第四章⑪
別に阿倍野に角が生えたわけじゃない。肌の色も変わらない。劇的な変化をしているのは白く染まった髪。それから赤く染まった眼。
人格が変わったわけじゃない。
鬼が表に出てきて、混じり合っただけだ。とても滑らかに溶け合った。ブレーキを外すというのはこういうことだったのだ。溶け合った鬼の気持ちがよく分かる。どうして新田のバイオリンによってブレーキが外れたのか。簡単だ。新田のバイオリンが鬼の琴線に触れたのだ。つまり、
「お前のバイオリンは堪らないな」
そういうことだ。その気持ちを新田に言うために、鬼が表に出てきた気もする。
「え、アキヒト?」新田は急に変化した阿倍野に戸惑っている。「アキヒト? それとも鬼?」
「鬼の気持ちだ、」気持ちが混ざり合って時間が経過すると、実のところ鬼の気持ちなのか自分の気持ちなのか、判断は難しくなってくる。「新田のバイオリンの音色、新田の揺れるバーミリオンの複合的な色の髪と、新田のバイオリンを奏でるときの顔と、」鬼の魂と混ざり合った阿倍野にはよく見える。「それから新田の青い瞳が堪らない」
「私を褒めている場合じゃないでしょ!」新田は真剣な眼差しを阿倍野に向ける。「早く何とかして!」
「彼女を凍らせるのにそう時間はかからない、」阿倍野は言いながら、鬼の色を知る。鬼の色は白で、氷だ。「しかし、すぐに溶けてしまう、この地獄のような熱さに氷は水になって蒸発して空気となる、明らかに意味がない仕事になる」
「ゆっくりしゃべってないで早く氷を編んで!」
「待て、落ち着け新田、頭を冷やせ、」阿倍野は不思議なほど悠長にしゃべれる。「氷を頭に乗せるか? おっと、冗談だ、怒るな」
「もうっ!」大きな口を開けて怒鳴った。「なんなのっ!?」
「その怒った顔も、」阿倍野は新田の頬を触る。「堪らない」
「あなた誰よ!」新田は阿倍野から離れる。「アキヒトはそんな嬉しいこと言わないもん!」
「俺はアキヒトだよ、考え方をあらためるのは新田のほうだ、おっともう時間が近いな、これ以上新田と楽しいおしゃべりを続けていると鬼の本性が出てしまって理性的に物を考えることが出来なくなる、それはとてもつまらない話だ、いいか、新田、チャンスは一度だけだ、そして甘い」
「……どれくらい?」
「キスより甘い」
「や、やっぱりあんたアキヒトじゃない、私の将来のお婿さん候補のアキヒトなんかじゃない!」新田は勢いに任せて言って、後悔して阿倍野を見つめている。「……あ」
「俺はお婿さん候補なの?」阿倍野は赤い眼で新田を見る。それから叫ぶ。「千場、真倥管を貸せ!」
「無駄な話はあとにしろ、莫迦野郎!」千場は真倥管を阿倍野に向かって投げ付け、そのまま仰向けに倒れて叫ぶ。「ああ、面倒くせぇ!」
ニシキは標的を阿倍野に変更する。
阿倍野は飛んできた真倥管トライオードを頭の上で掴んでそのまま、その震える熱を吸収、一瞬大きく揺らして光らせる。
「新田、」阿倍野は新田の肩を叩いた。「大きな口を開けて」
「なに?」
「アイスキャンディだ、」阿倍野は新田の口の中に丸くて白くて冷たくて甘いアイスキャンディを放り込んだ。「呑み込め、これでお前のクラクションはシエルミラを貫く」
「んー!」新田は額を押さえながら必死にアイスキャンディの冷たさに耐えている。「ほんほなほ?」
「ああ、後は、」阿倍野の白い髪が徐々に黒く染まる。赤い眼も元に戻る。「後は頼んだ、新田」
阿倍野はその場に倒れた。新田は阿倍野を抱き締めて支えて、その場に寝かせた。
薄情ものめ、独りにしやがって、このぉ。
新田はアイスキャンディを飲み込む。頭はキーンと痛い。そして口の中はとても甘い。
新田の視線の先に、ニシキが黄金色に輝いている。
狙いの逸れたイレイザが新田のバーミリオンの髪を切る。
ニシキも同じところの髪型が変だ。
ニシキは溺れているかのような呼吸をしている。
浮かんだり、沈んだり、とても救われない顔を救いたい。それは私の止まない後悔と絡む。編み込んだ。魔法の一糸となれ。包め。私のクラクション。
新田クラクション。「クラクション、……レイディ?」




