第四章⑩
ニシキが目を覚まして千場を風で吹き飛ばして額を押さえて立ち上がったのと、新田が真倥管レクティファイアを完成させたのは一緒だった。そしてエリコは真倥管を握り締めて光らせていた。髪の色が真っ赤に染まる。熱風が吹き荒れる。エリコの瞳の輪郭は赤く光り、ニシキを見据えている。そしてエリコは真倥管を萌黄色のベルの横に結んだ。
「あなたに見せてあげるわ、」エリコはニシキに向かって指差して、ポーズを決める。「私の大きなスターダストを!」
しかし赤い光は徐々に弱まり、消え、最終的にエリコは貧血を起こしたみたいに揺らめいてその場に座り込んでしまった。「あ、あれ? おかしいな、全然、あはは、……嫌だ、力が、入らない」
「アキヒト、」新田は大きな口を開けて叫ぶ。「トライオードをエリコ様に!」
「……ああ、そうか、」阿倍野は保管庫まで走って瓦礫の上の真倥管を掴んで投げた。「エリコ、受け取れ!」
「エリコ様でしょ!」エリコが手にすると二つの真倥管は瞬間的に輝き始めた。エリコは機敏に立ち上がって、再び赤く染まる。ニシキのイレイザを間一髪で避けた。「さあ、レヴュウの時間よ!」
「ダークナイト」ニシキは暗闇を作る。
「幕を開けろぉ!」
エリコは工場の半円球の天井に火を点けた。一気に赤くなる。ニシキは銀色のピストルをエリコに向けていた。トリガを三回、立て続けに引く。光の速さの弾丸がエリコを襲う。弾丸はエリコの灰色のジャケットの裾に穴を開け、赤い髪の先を焦がし、頬をかすめ血を流した。エリコは目を吊り上げて怒鳴る。「……ぴ、ピストルなんて聞いてない、反則よ!」
ニシキはピストルを投げ捨て、エリコに向かって走り、跳躍。ニシキはイレイザを刀のような形状に保ったままエリコに振り下ろす。エリコは横に回転して避け、火柱を盾にして距離を置く。ピストルは千場が拾った。
「千場、俺を打て!」阿倍野は叫ぶ。
「何バカなこと言ってんの!? そんなことより、私にピストルを渡しなさい!」
「駄目だ」千場はピストルの安全装置を確かめながら言う。
『どうして!?』阿倍野とエリコの声が重なる。なぜか不愉快な気分だ。
「二人とも!」ニシキの光線から新田は鋼の障壁を編んで阿倍野とエリコを守った。「目を逸らさないで!」
「弾がねぇ!」千場が叫ぶ。
阿倍野は落胆した。エリコは表情を変えない。「それで構わないから私に頂戴!」
千場はピストルを投げた。狙いが逸れて阿倍野の方に来た。阿倍野がキャッチしたのをエリコは強引に奪い取ろうとする。体が密着してしまう。ピストルを手にしたエリコはご満悦だ。阿倍野はエリコが意外に可愛らしい顔をしているのに気付く。それから甘い匂いがするのにも気付いた。「甘い匂いだ」
阿倍野はエリコに睨まれ、ピストルのグッリップで頬を叩かれた。口の中が切れた。エリコは銃口をニシキに向け叫ぶ。
「バーレイ!」
射出された火炎弾がニシキを狙う。ニシキはシエルミラを編む。火炎弾はニシキのシエルミラに当たって光の障壁を燃やそうとする。二つは互いに混じり合わないまま消滅。エリコはもう一発打った。同じことの繰り返し。ピストルの銃身は焼けて解けている。エリコはピストルをニシキに向かって投げ捨てる。床に落下するころには形が変形して、ただの鉄の塊になった。ニシキはそれを蹴り飛ばす。
エリコとニシキは睨み合う。
束の間の静寂。二人の輝きは増している。
エリコは手の平を高い天井に向けて開いた。
熱を感じて上を見ると天井を覆っていた炎が収束して球体になり、蠢いている。
一方でニシキの前には何度もシエルミラで現れて重なり合っていく。
「バーニングスターダスト!」エリコはがなった。その表情はとても愉快そうだ。
炎の球体はエリコの指先と連動して堕ちる。ニシキのシエルミラはそれを受け止めた。衝突して起こる熱と風に工場は大きく震える。
阿倍野はスターダストの行方を確かめようとしている新田を抱き締めてから床に伏せる。
目が開けていられないほどの熱風。触れただけで発火しそうな熱。火傷で済めばいい。
スターダストとシエルミラはどれほどの時間、混じり合わずにいたのだろう。
騒がしい音が消えた頃に阿倍野は顔を上げた。工場の彼方此方に炎が見える。
速く逃げないとまずいとすぐに判断できた。大学の実験棟の事故のときのことを思い出す。トラウマにはなっていない。不思議と平気だ。死んで生き返った、その経験はどちらかというと耐性になっている。「千場、徳富、逃げるぞ!」
徳富は阿倍野の方を見て頷いて近くにいる美作たちの背中を押して階段を駆け上った。千場はニシキを探している。
「エリコちゃん!」ヒメゾノが叫んで走る。エリコは仰向けに倒れていた。ヒメゾノはエリコの横に跪いて顔を覗き込む。「エリコちゃん、しっかりして!」
