第3話 分かれ道
守る場所は、床に引かれた四角の中だった。
「私を後ろへ通さないこと。線の外へ出ても構いません」
試験官が練習用の剣を上げた。
アセルは四角の前へ立った。広くはない。けれど、相手だけを見ていれば、足元の線などすぐに見失う。
最初の打ち込みを受け、押し返しかけてやめた。試験官の足が外側を向いている。そちらへ回り込まれないよう半歩ずれると、剣が離れた。
追わずに待った。
二度目は逆側だった。アセルが剣を合わせるより早く相手の肩が横へ抜ける。振り向きながら道を塞いだが、試験官の片足はもう線を踏んでいた。
「そこまで。元の位置へ」
アセルは息を吐いた。
ゼルクに比べれば、と考えかけた自分が嫌だった。稽古の相手より遅く見えたのに、今の一歩を通してしまった。
位置を戻してからは、剣を強く受けすぎないようにした。相手の体が通る方へ先に動く。最後の一本では、打ち合ったまま横へ押し戻すことができた。
記録係の筆が動く。
「次は魔法です。申告したものを、こちらから指定します」
剣を預け、標的の前へ移った。壁に固定した石板には、白い線で四角が描かれている。
火は、最初の一回がいちばんうまくいった。標的の枠内へ収まり、短く保ってから消せた。風も、指定の板を揺らした。
去年は、近くの輪に留めるだけで精一杯だった。今は離れた標的にも届く。
できる。
もう一度、と指示が来た時には、早く次を見せたかった。
同じ場所へ。同じ大きさで。
三度目の火は端に寄った。消して、構築をやり直す。遅れた分を取り戻そうとした次の一回は、枠を越える前に自分で止めなければならなかった。
「風へ切り替えてください」
アセルは手を下ろした。
火の感覚がまだ指に残っている。急いで風を作ると、標的の板が横へ振れた。向きを直す。今度は弱い。
試験官は待っていた。急げとも、落ち着けとも言わない。その間も、隣で記録が続いている。
ようやく板を正面へ押した時には、腕がひどく重かった。
「以上です」
「もう一回、できます」
「必要な回数は終えました」
アセルは上げかけた手を下ろした。
最初と同じようにできたら、という言葉は、口に出さなかった。
*
不採用の通知は、折らずに渡された。
受け取る前から、良い結果ではないのだろうと思っていた。それでも、そこに書かれた文字を確かめるには時間がかかった。
「剣については、基礎と対応を認めています」
窓口の担当者が、手元の控えに目を落とした。
「魔法は反復時の精度、発動までの時間、継続して動けるかという点に課題があります」
「それを直せば、次は受けられますか」
「再応募はできます。ただ、属性を切り替えられることを、安定した一属性の代わりには評価できません」
「火だけじゃ届かない時に、風を使うこともあると思います」
「その風を、必要な時に出せませんでしたね」
返す言葉が途切れた。
出せなかったわけではない。だが、遅れた。その間に誰かが通り抜けようとしたら、剣の試験と同じようには止められなかったかもしれない。
「適性を考えれば、今後も一つ一つに相応の時間がかかるでしょう。無属性の方には、別の道を考えるようお伝えすることもあります」
「まだ、直せないと決まったわけじゃないでしょう」
自分で思ったより声が大きかった。
待合の方で、誰かがこちらを向いた。
「現時点での判断です」
担当者は控えを閉じた。アセルの手にある通知には、将来のことなど書いていなかった。
折れば鞄へ入る大きさだった。けれど、どこを折るか決められず、建物を出るまで持っていた。
入口の脇にイサラがいた。アセルに気づくと、手元の封筒を下ろした。
「どうだった?」
「……駄目だった。そっちは?」
「採用だって。来週から来てくださいって言われた」
「そっか。おめでとう」
「ありがとう」
イサラが笑った。もう少し話していたかったが、手元の不採用の文字が目に入り、アセルは鞄の紐を持ち直した。
「俺、帰るから」
「うん。またね、アセル」
頷いて門を出た。手に持った紙の角が、歩くたびに脚へ当たった。
ゼルクも無属性だ。それでも巡衛府にいる。入れないと決まっているわけではない。
あの人ほど剣が使えたら。
そう考えてから、アセルは唇を噛んだ。今日、火も風も使ってみせた。それを、なかったことにしたくなかった。
*
父の部屋へ戻ると、アセルは黙って通知を差し出した。
父は一通り読み、紙を返した。
「最後はどのくらい遅れた」
「分からない。待たせたのは分かったけど」
「なら、次は続けて使った時も記録しなさい。最初の一回だけでは足りない」
「……明日も、練習場を使っていい?」
父が顔を上げた。
「いつも通りでいい。教本も途中だろう」
アセルは頷いた。
部屋を出てから通知を鞄の底へ押し込み、稽古場へ向かった。
ゼルクには、魔法のことから話した。言い終えても、腹の底の重さは消えなかった。
「剣はどうだった」
「一回、通した」
「どっちへ」
アセルは地面に四角を描いた。相手がいた場所、自分が守った場所。線を見ているうちに、相手の肩が横へ抜けた瞬間が戻ってきた。
「ここで、剣を合わせようとして。その前に横へ回られた」
「やってみろ」
渡された剣を握る。鞄は台の下へ置いた。
その日は、通知をもう一度開かなかった。
*
不採用から数週間が過ぎた午後、正門の方で硬い音がした。
荷車でも倒れたのかと思った。
次の音で、足元の土が震えた。




