第四十八話 青春療法
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
昨日はなんとなく豆ご飯が食べたくて、作ってみようとしたんだ。
でも、この世界じゃグリンピースが存在しないってことをすっかり失念していた。代替品として枝豆ご飯にしたけど、ほんの少し物足りなかったよ。
その時思ったんだけど、この世界だってアプデできるはずじゃないかな。
前世でもあった超有名少年漫画の最新刊が当たり前にこの世界でも連載し続けていることからも、閉ざされた世界でも停滞しているわけじゃない。だから、いつか現実の主人公君がグリンピースの良さに気づくきっかけでも訪れれば、この妄想世界にもグリンピースが導入されるのかなって、ふとそんなことを思ったんだ。
誰か現実の主人公君に絶品の豆ご飯でも食わせてやってくれないかなあ。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
突然だが、俺はVチューバーというものにそこまで造詣が深くない。
前世では「ああ、なんか知らない界隈で頑張ってるんだなあ」くらいの認識で、今世でも特に興味が惹かれるVチューバーに出会わなかった。
ただし、俺は有名Vチューバーだけは知識として押さえることにしている。
突然なんでこんな話をしたのかといえば、クラスメイトの「陰キャだけど人気Vチューバーの中身」のことについて頭を巡らせていたからだ。
「みんな、おはよう」
「「「翼君! おはよー!!!」」」
いつものように主人公君への挨拶の大合唱。俺も一応挨拶を返しているのだが、いつものようにかき消された。
そんな俺と同様に、挨拶の声がかき消された一人のクラスメイトがいた。陰キャだけど人気Vチューバーの中身だ。
「こんしゅしゅー」
彼女は俯きながら小さな声でボソボソと、確かにそう言った。おそらくかき消されることが前提の挨拶だろう。
それから陰キャだけど人気Vチューバーの中身は、一瞬主人公君と視線を合わせ、意味ありげな笑みを浮かべたのち、またうつむいた。
彼女の正体を実は知っている主人公君と、陰キャだけど人気Vチューバーの中身の、ちょっとした朝の一シーンであった。
と、このように、主人公君は「陰キャだけど実は人気Vチューバー」という属性を王道と認識している。だから俺は人気Vチューバー界隈の人達を知識として押さえることにしているのだ。
そしたらまあ、先輩から後輩に至るまで、学年に一人は人気Vチューバーの中身がいるもんだから、ちょっと笑っちゃったよ。
にしても、配信での「流Re星シュシュ」としての彼女は、明るくてよく笑うのだが、どちらが本当に彼女なのだろうな。主人公君なら「どちらの君も素敵」みたいに言うのだろうが、俺は分かりやすいものを好むので、極端な二面性というのがあんまり理解できない。
別にクラスでも明るく振る舞えばいいのに……
って、そんな雑な考えだから、俺はノンデリ扱いされてるんだろうな。あんまり彼女とは仲良くないからわざわざ言わないけど、もっと仲良かったら絶対言ってたな。
真面目に授業を受け、待ちに待った放課後。
今日は母の都合が悪い日なので、着物未亡人さんが見てくれる日となっている。この日はひたすら筋トレがキツイ日なので、あまり気は進まない。ただ、それよりも強くなりたいという気持ちが勝っている。
同時に、この感覚が嘘偽りないとはいえ、「めんどう」「いや」「サボりたい」という自分を甘やかす気持ちは無限に湧いてくる。人間というのは本来サボり魔なのだ。
そんな自分を否定せず、それでもなんだかんだ頑張る。柔道部のみんなと一緒なら、俺達はどこまでも高みを目指せる。
「「「「「よろしくおねがいします」」」」」
「はい、元気にありがとう。今日もいっぱい差し入れを用意してあるからね」
さあ頑張ろう。
「最初はマウンテンクライマーから。一分を五セットね。よーい、始め」
ぶりっ子先輩がタイマーをスタートさせたと同時に、腕立て伏せの状態から、テンポよく足を交互に胸に引き寄せていく。
きっつい。少しでも楽しようとお尻が上がりそうになる。テンポが乱れそうだ。呼吸のリズムが少し乱れた。ああさぼりたい。
でも、それでも根性で頑張り続ける。そんな自分を褒めることでモチベーションを保つ。
かっかっかっかっか――
三セット目が終わったあたりから、いつもの音が聞こえてきた。汗だくで苦しむ俺をおかずに、ご飯をかっこむ音だ。
さっき一瞬目が合ったが、それでも着物未亡人は目をそらす様子はなかった。この程度なら許されるということを学習し、どんどん遠慮がなくなっているのだろう。
どうしても気にはなってしまうが、過剰には気にせず、俺は俺の肉体をいじめ続けた――
「「「「「ありがとうございました!!!」」」」」
「いえいえ。こちらこそ」
いつも思うが、その「こちらこそ」ってやめてもらえないですかね。
部活が終わると、女性陣は着物未亡人さんの元へ我先にと集まりに行く。俺は少し輪から外れ、差し入れを食べてから会話に入らせてもらうつもりだ。
モグモグとプロテインバーを食べ、サラダチキンを食べ、プロテインドリンクを飲み終えた後、俺は彼女達の集団に向かった。
