まりあ、自らを恥じる
翌朝。
誠史郎と並んで公邸内を歩いていた桔嘉は、中庭で膨大な量の洗濯物の入ったカゴを一人せっせと運んでいるまりあの姿を見つけ、思わず足を止めた。
洗濯などしたことのない桔嘉だが、たった一人でこなせる量ではないことは一目でわかる。
「あいつ、まさかイジメに遭ってるんじゃ……?」
考えるよりも先に、駆け出すようにしてまりあの元へと向かう。
だが―――
「おはようございます、桔嘉さん」
桔嘉に気づいたまりあは嬉しそうに微笑み、爽やかに朝の挨拶をする。
担いでいるのは大型犬が入りそうなサイズの巨大な洗濯カゴだが、その笑顔に苦痛や曇りは一切ない。
ちなみに、まだ試用期間中で制服が支給されないため、まりあは今日もメイド服を着ている。
ノアがメイド服を用意した理由は単純に「可愛いから」であり、その件については現在進行形で軽く揉めている。
「おう、おはよう……じゃねぇよ。お前、他の奴らにイジメられてんのか?」
「イジメ……?」
桔嘉が何故そんなことを言い出すのか分からないとばかりに、キョトンとした表情でまりあが首を傾げる。
「イジメだなんてとんでもないです。皆さんとっても優しい方たちばかりですよ」
巨大な洗濯桶に溢れんばかりに盛られた洗濯物を抱えたまま、まりあは嬉しそうに語り出す。
「どこへ行っても、皆さん明るく挨拶をしてくれますし、困っていることがないか気に掛けてもくださいます。私がやりたいと頼んだことは、信頼して任せてくれるんです」
そこで一度言葉を切ると、少し照れたように桔嘉を上目遣いで見上げ、続きを語る。
「それから、私が婚活をしているとの噂が既に広まっているようで、皆さん桔嘉さんの素敵なところをたくさん聞かせてくださるんです」
次々と桔嘉を売り込みに来る従業員たちの姿を思い出したのか、まりあがふふ、と小さく笑みを零す。
まあ、昨日公衆の面前で、あれだけ堂々と桔嘉を口説いてみせたのだ。まりあが桔嘉を狙っていることは周知の事実だろう。
……それはともかく、イジメられているというのは桔嘉の杞憂だったようだ。
「いい職場ですね、ここは。……すごく居心地がいいです」
「そりゃ良かった……けど、さすがにその洗濯物の量は多すぎだろ」
「あ、これは私が先に運んでいるだけで、皆さん手持ちの仕事が終わり次第手伝いに来てくださいます。見た目は大袈裟ですけど、そんなに重くないんですよ」
桔嘉が苦言を呈すると、まるで重みなど感じていないかのように、まりあがスカートを翻してくるりと回ってみせる。水を含んだ布が「そんなに重くない」わけはないのだが、その動きは驚くほど滑らかだ。
「古武術の応用……でしょうか?」
洗練された動きを受けて、今まで黙って桔嘉の後ろに控えていた誠史郎が口を挟む。
「よくご存知ですね。誠史郎さんも武術の心得が?」
「嗜む程度でございます。……まりあ嬢こそ、姿勢が良いので最初はバレエの類かと思いましたが、まさか古武術とは」
「自分の身は自分で守れるよう、父の勧めでいくつか護身術を習っていまして……」
―――古武術。昨日のあの動きは、そういうことか。
と、昨夜まりあへと迫った桔嘉を難なく捕らえてみせた流れるような動作を思い出し、納得したように桔嘉が小さく頷く。
力が強い訳ではない。体の使い方が上手いのだろう。
「桔嘉さん、心配してくださってありがとうございます。そういうことなので、大丈夫です」
「……わかった。不当な扱いを受けてる訳じゃないなら、俺から言うことはねぇ」
「優しいですね。……っと、違った。優しい男は評価が高いですよ、桔嘉さん」
「あ? なんだそれ?」
「あれ? ……えっと、桔嘉さんの好みの気の強い女性に寄せようと」
「はぁ……?」
唐突な方向転換を行うまりあに、桔嘉が困惑の表情を浮かべる。
気の強い女というよりは、まりあのそれはただの「高飛車」だ。
「確かに坊ちゃまは、気の強そうな女性の取り巻きをよく連れておりますね」
「……あぁ、あいつらか。あんなのは別に好みじゃねぇよ。勝手に寄ってくるだけだ」
誠史郎の言葉に、合点がいったとばかりに桔嘉が不機嫌そうに吐き捨てる。
あの高飛車な取り巻きたちを真似ていたのならば、先ほどの台詞にも納得がいく。
だが、そんな真似事をしなくても、まりあは充分に「気が強い」。それは桔嘉自身が身をもって知っている。
「あいつらは俺が好きなんじゃなくて、『首相に選ばれる自分』が好きなんだ。……お前とは違う」
お前はちゃんと、俺自身を選びに来ただろ。と、満更でもなさそうに呟く桔嘉だが―――その言葉は、まりあの心を鋭く抉った。
(っ……違わ、ない……! 違わないんです、桔嘉さん)
確かにまりあは「首相の嫁」という立場に興味はない。
だが、自分の目的のために桔嘉を利用しようとしている点は、彼女たちと同じだ。
桔嘉から向けられる真摯な言葉の数々に、まりあの心が大きく揺らぐ。
自分を支えていた理が、ガラガラと音を立てて崩れていくようだった。
―――私はどこかで、大きな勘違いをしていた。
私の『敵』は、父のために倒すべき『悪』なのだと。
自らの浅はかな勘違いに、まりあは今さらながらに気付く。
(私の敵は……私が誑かそうとしている相手は……決して、『悪』なんかじゃないんだ……!)
