プロローグ
まえがき
強い意志が運命を切り開くのか。それとも強烈な運命が人を導くのか?
嘘にまみれた、荒くれ者たちの時代。男しか登場しない奇跡の物語です。
風は感じない。ただ、焼けるような光だけがあった。
真っ青な空に白い雲が、所どころに塊となって浮かんでいる。小さな波が砂浜に、ゆりかごを揺するように打ち寄せ、その優しい感触がマルコを目覚めさせた。
マルコは砂の上に横たわったまま、長いあいだ呼吸を忘れていた。やがて、肺が勝手に空気を求めた。
「・・・ぐっ、は!」
しかし冷えきった体に力を入れることはできない。砂の上に横たわり、どれほどの時間、目をつむったまま、胸元に打ち寄せる波を感じていただろうか。水に浸かる足元には、ヤドカリが数匹潜んでいたが、その僅かな感触など、彼には伝わっていなかった。
指先が、わずかに動いた。その瞬間、世界が戻ってきた。
熱。重さ。痛み。そして・・・生きているという、どうしようもない実感。
(・・・ここは)
幸いにしてこの時間は引き潮。そのままじっとしていても、彼の体は砂浜に打ち上げられた漂流物と同じように、自ずと海水から追い出されたようだ。照りつける太陽により、彼の体温が徐々に回復すると、ようやく立ち上がろうという気力が湧いてきた。しかし、それまでどれくらい眠っていたのだろう。いや、気を失っていたと言うべきか・・・。
(船は・・・?)
視線を横にずらす。砂浜。波。漂着した木片。だが、人の姿はない。仲間も、船も、何もない。ただ海だけが、静かに広がっていた。
マルコは、ようやく思い出した。
燃え上がる帆。
夜の闇。
海へ飛び込む瞬間。
そして・・・叫び声。
(・・・あいつらは)
胸の奥が、鈍く痛んだ。だが、すぐにそれを押し殺した。
(今は・・・生きることだ)
そう思った瞬間、別の声が頭の奥で囁いた。
(本当に、それだけか?)
マルコは目を閉じた。
浮かんできたのは、一枚の古びた地図だった。
酒場の壁に掛けられていた、あの地図。
キャプテン・モローの名が記された、伝説の宝。
そして・・・父の背中。
『海は、すべてを奪うが、すべてを与えもする』
あの父の言葉の意味を、まだ知らない。
(・・・まだ死ねない)
指が、砂を掴んだ。
(父さんが、どうして死んだのかも)
(あの船で、何が起きたのかも)
(僕は、何一つ・・・やり遂げていない)
ゆっくりと、肘に力を込めた。
だが、体は思うように動かない。腕が震え、そのまま砂に崩れ落ちた。
「ははは・・・」
乾いた笑いが漏れた。情けない。情けないが、それでも・・・死ぬわけにはいかない。
マルコは、砂の上を這うようにして、わずかに体を動かした。一歩でもいい。ほんの少しでも、生きる側へ。視界の端に、椰子の木が見えた。その影が、かすかに揺れている。
(・・・あそこまで)
それだけを目標に、マルコは歯を食いしばった。世界は相変わらず静かで、残酷なほど穏やかだった。まるで何も起きていないかのように。
だが、その静けさの中で、確かに何かが始まっていた。
マルコは首をうなだれ、砂浜の波打ち際に、膝をついた状態まで起き上がった。
(仲間はどうなったのだろうか?)
やはり一番の気がかりはそれであったが、照りつける日差しに目を細めて、辺りを見回しても、大きなカモメが数羽舞う以外、動く生き物の姿は見当たらない。
砂浜に立つ数本の椰子の木の向こうには、波に浸食された崖がせり上がり、その奥に密林が広がっているようだ。反対に後方を振り返ってみたが、水平線まで穏やかな海が続く以外、何も浮かんでいない。自分がどれくらいの時間漂流していたのか、全く見当もつかなかった。
(今はいつだろう?)
真上に昇る太陽を見て、昼頃だというのは分かっても、何曜日なのかはもう知る術はなかった。
重たい右足を砂に突き立て、膝の上に肘をついて立ち上がろうとしたが、フラフラと倒れ込んでしまった。
(フフ、やっぱり無理かな)
体力は残っていなかったが、敢えて強気に笑ってみた。
マルコはもう一度力をふり絞り、砂浜を這って奥の断崖の下まで来た。そして一番太い椰子の木の根元にたどり着くと、その幹を背もたれに海を向いて座った。
(これからどうするべきか・・・)
考えれば考えるほど、考えるべきことは山の・・・、いや、この海の水のようにたっぷりある。まず、これからのサバイバルに対しての困難を受け入れるしかなかった。しかし頭上の椰子の葉が、うまい具合に日差しを遮り、マルコは穏やかな気分を取り戻すことができた。
(もう目を覚ますことは、ないかもしれないな・・・・・・)
そうして再び襲ってきた睡魔を、抵抗せず受け入れることにした。
★グァッチャンッ!!!
夢の中で重たい箱を斧でたたき割り、中から溢れ出た大量の金貨に大喜びしているところで目が覚めた。
辺りは真っ暗だったが、月明かりで見えたのは、前に伸ばした両足の間に落ちている、一個の椰子の実である。
(なんだ、椰子の実が落ちた音だったか)
そして、今自分が置かれた状況を思い出し、その夢の興奮など、一瞬で消え去っしまうのだった。
落ちた椰子の実は運よくマルコには当たらず、足の骨折は免れたが、もう一つの幸運は、それそのものだった。
(まだ死ぬのは早いってことなんだろうか)
マルコは両手で抱え込むように椰子の実を引き寄せ、その硬い表面に白い歯を立てた。
(今は宝なんかより、食い物が要る)
ガリガリと削るように噛み、時間をかけて殻の繊維を歯でむしり取り、やがて内部のジュースが零れ出すと、息つく間もなく全部飲み干した。
(あぁ・・・生き・かえ・る・・・)
その甘味は彼の衰弱しきった体を癒すには最適だった。そして更に穴を広げて、手が入る大きさになると、爪で内部を搔きむしり、ココナッツの果肉を食べることができた。そしてその後、彼はまた深い眠りに落ちるのだった。




