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73 サランヴィーネの港街 その五

 なにか有ったのだと一目瞭然な光景に、集まっていた人々は動揺、驚愕、焦燥しながらも見守っていた。

 港にかなり近づいていることもあって、船の様子は見ることが出来た。

 甲板やマストに広がる火を消そうと水を持って走り回る人、船の周りに群がって破壊しようとする魔物と戦う人など、皆助かる為に必死になって動いていた。


 けれど船が沈むのは時間の問題であることは、誰の目にも明らかだった。

 それでも船に乗っている人々は、そこに居続けなくてはならない。港が目と鼻の先なのだから、船を捨て海に身を投げて泳いでいこうにも、魔物が群がっているのだからその選択は取れない。

 故に沈むと分かっていても、助かる為には船と共にあらねばならないのだ。




 「おい、あの船、ヤバイんじゃないのか?」

 「誰か助けに言った方がいいんじゃ……」

 「………あのまま船が港に入ったら、魔物もついてくるんじゃないのか?」


 そこかしこでそんな囁き声が聞こえる。

 皆口々に自分の思いのままに言葉を吐くが、動く者はほとんどいない。ここ最近ではよくあることで見慣れた光景なのか、人々の声には諦めのような感情が含まれていた。


 勿論船の人達を助けようと動く者もいる。船を持っているものは、戦える者を集めて乗せ向かおうとしている。

 だがその人数は少数であり、確実に勝てる見込みは無さそうであるし、船がそれまでもっているかも定かではない。それでもその人達は向かおうとしていた。




 それらを、瑠華はただ見ていた。

 助けようと思う気持ちは心には浮かばない。浮かんでなどこない。

 だから、ただ見ていた。



 ふと視線を感じ、瑠華は横を向く。

 背がそれほど高くないシンとサラは、人垣に遮られて沖で起こっていることを正確には理解できていないようであった。

 しかし人垣の隙間からちらちらと見える船と空高く上がる煙、この場に集まっている人達の声から、なんとなく察したようで不安げな顔をしていた。

 サラは困惑を滲ませて船の方向と瑠華を交互に見ていて、シンはじっと瑠華を見つめていた。


 シンの瞳には“助けてほしい”という懇願も、“助けないのか”という批難も、“どうするのか”という問いかけもなく、ただ見ているだけだった。



 その瞳は、瑠華にとって、酷く懐かしく愛おしいものだった。



 未だ“過去”には出来ず、忘却など出来はしない【唯一の人】の姿が、鮮やかに脳裏に甦った。



 口元に“本当の”微笑を浮かべた瑠華はシンの頭を優しく撫でて、人垣を掻き分けて海に触れられる場所まで移動した。

 シン達がしっかりついてくることを確認して、瑠華はフードから顔を覗かせているマリアに触れ、月属性最上位魔法『心声(しんせい)』で語りかける。


 『マリア、頼めるかな?』

 『ふふ、他ならぬ主の頼みだもの。勿論構わないわ』

 『それじゃあ…………』


 了承の頷きの代わりに瑠華の頬を一舐めして、マリアはするりとフードから出て瑠華の腕に収まった。

 一度その暖かな存在をぎゅっと抱き締め、瑠華はしゃがんで人の足の間からマリアを差し出し海へと解き放った。



 立ち上がり沖の船を見つめた直後、盛大な水飛沫と共に大きな黒い影が空に現れた。その姿を認めた人々はの囁き声は、まるで大合唱のような悲鳴へと変わった。


 それは、全身を黒い毛に覆われた長い首と尾をもった、巨大なドラゴンの姿に戻ったマリアであった。






 一般的に、普通の人々にとってドラゴンとは物語の中の存在である。

 勿論現実に存在することを知っているし、どういう存在かも理解している。

 けれど大体において竜種(ドラゴンタイプ)は、滅多に人間の前には現れない。一言に竜種(ドラゴンタイプ)と言っても様々な種がいるので語弊がある。竜種(ドラゴンタイプ)の中でも下級とされるリトルドラゴンなどは、人の営みが溢れる地に住み生き物を襲っているので、概ね人間の前には現れない、ということだ。


 人が「ドラゴン」と聞いて思い浮かべるのは、硬質な美しい鱗を持つ巨大な姿である。


 ドラゴンの存在は古き時から、吟遊詩人などが語る物語に登場する。時には主人公の()く道に立ちはだかる最大の敵として、時には人間の友である騎士と共にお姫様を護る頼もしい味方として。

