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まりあ、キスの味を知る

諸星(もろぼし)輝夜(かぐや)の楽屋を訪れたまりあは、目の前に佇む扉へ手を伸ばしていた。


今回のまりあは、ノアの謎めいた手腕によって、輝夜が主演するドラマの「ヒロインの友人役」を手に入れている。

そのため、共演者として挨拶へ来たのだ。

だが、ノックをしようとしたその時―――


「おや、お客様かな?」


背後から声を掛けてきたのは、輝夜のマネージャー・尼川(あまかわ)天音(あまね)だった。

にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべた、小動物のような青年。

一見すると人畜無害そのものだが―――


「その顔は初めましてだね。それじゃあ覚えておいてほしいんだけど、今後は輝夜に挨拶はいらないよ。……下界の人間に関わる時間を割くくらいなら、静寂の方がよっぽど価値があるからね」


柔らかな口調で、さらりと毒を吐く。

その言葉に、隣に立っていたノアの空気がすっと冷えた。

今回、まりあの「マネージャー役」として同行している彼女は、にっこりと笑みを浮かべたまま口を開く。


「スーパーアイドル様は、随分と選民思想が強いのね。でも、天下の皇財閥の令嬢が挨拶もできない世間知らずだと思われるのは癪なので~♡」

「そんなに気を遣わなくても大丈夫だよ。輝夜にとっては、どれだけ有名人だろうと有象無象と大差ないからさ」


穏やかな笑みのまま交わされる言葉は、どちらも妙に棘がある。

そんなやり取りをしていると、不意に楽屋のドアが開いた。


「天音? 何してるの?」


姿を現したのは、諸星輝夜本人だった。

肩に掛かるさらりとした金髪。

伏せるだけで影を落としそうな長い睫毛に、中性的な美貌。

桔嘉も政影も十分すぎるほど整った容姿をしていたが、輝夜はまた別格だった。


―――例えるならば、作り物めいた『完成形』。

芸能界の頂点に君臨するスター。そう呼ばれるのも納得の存在感だ。

突然の邂逅かいこうにまりあが言葉を失っていると、輝夜はにこりと営業用の笑みを浮かべた。


「ごめんね。この距離だと、オレは眩しすぎたかな?」


―――凄まじい自信だ。

けれど、不思議と嫌味には聞こえない。

そう言い切れてしまうだけの華やかさと圧倒的なオーラを、彼は確かに纏っていた。


「ねぇ、天音。早く入ってよ。オレ、コーラ飲みたい」

「いつも言ってるでしょ。糖分を摂るなら、まず運動。マウンテンクライマーしてからね」


そんな軽いやり取りを交わしながら、二人は部屋の中へ消えていく。

そして、静かにドアが閉まった。


「……アタシ、あいつらキライ」


むすっとした顔で呟くノアに、まりあは思わず小さく吹き出す。


「私はノアのそういうところ、結構好きですよ」

「へ……?」


予想外の返答だったのか、ノアがきょとんと目を瞬かせた。


輝夜の纏うオーラは圧倒的だった。

けれど、それに気圧されず隣に立ってくれるノアの存在は、まりあにとって何よりも心強いものだった。




■■■


「カット! いいね、まりあちゃん。最高だよ~!」


撮影を終え、スタジオ内を移動していたまりあへ、監督が上機嫌で声を掛ける。


「いや~、想像以上に存在感あるなぁ。これは出番、もう少し増やしたくなってきた」

「ありがとうございます、助かります」


にこやかに返すまりあだが、その笑みは「褒められたことが嬉しい」というよりも、純粋に計算が進んだ安堵に近かった。

出番が増えれば、その分だけ輝夜と接触できる機会も増える。

だが、そのやり取りに水を差すように、鋭い声が飛んだ。


「監督。どういうつもりですか?」


声の主は、このドラマでヒロインを務める人気女優・金代(かなしろ)美依菜(みいな)

若くして数々の賞を獲得し、実力派として知られる存在だ。


「こんな新人、親の金と権力で役を取ったようにしか見えませんけど。今回のドラマ、(すめらぎ)がスポンサーでしたっけ?」

「いや~……手厳しいね、美依菜ちゃん」


その言葉には、今回の判断に何らかの力が働いているのではないかという疑念が滲んでいた。

監督は苦笑しながらも、明確な否定はしない。


「オーディションも受けていない人間に、これ以上出番を与えるんですか?

