表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新田クラクション、真倥管レクティファイア  作者: 枕木悠
第三章 ゴールド・フィッシュ・グループ
17/40

第三章①

藍染ニシキはこめかみにピストルを付けつけられたまま、千場ヨウスケと一緒に男湯の脱衣所から出た。思いがけない情景だったのだろう、脱衣所の外で聞き耳を立てていた従業員たちは驚いて、十人十色の反応をした。共通していたのは千場の「道を開けろ」の一言に静かに従ったということ。千場のニシキの扱いはとても乱暴だった。銃口がこめかみから離れて当たるし、不規則なリズムで体を引っ張るから自分のペースで歩けない。まるで労働者階級の不慣れなダンスだ、とか思った。新田ホテルを出るまでは薙刀を持った女の子たちと畑を耕す道具や清掃用具を構えた大人たちが、千場を睨みながら後ろをゆっくりと歩いていた。けれど千場が何度も繰り返し後ろに向かって同じことを言うと睨むのを止めて、最終的に武器を捨てた。「お前らが武器を振り下ろしたら俺の人差し指がピストルを鳴らす」

 千場は箒を構えていたメイドがロビィに捨てた箒を手にした。それから千場はニシキを新田ホテルから連れ出した。そしてニシキに箒を突き付けて言う。「飛べ」

「どこへ?」ニシキは箒の柄をしっかり握り締めて聞く。

「俺が怖くないの?」千場は優しい表情をした。

「ピストルは怖い、」ニシキは瞳を吊り上げて嘘を言う。「でも、アンタは怖くない、けど、ピストルが怖いから、アンタに従って上げる、今日は」

「そうか、」千場は歯を見せた。「俺、少し疲れてて、休息にいい場所を知らない?」

「分かった、」ニシキは頷いて箒に跨った。「乗って」

 ニシキは一般的に優秀な魔女に分類される。だから箒の後ろに男を乗せるなんていうのは初めての経験だった。しかし男のずっしりとした重さを後ろに感じても、バランスを崩すことはなかった。

 その折り、警報機が鳴った。とても煩い。鼓膜を直接叩かれているようだと思う。不愉快な音だ。それに飲み込まれたくなくて、ニシキは浮上した。雲が手に届く高さまで一気に飛んだ。もう音は聞こえない。この高さまで届いて堪るかという高度に達する。頭上には濃い色の羽根を持つ鳥の群れ。その隊列の邪魔をしてしまってニシキは鳥たちの襲撃を受ける。ニシキは鳥たちの体当たりをロールして避けながら、彼らが舞い上がれない高さまで浮上する。雲のさらに上だ。太陽が近くに見える。

「凄いな、」千場は無邪気に言った。「すげぇ高い、ああ、魔法使いっていうのは、こういう世界を知っているんだな」

「アンタは魔法使いじゃないの?」ニシキは声を張り上げて言った。風が強いからだ。自慢の金髪が右から左にはためいて、鬱陶しい。

「俺は飛べないんだ」

「え、なぁに?」ニシキは千場が何を言ったのか、よく聞き取れなかった。「え、なんて言ったのぉ!?」

「俺は飛べないんだ、飛べない魔法使い、」千場はしゃがれ声を響かせる。「自分で飛べさえしたら、しょんべんくせぇガキの後ろになんか乗らねぇよ」

「誰がしょんべん臭いガキだってぇ!?」ニシキは怒鳴った。「ちゃんと聞こえたぞ、こらぁ!」

「湖か?」千場が聞く。

 雲の切れ間からニシキの目的地が見えていた。緑色をした山々の中に出現する巨大な水溜り。水溜りは雲の動きを反射していた。まるで鏡みたいに。水が全く揺れていない。揺らすものがない。風が起こらない場所。とても静かで、違う世界に飛んできたのかと思う。草木も揺れて音を立てない。奇跡的な光景にまた出会えてニシキは、息を吸える。ニシキは水辺に降り立つ。匂いが充満している。優しい匂い。包まれて、脳ミソがクリアになる匂い。