 どのような話の中でも、ドラゴンとは物語を盛り上げる存在として語られる。


 そのような話を、祭りの時吟遊詩人の唄と共に、或いは子守唄代わりに両親から聞かされて育つ者達は、ドラゴンに対して強い好奇心と憧れを抱く。


 だが心踊る話と共に、畏怖をもたらす話を同時にしなければならない。


 ドラゴンとは、気位も誇りも高い存在である。

 安易に近づけば命を失いかねない危険を孕む存在。そのことを決して忘れてはならない。




 そのような存在が、このような場所に、このような状況の中で現れれば悲鳴も上がるというもの。


 瑠華から見て船の後ろに姿を現したマリアは、空中で静止した後海に向かって力強い咆哮を上げた。マリアの圧倒的な存在感と気配に恐怖し固まっていた魔物達は、我先にと海の中へと投げていった。

 それを見届けたマリアもまた、再び高い水飛沫を上げて海の中へと消えていった。


 最後まで呆然と見つめていた人々は、未だに一言も漏らさずに海を注視している。

 その隙に、瑠華はシンとサラの手を取って人を避けながら進み、一軒の定食屋に入った。


 するとここでも定食屋とは思えない静けさが広がっていた。港がよく見える大きな窓から、先程の一部始終が見えていたようで皆窓の外を見て呆然としていた。

 定食屋の中に入っても声をかけられなかった瑠華は気にせず、奇跡的に空いていた四人掛けのテーブルに座った。シンとサラも向かいの席に座る。二人共街の人達と同じように、なんだかよく分からないという顔をしている。

 瑠華は目深に被ったフードの下で、左手の薬指で眼鏡を上げつつ面白そうに見ていた。


 「あ、あの、ルカ様、さっきのドラゴンってマリア、ですよね?」


 シンが小声で瑠華の顔とマリアがいつも顔を出している右肩を交互に見ながら問いかけた。


 「ああ、そうだよ。あの姿がマリアの本当の姿だからね。驚いただろう?」

 「はい、まだ小さいから子供だとばかり思ってましたが、大人のドラゴンだったんですね」

 「いや、マリアはまだ子供だよ。姿は成竜並みに大きいけれど、年齢的には子供なんだよね。ドラゴンは百年程で大人になるらしいから。姿はあれ以上大きくはならないみたいだけれど」

 「へぇ」


 普通に暮らしていればあまり知ることはないドラゴンの話に、シンは楽しそうに頷いていた。

 どうやらシンも例に漏れず、ドラゴンに憧れていたらしい。

 その横でサラは首を傾げていた。


 「でも良かったんですか?マリアちゃんを置いてきてしまって」

 「マリアには一つ頼み事をしているんだ。だから後で迎えに行くことになっている。それにマリアは水遊びと泳ぐことが大好きだからな。今頃思いっきり遊んでいると思うよ」

 「ふふ、成る程」

 「頼み事ってなにか聞いてもいいですか?」


 シンの問いかけに、またしても自然な笑みが浮かんだ。

 出逢った時から感じていたことだけれど、シンはよく人を見ていると思う。人の感情の機微に悟いというか、相手をよく観察して言葉を選んでいるような節がある。

 それは商人をしていたという父親を見て学んだことなのか、自然と気負いなくやっている感じだ。

 相手の気分を損なわせず、自分の欲しい情報を引き出し、自分に有利なように動く。商人にとって、この上なく素晴らしい能力だと思う。


 シンは瑠華に“頼み事ってなんですか?”と答えをもらえることを当然とした聞き方ではなく、“聞いてもいいですか?”と相手の判断に任せた聞き方をした。

 前者の聞き方が嫌いな瑠華にとって、この差は大きい。


 それ故の笑みであった。



 だからといって、教えるとは限らないが。


 尤も、マリアへの頼み事については、確証がないから言いたくないだけなのだが。


 「マリアが帰ってきたら教えてあげる」

 「分かりました」


 その後漸く動き出した周囲の人達から、店の従業員を見つけて声をかけ食事をすることが出来た。

 久々の新鮮な魚介類を食べて満足したように瑠華は、この後の予定を考える。

 街を見て回ろうにも、あんなにも人がごった返していたのでは店を見ることなど不可能だろう。

 ならばここは大人しく宿屋に帰るしかないだろう、と決めてシン達に伝える。もうあの人混みの中を歩き回りたくなかったシンとサラは、笑顔で了承した。








読んで頂いてありがとうございました。

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