反応がない。阿倍野と新田も駆け寄る。ヒメゾノは絶望的な表情をしている。新田は冷静に判断してヒメゾノの肩に触れて言う。「大丈夫です、レクティファイアがエリコ様を眠りにつかせているんです、レクティファイアの判断はとても優しくて、正確です、」新田はエリコの首から二つの真倥管を外した。「あなたは早くエリコ様を連れて逃げてください、それからホテルの皆に避難するように伝えてください」
「う、うん、分かった、」ヒメゾノは細い腕でエリコの体を持ち上げた。そして阿倍野と新田を交互に見る。「……一緒に行かないの?」
「私は、」新田は真倥管を握り締める。その横顔には覚悟が見える。「私はニシキさんを無事に連れて帰らないといけません」
「ほら、早く」阿倍野はヒメゾノの背中を押す。
「は、はい、」ヒメゾノは少し走った先で振り返って叫ぶ。「絶対また会いましょうね」
ヒメゾノの姿が階段を登る。ヒメゾノの姿が消えたところで炎が回って逃げ道を塞いだ。
「ニシキさんを探すよ」
この絶望的な状況で冷静な新田に阿倍野は驚いていた。立派だと思った。まだ十二歳なのに。
「ああ」阿倍野は頷いた。
「クソっ、」千場は瓦礫をどかしながら舌打ちする。「ニシキ、どこだぁ!」
「……ここよ、」ニシキの声が確かに響いた。その方向に三人は視線をやる。「ここよ、ヨウスケ」
ニシキは三人から離れた場所にかろうじて立っていた。傷が多い。出血も多い。黄金色の髪は汚れ、乱れている。涙が堕ちる。彼女の表情はくしゃくしゃだったが、真倥管の表情じゃなかった。「……助けて、痛いよ、ヨウスケ」
「ニシキ!」千場は駆け寄ろうとする。
「待って!」新田ががなる。「真倥管が、まだ!」
千場は立ち止まってこっちを振り返って、もう一度ニシキを見る。
真倥管はニシキの手の中で輝きを取り戻す。阿倍野は新田が持つレクティファイアを触る。反応ゼロ。「駄目か、」それから気付く。「新田、お前、真倥管を使えないのか?」
「うん、私が触っても真倥管は反応しない、」新田はニシキに向かって歩き出す。「でも、私が何とかするよ、私のクラクションでニシキさんを止める、止めてみせる!」
「おい!」阿倍野は引き留めた。冷静な判断じゃないと思ったからだ。新田が命を粗末にしていると感じたからだ。「待て、新田!」
新田はニシキに向かって走る。距離を縮めて新田は不思議な色を出して警報を編む。「クラクション!」
空気が大きく揺れた。
阿倍野の意識はクラクションにやられて一瞬乱れた。
しかしクラクションは光の障壁に阻まれた。
跳ねかえって、クラクションは新田の意識を乱す。
新田は立ち尽くす。立ったまま動かない。
ニシキは悪魔の表情で収束させたイレイザを振り下ろす。
「新田!」阿倍野は怒鳴った。
「留め針!」新田の前に立った千場はイレイザを留めた。千場は真倥管を触っている。新田の握り締めていたトライオードから魔力を得ている。「阿倍野!」
千場は阿倍野の方を向かずにがなる。「何かあるんだろう! 阿倍野! 俺が時間を作ってやる! 俺が暴走する前に、なんとかしろ、早くしろ、いい加減にしろ!」
「……ああ、」阿倍野は息を吐いた。そして視界の中でバイオリンを探す。無事にそこにある。取りに走る。「ああ、何とかしてやる! 新田ぁあああああああ!」
新田はビクッと肩を震わせて阿倍野の方をゆっくりと振り向いてから、首を振って意識を正している。「う、うん、アキヒト」
「バイオリンを弾いてくれ、」阿倍野は質問を言わせないように早口で説明する。「俺の心臓の鬼の話はしたよな、俺の心臓には鬼の魂がくっついていてブレーキを外すと俺は鬼の力を使える、今日、お前は俺にバイオリンを聞かせてくれたよな、あのとき俺は新田のことをとても素敵だと思った、そしてブレーキが外れそうになったんだ、鬼が出てきそうになったんだ、ヒメゾノのバイオリンじゃ駄目だった、きっとお前の奏でるバイオリンじゃなきゃ駄目なんだ、俺のために奏でてくれ、新田、俺を鬼にしてくれ!」
阿倍野はバイオリンを差し出す。
新田はバイオリンを手にする。新田は戸惑っている。一度音を確かめる。それが心臓に響く。新田はもう一度音を確かめてから新田は息を吐いて、顔つきを変えた。脳ミソの整理が終わったのだろう。明るい未来を想像している表情をしている。素敵な目の色をしている。色がハッキリと見える。ブルー。新田はその表情のまま大きく頷いた。「いくよ」
新田は勢いに任せて弾き始めた。
それが上手いか下手かなんて分からない。情熱的に、躍動的に、愛を乗せて弓を弦に滑らせている。新田は弦が切れるまで引いた。
阿倍野はそして、鬼になる。