千場はニシキから体を離して、水辺にあぐらを掻いて言う。「ああ、シガレロが吸いてぇ」

「そんなの許さない」ニシキは千場を睨んでから、隣に膝を抱えて座った。距離を開けて座った。ニシキは千場に何か言って欲しかった。期待していた。ニシキは前方に広がる水面をぼうっと眺めている千場の横顔を盗み見る。直視すればいいのだろうけれど。まだ、何も知らないから。何も教えていないから。きっと私は、普通の女の子みたいな仕草を千場の前でしてしまっていた。意識して手悪さをしたのは何年ぶりだろう。

「ホテルに戻らないのか?」千場は急に発言した。

ニシキは質問の意図がよく分からなかった。「え、ホテルに、戻る?」

「お前は新田ホテルの従業員だろ?」

「え、うん、そうだけど、」ニシキは視線を地面の土に向けて答えた。「そう、確かに私は新田ホテルの従業員、だけど」

「もう戻ればいい、俺はもうお前にピストルを向けてないし、向ける気もないし」

「……ああ、ああ、そう、もう解放してくれるんだ、なんだ、嬉しいな、」ニシキは明るく言いながらここに留まる理由を探している。変な話だ。「いや、でも、待って、まだあんたは魔法を編んでいるんじゃないの?」

「……何のことだ?」千場は遅れて反応する。彼の目は半分しか空いていない。

「言ってたでしょ? 真倥管を触るとピストルが私を打つ、とか、関係を結んだ、とか、まずそれを解いてくれなきゃ、気が気じゃないっていうか」

「ああ、それは口から出まかせだ」千場はサラリと言ってのける。

「え、それじゃあ、」ニシキの声は裏返っていた。水面が僅かに揺れた気がする。目を丸くして千場の顔を見る。「全部、嘘だったってこと?」

「ああ、」千場は口元だけで笑う。「俺はそんな魔法編めないし、そんな魔法なんて知らない、多分、ない、ましてあの状況で俺が魔法を編めたと思うか? 美作さんにほとんど隙はなかった、俺は彼女のテアビュで真っ二つにされないかずっとビビッていたんだ、まさか嘘が通じるだなんて思わなかった、こんなにうまくいくとも思ってなかった、きっと美作さんが、俺が思っていたよりもずっと優しい人だったから、俺は騙すことが出来た、よかったよ、少し悪いことをしたなって思うけど、真っ二つにされないで本当によかった」

「なんだ、そうだったんだ、、」ニシキは大げさに首を竦めた。「でも少し、がっかりかな」

「がっかり?」

「うん、だって、あらゆる関係を結ぶ、だっけ? そんな魔法があったら、凄い」

「凄い、か、」千場は目を閉じた。「未来にはあるかもな、針と糸が進歩すれば、あるいは」

「不可能じゃないのね?」

 千場は曖昧に首を動かした。「……それで、お前は帰らないのか、ホテルに」

「そんなに私にここにいて欲しくないわけ?」ニシキは大胆に攻めようと決めた。「可愛い女の子と二人っきりで嬉しい癖に」

 千場は吹き出すように笑ってニシキの顔をジロジロと見た。体も観察している。ニシキの体は少し熱くなった。「……な、なによ、ニヤニヤしちゃって、興味があるの?」

「いや、別に、」千場はまだ微笑みを絶やさない。「……で、帰らないのか?」

「なんか、よく分かんないけど、腹立つ、」ニシキは立ち上がってスカートを叩いた。「じゃあ、ご要望にお答えして帰らせて頂きます」

 ニシキはツンと澄ました顔で箒に跨った。メイド服の乱れを正しながら千場が何か言うのを待つ。十秒待った。ニシキはがっかりした。溜息に近い息を吐いてから、浮上する。

「あ、待った、」千場はニシキのスカートの裾に手を伸ばして掴んで言った。「待ってくれ、悪い、ごめん、謝る、お願いだ、帰らないでくれ」

「そんなに頼むのなら、」ニシキは表に出てきそうな歓喜の表情を必死に隠しながら、高い位置から飛び降りた。ニシキは着地するとき軽くステップを踏んだ。「仕方ないな、隣に座っていて上げる」

