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新田クラクション、真倥管レクティファイア  作者: 枕木悠
第三章 ゴールド・フィッシュ・グループ
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第三章④

「私の奴隷になりたいっていうの?」

 ニシキは両手で頬を包んで声を高くして言う。「そんな、私、十三年も生きているけど、男の人を奴隷にしたことなんてない、どうしよう、困るよ、そんな、言葉が見つからない、とにかく、背徳的よ、背徳的だわ、私はどっちかっていうと引っ張ってもらいたい方なの」

「なんだ、その反応?」千場は口元だけで笑う。「俺がお前の魔法にやられた感じで、お前の奴隷のように登場すれば、新田ホテルの連中は油断するだろ、お前が帰って来て安心しているところで、お前は叫ぶんだ、『真倥管と阿倍野をこの男に渡さないと私は殺されてしまう、そういう魔法を編まれてしまった、お願いします、言うことを聞いてください』、みたいな感じで、美作さんがテアビュを編んだときは、お前のシエルミラで守ってくれよ」

「うん、いいよ、でも、少し納得がいかない」ニシキは難しい顔をして言う。

「納得いかない? 何が?」

「私はどっちかっていうと守ってもらいたい方なの、」ニシキは静かな水面をはかなげに見つめる。もちろん優秀な頭脳で計算された仕草。「今までか弱い女の子たちを守ってきたけれど、誰かを守るのって素敵なことだけど不安なことなの、私は優秀な大連の大学を出た優秀な光の魔女だけれどたまには誰かに守って欲しいの、不安を感じずにいたいの、そういう未来だったらいいと思うんだ、ううん、違うね、そういう、じゃなくて、」ニシキは俯き加減で首を振って千場を見つめて、優しく発声する。「こういう未来がずっと続けばいいと思うんだ、ヨウスケ、今私、とても安心してるんだよ、どうしてか分かる?」

 ニシキは千場の手の甲に手の平を乗せる。まるで活動写真のワンシーンのように。ニシキはカメラのレンズを意識したような表情で千場の横顔に顔を近づける。あとは千場がニシキを喜ばせる台詞を言ってくれれば『月刊魔女恋』に投稿出来るくらいのラブストーリィが完成する。『月刊魔女恋』は魔女と男性の恋を淡々と赤裸々に扱った雑誌で、今年で創刊十周年を迎えるニシキのバイブルだ。ちなみに魔女同士のポピュラな方の恋愛を扱う雑誌は『月刊魔女愛』だ。

「違う、」千場は言った。「違うって、それは」

「え?」意図的に瞳を潤そうと頑張っていたニシキは千場が何に対して『違う』と言うのかが分からなかった。「何が、違うの?」

「いや、お前が今安心していられる理由は湖の傍にいるからだろ?」

「え?」

「なんだ、違うのか?」

「うーん、」ニシキは千場に対してのアプローチを誤ったことに気付いた。千場の思考回路はきっと複雑なのだと思った。でも、普通分かるだろ、とニシキは舌打ちしたい気分だ。手の甲の上に手の平を載せる。つまり、恋のしるし。ニシキの知識では、『月刊魔女恋』の常識ではそうなのだ。しかし、ニシキはそれを直接言葉に出来るほどの心臓を持っていない。婉曲になら言えるのに、遠回りならいくらでも出来るのに、箒に乗ってあなたの胸に飛んでいけない弱い私の莫迦、とか莫迦みたいなことを思ってニシキは息を吐く。さて、少しだけ、勇気を出す。「……今日は、ヨウスケもいるから」

「ああ、そうだよな、一人の方が安心できるよな」

「そうじゃなくて、」ニシキは千場の鈍感さ加減に腹が立ってヒステリックになる。常日頃ヒステリックにならないように頭を使っているけれど、魔女だから感情的になると声が高くなってしまう。「どうして分からないのかなぁ!」

「ああ、そうじゃないな」

 千場は鋭い目をニシキに見せた。頭の中が真っ白になるくらい素敵で、苦しくなって、悔しい。ヒステリックは容易く鎮火。

「お前は光の魔女だ、大連の大学を出た優秀な光の魔女なんだから、真倥管を手に入れたら、その力で一生誰かを守り続けるべきだ、シエルミラで、あるいはそれを超える光のバリアで、天使のバリアか? 俺はそう思う、俺は医者だからな、本気でそう思うんだ」

