟を決めた。殺される。絶対に。だけど怯えてやるものか。
セリカ(芹香)は涙を吹いて真由美を睨みつけた。
そのけなげな様子は『人の心を動かす力』があったが、真由美には効かない。
「覚悟はいい? 」
セリカ(芹香)は無言で睨み返した。
「言い残すことがいっぱいあるでしょうけど聞いてられないわ。
そうやって死んだ人がいっぱいいるから」
どうして自分が殺されるのかわからない。
今起こった良く解らない現象が何故起きたのか解らない。
どうして彼女が自分を殺そうとするのか解らない。
そういえば、どうして。
「真由美さんと小父さんはお知り合いですか?」「?」
どうやら声に出てしまったらしい。
「小父さん? 」
そう呟いて真由美は脳裏に思わず映ったいまいましい顔を振り払った。
彼女がその言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶのは一人しかいない。
「まさか」
真由美はまじまじとセリカ(芹香)を見た。
そして、思い切ったように呟く。
「どういうこと? 」
「同じ苗字だったので。珍しい苗字ですし、先ほどは聞きそびれて」
「その男の名前は? 」
真由美は自分の背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「遥夢路」「……」
沈黙。
セリカ(芹香)は地面に座りこんで呆然としていた。
真由美は空に向かって、『聞いてないわよ』『私はてっきり』『あの呆け爺』『紛らわしい』
……と訳が解らない事を絶叫している。
よくわからないが、どうやら助かったらしい。
真由美は呆然とするセリカ(芹香)に手を差し伸べた。
その頬は羞恥で赤くなっている。
「ごめんなさい。ちょっと……あのバカの所為で。もとい!
ちょっと人違いしたみたいなの。……立てる? 」
そういって、バツの悪そうに微笑んだ。
あんな事がなければ思わず吹き出しそうなくらい、邪気のない笑みだった。
「あっ。……はい」
思わず真由美の手を掴むセリカ(芹香)。
バツの悪そうな顔をしながら真由美は何度も謝罪する。
「本当にごめんなさい。
私……夢路小父さんの代わりに迎えに来たの。
でも『ちょっと』驚いたわ。あなたが小父さんの娘なんて」
「大いに有り得るけど」
……と真由美は独白してひとり頷いた。
「あのバカなら、“聞かなかったじゃないか”としか言わないでしょうし」
遥一族の連中はみんなそんな感じだ。異世界でも一緒。
日が暮れてゆくにつれて寒くなる。
セリカ(芹香)は小さくくしゃみをした。
そんなセリカ(芹香)の様子に真由美は微笑んだ。
「寒くなるわよ。帰りましょう」
そして車の扉を開いた。
「乗って」
セリカ(芹香)はたじろいた。
「あっ、歩きます……」
『あんなこと』があったし、さっき殺されかけたし。正常な判断である。
しかし、真由美は呆れたといった顔をした。
「小父さんの事務所まで何キロあると思っているのよ? 」
そういってセリカ(芹香)をシートに押しこんだ。
そして「くすっ」と笑う真由美。
「最初に乗せるのは素敵な男の人……って決めてたのになぁ」
そう冗談めかして小さくぼやく真由美に。
「男の方みたいな事を言うのですね」と芹香は言った。
真由美はにっこり微笑んでいった。
「 歩 き ま し ょ う か ? 」
目は笑っていなかった。
「じゃ行くわよ」
と言って原動機を動かす真由美。
「あっ! 安全運転でお願いしますぅっ!! 」
思わずセリカ(芹香)は叫んでしまった。
くすっ。小さく微笑んで真由美。
「はいはい。わかりました」
逢魔が時の薄闇を車灯の閃光が切裂いてゆく。
二人を乗せたファミリアは静かに安定した走りを見せる。
芹香はおそるおそる真由美に訴えた。
「変な声をあげたり、手放し運転はやめてくださいね」
真由美はセリカ(芹香)をしげしげと見た。
「なんの事? 運転中に変なこと言わないで」
どうやら。あの奇行に真由美は自覚が無いらしい。
こうして乗っていると先ほどとうってかわって、
ゆりかごにゆられているように気持ちが良い。
セリカ(芹香)はうとうとしはじめた。
今日は色々ありすぎた。母親に抱かれるように安心しきって芹香は眠りだす。
真由美はバックミラー越しにセリカ(芹香)の無邪気な寝顔をみて苦笑いした。
「(くす。)可愛い寝顔ね」
ファミリアは二人をのせて進む。
後方から一台の車が二人のファミリアを追い越した。
真由美の笑みがさらに際立った。
「……」
ふふふ。と真由美の口元から奇妙な声が洩れる。
唐突に命の危険を感じたセリカ(芹香)は飛び起きた。
真由美はボソボソと呟いている。
アクセルを一気に踏みぬく。
「なんびとたりとも、私の前をっ!!! 」
「いやあぁぁぁあっっっ!!!! 」
……夜の闇に娘二人の絶叫をも打ち消す車の音が轟いた。