それは、この役を勝ち取るために努力してきた役者たちへの侮辱だと思いますけど」


ヒロインである美依菜にとって、まりあの出番が増えたところで大きな不利益があるわけではない。

それでも異を唱えるのは、自分のためではなく、この場に立つ役者たちのためだ。


華やかな美貌だけではない。

現場を引っ張る責任感も、芝居に懸ける情熱も本物だ。

だからこそ、その言葉には監督を黙らせるだけの説得力があった。


「あなたは? この場の全員を敵に回してでも、もっと出番が欲しいの?」


美依菜は真っ直ぐまりあを見据えたまま、隠すことなく敵意を滲ませる。

だが、まりあは少しも動じない。


「えぇ、欲しいです。お金で出番が買えるなら、いくらでもお支払いします」


にこりと微笑みながら、堂々と嘘を吐く。

父のいない今のまりあに、自由に使えるような大金などない。当面の生活費がせいぜいだ。

けれども、そんな事情はおくびにも出さず、美依菜の視線を真正面から受け止める。


「親の金と権力で役を取ったっていうのも、否定しないんだ?」

「えぇ、その通りです。持つべきものは、お金持ちの実家ですね」


今回の役を手に入れたのは、隣にいるノアの手腕であり、どんな裏技を使ったのかをまりあは知らない。

けれど、ここで真実を説明したところで、話がこじれるだけだ。


―――相手を傷つけない嘘なら、()いても構わない。

それは、ノアと出会う前から変わらない、まりあの信条だった。

真実など、別に無理に理解してもらう必要はない。

自分をどう評価するかは相手の自由だ。


まりあを「親の金と権力で好き勝手をする我儘娘」だと思いたいなら、それでもいい。

その誤解によって、まりあ以外の誰かが傷つくわけではないのだから。


「目的のためなら、手段は選びません。使えるものは、何だって使います。それは悪いことでしょうか?」


穏やかな声音のまま、まりあは美依菜を真っ直ぐ見返し、首を傾げる。

その表情には、挑発も開き直りもない。あるのはただ純粋な疑問だけだ。


「別に悪いとは言わない。だけどここは、才能があっても消える。努力しても報われない。

それでも諦めずにもがき続けた人間だけが、ようやく名前を残せる場所なの」


低く、けれどよく通る声。

華やかな世界の裏側を知る者だからこそ、その言葉には確かな重みがある。


「だから私は、覚悟が足りないまま入ってくる人間が……大嫌い」


それは単なる排他的な言葉ではない。

この業界を深く知っているからこその苦い忠告だった。

だが、まりあは引かない。


「では貴女は、一度たりとも何かを利用せず、この世界を勝ち上がってきたんですか?」

「もちろん、そのつもりだけど?」


まりあから視線を逸らさないまま、美依菜ははっきりと言い切る。

その態度には一片の迷いもない。

伊達に実力派と呼ばれているわけではないのだろう。


「そうですか。では、よく知らず侮ったこと、お詫びします。ごめんなさい」

「いや……そんなアッサリ謝られても………」


美依菜の言葉を受け入れ素直に頭を下げるまりあに、美依菜の表情からわずかに険が抜ける。

自らの言葉に嘘はないが、大抵の人間は「生意気な小娘が虚勢を張っているだけだ」と信じようとしないのだ。

それを、信じた上に謝るとは……。そんな人間は、美依菜にとって初めてだった。


とはいえ、まりあとて美依菜の言葉をただ鵜呑みにしたわけではない。

ただ、どちらでもいいのだ。

それが真実かどうかを確かめる術は、まりあにはない。

ならば、本人の口から語られた言葉を信じるのが一番早い。

たとえそれが虚勢だったとしても、別に困ることはないのだから。


「私は確かに、芸能界のことはよく知りません。ですが、決して甘い世界だとは思っていません。侮るつもりもありません」


静かな声音だった。

だが、その言葉に迷いはない。


「……だから、譲れません」


張り詰めた空気の中、まりあはふと視線を巡らせる。

その先にいるのは、少し離れた場所で成り行きを眺めている輝夜だった。


