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泥濘のお嬢様 ――公爵令嬢、塹壕に立つ  作者: 書いてみた


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第3話

 撤退命令


 敵主力接近中

 即座に陣地転換を要する

 物資移動不能の場合、必ず焼却すること



 紙に書かれていたのは短い文章。その下には複数人のサイン。正式な書類だった。



◇ ◇ ◇



 地面はぬかるんでいる。数日前に降った雨がまだ乾いていない。


 軍靴はぬかるみに沈むが歩けないほどではない。ただ、気楽ではない。息が詰まる。孤立しているという感覚が、胸を圧迫していた。


 森の木々の影に、兵士が滑り込む。金の髪を振り乱しながら、注意深くあたりを見渡す。


 敵はいない──


 そう判断し、後方に手招きする。


 その合図を確認したのか、ヘルメットが茂みから現れ、中腰で歩き始める。辺りを伺いながら、森を歩くが小枝を踏むような無作法はしない。

 歩きなれている。


 木陰にたどり着いた兵士に金髪の兵士が話しかける。


「あの……一つ、よろしいかしら、ヘスター?」

「ヘスター上等兵だ。それでなんだ、シャーロット間(・)抜(・)け(・)?」


 この女は悪態をつかなければ会話もできないのか? シャーロットはそう思ったが、それを口にはしなかった。


「こういうときは、慣れている者が先導するのでしょう? 何故、私が先鋒なのかしら?」


 その言葉にヘスターはなんでもないことのように答える。


「敵に見つかっても、アタシは死なない」


 完璧で簡潔すぎる返答だった。



 彼女たちは伝令任務を命令された。

 孤立した部隊に撤退命令を届ける。

 単純ではあるが、道中、敵勢力圏を横切る必要があった。


「私達、二人だけでというのも、納得できませんわ」

「命令違反の馬鹿と、少数民族の強者。死んでも、問題ないからだろ」


 自己評価が高い。シャーロットはへスターの言葉に苦い顔をする。


「伏せろ!」


 急にヘスターがシャーロットのヘルメットを掴み、地面に押し付ける。文句を言いたくもなるが、声は出せない。哨戒部隊《しょうかいぶたい》に見つかれば、一巻の終わりだ。


 泥濘の中に顔から押し付けられる。何度も同じことをしたせいで、二人共に身体は泥にまみれていた。


 冷たい泥に埋もれながら、地面から感じる振動に心臓が高鳴る。


 殺される──


 確信めいた感情が脳を駆け巡る。喉がなる。歯がカチカチと音を立てて、止まらない。


 コンコンと、ヘルメットを何度か小突かれる。


「大丈夫だ。見てみろ。シャーロット」


 へスターの声に顔を上げると、草むらから飛び出したのは、森の小動物だった。は~っと、二人はため息をこぼす。


「……驚かせてくれますわ」

「先を急ぐぞ。先鋒は任せた。シャーロット二等兵」


 ヘスターの言葉にシャーロットはますます顔をしかめるのだった。



◇ ◇ ◇



 森の中を進むと道が現れた。分かれ道になっている。看板が立っている。看板には何か紙が釘で打ち付けられている。


「……敵(・)国(・)語(・)だな」


 ヘスターが言うと、


「はい! 私、読めますわ! あれはですね……」


 手を上げたシャーロットのヘルメットをヘスターが抑える。


「読まなくて良い。この間抜け」


 敵国語の張り紙がしてある。それだけで、ここが敵の勢力圏であるとわかった。


 ヘスターはマップケースの中から、地図とコンパスを取り出し、現在地を確認する。進行具合は悪くはない。


「いい感じですわね。あと、もう少しですわ」


 地図を覗き込んだシャーロットの言葉にヘスターは少し驚く。戦場地図の読み方にはコツがいる。軍隊生活の長いヘスターの自慢の一つに、地図を読めることがあったが、この二等兵は難なく同じ事ができるようだ。


