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8:婚約発表晩餐会


 今年の王都での社交シーズンの最後を飾るのは、すでに知る人ぞ知る私とヨーゼフ殿下の正式な婚約発表の晩餐会であった。

 なぜにシーズンの締めにもってこられたのかと王妃ヘレナ様にうかがったところ、この婚約で宮廷での勢力図が変わるので、水面下でそれぞれ利害調整を行うための猶予を与えるためであったとのこと。


「貴族の婚姻は政治そのもの。ヨーゼフが王位を継承したあかつきには宮廷での人事もまた変わりましょう。その時にどの派閥が勢力をほこるか、今から駆け引きが始まっているのですよ」


 ほほほ、と上品に微笑まれたヘレナ様の御言葉に、私は感心すればよいのか呆れたらよいのか色々と判断がつきかけたことをここに告白しておく。

 だって、今上陛下はまだまだお若くお元気でいらっしゃって、ヨーゼフ様が即位できるのなんて何十年先の話やら。よほどのことが無い限り最低でも二十年は先の話のはずである。


「国王様が隠居なされるのは三十年は先のお話でしょう。皆様気がはやいのですね」

「ヴァルトハイム辺境伯は伯父上の派閥の方です。今回の婚約でその方々の復権が認められたということですから」


 さすがは王太子殿下なだけはある。今回の婚約の意味をしっかり理解していらっしゃるヨーゼフ様、まだ八歳児なのに大したものだ。

 なにしろ婚約だけなら破棄することも可能なわけで、今回はむしろ敵対派閥の切り崩しの方の意味合いが強いのかもしれない。いや、判らないけれど。



 さて婚約発表の晩餐会であるが、会場はハンベルグ城の大広間で行われる。

 ハンベルグ城自体が湖畔に建てられたかなり大きな城砦で、水上での通商がどれだけの富をもたらすのか、ちょっと説明するのが難しいくらいである。なにしろ数日に一回はヨーゼフ殿下の御機嫌うかがいに登城したのであるが、その時に毎回のように胡椒をつかった肉料理を食べさせていただいたくらいだ。

 いまさら説明するまでもない話ではあるが、胡椒は熱帯性気候下で植生するコショウの実である。我々の住むエルシリル大陸の南にあるエルルルク大陸で栽培されており、海運で入手できる高額商品である。さすがに同じ重さの黄金と引き換えにされるほどではないにせよ、諸侯以外の者が日常的に口にできるものではない。

 王都ハンベルグは、エルヴィニア湖からダヌウィウス河を経由して外海にアクセスすることができる。ちなみに我らがユールヴェント王国は、鉄とメープルシロップ等を輸出して、絹や小麦等を輸入している。というわけで王家の御用商人ならば、各種香辛料をとりそろえていてもおかしくはないわけだ。

 などという話をヨーゼフ殿下に控えの間で語っていたら、わけが判らないという表情で問われた。


「ヒルデルートは、コショウが好きなのか?」

「いえ、はるか南の大陸で栽培されている香辛料が、海を渡ってきてわたし達の食事に使われているということがすごいことだ、と申し上げているのです」

「船をつかえば、どこまでも遠くにいけるじゃないか」

「船をあやつるには、たくさんの人手が必要です。船にのせられる荷物の量はきまっていて、海の上では水も食料ものせていったぶんしか口にできません」


 そう、この世界の船は、木造船の上に風任せのキャラック船か櫂をこぐガレー船が主流である。水と食料がつきるまでしか航海できないし、速さも動力船ほどではないのでそこまで遠くまではゆけない。

 まして外洋は波は荒いし気象はめまぐるしく変化する。そんな危険に満ちた航海を経てもたらされた香辛料なのだ。高価値なのも当然である。

 構造材が鋼鉄になり、動力機関で航行できるようになって、初めて船舶は計算できる物動の主力となりえるのである。

 まあ、さすがに八歳児のヨーゼフ殿下に、物流のなんたるかについて説明しようにも説明できるわけがないので、どうしても言葉足らずになってしまう。いや、私も八歳児なのだ。前世記憶というチートがあるだけで、この世界のことについては教わったわずかな事しか知らないのだ。

