第四章 先の話に揺れる
男は空を見上げていた。本日、何回目になるだろう。マーシュマロウがいなくなったことで、リスとディルデュランは、また二人きりの生活に戻った。しかし、困ったことに、少女に対して以前のように接することができなくなっている。成人している。子供ではない。その意識が一つあるだけで、どう接すればいいのか分からなくなったのだ。生真面目な性格ゆえの苦悩だった。
間季に来てから、今は暖季の盛り。その間、食事をしっかり取るようになったリスは背も少し伸び、身体の方も急速に年齢相応に追いついてきている。先ほど転んだリスを助けた時、それを実感してしまった。
ゆっくりと成長する森人とは違い、少女の成長速度は人間のそれだ。ある程度まで成長すれば、あとは緩やかになるだろうと予測はしている。だが、何しろ精霊から命を与えられた場合、これからどう変化していくのかは不確定すぎる。
やはり、女性の森人のもとへ送るのが良いのかもしれない……。あの子が変わっていくことに、自分がついていけていない。それを「未成年だから」という建前を使って、感じないようにしていたのに。厄介なことになった。
腕を組みながら空を睨むディルデュラン。その姿を、後ろからリスが見ていたことにすら気づいていない。男は小さく溜息をつくと、畑で瓜の花を間引き、それからいつものように野菜を洗い、洗濯をした。
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それからしばらくして。午前中にやるべきことを終えて小屋の扉を開けると、リスがすでに朝焼いたパンや果物、飲み物などを並べて待っていた。こうして見ると、昼食の準備だけでなく、大方の家事も板についてきたな。そんなことを思いながら、ディルデュランは複雑な気持ちで席についた。
「食べようか」
「はい」
二人は食卓についた。ディルデュランはまず白湯を飲み、リスはパンを手に取る。ここまでは、いつもと変わらない。
「今日は午後から何をしますか?」
自分の分のパンに塩気のある乳酪を塗りながら、リスが午後の予定について尋ねてくる。胡桃色の柔らかな髪が、動くたびにふわふわと揺れている。それを眺めながら、ディルデュランはどうするかと考え、やがて答えた。
「午後は……休みでいいだろう。マーシュマロウに渡すものはすべて渡したし、急いでやることも今はない」
彼にしては珍しい言葉だった。
「休み?」
いまだかつて、そんなことを言ったことがない、とばかりに、リスはパンを食べる手を止め、目を丸くして彼を見つめる。
普段は畑仕事の後に手仕事などをしていた。明るいうちは、その日にできることをするのが日課だったのだ。
そのため、突然「休み」と言われても、どう過ごせばいいのか分からないらしい。
「お休み……前はどのように過ごしていたのですか?」
該当するものが思い浮かばなかったのだろう。リスがおずおずとディルデュランに尋ねる。
「涼しい所で、何もしないで過ごす」
表情を変えることなく返ってきた答えに、少女はかえって困惑した。その様子を見て、ディルデュランは言葉が足りなかったな、と気づく。グレーの瞳を天井へ向け、それから上を指差した。
「要は昼寝だな。ここの大樹の上に、実はそのための場所がある」
今度はリスにも分かるように言い方を変える。
「そんな場所があるのですか!?」
少女の大きな目が丸くなり、明るい茶色の瞳が一瞬でキラキラと輝いた。知らない場所への好奇心が、あふれ出している。その様子に、ディルデュランは眩しそうに目を細めた。
「ああ。食事を終えたら案内する」
ディルデュランは自分のパンを手でちぎり、口に入れる。時間が経って固くなったパンを白湯で喉へ流し込みながら、持っていくものを考えた。自分一人なら身一つで登って、そのまま寝る。だが、リスが寝るのなら、何か下に敷くものが必要だろう。
「木の上に登るなんて、ここに来て初めてです」
「その場所へは、大樹の裏側から登れる。大きく枝分かれしているところに板を渡して、ロープで固定してある。普段は枝葉に隠れて、下からは見えにくい」
「そうなのですか……」
会話をしながら、うきうきとした様子を見せる少女。それに呼応するように、髪の中の光の精たちがチカチカと瞬いている。その様子を見ているうちに、ディルデュランの沈んでいた気持ちが、少しずつ浮上していった。
リスの笑顔には、不思議な魅力がある。
人の気持ちを和ませるような――それは、聖女としての力なのかもしれない。
男は、ふっと肩の力を抜いた。別に、ディルデュランはリスのことを嫌っているわけではない。自分が光の精との命の交換によって彼女を生きながらえさせたこともあり、その責任もある。だが、一緒にいて手はかかるものの、嫌な思いをしたことは一度もない。
むしろ――。
「……ああ」
ディルデュランは、テーブルの木鉢に入れてあった李を一つ手に取った。傷の多い掌の上で、ころりと転がす。自分の方が、変に考えすぎていたのかもしれない。そう思いながら、男は李を眺めていた。
第四章 完