 なんだろう、少し気に食わない。ヘスターは黙って地図をしまった。


「急ぎましょう。私たちが急げば、仲間を救う事ができますわ」


 そう言って気合を入れるシャーロットを睨みつけた。その視線に、シャーロットは言葉を飲み込んだ。


「調子に乗るな、間抜け。あれを見てみろ」


 ヘスターの指の先には道があった。泥の道。刻まれるは軍靴と轍。


「輸送用の馬車……でしょうか?」

「……野戦砲かもな。とにかく、そこそこの部隊だな」


 その軍靴の先はシャーロットたちの進む方向。彼女たちの目的地。二人は顔を見合わせる。泥の中のつま先は、孤立した友軍部隊に向かっていた。



◇ ◇ ◇



 時間がない──


 足早に進む二人だったが、道のど真ん中を進むわけにもいかない。森の中を警戒しながら、進むしかなかった。歩みは速くはならない。音をさせず、辺りをよく見て、物音がすれば隠れるしかない。


「速く……速く……」


 いつの頃からか、シャーロットはそのように口ずさむ様になっていた。敵軍が友軍に迫っている。


『味方を救う、貴族にふさわしい栄誉ある任務ですわ!』


 完全にハズレくじを引いたにも関わらず、彼女はそう言った。意気揚々と、余裕を持って進んでいた顔が焦りに曇る。


「先行しますわ」


 そう言って、物陰から出ようとする、シャーロットの襟をヘスターが掴む。


「お前は後からついて来い。アタシが先導する」

「な!? 大丈夫ですわ、私にお任せくださいまし!」


 抗議するシャーロットにヘスターが木陰を指差す。


 指の先には、王国兵。木陰で休んでいるように見える。


「あれを何で報告しない?」


 シャーロットは額から一筋、汗を掻くと王国兵をよく見る。彼がその休憩から目を覚ますことはない事がわかった──


「お前に任せたら、アタシまで死ぬ。黙ってついて来い」


 ヘスターは有無を言わさず、物陰を出ていった。鮮やかな進み方だった。警戒は怠らず、最短距離を進んでいる。


「……はい、ヘスター上等兵……」


 ヘスターの言葉はシャーロットの聞いた中で最も、


 ──正しかった。



◇ ◇ ◇



 歩みを進める度に、森は新しい景色を見せた。王国軍の軍服。事切れた軍馬。破壊された荷車。目的地は村だと聞いていた。

 家が数えるほどしか立っていない、小さな村。

 そこに陣地を構築していたと……


 泥は踏み固められていた。歩きやすい。そのはずなのに、歩むのが怖い。きっと、この森の先には、友軍がいて、


『聞いたか? 撤退だってよ!』

『本当か!? 助かったぜ、お二人さん!』


 そんな言葉があるはずなのに、心臓が高鳴る。脳が、頭の中が、映像を、見たくないものを形作る。


「森を抜けるぞ! 気をつけろ!」


 ヘスターの声と共に森が開けた。


 村。

 友軍。

 陣地。


 それはどういう意味だったろうか?何を指す言葉だったろうか?


 シャーロットにはわからなかった。あるのは焦げた木片と泥に埋もれた惨劇の後。


 燃えてからかなりの時間が立っているのだろう。燃えカスは冷たくなっていた。


「誰も生きていないな」


 ヘスターは残骸の下にあったものを見ながら言った。


 シャーロットは何も言えなかった。言葉がなかった。命令書を届ける相手がいなかった。


 ヘスターは警戒しながら辺りを捜索する。その時にシャーロットを見るが、彼女は声をかけなかった。


 あと少し、ほんの少し、速く歩ければ、もっと上手く進めれば、いくつもの仮説が浮かんで消える。


 風が吹いた。森を抜ける心地よい風のはずが、薄気味悪くて仕方がなかった。


 シャーロットの軍靴に何かが引っかかる。彼女はそれを拾い上げた。


 家族写真だった。


 王国軍軍服を着た夫。めかした妻。その前で必死に背を伸ばす子供。名前も知らない兵の物。あったこともない男の思い出。

 釘付けになるシャーロットの肩にヘスターが手をかけた。こころなしか、優しかった。


「……帰るぞ」


 シャーロットは写真を荷物入れにしまうと、代わりに命令書を取り出した。それを荒れ地に置くと、静かに敬礼をした。ヘスターもそれに習った。


 風が吹いた。


 命令書は風に乗り、空高く、どこまでも飛んでいった。



 第三話 終わり

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