 そんなことを言われて、ニシキは訳が分からなくなる。「勝手にそう思ったって、私は」

ニシキの目の前には、天使になる、そういう漠然とした未来が広がっている。可能性は無限大だ。天使になることがどういうことか、ニシキも、ゴールド・フィッシュ・グループのメンバもリーダも誰も知らないのだ。無限大の可能性を秘めた未来が目の前にある。ニシキはその未来に近づくことだけを考えてきた。想像できない未来。天使になるという未来は素敵なことでそのことを考えると幸せになって、他の未来を考えようとも思わなかった。誰かを守る未来なんて考えたこともなかった。

ニシキは膝を抱いた。揺れない水面を見つめる。自分の姿が映っている。隣に千場の姿。比較して、ニシキはずっと小さい。早く黒いドレスが似合う魔女になりたい。「私は子供じゃないよ、誰かに未来のことを言われるのは、嫌」

口でニシキはそう言う。でも、嫌な気分じゃないのだ。むしろ新鮮な気持ち。でも戸惑っている。でも、新しい発見。でも、簡単には頷けない。今まで見ていた幸せな未来を簡単に脳ミソからは追い出せない。追い出したくない。きっと天使になった私は凄く輝いていると思うから。

「誰かを守るって凄いことだと思うんだよな」

「随分簡単に言うんだね、」ニシキは不愉快でもあったし、愉快でもあった。声のトーンが低くなったり高くなったりして困る。「誰かを守るって、大変なんだよ」

「ああ、俺は知っている」

「ヨウスケって、厳しいね」

「そういうのを天使っていうんじゃねぇのかな?」

「なに?」千場が何気なく言った一言の意味が理解できない。「どういうこと?」

「いいよ、別に、つまんない、アレだ、メタファだから」

「えー、なんだよぉ」そうニシキが可愛い顔をして千場の横顔を見つめていると、湖に霧が堕ちてきた。幸せな気分から、現実に引き戻される。現実に起こる異変は、ニシキの思考を鋭敏に変化させる。

「なに、霧?」ニシキは立ち上がって右手を動かして霧を撫でる。

「まるで雲だな、」千場も立ち上がった。「なんだ、この場所だけで見れる、いわゆる絶景ってやつなのか?」

「違う、」首を振りながらニシキは笑った。千場の言い方が面白かったからだ。「こんな白い世界、私、見たことないよ、ううん、この時間にこの場所にいたことはないんだけれど、絶景かもしれないね、でも、自然現象にしては、少し急いでいる気がするんだけど」

 すでに霧は湖中に降りていた。周囲の緑色も白く変えている。白い煙。呼吸をすると口の中に水分が満たされるほど、濃い霧。濃霧。かろうじて、近くの千場の影は見えるけれど、湖と岸の境界はハッキリと分からない。ニシキは千場の袖を掴んだ。

「魔女だな、」千場は言った。「魔法だ、俺を捕まえに来たのか?」

「あ、もしかしたら、新田ホテルの水の魔女かもしれない、まだ私は会ったことないんだけれど、水の魔女と雷の魔女がいるって、美作さんが言っていたわ」

「ああ、そう言えば、いたな、群青色の髪の魔女、……っていうことは徳富を捕まえて、俺を捕まえに来たのか?」

「霧を吹き飛ばすよ」

「出来るのか?」

「騙された? 風の色素は無色透明、でも私の自慢の金髪を輝かせている重要な要素、光の魔女はイレギュラが多いって言ったよね、実は私もイレギュラなの、風と光のイレギュラ、」そしてニシキは気付いて微笑む。「もしかしらヨウスケの恋人も隠しているんじゃない?」

「……マジか?」千場は少し参っているようだ。それほど恋人のことが好きなのかとニシキはいい気がしない。「あいつ、……演技派だな」

「いい、ヨウスケ?」ニシキは目を瞑って髪の毛を輝かせている。「上昇気流を起こすよ」

「待て」千場は後方の大木に向かって移動する。

「待てない、」ニシキは天に向かって右手をかざして回転させて、止める。すでに魔法は編まれた。「ハイエン」

 ニシキの右手を中心に上昇気流が起こる。金髪が揺れる。緑の木々を揺らす。風は素晴らしい速度で回転する。霧を巻き込んで、滅ぼす。一瞬で太陽が見えた。光が差し込む。光が広がる。ニシキの位置から太陽を見上げると、まるで台風の目の中にいるような、幻想的な光景が広がっていた。

 魔法を思い切り編み込んで、手放した満足感に、ニシキは浸っていた。

 さて、魔女はどこだろうか?