「ええー! 副道場長さんみたいな綺麗な人でも“五人目”だったんですか!? というかそもそも“正妻”を採用している夫さんだったんですね!」
近づいている途中、元気っ子後輩の大きな声がここまで届いてきた。
「ええそうよ。最近の子は正妻を好まない傾向にあるけれど、私の時代は正妻制度を好む男性が多かったの。旦那もその一人ね」
「ほえー、そうなんですねえ。妻としては五人目で、旦那さんを病気でなくして、それから今があると。なかなか波乱万丈な人生ですね」
「あらあら、私なんてごく普通よ。普通に高校を卒業して、普通に絶望して、社会に出てからは運よくお金持ちになれて、運よく一人の男性とお見合いを通して付き合い、五人目として結婚。ほら普通でしょ?」
「普通? うーんまあ普通なんですかね?」
そう都合の良い部分を羅列されるとほんの少しだけ普通に聞こえるが、そう思う時点で絶対普通じゃないだろうな。
元気っ子後輩の質問攻めは続く。
「あ、そういえばこれも気になってたんですけど、旦那さんはどんな人だったんですか?」
「旦那はクマみたいに体格が大きな男性だったわ。縦も横も大きくて、140キロも体重があったのよ。そして、ただ一人の正妻だけを愛する人でもあったの。私は五人目だけれども、他の四人とは扱いは変わらなかったわね。いわばお金要因ってところかしら?」
「お金要因……えと、こんなこと聞いてごめんなさい。それって幸せなんでしょうか?」
「ふふふっ、いいのよ。若い子にはそう思われるのも無理ないってことは分かっているもの。でも、確かに幸せだったわ。泰平さんのような男性と比べるとあまりいい男ではないけれど、それでも愛していたの。
それにね、たとえ一時でも男性から愛されるのって、とても充足感で満たされるのよ。それだけで、実際に私は毎日フルパワーで頑張れたわ。女性という生き物は愛されて輝くの」
事実着物未亡人さんは、夫を亡くしたことで拒食症となった。それだけで、彼女の言葉が嘘ではないことは十分伝わってくる。
「そう、なんですかねえ……えへへ、どうも私にはまだ早い世界でした」
「あら、そう?」
着物未亡人さんが不思議そうな表情を浮かべているところで、俺も会話に入る。
「すみませんね。元気っ子後輩は柔道部いち、おこちゃまなんですよ」
「なにおー! ちょっと恋愛のいろはが分かんないだけじゃないですかー! 私だって立派なレディですよ! 泰平先輩のバカ!」
「ぐはぁ! 背伸びする後輩が可愛すぎるッ!」
俺は大げさに膝をついて腹を押さえた。そんな俺を柔道部のみんなが微笑ましい目で見てくる。
教室でこんな事しても蔑んだ目で見られるだけなのに、場所が変われば対応がぜんぜん違う。そんな柔道部が俺にとってとても居心地がいい。
「ねえ、泰平さん?」
「なんですか? 着物未亡人さん」
「泰平さんは正妻制度を導入するつもりはないの? 若い子は順位を付けることに抵抗があるかもしれないけれど、女性同士のいざこざがなくなるから、案外悪くないものよ」
「あー、あんまり正妻制度を導入するつもりはないですね。あくまで今のところですが」
ここで「今のところ」とあやふやにしたのは、ぶりっ子先輩が正妻制度を導入すると強く言うのなら、俺はそうするつもりだからだ。
ぶりっ子先輩が言うのなら、きっとその方がうまくいくと判断した時だ。しっかり説明されてその方がメリットがあると俺が認識すれば、そうすることも甘んじて受け入れよう。
「そうね。よく考えれば、泰平さんならそっちのほうがいいかもね」
なんだか知らんが、勝手に納得された。周りの女性もその方がいいと首肯している。
……お? もしかして俺だけなんか分かっていない? 女性特有の感覚なのか?
ちょっとした疎外感を感じていると、突如着物未亡人さんから爆弾が投下された。
「ねえ、泰平さん。シホさんが恋愛に疎いようなら、試しにお二人で付き合ってみてはどうですか?」
「「うぇ!?」」
俺と元気っ子後輩は同時に声を上げた。それに構わず着物未亡人さんは続ける。
「きっとシホさんには青春療法が必要なのでしょう。それに、泰平さんのシホさんを見る目には、明らかに愛おしさが多量に混じっています。ですので――」
「ちょ、ちょっとストップ! 若者の恋愛にはそれぞれのペースがあるので、あんまりそういったことは言わないでいただけると……」
「あら、少しはしたない事をしちゃったわね。失礼。この年になると、ついアドバイスがしたくなってダメだわ」
「それにですね。そもそも俺にはこの首輪があるので、やりたくてもできないんですよ」
「そうですねえ……なら泰平さん。その首輪も私がなんとかしてあげましょうか?」
「えっ、できるんですか?」
「ええ、金でぶん殴れば大抵のことは解決できるのですよ。どうです?」
「……うーん、うーん………………うん。ありがたい申し出ですが、これは戒めとして残しておきます」
なんだか若いうちからそういう強引な方法を覚えるのは良くないことな気がする。
悩んだ末、しっかり着物未亡人さんの目を見てそう答えた。
「あら? 今の泰平さんの覚悟の決まった瞳……失礼。贔屓目に見てもかっこよくて、少し粗相をしてしまいました」
そう言って着物未亡人さんは、ポッと頬を赤らめた。
……ポッじゃねえよ。




