第四章⑫
中渡瀬カスミと市野井ライカは同じ部屋で、二つあるうちの一つのベッドに二人で横になり、服を脱いで互いの体を触っていた。それに疲れた頃、ライカはカスミの群青色の髪に紫色の髪を絡めてきた。その行為になんの意味があるのかカスミは分からないけれど、ライカが満足そうに微笑んで眠り始めたから理由はどうでもよくなる。カスミはライカを抱き枕にして目を瞑って微睡んだ。体が先に眠りに着く。脳ミソはまだ覚醒したまま何かをイメージしている。どこかの空と、あのときの湖と、小さい頃のライカの姿が見える。断片的なイメージから、夢に向かう過渡期。
夢に入り込んだ。そこの世界には雨が降っている。その天国のように綺麗な世界でカスミはとりあえず服を濡らさないように雨合羽を着てとても幸せそうに微笑んでいる。
ああ、魔女になったから、喜んでいるのだ。
さっそく空に雨を降らせて、カスミは上機嫌だ。優秀な魔女であることを、周囲の大人に認められている。そんな優等生のカスミを遠くから見ているライカ。一歳年下のライカは一人でシーソに座っていて寂しそうにこっちを見ている。カスミは近づいて、ライカの体を水で濡らした。ライカは笑って走り出す。カスミはライカを追う。
場面が変わる。目の前には廃ビル。ライカはその中へ消えていく。カスミは走って追うが追い付けない。廃ビルの中は薄暗くあらゆるものが今にも崩れ落ちそうだった。ライカは音も立てずに階段を登っていく。カスミも階段を登る。あっという間に最上階に着く。カスミは右を見る。続く廊下の真ん中にライカはこっちを向いて立っている。一度微笑んで、部屋に入った。カスミはその部屋を開けようとするが、開かない。内側から鍵がかけられたのだ。カスミは怖くなった。
ああ、そうだ。
私はあの時、ライカがどこか違う世界に行ってしまうんじゃないかと思って。
怖くなって、パープゥを編んだんだ。
カスミは目を覚ました。「……なに?」
鳴り響くクラクションがカスミの目を覚まさせた。「……ライカ、起きて、ねぇ、警報が」
「んー、煩いなぁ」ライカは目を擦っている。
「ほら、服を着て、」カスミはベッドの下に落ちていたメイド服を乱暴にライカに投げた。そして自分も服を着る。「ロビィに集合しなきゃ」
二人は部屋を出てロビィまで歩いた。ロビィにはすでに新田ホテルの従業員が集まっていて騒がしい。嘉平が怒鳴るビジネスマン数人を相手に説明をしている。しばらくして警報が鳴り止む。
ウォッシング・ガールズのメンバの諌山がカスミの方に近づいてくる。後ろに篠崎、雛方、ミッコの姿も見える。彼女たちの仕事は洗濯だ。その関係で彼女たちにカスミは何かと頼られていた。その中でも諌山はカスミのことを慕ってくれていて『お姉さま』と呼ぶ。
「あ、お姉さま、今日はずっとこんな調子ですね、今度はなんでしょう?」諌山がカスミの手を触りながら言う。なぜかライカは唸っている。
「どういう意味?」カスミは聞き返す。「ずっとこんな調子って?」
「警報が鳴ったりやんだり、」ミッコが楽しそうに言う。「お風呂の前で掃除用具を振り回したりしていたんだよ、あ、でも、二人とも朝から見かけなかったね、もぉ、そのせいで諌山が煩くて大変だったんだから」
「ちょっと、ミッコ、」諌山は怖い目でミッコを睨む。「黙ってなさい」
「おお、怖い、怖い」篠崎が笑う。
「ええ、私たちは昨日の夜から外に出てて、」カスミが諌山たちに説明しようとしていると、レストランの方向に伸びる通路の奥から昨日の夜から追いかけていたマッシュルームヘアの女の子とそれからグラス・ベル・キャブズの知念と美作が姿を見せた。カスミは状況がよく分からない。ライカはカスミの影に隠れた。
「皆、ここからすぐに避難して!」目を瞑ったままの美作が叫ぶ。「地下の工場が火事なの、直にここも、燃えてしまうわ!」
その声を聞いて従業員はホテルの出入り口に殺到する。ビジネスマンも血相を変えている。その一人に首根っこを掴まれていた嘉平はやれやれと乱れた襟を直している。ウォッシング・ガールズの四人は冷静だった。カスミの傍にいれば安心と思っているのだろう。カスミの水を当てにしているのだ。白いワンピースの彼女がカスミのところに駆け寄ってくる。
「お願い、あなたの水でなんとかして、すごく燃えていて、魔女じゃないとどうしようもない火なの」
言われなくてもそのつもりだった。新田ホテルの従業員で水の魔女はカスミだけだ。カスミは頷いて、地下へ通じる階段の扉の前に走った。濃い色の煙が立ち上っている。その煙の中からグラス・ベルの魔女が二人出てきた。赤毛の魔女は黒髪の魔女に抱っこされている。黒髪の魔女はカスミを見て僅かに身を引いた。カスミは早口で言った。「大丈夫、早く逃げて」
黒髪の魔女は頷いて走り去る。カスミは扉の中を覗いた。強い火は既に地下一階まで回っていた。火は躍動的に燃やし尽くそうとしている。その火は魔法で編まれたもののようだ。色がとても鮮やかで、紫色に近い赤だ。簡単な魔法で消えそうにない。カスミは鉄製の扉を閉めた。煙はとりあえず塞がれる。そしてカスミは扉に手を当てた。
火を消すには地下を水で満たさないといけないと思った。
水で満たして火を殺す。
それで終わり。
私の群青色を輝かせてとても無邪気な気持ちで編み込んだ。
「パープゥ」
「駄目!」
「……え!?」遅れて声に反応して群青色の輝きを消して振り返ると、ライカがいた。ライカの顔色は悪い。「駄目って、どうして? 火事なんでしょ?」
「もう編んじゃったの!?」ライカはいつになく真剣な目をしている。
「え、ええ」カスミは頷く。
「パープゥを!?」
「ええ、だって、火が強いから、地下を水で満たすしかないと思って」
「この、パープゥ!」ライカはさらに顔色を悪くして叫んだ。
「はあ、意味が分からない!」パープゥと言われる理由がない。カスミは消火活動という素晴らしい仕事をしたのだ。
「まだ地下にいるんだって! お嬢様が!」
「……え、嘘?」カスミの顔色が悪くなる。何も分からなくなる。髪の色だってきっと、悪くなっている。「……嘘でしょ、え、だって、いえ、なんで、なんでよ?」
「助けに行かなきゃ!」ライカは扉を開けた。階段の踊り場の天井まで満たされた水が流れ出る。ライカはカスミの水に慣れているからか、悲鳴を上げない。でも、叫ぶ。「ああ、もう!」
カスミは半ば放心状態で扉の中を覗き込む。パープゥのおかげですっかり火の気配はない。とても静かで涼しい。地下へ通じる階段はすっかり水で満たされている。まるで地底湖の様相。水面に動くものを見つけた。金魚が泳いでいる。
白勝ちの桜錦が、孤独に泳いでいる。