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まりあ、悪の手下を征す

まりあが鬼龍(きりゅう)政影(まさかげ)に連れていかれた先に建っていたのは、和の気配を色濃く残した格式ある家屋だった。

重厚な黒塗りの門には真鍮(しんちゅう)の錠前が()め込まれており、不審者を拒むように静かな威圧感を放っている。


(ここが、鬼龍会の事務所……)


政影の後に続いてまりあ門をくぐると、足元に敷かれた白砂利が小さく音を立て、来訪者の存在を屋敷へと伝える。

廊下を進み中庭に差し掛かると、静まり返った庭園に鹿威(ししおど)しの澄んだ音色が響き渡った。

縁側の向こうに広がる池では、色鮮やかな錦鯉が悠々と水面を泳いでいる。

本来なら人の心を和ませるはずの光景―――しかし、この場所ではそれさえも妙に張り詰めて見えた。


(なんだか、人を癒やすためじゃなく……威圧するために整えられているみたい)


実際、この庭園は『裏の顔』を覆い隠すための、『表向きの顔』なのだろう。

その美しさはどこか冷たく、見る者に緊張を強いるような空気を纏っていた。

その空気を受け流すように、まりあは政影の後を追って迷いなく奥へ進んでいく。

―――その時だった。


「止まれ」


鋭い声と同時に、目の前へ黒光りする銃口が突きつけられる。

部屋の奥から姿を現したのは、政影の部下だろうか。

上質なスーツに身を包んだ、鋭い目つきの強面(こわもて)の男だった。左目に残る大きな傷痕が、その迫力をさらに際立たせている。


「ここはお前みてぇなお嬢さんが来る場所じゃねぇよ」


低く凄むような声。

おそらく、脅しのつもりなのだろう。


政影はその行動を(とが)めるどころか、男の後ろに立ったまま面白がるように口元を緩めている。

まるで試すように、まりあの反応を静かに眺めていた。


―――舐めるな。


まりあは胸中で静かに吐き捨てる。

生まれた時から大財閥の令嬢として育ったまりあにとって、誘拐や誘拐未遂など珍しい話ではない。

自慢できることではないが、幼い頃からその手の騒動には、両手で数えきれないほど巻き込まれてきた。

当然、拳銃を向けられた経験も、一度や二度ではない。


「その拳銃(オモチャ)は、脅しに使うには向いていませんよ」

「……はぁ?」


まりあは怯えるどころか、相手を挑発するように微笑む。

予想外の反応だったのか、男は怪訝(けげん)そうに眉をひそめた。


「拳銃って不思議ですよね。人を簡単に殺せる恐ろしい武器のはずなのに……それを持った途端、大抵の人間は弱くなる」

「なんだと……?」


まりあの挑発めいた言葉に、男の目つきが鋭くなる。

威圧するように銃口を突き出した―――その瞬間だった。

まりあの手が、鋭く動く。


拳銃の側面を軽く叩き銃口を逸らしたまりあは、そのまま間髪入れず男の手首を掴むと、その勢いを利用するように体を潜り込ませた。

次の瞬間―――流れるような動作で、男の巨体が宙を舞う。

鮮やかな背負い投げによって、男は庭先へと叩きつけられた。


「ヒュウ♪ お見事」


政影が愉快そうに口笛を吹き、ぱちぱちと手を叩く。

そんな賞賛には一切構わず、男が取り落した拳銃を拾い上げたまりあは、地面に倒れ込んだ男の胸元へ、ぐり……と銃口を押し当てる。


「脅しに使用するなら、こうしてしっかりと体に密着させておくことをお勧めします。これなら外しませんし、相手にも『死』をより現実的に想像させられますから」


まるで講義でもするような口調で、まりあは淡々と言い放つ。

脅された側とは思えない態度に、男は言葉を失っていた。


「もしくは、ナイフを使うべきでしたね。その方が恐怖を与えやすいですし、相手の行動も制限できます」


刃物は少し触れるだけでも痛いですから。と、自らの経験談をまりあは何でもないことのように付け加える。

張り詰めた空気を破ったのは、政影の低い笑い声だった。


「クックックッ。なかなかやるじゃねぇか、お姫様」


その言葉を合図にするように、まりあは男の胸元から銃を離す。

そして何事もなかったかのように、地面に転がる男へ手を差し伸べた。


「以前、父から訓練を受けていたんです。もし暴漢に襲われて銃を突きつけられても、自分の身を守れるようにと」

「いやいや、なんでそんな事態を想定して生きてんだよ……」

「他にも、人里に降りてきた熊と遭遇した際の制圧方法なんかも教わっています」


ある程度の危険には対応できる自信があるので、無駄な力試しはもう止めてくださいね。

