第四章 その時はまだ早い
翌日、目を覚ましたリスは、いつものように朝食の支度を手伝っていた。しかし、ディルデュランとの会話はなかなか続かない。昨日の話を互いに意識しているのか、なんとも言えない空気が丸太小屋の中に漂う。その中で少女は黙々とパン生地をこねていた。そこへドアを開け、マーシュマロウが入ってくる。
旅の疲れはいくらか取れたようで、昨日よりもすっきりとした顔をしていた。
「なに、この空気。お葬式?」
丸太小屋に入るなり、場の重苦しい空気を感じ取った彼は、思わずそう口にした。
「お、おはようございます」
「……おはよう」
リスとディルデュランが気まずそうに挨拶を返す。マーシュマロウは一度天井へ視線を向けると、やれやれといった様子で二人へ視線を戻した。
「昨日の話、気にしてるの? リスちゃんの出自が分かったことは大きな話だけどさ。これからどうするかなんて、刻印宝珠の件が終わってから考えればいいじゃない?」
「それはそうだが……」
「二人とも、固いこと考えない。朝食を食べたら、次の段階の話をしよう」
言いよどむディルデュランとは対照的に、マーシュマロウは快活に笑うと、窓際のベンチへ腰を下ろした。どうやら朝食の支度を手伝う気はないらしい。リスとディルデュランは顔を見合わせ、そして少しだけ笑うと、再びそれぞれの手を動かし始めた。
今朝の朝食は、暖季によく食べる総菜パンだった。
平鍋に酵母を使わない平焼きパンの生地を敷き、その上に乳酪、赤茄子、玉ねぎ、甘唐辛子、乾酪、香草を乗せる。最後に塩を振り、上下から火の宝珠を当てて焼き上げたものだ。とろりと溶けた乾酪が野菜に絡みとても美味しい。焼き上がったものを切り分けて平皿に乗せると、マーシュマロウは早速、はふはふと息を吹きかけながら口にした。
「んー、うまい! やっぱりこういう食事の方がいいよなあ……。人と暮らすのも悪くないんだけど、食事が合わない時があるからな」
肉を食べる文化のない森人にとって、肉を食べる必要がある人間の中で暮らすことは、時として体に負担をかけるのだという。普段はなるべく食べないようにしているが、付き合いや接待の席では、どうしても口にしなければならないことがある。そういう時は決まって消化不良を起こすため、胃薬が欠かせないらしい。
「そうなんですね。でも……私は人間なのに、今の食生活で何も問題がないのですが」
リスの言葉に、ディルデュランが補足する。
「……リスは光の精霊から命を貰った。その影響で、我々に近い存在になっているのではないかと推測している」
寿命が延び、精霊の存在を感じられるようになった。森人と同じ食生活でも問題なく生きていられる。もともと聖女は大地神から加護を受けた存在だ、精霊との馴染みも元々良かったのだろう。そう言葉を続けるディルデュランにリスは頷いた。
自分も総菜パンを一口食べる。程よい塩気と野菜の甘さが、口の中いっぱいに広がった。
食事を終え、食卓を片付けた後。
今日はすぐに畑へ出ず、薬草茶を淹れてから、全員で丸椅子とベンチに座り、膝を突き合わせた。
「さて、これからのことだけど」
マーシュマロウが口を開く。
「俺は暖季から中季の間に、ハーツイーズを探すことにする」
そう言って、自分の顔の前で人刺し指を立てた。
「もともと森人は数が少ない上、この目立つ髪の色だ。老大樹様の言う『人の側にいる』というのが本当なら、各都市を歩いて情報を集めれば見つけられると思う」
次に中指を立てる、二本目。
「そして同時に、各地に散らばっている森人にも今回の件を伝える。寒季の初めには、一か所に集まって話し合いができるよう、予定を組んでいく。まずはここまでだ」
そして、最後に薬指を立てて三本になる。