「ああ、助かる、お前に帰られたら、俺が帰れなくなる」

 ああ、そういう理由か、と思ったが、ニシキは別にそれで構わなかった。「藍染ニシキ」

「え?」

「私の名前」ニシキは千場に近い距離で座る。

「ニシキ? 可笑しな名前だな、」千場は笑いもせずに言った。「俺は千場ヨウスケ」

「ヨウスケ」ニシキは意味もなく発声した。

「……聞いていいか?」千場は視線だけニシキに向けた。「別に答えなくても構わないが」

「なに?」

「何を企んでいるんだ?」

 ニシキはその質問に嬉しくなって笑った。待っていたのだ。遅いと思った。「遅いよ」

「いや最初から、変だなっていうのは感じていた、俺に対しての反応が、明らかに違っていた、他のホテルの連中とは、俺と美作さんのやりとりをお前は客席から演劇を見るような目で見ていた、ピストルを突き付けても、ずっと、ずっと変わらず、何かを企んでいた」

「ずっと私のことを観察していたの?」ニシキは気分がいい。「信じられなぁい」

「お前の金髪は俺の恋人の髪の色に似ていて、だからどうしたって目につく」

「嘘、最低、最悪、」ニシキは自分の太ももに顔を埋めた。「なんだ、……恋人、いるんだ」

「興味ある?」千場は無邪気に笑う。心が揺れる素敵な表情だ。「恋人の話をしようか?」

「全く興味ない、聞きたくない、」ニシキは首を横にブンブンと振った。「そういう顔でヨウスケは今まで多くの女の子たちを傷つけてきたんだ、きっと」

「俺は医者だ、傷つけるなんて」千場にはニシキが伝えたいことの十分の一も伝わっていないようだった。

「嘘ばっかり、」ニシキは可笑しくて笑った。「あ、ねぇ、心臓の話は本当?」

「ああ、」千場は心臓のことを説明してくれるのかと思った。しかし千場は恋人のことを思い出しているようだ。「それで、俺の恋人はドゥービュレイから長崎に来たドイツ人と日本人のハーフで、とても綺麗で優秀な魔女なんだ、お前もきっとあいつぐらい優秀な魔女なんだと思って」

「恋人と比較されたくない、私はヨウスケの恋人の金髪の素敵な魔女を知らないんだから、」ニシキは口を尖らせて言う。「でも、うん、私はね、魔女になったのと同時に大連の大学に留学して二年で卒業して日本に帰ってきた、一般的に言えば優秀な魔女よね、きっと」

「大連?」千場はわずかに驚いていた。「光の魔女の最高峰だな、予想以上だ、なおのことそんな魔女が、ホテルでメイド服を着ているなんて、不自然だ」

「そうかな?」ニシキはそう言われ悪い気はしない。大坂の水上大学に世界から優秀な水の魔女が集まるのと同じように大連には世界から優秀な光の魔女が集まるのだ。「でも、似合うでしょ?」

「なにが?」

「メイド服」

「金髪は浴衣がいい、色のない、白いやつ、」千場はニシキを見ながら、きっと恋人のことを考えている。「髪を結って、うなじを見せてくれれば」

ニシキは声を大きくして言う。「私とヨウスケの目的は同じよ」

「同じ?」

「真倥管、私は真倥管を手に入れるために、履歴書を書いてホテルの従業員になった、新田ホテルは魔女を募集していたの、真倥管を奪おうとする悪い魔法使いからホテルを守るために、そんな風に警戒しているんだから、従業員になって隙を付いて盗み出した方が、方が利口よね」

千場はニシキの告白に全く驚いていなかった。予想通りだったのだろう。確かにニシキは分かりやすい態度を取っていたから。「俺たちは真倥管を盗みに行ったんじゃない、ただ確かめに行ったんだ、それが売っていたら買おうと思ってた、金は用意していた、ああ、いうことになるなんて予測してなかった」