そんな意図を込めて告げたまりあだったが、政影はなぜか呆れたような顔をしていた。


「アンタの父親は、なんで娘に戦う方法ばっか仕込んでんだ……」


本当に大事にしてるなら、まず逃げることを教えろよ。

と呆れ顔の政影だが、まりあはキョトンとして首を傾げる。


「逃げるだけなら、誰にでもできます。選択肢は多いに越したことはないと思いますが……?」


―――それは強者の思考すぎるだろ。

と、政影は内心で苦笑する。


命の危機に直面したとき、普通の人間は戦うより先に逃げる。

その方が、生き残れる可能性が遙かに高いからだ。


そもそも極限状態では、普通の人間は冷静に複数の選択肢を吟味できない。

迷えば、その一瞬が致命傷になる。

それでも「戦う」という選択肢を持てるのは、恐怖に呑まれない強者だけだ。


「アンタ、本当に面白ぇな」


政影はククッと喉を鳴らして笑いながら、まりあに手を借りて立ち上がった男へ冷ややかな視線を向ける。


「それに比べて、お前は全然演技がなってねぇな、銀次(ぎんじ)

「……申し訳ありません」

「紹介するよ、お姫様。こいつは狗堂(くどう)銀次。俺の右腕だ」

「右腕……!?」


まりあが先ほど豪快に投げ飛ばした相手は、政影の腹心の部下であり―――鬼龍会No.2の肩書を持つ男だった。

その隙だらけの立ち振る舞いから、まりあはてっきり末端の構成員だろうと考えていたのだが、なるほど、演技が下手だったのか。道理で脅すような口調の割に、殺意が感じられない訳だ。

……だからこそ、まりあも躊躇(ちゅうちょ)なく動けたのである。


「演技とはいえ、政影様の客人に無礼を働いてしまい、申し訳ない……!」

「い、いえ……! こちらこそ、急に投げたりしてごめんなさい……!」


強面の男に誠心誠意頭を下げられ、恐縮したまりあもペコペコと頭を下げる。


「硬い硬い。もう少し柔らかくいこうぜ、銀次」


政影はそう笑いながら銀次の肩へ気安く腕を回すと、悪戯を企む子どものような顔で口を開いた。


「このお姫様、これから俺の秘密基地に連れていくぜ?」

「はぁ!? まさか……皇財閥のご令嬢に何かあったらどうするんです!」

「その時はドブにでも捨てていくさ。足手まといになるようなヤツなんざいらねぇしな」

「政景様、怒りますよ……!」


客人であるまりあに対しても相変わらず軽薄な態度を崩さない政影に、銀次は露骨に眉をひそめる。

そんな二人のやり取りから、飄々として掴みどころのない政影に日頃から振り回されているのだろうと、銀次の苦労が易々(やすやす)と想像できる。


「ご心配には及びません、銀次さん。自分の身は自分で守れますので」

「ですが……」


危険な場所であることは覚悟の上だとフォローを入れるまりあだが、銀次は尚も躊躇(ためら)い続けている。

ただでさえ敵の多い『裏社会』だ。

まりあ個人の身を案じているのもあるだろうが、それ以上に「皇財閥を敵に回したくない」という気持ちが大きいのだろう。


「なんなら一筆したためましょうか? 『私に何があっても、鬼龍会の皆さまに一切の責任はありません』と」

「……いえ、必要ありません」


銀次は短く息を吐き、真っ直ぐまりあを見返す。


「皇財閥のご令嬢にそこまで言わせて日和(ひよ)っていては、鬼龍会の名が(すた)ります」

「そうだぜ、銀次。心配なら、お前が守ってやりゃあいい」


どこまでも他人事のような口調で言い残し、政影はさっさと先へ歩いていく。

その背中に深々とため息を吐くと、銀次はまりあへ静かに手を差し伸べた。

どうやら、エスコートしてくれるつもりらしい。

今まで社交界で出会ってきた地位も名誉もある優男たちよりも、強面で無法者の銀次の方がよっぽど紳士的だと、まりあは少し面白くなる。


「ありがとうございます、銀次さん。よろしくお願いします」


まりあは素直に微笑み、自ら銀次の手へそっと指先を重ねる。

優しく扱われることに慣れている―――というより、エスコートを受ける所作そのものが自然だった。

さすがは皇財閥の令嬢、といったところだろう。


「イチャイチャしてねぇで行くぞ」

「お待ちください、政影様」


先を行く政影を追い、まりあと銀次も歩き出す。


向かう先は、地図にも名の載らない『裏社会』の秘密基地。

「法」と「違法」の狭間を、まりあは軽やかに踏み越えていく。

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