「で、その次」
マーシュマロウはディルデュランを見る。
「森人の話し合いには、ディルデュランにも出てもらう。そのために馬を連れてきた。時が来るまでに慣らして、乗れるようになっててくれ」
「……分かった」
「角鹿で森の外に出たら、目立つことこの上ないからな」
ディルデュランは頷いた。しかしその直後、ちらりとリスの方を見る。この子を置いてここを出るのか。一人にさせるのか。そんな感情がその横顔から透けて見えた。
「なんだー、心配なの?」
マーシュマロウがにやにやと笑う。
「一人にできないもんね。可愛いもんね~」
ディルデュランは眉間に皺を寄せると、無言でマーシュマロウの顔をわし掴みにした。ミリミリ、と嫌な音が響く。
「いでででで! 冗談、冗談!」
「あっ、あっ、駄目です! 凄い音がしてます!」
リスが慌てて立ち上がり止めたおかげで、マーシュマロウは万力のような指の締め付けから解放された。
彼は掴まれていた顔を撫でさすりながら、
「冗談通じないやつだなあ……」
とぼやく。
「安心しろ。お前さんが不在の間は、うちのかーちゃんにここへ来てもらえるよう話してある」
「コモンおばさんか……。わざわざ悪いな。今は東の山の方で暮らしているんだろう」
ディルデュランは右手で顎の下を撫でながら、遠い目をした。脳裏に浮かぶのは、恰幅が良く快活な女性の姿。もう、どれくらい会っていなかっただろうか。マーシュマロウの母であるコモンは、女手一つで彼を育て上げ、商売のコツを伝授した人物でもある。彼女自身、鉱山街に店を持ち、長年薬屋を営んで繁盛させていた。
「そうそう。今もあそこで元気に商売してるよ」
マーシュマロウは笑う。
「そんで、お前が女の子と一緒に暮らしてるって話したら、今すぐ飛んで行きそうだったからさ。言い聞かせるのが大変だったわ」
「……お前」
わはは、と明るく笑いながら、マーシュマロウはディルデュランの肩を叩く。ディルデュランは目を見開き、マーシュマロウの顔を凝視した。コモンがその時どんな様子だったのか、容易に想像がついたらしい。
「事実じゃん。ねえ、リスちゃん」
「えっ、は、はい?」
突然話を振られ、リスはベンチから飛び上がらんばかりに驚いた。視線だけで困ったようにディルデュランの顔を見て、それからマーシュマロウの方へ向き直る。
「ディルデュランさんがここを離れる時は、コモンさんが来てくれるのですね」
リスはほっとしたように微笑んだ。
「ここでの寒季は初めてですし、一人ではとても無理でしたので……ありがとうございます」
そう言って丁寧に頭を下げる姿は、とても健気だった。ただ、その顔にははっきりと、
――ディルデュランさんがいなくなるのは寂しいです。
と書いてある。ディルデュランはそれを見て、居心地が悪そうに咳払いをした。
「とまあ、現時点ではこんな感じの進行になっている」
マーシュマロウが話を戻す。
「森人で話し合いをした後、国が持つ刻印宝珠と聖女の件について、今後どうしていくかを決めることになるだろう」
そして二人を見る。
「二人とも、いいか?」
マーシュマロウはそう言って、自分の膝を一つ叩いた。それにリスとディルデュランは同時に頷く。
刻印宝珠を人間に教えたハーツイーズが、今何を思っているのか。それすら、まだ分かっていない。現時点でできることは、ここまでだった。すでに聖女の命を使ったやり方は人間社会に深く浸透している。それを人間の生活から切り離そうとすれば、相応の抵抗が起こるだろう。だからこそ、慎重に進める必要があった。
話し合いは、ここで一旦終わった。ディルデュランとリスは畑へ向かい、マーシュマロウは馬たちの世話へと向かったのだった。
20260914 ルビ入れ