「……譲らないって、輝夜のこと?」


その視線の動きを見た美依菜が、わずかに眉を寄せる。


「輝夜の相手役は私。彼の隣に立つのは、私なの」


その声に滲むのは、自分こそが彼の隣に相応しい役者だという誇りと矜持だった。

だが、まりあは怯まない。


「えぇ、そうですね」


静かに頷きながらも、まりあの視線は美依菜ではなく、その先にいる輝夜へ向けられていた。


「……ですが、輝夜さん自身は、まだ誰のものでもありません」


そう。まりあが欲しいのは、「相手役の座」などではない。

諸星輝夜、その人自身だ。


「……は? 何言ってんの、あんた」

「輝夜さんが欲しい、と言いました」


眉を寄せる美依菜に、少しも迷わずまりあは言い切る。


「いくらなんでも、さすがにそれは身の程知らずにも程があるでしょ。恥ずかしくないの?」


敵意を剥き出しにしながらも、美依菜は感情的に怒鳴ることはしない。

怒りに任せた言葉に宿る力はないと、彼女はよく知っている。

だからこそ、その一言には鋭い刃のような重みがあった。


だが、その言葉にも、まりあは表情を崩さない。


「人を好きだと思う気持ちを、恥ずかしいと思ったことはありません」


あまりにも真っ直ぐな返答だった。

その揺るぎなさに、美依菜は今度こそ言葉を失う。


人を好きになることが恥ずかしいわけではない。

そんなことは、美依菜だってわかっている。


ただ―――相手は諸星輝夜なのだ。

誰もが憧れ、手を伸ばすことすら躊躇(ためら)う存在。

諸星輝夜がどれほど遠い場所にいるのかを、美依菜は身を(もっ)て知っている。


だからこそ、いつの間にか諦めていた。

彼の隣に役者として立つことは望んでも、その心まで欲しいとは思わなくなっていた。


けれど、まりあは違う。

憧れの対象としてではなく、対等な一人の人間として。

手が届くかどうかではなく、欲しいから手を伸ばす。

その在り方は、眩しいほど真っ直ぐだった。


数秒の逡巡(しゅんじゅん)の末、美依菜がゆっくりと唇を開きかけた―――その時だった。


「やれやれ。モテる男は困るなぁ☆」


軽やかな声が、張り詰めていた空気をあっさりと切り裂く。


「キミたち、オレのために争えるのは幸せだろうけど……そろそろお終い」


にこやかに笑いながら、輝夜が二人の間へ割って入くと、それだけで不思議と場の視線が彼へ集まる。

まるで最初から、「この場の主役は自分だ」と言わんばかりに。


「オレもさ、キミみたいな子、嫌いじゃないよ」


興味深そうに目を細めながら、輝夜はまりあを見下ろす。

そして、するり……と、長い指先がまりあの顎を掬い上げた。


「オレも、キミのこと気に入っちゃった。……ヒロイン、交代してみる?」


甘く囁くような声音だった。

美依菜は、その様子を黙って見つめている。

怒鳴ることも、取り乱すこともしない。

ただ静かに目を細め、まりあと輝夜のやり取りを観察していた。


感情に流されるだけの人間なら、とっくに第一線からは消えている。

その冷静さこそが、長年この世界で生き残ってきた実力派女優の証だった。


「でもさ」


不意に、輝夜が楽しげに唇の端を吊り上げる。


「ヒロインになるなら、こういう距離感も当たり前なんだよ?」


試すような声音。

まりあの反応を窺うように、その端正な顔がゆっくりと近づいてくる。


「できる? オレのことが欲しいって言ったお嬢さん」


あまりにも自然な動きだった。

気づいた時には、もう遅い。

まりあが息を呑むより先に、輝夜の唇が重なった。

不意打ちのような接触に、まりあの思考が真っ白になる。

呼吸すら忘れたまま、ただ目を見開いた。


「なっ……!」


驚愕の声を上げたのは、ノアだった。

あまりにも突然の出来事に、その場の誰も反応できない。

まりあもまた、何が起きたのか理解できないまま目を見開いていた。

そんなまりあの半開きになった唇へ、輝夜は躊躇なく舌を差し込む。


(う、わ……! なんか入ってきた……!)


