あんぱんと刑事
「あの。あんぱんは?」
「こちらでございます」
フランスあんぱん?
「なにこれ?」
「フランスパンの生地にあんを入れたパンです」
「普通のあんぱんは?」
「当店の普通のあんぱんは、こちらです」
「フランスパンって堅いよね」
「はい」
「柔らかいあんぱんはないのか?」
「当店ではそういうパンは……」
店員は目をそらす。
加賀が俺をじっと見ている。
俺は言葉を失う。
あれ?
世界から普通のあんぱんは消えたのか?
「あのな。加賀」
「事情は飲みこんだ」
「そうか」
本当にこいつは事情を理解してるのか?
「偽物に本物が追いやられたと。
そういう事でござろう」
「そうだな」
「そうか……、鯛もたい焼きに追いやられたのか」
「いや。それは違う。鯛は普通に売っているぞ」
「そうか、鯛は健在なのか」
「あぁ」
「この世界は偽物で溢れているのだな。こんなに堂々と偽物が生きていられる」
「確かにな」
俺は加賀のいう事が、
よく理解できた。
「ところで、身分がない者などは、まだこの国にいるのか?」
「身分……」
戸籍のない者の事か。
「多くはないが、いるだろうな」
「仏さんは、それじゃないのか?」
「そうかもな」
仏さん。
ドラマで覚えたんだろうな。
なかなか言い方が板についているじゃねぇか。
「そういう場合、誰に聞けばいい?」
「日雇い……、日雇いも今は身分確認とかあるからな。ホームレスだろう」
「ホームレス?」
「あぁ家を持たない人の事だ」
「そういう事か。じゃあ聞き込みに行こう」
「あんぱんは良いのか?」
「聞き込み途中で、店を見つけたらで良い」
「まぁじゃあ、公園からまわろう」
「うす」
俺たちは公園に向かう事にした。
戸籍のない者。
その可能性は、俺も少し考えた。
しかし、その可能性にはすぐに蓋をした。
この国で戸籍がないという事は、
存在していない事を指す。
実際に物理として存在していても、
社会には可視化できない。
そして、
法治国家にとっては、
あってはならない存在でもある。
それは管理不可能な存在が、
あるという証明になるからだ。
それは公知の事実であり、
誰もが言葉にしない、
ある種の不可侵領域なのである。
それは深い闇かもしれないし。
ただの空っぽの空間かもしれない。
ただわからないという当たり前の事が、
恐れを増大させる。
いや……、
正確ではないな。
この国で戸籍がない。
それは、人間として存在しないという意味ではない。
ただ、社会がその人間を確認するための大きな手掛かりが一つ欠けている。
そこにいるのに、見えにくい。
そういう存在を、
我々は恐れる。
まるでゴーストのようだと。
「まぁ俺らは、そういう存在が怖いのよ」
俺は言った。
「俺ら?いったい誰の事だ」
「俺らと言えば、そりゃ……」
俺は自分の前提を疑った。
見えない者を恐れないのか?
「人なんて誰も見えない。
俺からしたら富山さんだってよく見えない。
家で何をしてるとか、まるで知らない」
「何を言っている?」
「富山さんが見えているつもりなのは、何なんだ?」
加賀はまっすぐに俺を見た。
見透かされている。
いや違う……、
いや……、
それは重要なことではない。
俺が見えているつもりなのは?
何だ。
よくよく考えれば、
課長だって、
何も知らない。
同僚の事もよく知らない。
親の事も、妻の事も、
まったくわからない。
何が好物かぐらいはわかる。
しかし、
それだって、
本当かどうかわからない。
おい待て!
この世の中で、
よく知っている人間なんて存在するのか?
頭がどうにかなりそうな気がした。
考えるのをよそう。
そう思う。
これは不可侵領域なんだと。
俺の刑事の勘が言っている。
いや、
生存本能か。
「なぁ加賀。石川五右衛門という大盗賊がいたんだ」
「知っている。ただ大盗賊という言い方は大げさだと思う」
「そうか。あの石川五右衛門には、世界がどう見えていたんだろうな」
「世界?団子は団子。豊臣は豊臣。米は米。それだけじゃねぇか」
「いや違う。その人の内面とか、そういうのだ」
「内面。そんなものは見てないと思うぞ。捕り方は賊を捕まえる者、職人は職人、商人は商人だ」
「そうか」
あぁこれは刑事としての癖なのか。
人がどんな人なのかと考えるのは。
いや、
そうか?
考えるだろう。
ちょっと待て。
俺は考えていたのか?
課長がどんな人とか、同僚はとか、妻はとか。
そもそも考えているというつもりで、まったく何も考えていなかったのでは。
そして相手の反応に、ただ反応して、笑ったり、悲しんだり、怒ったり。
「もうすぐ定年だというのに、何も理解してなかったんだな」
俺は呟いた。
「気にするな。
人が人をちゃんと理解なんかしていたら、刑事という仕事はない」
加賀は笑った。
「おいおい、それは言いすぎだろう」
俺は笑ったが、
大きく外しているとも思えなかった。
思い込み、理解不足、色眼鏡。
人は時間を節約するために、フィルターをかける。
そして、
そのフィルターが、闇を呼び込む。
気を付けないと。
何が犯罪をうんでいるのか。
それは人の思い込みかもしれない。
そんな風に思った。
俺らはホームレスに聞き込みを行う。
「こういう者だ。この男に見覚えはねぇか?」
ホームレスは俺のなりを見る。
「知らねぇよ」
「そうか。ありがとうな」
俺は別のホームレスに聞き込みをする。
「なぁ。情報料とか渡さないと教えてくれないのでは?」
「あのな。情報を持ってるなら、取引を持ち掛けてくる」
「あぁあれか。タダではな~。ってやつか」
「あぁそうだ。あれ実際金を払うのか?自腹か?」
「自腹で払うことも昔はあったかもしれんが、基本は捜査費だ。勝手に金ばらまいていいわけじゃねぇよ」
毎日毎日。
ホームレスに聞いて回った。
しかし、誰の証言も得ることができなかった。
加賀は行く先々で、
あんぱんを買っては食べていた。
そして三日後。
「これ銀二さんだ」
そう証言する男が現れた。
事件は予想もしなかった方向に進んでいく。
END
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は完結していますが、
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