第42話ー水色の爪
ノクティスが部屋を出ると、ライネルが待機していた。
「閣下、皇太子殿下から怒りの催促が来ています」
「ああ……」
ノクティスはため息を吐き、足取り重く通信室へ向かった。
オーガストへ今回の件の報告中、ロワナの部屋へネルサンが訪れたとライネルに伝えられ、即座に通信を中断してロワナの部屋へ向かった。大した説明もせず、皇太子との通信を切るという暴挙。オーガストが怒るのも無理はない。
「そんなに心配をなさらずとも、問題ないと思いますが……」
ライネルが珍しく意見した。
ライネルに、ロワナの部屋にネルサンが訪れた際には報告をするようにと伝えていた。ライネルはあまりこの命令にはピンと来ておらず、一応報告はしたものの、ノクティスが慌てて部屋に向かうとは思っていなかったようだ。
「ネルサン殿下を見ていても、ロワナ殿下に特別な感情があるように見受けられません」
ノクティスは珍しくよくしゃべる部下をちらりと見た。
「そうだろうな」
「では何故……」
説明しても理解はされないことなので、ノクティスはそれ以上は言わなかった。
ロワナにも言ったが、今世のネルサンはそうだろう。――だが、回帰前のネルサンは恐らく違う。特別な感情がない者に向ける眼ではないものを、ネルサンはロワナの死を伝えた時にノクティスに見せていた。
前世だろうが、本人が覚えていなかろうが、一度そういう感情を持った者が傍にいるのは、良い気がしない。
とはいえ、ロワナに会う人物を制限させる権限が、婚約者だろうとあるはずがない。
(自分の嫉妬深さには辟易するな)
自嘲するようにため息を吐き、ノクティスは廊下を急いだ。
◇
翌日、城のエントランスまで降りたロワナは、馬車の前で待つノクティスを見て固まった。いつもきっちりとした服装のノクティスが、胸元のゆったりした白のチュニックに細身の藍色のパンツ。素足にサンダルという、ラフな井出立ちで待っている。
「姫」
ロワナに気付いたノクティスが微笑を称えて振り向く。
ロワナはしげしげと見つめた。回帰前の護衛騎士時代でも、こんなにラフな姿は見たことがない。
「――姫?やっぱり変でしょうか?」
ノクティスが自身の姿を見下ろし、心なしかしょんぼりとした。服装も相まって、視線を下げるだけで色気を漂わせている。
(これは……今日一日厄介だわ)
連れが視線を下げるだけで、このように心臓がうるさく鳴っては身が持たないではないか。
ロワナは深呼吸して気合を入れ直す。
「違うわ。かっこよすぎて驚いているのよ」
「それは……何よりです」
目を少し見開き、ノクティスがよく分からない返事を返した。
「姫も、とても可愛らしいですね」
ロワナの今日の衣装は、サラサ王女が用意してくれたカスティヤの民族衣装だ。カスティヤの若い令嬢達が街歩きに着る物らしい。薄い緑色のワンピースの裾にはフリルがあしらわれており、軽い生地なので歩くたびにふわふわと揺れる。
「そうでしょう?サラサ様がくださったのよ」
ロワナはそう言うと、くるりと回って見せた。すると満面の笑みだったノクティスの笑顔が少し歪んだ。
「あら?……気に入らない?」
「いえ。とても可愛らしいのですが、丈が少々気になりまして」
たしかにアルカダイアで着るドレスより短めである。とは言っても足首が見える程度だ。もちろん今日はロワナも素足にサンダルだ。カスティヤの令嬢達は、サンダルを履く時には特別な塗料で爪に色を塗るらしい。ロワナもカスティヤのメイドに塗ってもらった。赤と迷ったが、足にノクティスの色を塗るのも憚られたので、鮮やかな水色にした。
ノクティスの差し出した手を取り、馬車に乗った。座席に座ると、きらきらと光る足の爪が見える。
(やっぱり可愛い。水色にして正解ね。他にもたくさんの色があったわよね)
嬉しくなり、ノクティスにもちゃんと見てもらおうと前を向くと、窓の外に視線を向けるノクティスの姿があった。ロワナは違和感を感じた。
ノクティスと同じ馬車に乗ったのは数えるほどだが、窓をしきりに見ているのは初めてだ。
(いつも正面を向いて会話してくれていたのに…)
気にしても仕方ない。婚約者が相手にしてくれず窓の景色ばかり見ていたから何だというのだ。ロワナは気を取り直してノクティスに話しかけた。
「ノクス。見てちょうだい。とっても綺麗に塗ってもらったのよ」
「――え?」
ノクティスは言われるがまま、ロワナの視線を追うと、慌てて顔を背けた。
(えっ)
「ど、どうしたの」
ロワナが驚くと、ノクティスも驚いているようで手で顔を隠そうとしている。
「――ひ、姫。すわると更に短くなるのです」
何が短くなるのか。ロワナは訝し気に下を向いた。
「え?あ、ああ。本当ね」
言われてみれば、座ったことによりスカートの丈がひざ下になっている。……なっているだけだが。
(そんなに慌てる事?下着が見えているわけでもあるまいし)
ノクティスにとって不幸なことに、ロワナはがさつだった。
そこまで拒否されては、なんとしても爪の色を見てもらいたい。
「ノクス。私は膝じゃなくて足の爪を見てほしいの」
ノクティスの身体がびくりと揺れた。
「ひ、膝は見ておりません。……足の爪?どうやって?」
「どうって、下を見れば見えるでしょう」
やましい事などではないのに、そんなに嫌がらなくても良いではないか。
ロワナは意地になって片足を上げようと前へ突き出した。
「――姫…!」
ノクティスがとっさにかがんでロワナのふくらはぎを押さえるように掴んだ。さすがのロワナも男の人にふくらはぎを掴まれた事などなく、たじろぐ。
(大きい手……!)
前を見ると、ノクティスは目を固く閉じていた。
ロワナが足を動かそうとしても微動だにせず、ロワナは急に恥ずかしくなった。頬が熱を持ったように熱い。掴まれた手の熱も感じ、ロワナは泣きそうな声を出した。
「ノ、ノクス。もうしないから離して……?」
ノクティスはすぐに離し、顔に手を置いたまま窓を向いた。そして小さく呟く。
「……申し訳ありません」
何についての謝罪なのか。ロワナは応えず、足を引っ込めてうつむいた。
やましい事ではないはずなのに、馬車に残った空気はとても気まずいものになった。
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