 ニシキは探す。探すまでもなかった。湖の上空。

 首を傾けて見上げるくらいの高さに、箒に跨った二つの魔女の影が見える。眩しくて手をかざす。遠くて、逆光で、色は見えない。でも、水と雷の魔女の影だろうと推測する。「あ、ヨウスケ、どうするの? イレイザを編んでやっつけようか?」

 振り返ると千場は少し離れた大木の太い枝の上にいた。胡坐をかいている。髪が乱れていて、山賊のようだったが、それも素敵だ。浴衣が乱れていてニシキの気分は高まる。「……すげぇ風だな、待てって言ったのに」

「もっと早く反応してよね」ニシキは木まで歩きながら言う。

「遅かったか?」千場は枝から飛び降りた。着地を失敗して尻餅を付いた。ニシキは手を伸ばす。千場は力強く掴んで引っ張った。予想していたよりもずっと強い力で引っ張られたからニシキは必然的に、全然狙ったわけじゃないが、千場の胸に向かって飛び込んでしまった。「おい、何ふざけてんだ?」

「ふ、ふざけてなんて、な、ないんだから、」ニシキは自分の顔がピンク色になってないか心配だった。「ヨウスケが強く引っ張るから、その、こうなっちゃったのよぉ」

 千場はニシキを抱いたまま立ち上がった。

「え、ちょ、そんなぁ、」ニシキは恥ずかしくて震える。「この、こ、子供扱いしてぇ!」

「魔女は二人か?」千場は上空を見上げて言う。

「うん、そうだね、こら、早く降ろして」ニシキは千場から離れて、もう少しくっ付いていればよかったと早々後悔している。

千場は湖の方へ三歩歩いて手をかざして空を見る。「……もう一人いるな、二人で箒に乗っているのか? ……それから、向こうにも、魔女か?」

「え?」ニシキも千場の隣まで歩いて空を見上げた。すると湖の円周が白く輝き始めた。その輝きは空に向かって立ち上るほど明度の高いものだった。巨大な魔力を感じる。巨大な魔力の持ち主が静かな湖に向かって魔法を編んでいる。静かな湖に向かって、何をしようと言うのだろう?

「ニシキ!」千場が急に大きな声を出した。「シエルミラ!」

「え?」

 湖の輝きが増して、静かな水が騒がしくなって。空に向かって、射出された。大連の大学で見たロケッタの実験を思い出した。湖の水は射出されるロケッタのエネルギアを連想させる。水はとても速く、とても高く持ち上がった。そして状況が変わらない時間が二秒。それを経て、水は暴れ始めた。氾濫して、堕ちてくる。

ニシキは目を大きくして、輝かせて、編んだ。迅速に、緻密に、精巧に編み込んでいく。

「シエルミラ!」ニシキは完成と同時にがなった。

ニシキの右手前方、円形に出現する巨大な光のバリア。色はゴールド。シエルミラは水を弾いて、二人を守る。しかし膨大な質量はシエルミラを傷付けていく。のし掛かってくる。重い。「重たいな、もうっ!」

ニシキはシエルミラのほつれた部分を必死で修復しながら叫んだ。しかしほつれた部分はどんどん広がっていく。滝のように襲ってくる水は止まない。駄目だ。

ニシキはそれを悟った。「ヨウスケ、ごめん!」

シエルミラは光の粒になって弾けた。ニシキは水を浴びる。しかし、溺れることはなかった。浴びたのはバケツ一杯分くらいの水。ギリギリ駄目じゃなかったようだ。でも、メイド服が濡れて、髪の毛が乱れているから、負けなのかもしれない。「最低だっ」

「助かったぜ、お前のシエルミラ、凄い強度じゃないか」同じくバケツ一杯分の水を浴びた千場がニシキに言う。

「凄くない、最後には壊れた、服も濡れた。びしょびしょ、ヨウスケだって、びしょびしょ、ごめん、情けない、」ニシキは下唇を噛んだ。そして周囲を見回す。堕ちてきた水のせいで木々が洪水の跡の様に土と混ざり合っている。「ここに広がる緑も守れなかった、悔しいよ、可哀そうだよ、」ニシキは悲しい気持ちになった。それから脳ミソは瞬間的に沸騰する。「誰だ、私の大事な場所をこんな風に滅茶苦茶にしやがって、いるんだろ、近くに、出てこいよ、コラぁ!」