「……本当みたいね」ニシキは千場の顔を覗き込んで確かめた。

「ああ、それでお前は真倥管を手に入れてどうする?」

「どうするって、触るに決まってるじゃない」

「優秀な魔女には必要のないものだろう?」

「そんなことないわ、真倥管を使えば、限界の先に行ける、天使になれる、それが私たちの夢、」ニシキは恥ずかしくてにやけた。声に出すと恥ずかしい。「実は私も細かいことは知らなくて、でも、真倥管が、未知の可能性を秘めているのは確か」

「天使って、お前は何を言っているんだ?」

「メタファよ、メタファ、魔女の限界の先のステージを、天使、そう私たちは呼んでいる、天使っていうメタファは的を射ている気がするんだけど」

「背中に羽根でも生えるの?」

 ニシキは笑う。「分かんない、でも、羽根が生えたりはしないと思う、そういう気分にはなるのかな」

「私たちって言ったか?」

「うん」

「なんだ、仲間がいるんだ」

「私と同じ夢を見ている魔女はたくさんいて、ほとんどが大連出身の光の魔女」

「そいつらは全員真倥管を触ろうとしているのか?」

 ニシキは首を横に振る。「違う、みんな、それぞれ違う方法で天使になろうとしている」

「大連の魔女が集まれば簡単に奪うことが出来るんじゃないか?」

「うん、そうかもしれないけど、でも、私たちはそれでいいの、同じ部屋に集まらなくていいの、同じ夢だけ見ていればいいの、そういう気持ちの魔女たちばかりなの、天使になりたいのは」

「よく分かんねぇな」千場は顎を触って首を捻った。

「私たちはゴールド・フィッシュ・グループ、」ニシキは千場の耳元で囁く。「リーダが言っていたわ、私たちは円卓に並べられた、それぞれ別の鉢の中で泳いでいる金魚だって」

「金魚? 確かに皆、金髪だろうけど」

「鉢は独り占めしたい、でも、夢を見るのは誰かと一緒がいい、そういう距離感がいい、そう思う魔女のグループ、素敵でしょ?」ニシキは分かってもらえるとは思っていない。

「わがままだな、いや、魔女はみんなそうだ、白と黒を同時にやりたがる、俺の恋人も」

「あ、そうそう、」ニシキは千場に恋人のことを言わせたくない。「意外とね、純粋な金髪の光の魔女って少ないんだよ、色が混ざっていて、ピンクやコバルトが混ざっていたり、そういうイレギュラな魔女が大連には多かった」

「ああ、だから、金魚なんじゃねぇか?」

「え?」

「金魚って、ほら、色や形の個体差が激しいだろ?」

「そうかな?」

「いや、俺の勝手なイメージだ、金魚なんて真剣に観察したことないし」

「藍染ニシキを観察したら?」

「どういう意味だ」

「ニシキって金魚の名前なんだ、仲間の名前は皆、金魚から着想を得ているの」

「いや、だから、どういう意味だって」

「ヨウスケは研究者でしょ、私を研究対象にするといい、」ニシキは千場に対してさらに大胆になる。「私が真倥管を触ったら、ヨウスケは分析をして論文を書けばいい」

「いや、俺の専門は、」千場は苦笑した。「……まあ、いいけれど」

「じゃあ、戻りましょう、一緒に、新田ホテルに、」ニシキは千場の手を触る。「真倥管を触りに」

「阿倍野を見つけるのが先だ」

「あべの? ああ、ヨウスケの仲間、だっけ? その、心臓の話の」

「お前は知らないか、阿倍野がどこにいるのか?」

ニシキは首を横に振った。「私が新田ホテルの従業員になったのは昨日の夜だし」

「そうか、」千場は顎を触る。「研修中?」

「阿倍野君を助けるのね、分かった、協力してあげる」

千場はニシキを見て何かを考える目をした。「……作戦はこうだ」

「ありがとうぐらい言いなさいよ」ニシキは腰に手を当てながら言う。

「金魚にありがとうなんて言わない」千場は送れて微笑む。

きっと千場なりの冗談なのだろうと、ニシキも微笑む。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