 とはいえ、同じ八歳児にこういう言われ方をされてはヨーゼフ殿下も面白くないのであろう。そのまま困ったように黙ってしまわれた。


「わたしは、毎日おどろいてばかりなのです」


 いや、本当に他に説明しようがないのだ。

 そして、それをヨーゼフ殿下に理解して欲しいと思うのだが、どうにも判ってもらえないっぽい。無念。

 で、気まずい雰囲気の中で黙りこくってしまった私達二人を侍従が呼びに来る。どうやら晩餐会の出席者は、ほとんどが席についたらしい。

 今回の主賓は私とヨーゼフ殿下なので、晩餐会の会場に入るのは一番最後ということになっている。


「では、ゆこう」

「はい、ヨーゼフ様」


 差し出されたヨーゼフ殿下の左手に自分の右手を乗せ、左手でドレスの裾をつまんで床を引きずらないようにして控えの間を出る。

 廊下にはハルバードを掲げた近衛兵が等間隔で並んでいて、いかにも王城だなあと感心してしまう。さすがに今晩は王都にいる爵位持ち貴族のほとんどが出席するだけあって警戒も厳重である。

 しかし、こうして男の子にエスコートされる日がくると、万感の思いに胸が苦しいくらいである。前世では性格と当たりがきつくて彼氏がまったくできなかった。やはりこうやってお姫様扱いされると嬉しいことこのうえない。


「ユールヴェント王国王太子、ヨーゼフ・ハーベンバウム殿下、ヴァルトハイム辺境伯令嬢、ヒルデルート・ヴォルズニア姫、御入場!!」


 侍従らが両開きの扉を開くと、大広間を満たしている光が廊下をその輝きで照らしだす。一瞬眼をひそめたが、触れ係の声にあわてて笑顔を浮かべて、ヨーゼフ殿下にエスコートされつつ大広間に入る。

 そこには向かい合わせにずらりと机が並べられていて、シャンデリアに灯る魔法光にきらきらと輝く衣裳をまとった貴族の皆様方が着席なされていた。

 入室して貴顕の皆様に一礼してから、次に国王陛下御夫妻に一礼。そして侍従に案内されて二人の席へ。今回の主賓は私達なので、子供ながら上座に席が用意されている。

 私とヨーゼフ殿下が着席すると、国王陛下が腰を上げられ、杯を掲げられて挨拶を述べられた。


「王国を共に支える我が同胞達よ! 今宵めでたき知らせをそなたらに明らかにできる事を光栄に思う。我が息子ヨーゼフと、我が忠臣ゲオルグの娘ヒルデルートの婚約が成った事をここに発表する。二人が良き夫となり善き妻となり、王国の将来を輝かしいものにする事を願おう。乾杯!!」


 乾杯、の声が唱和され、皆一斉に杯を掲げ、傾ける。私もヨーゼフ殿下も、薄められた葡萄酒で乾杯した。

 皆の口から杯が離されたところで、楽士らが音楽を奏ではじめる。

 さあ、饗宴の始まりだ。



 宴会が始まると、私の前にまずででんと丸くて平べったいパンが給仕に置かれる。これが今晩の私が使う皿である。

 このパンの上に料理が置かれ、それを指先でつまんで食べるのだ。当然、指先を洗うボウルも置かれる。中の水は柑橘類で香りづけされていて、さっぱりとした匂いがする。

 そして、料理に味付けするための香辛料が入った小皿が並べられる。塩、ジンジャー、シナモン、胡椒、ナツメグ、サフラン、ガーリック、メープルシロップに蜂蜜。いやあ、豪勢にもほどがある。さすが国王陛下主催の晩餐会である。


「ヒルデルートの好きな胡椒だな」

「はい、ヨーゼフ様」


 多分色々と誤解されているようだが、それをこの場で解くのも面倒なのであいづちを打つにとどめておく。いや、場の空気を読むのって大切だから。

 最初に供されたのは、色々な野菜と肉の入ったシチューである。さすがにトマトは見たことがないので、パプリカを使っているのだろう。茶色のとろりとした脂っこいものである。