色気もクソもない感想だが、それがまりあの正直な心境だった。

口内を好き勝手に蹂躙(じゅうりん)され、慣れない感覚に戸惑う。

振り払うべきなのか。

怒るべきなのか。

そんな当たり前の判断すら浮かばないまま硬直していたまりあが、反撃として舌を噛み切るという選択肢を思いつく寸前―――それを察知したのか、輝夜はあっさりと唇を離した。


「……もしかして、初めてだった?」


くすり、と。

愉快そうに唇の端を吊り上げる。


「よかったね、オレに奪ってもらえて」


その声音は甘い。

けれど、その奥には隠そうともしない(あざけ)りが(にじ)んでいた。


―――まりあには知る(よし)もない。

誰からも好かれ、愛され、憧れの対象として扱われ続けてきた輝夜にとって、自分は「手の届かない存在」であることが当然だった。

だからこそ、まるで当然のように「欲しい」と言い切り、「手が届く相手」として語るまりあの言葉を、輝夜は「侮辱」と捉えたのだ。


だから輝夜にとって、それは(しつけ)に近いものだった。

身の程を知らない相手へ、自分との距離を教えてやるための。


まりあが、大切に守られて育ってきた箱入り娘であること。

恋愛慣れしておらず、こうした駆け引きにも不慣れであること。

ほんの短いやり取りだけでそれを見抜いた上で、「まりあを揺さぶるための最も効果的な一手」を、容赦なく選んだのだった。


「あと、ヒロイン交代っていうのもやっぱ無しかな。キミの相手がオレじゃあ、役不足でしょ」


軽い口調だったが、「役不足」という言葉はきちんと本来の意味で使われていた。

実力に対して、与えられた役割が軽すぎる。

誤用されることも多い言葉だが、輝夜は当然のように使いこなしている。


残念ながらこのキラキラと見目麗しい王子様は、顔がいいだけのお人形さんではないらしい。

見た目も、才能も、教養も。芸能界の頂点に立つだけのものを、きちんと持ち合わせている。

攻略対象としては、なかなかに厄介そうだ。


「まりあ、大丈夫……!?」


輝夜の予想外の行動に、ノアが珍しく声を荒げる。

咄嗟(とっさ)にまりあの肩を抱き寄せると、その体を庇うように自分の背後へ隠した。


幼気(いたいけ)な乙女の唇を無理矢理奪うなんて、国民的アイドル様のすることかしら?」


鋭い視線が輝夜を射抜く。

だが当の本人は、悪びれる様子もなく肩を竦めた。


「オレからのキスだよ? ご褒美だって喜ぶところだろ」


輝夜の言葉に、ノアの目がさらに険しくなる。

二人の間に、ぴりぴりとした空気が走った。―――その時だった。

ようやく我に返ったまりあが、無言でノアの手を掴む。


「……まりあ?」


ノアからの呼びかけにも答えず、まりあは無言のままノアの腕を引き、くるりと輝夜へ背を向ける。


「ちょ、ちょっと待って……! まりあ!?」


ノアからは、まりあの表情は見えない。

ただ、一言も発することなく、ずんずんと大股で前へ進んでいく。

怒っているのか、落ち込んでいるのか、それすらわからなかった。


「ねぇ、まりあってば……! どうしたのっ?」


返事はない。

ただ、無言で歩を進め、その場を後にするだけだ。


まりあがようやく足を止めたのは、自分たちの楽屋へ戻ったあとだった。

扉が閉まり、外の気配が完全に遮断される。

そこで初めて、まりあはノアの腕を離した。


「まりあ、せめて何か言っ……んっ!?」


(しび)れを切らしたノアが再び口を開いた、その瞬間だった。

突然、まりあがノアの胸倉を掴むように引き寄せ、ルージュで彩られた唇にそのまま自らの唇を重ねる。


「んっ……んんっ!」


完全に不意を突かれ、ノアの目が見開かれる。


「んっ……ちょっと、っは……ん、まりあっ……!」


必死に身を離そうとしながら、ノアはなんとか言葉を絞り出す。

だが、まりあは止まらない。

まるで何かを確かめるように、あるいは答えを探すように、強引に距離を詰め続ける。


(待って……本当にこれ以上はマズいって……!)