 ニシキを中心に鋭い風が起こった。風はニシキの視線の方へ進む。湖の上空に魔女の影、二つ。魔女の影二つは風に煽られ、揺らめいた。そして影の一つが落下。箒と別れ、そのまま湖に堕ちた。激しい飛沫を上げて。影のもう一つは堕ちた魔女を追って、湖にダイブする。水飛沫が立って、それから、静寂が続く。

 ニシキは目の前で起こる光景の意味が分からなかったが、しかし、何をしなきゃいけないのか、そういうことは判断できた。「ヨウスケ、私の箒は!?」

「ああ、ほら、」千場はニシキに箒を手渡す。大事に持っていてくれた。「これがなくちゃ帰れないもんな」

「ありがとう」

「助けるのか?」千場は愉快そうだ。

「魔女二人に説明してもらわないといけないでしょ!」

 ニシキは箒に跨って湖の上を飛ぶ。二人の魔女が落下した地点でバリアを張る。そしてダイブする。バリアのおかげで濡れない。しばらくは呼吸が出来る。深く潜る。暗い水の中、光を編んで照らす。すぐに見つかった。

魔女二人。ニシキと同じ形のメイド服を着ている。新田ホテルの魔女二人。群青色の髪の魔女は目を瞑っていた。苦しんでいる様子はない。死んでしまったような顔。

もう一人、紫色の髪の魔女は彼女を抱いて必死の形相で箒と一緒に浮上していた。

彼女はニシキを見つけて、助かったと思って安心したのか、目を閉じた。もう限界だったようだ。安心するのが早い。落下していく二人。ニシキは二人の手を掴んで、引き寄せる。力には自信がない。その代わり、巨大な竜巻を起こす。岸に向かって一気に水の中を浮上する。水面から体を出し、倒れ込んでニシキは叫んだ。「助けたわよ、助けてやったわよ、このぉ、ああ、疲れたぁ!」

「大丈夫か?」千場がニシキの前に跪いて聞く。

「え、心配してくれるの? うん、大丈夫よ」

「違う、そっちの二人」

「私のことも心配してくれたっていいでしょ!」

 ニシキが振り向くと紫色の髪の魔女が咳き込んでいた。水を吐き出している。水を吐き出しながらも意識ははっきりしているようで、もう一人の群青色の髪の魔女の肩を触って揺らす。高い声で名前を呼ぶ。「カスミ、ねぇ、カスミ、しっかりしてよ、ねぇ!」

「揺らしちゃいけない、」千場がカスミの横に移動しながら言う。「揺らしたら大変なことになるかもしれない」

「カスミ、カスミ」紫色の髪の魔女は顔をくしゃくしゃにして名前を呼び続ける。

 ニシキは胸が痛くなった。千場は医者のように首元に手を当てて心臓の動きを確認している。千場は手を離しても表情を変えなかった。千場は紫の髪の魔女に歯切れよく伝える。

「心臓が動いてない」

「…………嫌、」紫の髪の魔女は絶望的な表情をして声を上げる。泣く。「嫌だ、カスミ、カスミ、カスミ、カスミ、カスミ、カスミ、カスミ、カスミ、カスミ、カスミ!」

千場はニシキに向かって尋ねる。「お前、ピストルを撃ったことがあるか?」

「なに、言ってるの? 今、そんなこと私に聞く場合じゃないでしょ」ニシキの声は裏返る。悲しい気持ちに満たされていた。私の風が一人の命を奪ってしまった。何も考えられない。何も。何も考えられない私にヨウスケは銀色のピストルを渡す。信じられない。

「ここは山奥だ、魂がどこかに彷徨っているはずだ、古い時代の神の魂でも、蛇でも狐でもなんでもかまわない、お前の光で見つけろ、お前なら出来る、そして撃て、魂を形に変えてくれ、その魂を心臓に縫い付ける」

