フォルス王国 1
朝露が静かに草原を濡らし、太陽の気配が空を朱に染める。
テントの外に出ると、紗凪の目にまず入ったのは、こちらを見つめるロゼリオの姿だった。彼は手に真紅の林檎を持ち、にこやかに微笑む。
「おはようございます、紗凪さん。朝食代わりに、どうぞ」
「⋯⋯ありがと」
どこか昨日の夢の余韻を引きずるまま受け取った林檎は、甘い香りがした。だが、視線を合わせるのが少し恥ずかしい。
額の感触が、まだ熱を残している気がしてならなかった。
食事を終えた二人はテントを手早く片付け再び出発した。草原を抜け、道は徐々に整備された石畳へと変わっていく。
やがて丘を越えた先に、高い城壁と尖塔を持つ都市が見えた。フォルス王国――この世界でも屈指の大国であり、文明と信仰の中心地。
「⋯⋯すご⋯⋯まるでゲームみたい⋯⋯」
思わず零した紗凪の声に、ロゼリオは小さく笑う。
「そう感じられるのなら、ここは安全な場所ということですね」
門番に軽く挨拶し、彼らはそのまま街中へと入った。
まず立ち寄ったのは、冒険者ギルド。ロゼリオは昨日の“収穫物”を提出し、血の匂いのする袋を受付に渡した。
「いつもながら、えげつないですねぇ⋯⋯」
受付の男が眉をひそめながらも金貨を数える。
後ろにいたギルドの男達が青ざめながらコソコソと話していた。
「うわ⋯これ、“赤茨の繭”じゃん。ってことは⋯⋯あの人、動いたんだな」
「マジで封印されてたよ。まるで“生きた封印”だよ、あれ」
「紅蔦の証が回ってきたってことは、相当ヤバいやつだったんだな」
受付の男はギロっと後ろを見てまたこちらを見て話し出す。
「報酬はこちら。魔物の牙と液体、それから――この茨の繭、素材としては珍しいですね」
ロゼリオはにこやかに応じながら報酬を受け取り、紗凪にも小袋を渡した。
「あなたの分も。共同作戦ということで」
「えっ、あたし何もしてないよ⋯⋯」
「でも、一緒に旅をしているでしょう? それだけで十分、価値がありますよ」
ロゼリオの目が真っ直ぐに紗凪を見つめ、彼女は一瞬視線を逸らした。
その後、二人は街を歩きながら、パン屋や果物屋で食べ歩きを楽しんだ。
賑わう市場の中、彩り豊かな野菜、異国風の香辛料、香ばしい肉串――活気と匂いが交錯するなか、ふと立ち寄った雑貨屋で、老人の店主が言った。
「異邦の者をお探しなら、神殿が良い。召喚や転移の話は、あそこが管理しておるからな」
「⋯⋯神殿⋯??」
紗凪は思わず息を呑む。ずっと気になっていた、自分がなぜこの世界に呼ばれたのか。
その答えが、ついに手の届く場所にあるかもしれない。
神殿は王都の中心に、静かに佇んでいた。荘厳な白い石造りの建物。だが門は開かれており、厳しい警備もなかった。
「誰でも入れるの⋯⋯?」
「聖神信仰は万人に開かれていますから。悪意がなければ拒まれませんよ」
ロゼリオの言葉に導かれるように、紗凪は神殿へと足を踏み入れた。
内部は清らかな空気が満ち、中央には大きな水晶が据えられていた。側面には神書や巻物が並ぶ棚があり、巫女たちが静かに整理していた。
二人がそのうちの一角に近づいたとき――
「⋯⋯あなた、どこかで⋯⋯」
その声に、紗凪は振り返った。
そこに立っていたのは、白銀の聖女服に身を包んだ、一人の少女だった。
透き通るような肌に、整った顔立ち。長い黒髪をゆるく結び、瞳はどこか悲しげに揺れていた。
「⋯⋯え?」
少女もまた、紗凪を見つめ返す。時が止まったような、静かな沈黙が流れる。
「あなた⋯⋯もしかして、日本から?」
その言葉に、紗凪の心臓が跳ねた。
目の前の少女――彼女の名前は、このときまだ紗凪は知らない。
けれど、その出会いが、自分の運命を大きく動かしていくことになるとは、このとき夢にも思っていなかった。