ノアの心臓が嫌な音を立てる。

このままでは色々な意味で危険だ。

強引にでも引き剥がすべきか―――そんな考えが脳裏をよぎった、その時。

ようやく、まりあがゆっくりと身を離した。


「はぁ……っ、は……!」


力が抜けたように、ノアがその場へずるずると座り込む。

肩で息をしながら、混乱したまままりあを見上げる。


「ど、どういうつもりなの……まりあ……?」


問いかける声は、珍しく余裕を失っている。

一方、ノアを見下ろすまりあの目は完全に()わっていた。

感情が煮えているはずなのに、その奥だけが冷えている。


「……初めて、だったんです」

「えっと……キスが?」

「それもですが」


まりあはゆっくりと首を横に振り、拳を握る。


「あんな表情(かお)を……されたのが」

「あんな表情(かお)……?」

「『どうでもいい相手』を見る表情(かお)です」


何度も言うが、まりあは誰もが羨む皇財閥の一人娘だ。

羨望も嫉妬も向けられてきた。敵意や悪意に晒されたことだってある。

けれど、天上人として扱われ続けてきたまりあは、「見下される」という経験を知らなかった。


「敵視されたことはあります。理不尽に嫌われ、恨まれることもありました。……でも、あんな風に最初から勝負にもならないと思われたのは、初めてでした」


あの瞬間、輝夜は明確な敵意を持ってまりあを試し、揺さぶり、そして結論を出した。

まりあは脅威ではない。対等に向き合う価値はない、と。


それが、どうしようもなく悔しかった。

胸の奥を焼くような感情に、まりあはゆっくりと唇を噛む。


―――屈辱。

王子様のように見目麗しいトップアイドルと初めての口づけを経験した幼気な少女が抱いたのは、煮え(たぎ)るような敗北感だった。

……そんなバカな。


「待って、それでどうしてアタシにキスを……?」

「練習です」

「……は?」


真顔のまま、きっぱりと言い切るまりあに、ノアが気の抜けた声を漏らす。


「たくさん練習して……次こそは、輝夜さんを腰抜けにしてみせます」


数々のハイスペックな能力を持つが故に誤解されがちだが、まりあは決して万能というわけではない。

知らないこともたくさんあるし、できないことも当然ある。


今のまりあがあるのは、生まれつき優秀だったからなどでは決してなく、

足りないものがあれば学び、できないことがあれば練習し、

そうやって必要だと思ったものを一つずつ努力で身につけてきたからだ。


だから、上手なキスが必要なら、それも練習する。ただそれだけの話だ。

やられたら、やり返す。きちんと対策し、練習をした上で倍返しだ。

そんなまりあらしい発想に、ノアは頭を抱えたくなる。


「これから毎日、練習します」

「えっ……毎日!?」

「えぇ。継続は上達の基本でしょう?」


まりあは真剣な顔で頷く。


「それに、経験不足のまま挑めば、また主導権を握られます」

「そ、それは……そうかもしれないけど……!」


ノアの声が上擦(うわず)る。


「毎日……キス、するの……?」

「はい。もちろん付き合ってくれますよね? ノア」


まりあはきっぱりと言い切ったあと、小さく首を傾げた。

その瞳に、打算や色気は一切ない。

ただ純粋に、「確信している」だけだ。

父を取り戻すためならノアは、自分のためにどんなことでも力を貸してくれる。

そんな絶対的な信頼が、まりあの眼差しには宿っている。


「ど……どうしてこんなことに……!」


若干前かがみの姿勢で半泣きになっているノアには気づかず、まりあは小さく拳を握り、気合を入れ直していた。


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