ニシキは言われ縫合術の話を思い出す。「……それで助かるなら、」ニシキはピストルを握り締める。「でも、どうやって、魂を見つけるの?」

「おい、お前、何やってんだ!」千場は紫の魔女に怒鳴った。紫の魔女がカスミの胸に手を当てて何かをしようとしていたからだ。

「……私のプラズマで、」紫の魔女は涙を流しながら魔法を編んでいる。「私のプラズマでカスミを目覚めさせてあげるの」

「バカっ、止めろ!」千場は紫の魔女を押し倒した。

「離して! 私のプラズマで、私のプラズマなら出来るもん!」

「いいから落ち着け!」

「いや、離して、」紫の魔女は暴れる。「カスミ、カスミ、カスミ!」

「ああ、もうっ、ライカってばうるさいっ!」カスミは突然パッチリと目を開け、半身を持ち上げて叫んだ。「せっかくいい気持ちで寝ていたのに台無しじゃないのっ!」

『え?』ニシキと千場は同じ表情で顔を見合わせた。

 ライカは千場を突き飛ばしてカスミに抱き付いてわんわん泣く。そしてキスする。顔を背けたくなるほどの濃厚なキス。ニシキは一部始終見ていた。千場は遠いところを見つめていた。そして千場は呟く。「……そうだよな、水の魔女が水にやられるわけがないな」

 なるほど、そういうことか。魔女二人に背を向けてニシキは息を吐く。騒ぎっぱなしだった心を鎮める。そして何か企む目をして、阿倍野の耳元で小さく呟く。「私の奴隷のままでいい?」

「最初から、そのつもりだ、いや、そのつもりです、ニシキ様」

「ばぁか」ニシキは俯いて笑った。

「ねぇ、あなたは、私たちと同じ格好をしているけれど」

後ろでカスミの声がして振り向いて、微笑みを添えてニシキは答える。「はい、私藍染ニシキと申します、お二人と同じ新田ホテルの従業員です、昨日の夜ホテルに着いたばかりですけれど」

「うん、多分、そうだと思った、美作さんから話は聞いていたから、でも、どうしてこんなところに?」

「話は複雑なんですけれど、掻い摘んで言いますと、この男が新田ホテルから脱走するときに人質にされてしまったんです」

「あー、そう言えば、昨日の夜見た顔だ!」ライカが千場の顔を指差して言う。

 カスミも僅かに表情を険しくした。

「でも、安心してください、今は逆に人質にしています、」ニシキはピストルを千場脇腹に当てた。「この男は普通の大学生です、私が隙を付いてピストルを奪うのに時間はかかりませんでした、この男が私のイレイザに恐怖して静かに人質になるまで一分もかかっていません、とにかく、これから新田ホテルに戻ろうと思った矢先でした、急に湖が大変なことになって、思わず二人に向かって風を起こしてしまったのは、その、感情的になってしまったからなんです」

「ああ、ごめんね、キャブズたちを水で呑み込もうとして巻き込んじゃったんだね」

「キャブズ?」

「ええ、灰色のジャケットと緑色のワンピースのキャブズ、昨日の夜から私たち、その男の仲間を連れて逃げたキャブズを追っていたの」

 千場は僅かに眉を潜めた。しかし奴隷らしく黙っている。

「キャブズたちには逃げられたかな、呑み込んだ感触はないし、正直さっきまでのことをあんまり覚えてないんだ、恥ずかしながら、少し熱くなっちゃって、全ての魔力を使ってキャラクリズンを編んでしまった、バカよね、そんな大がかりな魔法を編む必要なんてなかったのに、緑も滅茶苦茶になっていいことなんてない、それにほとんどの魔力を使ってしまったから風に吹かれてくらいで湖に堕ちちゃった、私は水の魔女だから全然かまわないんだけど」群青色の魔女はそう話した。

「なるほど、そうだったんですか、……とにかく、」ニシキは提案する。「新田ホテルに戻りましょうか? 美作さんも心配していると思うし」

「ええ、そうね、戻りましょう、」カスミはライカの手を触って聞く。「いいよね、ライカ?」

「うん、もう、とにかく、ベッドの中で眠りたい、」ライカは涙で張れた赤い目を擦っている。「お仕置きは嫌だけど、でも、もう眠りたい」

「お仕置きもいいけれど、でも、眠りたいね」

「へへっ」ライカは微笑んで体をカスミの方へ傾ける。

「んふふっ」カスミはライカを受け止めて微笑み返す。

「ずるい」ニシキは思わず言ってしまった。だってまるで『月刊魔女恋』もとい、『月刊魔女愛』の特集コラムを読んでいるみたいだったからだ。

『え?』ライカとカスミは同じタイミングでニシキを見る。

「なんでもありません、」ニシキは咳払いをして誤魔化す。「さぁ、帰りましょうか」

 ニシキは横で黙っている千場を見上げる。まるで微笑んでくれそうにない。

でも素敵。



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