悪女になると決意をしながらも、どこかで敵はそれ以上の極悪人なのだと信じていた。
理不尽に父親を奪われた可哀想な自分は、何をしても許されると思っていた。
(何が「惚れさせてみせる」だ。傲慢にも程がある……!)
ノアには大口を叩きながらも、こんなにも大きな甘えがあったことに気づき、自己嫌悪に陥る。
(ああ、嫌だ。自分が恥ずかしい……!)
父に甘え、ノアに甘え、敵にまで甘えを抱いていた。
己の浅はかさで未熟な思考に、いっそ消えてしまいたくなる。
「おい、皇まりあ。どうしたんだよ、顔色が悪いぞ?」
「すみません、大丈夫です……」
「大丈夫じゃねぇだろ。その荷物はいったん下に置け。んで、落ち着くまでちょっと座っとけ」
まりあの動揺に気が付き、すぐさま介抱しようとする桔嘉。
その優しさに、まりあの揺らぎは大きくなる―――そして、その動揺を誠史郎はしっかりと感じ取っていた。
(どうやら、自分も「自分のために桔嘉様を利用しようとしている」ことに関しては、無自覚だったようでございますね)
まりあが何を考えて桔嘉に近づいたのかは知らないが、皇財閥を支えるために桔嘉を利用しようとするのは、別に構わないと考えている誠史郎だ。……もちろん、タダで利用させるつもりはないが。
だが、婚活とは―――「誰かを選ぶ」ということは「誰かを選ばない」ということだ。
自分に好意を寄せる相手を突き放すという残酷な選択を、まりあが本当にできるのかと思っていたが―――どうやらそこまでは考えが及んでいなかったようだ。
(純粋で、真っさらで、それ故に……愚か)
それが誠史郎の、まりあに対する現時点での評価だった。
純白で清らかなだけの無知なご令嬢では、桔嘉様の隣には立てはしない。
―――だが、
(悪意を識り、強欲さを己の糧とできるのならば……)
その愚かさは、弱さではなくなるだろう。
(桔嘉様のためになるのであれば、少し手を貸して差し上げましょう。……お手並み拝見でございます)
「取り巻きの女性で思い出しました。……世の中には、「必要悪」という概念も存在いたしますね」
「は? 急に何言ってんだ、誠史郎」
突然聞き慣れない単語を持ち出して話の流れを強引に変えようとする誠史郎に、桔嘉が呆れた視線を向ける。
しかし当の本人はそんな反応など気にも留めず、淡々と言葉を続ける。
「鬼龍政影が率いる組織がそれだと言えば、伝わるでしょうか……まりあ嬢?」
不意に投げかけられたその言葉に、まりあは息を飲む。
鬼龍政影―――『裏社会』を牛耳る、トップエリートだ。
だが何故、今その名が誠史郎の口からでてくるのだろうか。
「本日、わたくしと彼との個人的な会談がございます。婚活をなさっているのであれば、一度お会いしてみて損はないかと」
「はぁ!? 待てよ誠史郎。俺には政影君には会うなって言う癖に、コイツは会わせるのかよ!?」
どんな思惑があるのやら、唐突に政景とまりあを引き合わせようとする誠史郎に、横から桔嘉が不機嫌そうに突っかかる。
その口振りから察するに、どうやら桔嘉と政景は「表と裏」という立ち位置でありながら、奇妙な信頼関係を築いているらしい。
……誠史郎は、あまりそれを快く思っていないようだが。
「桔嘉坊ちゃまは、政影様について危険な場所に踏み入ろうとするからでございます」
「コイツは危険な場所に行ってもいいのかよ?」
「まりあ嬢は自己責任かと」
「……お前、本当に冷たい奴だな」
アッサリとまりあを見捨てる発言をする誠史郎に苦言を呈する桔嘉だが、現時点では誠史郎がまりあを心配する理由はない。
桔嘉を騙すことに揺らぎを感じているまりあと違って、誠史郎は桔嘉がどれだけまりあを気に入ろうが、桔嘉への不利益が生じると判断した場合、迷わずまりあを排除するだろう。たとえ桔嘉から憎まれることになろうとも、誠史郎にはその判断が下せる。
「桔嘉さん、心配してくれてありがとうございます。……でも私、政影さんに会ってみたいです」
まだ心の整理はつかないまま、誠史郎へと真っすぐに返事を返す。
迷いはある。自信も失いつつある。それでも絶好の機会なのだ。逃すわけにはいかない。
「お前、婚活中なんだろ。なら覚悟しとけ、政影君は格好良いぞ。男も惚れる男だからな」
「それは……確かに、覚悟が必要ですね」
桔嘉の忠告に、小さく唾を飲み込む。
……うっかり、惚れてしまう訳にはいかない。