 わりとこってりしていて、白パンとか欲しくなる。ご飯もいいな。お米食べたい。

 それにしても、料理が運ばれてくるたびにファンファーレが鳴り響くのがきつい。うちはあまり客が来なかったせいもあって、仕えてくれる者や領民相手の宴会がもっぱらで、この手の饗宴はほとんどなかった。


「今日の果物のパイは、杏と葡萄と林檎か」

「お好きでいらっしゃいますか、ヨーゼフ様?」

「嫌いではない」


 最初に果物のパイが出てくるという感覚がよく判らないのだが、少なくとも私の知る限りでは、スープ、パイ、魚料理、肉料理、ケーキなどのお菓子、の順番で料理が出てくる。

 食事中に語るべきではないのだが、生野菜は寄生虫が怖いのでサラダとかは食べないし、魚も練り物か揚げ物である。魔法があっても、そういうところは前世の歴史上の食文化とあまり変わらないようだ。

 そして、果物のパイの次がミートパイである。今日のパイは、イノシシのひき肉とブルーベリーとアーモンドのパイであった。


「魔術を使う道化師がいるのですね」

「当然だ。ここは王宮だからな」


 うん、ヨーゼフ殿下のドヤ顔がちょっと可愛い。

 目の前では、色とりどりのチュニックとタイツを着た道化師が、七色の光のボールをジャグリングしている。魔術師で道化師というのは、さすがに珍しいと思う。王宮だけあって大したものだ。

 で、魚料理は、白身魚の練り物を揚げてワインソースをかけたものと、鱒の香草詰めのローストであった。

 それにしても、これだけの数の客を招いての饗宴とか、よくまあ食材を手配できたものである。


「はやく一人前と認められて狩りにゆきたい」


 供された肉料理は、鹿肉に蜂蜜を塗って焼いたものと、鴨肉のローストである。特に鹿肉は、貴族のたしなみである狩りの得物として狩猟に制限がかけられているだけあって、基本的に庶民が口にすることは許されない。こういうところで、身分制社会なのだな、と実感する。

 そして、ヨーゼフ殿下も王族という貴顕の一員だけあって、狩猟に憧れをお持ちのようだ。まあ、娯楽の少ない時代である。狩りには軍事教練の意味もあるそうだし、男の子としては憧れるのが当然なのであろう。


「すぐに学院入学です。授業で迷宮(ダンジョン)にもゆくそうです」

迷宮(ダンジョン)か。魔物を狩るのもいいな」


 最後に出てきたケーキは、白桃の蜂蜜漬けをたっぷりつかったものであった。この白桃の蜂蜜漬けは、貴族の間での贈答品として人気があって、国外にも積極的に輸出されている。桃は栽培に手間がかかるせいもあって、やはり王侯貴族や富豪向けの果物として扱われている。

 ちなみにうちでも桃の栽培はしていて、魔王国に積極的に引き取られていっている。なお魔王国からは主として絹を輸入していて、その取り引きでうちはかなり裕福だったりする。


「わたしも武官志望です。狩りにごいっしょしてもよいでしょうか?」

「女の子だろう? 狩りは危険なのだぞ?」


 あ、ちょっとむっとしている。

 そうか、ヨーゼフ殿下はたおやかな女性らしい女の子が好みなのか。

 だが、あいにくと私は、魔術と剣術が大好きな武闘派なのだ。そもそもがお父さまとお母さまが、ユールヴェント王国でも有数の遣い手でいらっしゃるのだ。娘の私にか弱い少女であることを望まれても、ご期待にそえるわけがない。

 王太子妃となる以上、できるかぎりヨーゼフ様のご希望はかなえたいとは思うのだが、譲れない一線というのは私にもあるのだ。そこは許して欲しい。



 宴会はつつがなく終わったが、私とヨーゼフ殿下の間にまだ距離があることを実感させられた場でもあった。

 難しいね、こういう人間関係。


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