第一話 いつもの日常
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ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
おし、いつものルーティーン終了。
もうこれを始めて三年になる。この世界は案外自律しているし、三年も正常に社会が回っているから、世界なんて簡単に崩壊しないとは薄々思っている。
でも、ルーティーンはルーティーンだ。これをすると頭がシャキッとする……気がするし。
「さて、帰って学校へ行く準備をするか」
俺は今日から主人公君と同じ高校二年生となる。ついに主人公君と同じ学年、同じクラスとなるが、あまり気負わずいこう。
たとえここが妄想の世界だとしても、俺の生きる世界でもあるのだから。
家に帰り、濡れタオルで身体を拭いたのち、母と朝食の席につく。机の上から香る味噌のホッとする匂いが俺の鼻腔をくすぐる。
「「いただきます」」
以降ごちそうさまを言うまで、ただただ無言。テレビも付けず、会話もない。ただひたすらに、目の前の母が作ってくれた和食に舌鼓を打つ。
食事中に話さないのは、俺が「柔道をやりたい」と言ってから始まったこの家でのルールだ。別に母との仲が悪いわけではない。
なんなら中学二年生の時の「前世思い出し事件」があってから、俺は母を心酔するようになったので、より深い仲になっている。
このピリッとした空気は、締めるところは締めるという、ただの我が家の教育方針である。
人によってはこんな堅苦しい食事の席は嫌だったりするかもしれないが、俺は案外この静かな時間が嫌いではない。
「おいしい」
小さくつぶやくと、味噌汁を飲んでいる母の口角がほんのりと上がる。
会話がダメといえど、これくらいなら許されることを俺は知っている。
以前どのラインまで許されるか試した結果、「うっま」「うまい」など少し崩した言葉を小さくつぶやく分にはギリギリ許されたが、「うますぎる!!!!」「たはー、世界一おいしいわこれ」「シェフを呼んでくれ」「いや葬式かよ」とかは許されなかった。
ここだけ切り取ると厳しいように見える俺の母だが、堅苦しいのは家での食事の時だけ。なんならそれ以外の時は案外母は俺に甘々だ。
どれくらい俺に甘いのかと言うと、俺が母と同じく柔道をやりたいと願ったら、次の日に道場を一から建て始めるくらいには甘い。
「「ごちそうさまでした」」
この時点で現在午前五時四十五分。母の出勤の時間だ。
「じゃあ、泰平、行ってくるね」
瀬戸泰平――それが俺の名前。案外このお気楽そうな名前が気に入っているし、下の名前で呼ばれるのが大好きだ。
そのせいか、ほんの少し口角が上がる。
「うん、お母さん、行ってらっさーい。じゃあまた部活で」
家から出ると、母はさっきまでのお硬い表情とはおさらばし、いかにも人当たりの良い、丸っこくてひたすらに優しそうなおばさんに変身する。
これが母のパン屋モード。いや、外面モードという方が正しいか。
母の店「パン屋ホカホカ」では、常にああした姿で接客やパン作りに励んでいるという。
「相変わらずジャムおじさんみたい――」
「泰平?」
「申し訳ございませんでした。女性におじさんなんて、失礼でした」
いくら男女比が1:5で、女性が前世よりも男らしいとしても、女性におじさんなんて絶対に言ってはいけない。
たった一言なのにものすごい圧で俺を謝らせたお母さんは、満足げに出勤して行った。
「さてと、登校するまで勉強でもしますかね」
◆◆◆
「ういーす、おはー」
俺は教室の真ん中の列の自分の席に座る。一番後ろなのは、俺の背がデカいからだ。
教室でクラスメイトとテキトーにだべったりしながら始業のチャイムが鳴るのを待っていると、女性達の華やかな声で廊下がざわざわし始めた。始業のチャイムギリギリってことは、彼だろう。
「みんな、おはよう」
「「「「おはよう、翼君!!!」」」」
中肉中背、平々凡々、これといって見た目に特徴のない青年が挨拶するやいなや、数々のキラキラした女子達が翼君――俺が心の中でこっそりと主人公君と呼んでいる彼に駆け寄る。
俺も一応挨拶したのだが、女子達の声にかき消された。まあ、こういうのは気持ちだから、聞こえないのはもう仕方ない。
「勘違いしないでよね! 翼のことなんて全然好きじゃないんだからね!」
「おーっほっほっほ! 翼、わたくしが席まで連れ添ってあげますわ! 高貴なわたくしと共にあれることを、未来永劫、全身全霊で感謝なさい!」
「翼みたいなオタクがモテすぎててウケるー。ま、まあそんなあーしもゴニョゴニョ……」
ツンデレ美少女、金髪ドリルお嬢様、オタクに優しいギャル。
少し視点を変えて周りを見ると、武闘派メイド、女騎士、くノ一なんてのも。
……それだけならまだしも、他国のプリンセス、宇宙人美少女、ケモミミっ子、人外娘、AI搭載アンドロイドなんて存在まで。
ここ二年A組には、色とりどりのヒロインが集まっている。
他にも主人公君にだけ心を開く外国人美少女や、陰キャだけど人気Vチューバーの中身、学校では地味な超有名アイドルなど、揃いも揃ってクラスメイトは王道属性ばかりだ。
もはや王道すぎて現実味のない人達だが、彼女達はこの世界に急に現れたりなんかではなく、死ぬほど努力して少しずつ魅力を積み重ねてきた結果ああなっただけだ。そのことを同級生として一緒に育ってきた俺はよく知っている。
「はあー」
主人公君に群がる女性達を見て、思わずため息が出た。
ほんとみんな、美少女オーラがすごく、すごくすごい。それになんか教室が女子のいい香りですごくすごい。おっと、あまりの美少女力に、語彙力が溶けてしまったな、ははっ。
…………うん、あのー、ね。
素直に羨ましいです。はい。
俺はなんとなく椅子にだらりと腰掛けながら、とりとめもなくこの世界の法則について考えを巡らせてみる。
これほど王道美少女が多いのは、主人公君が王道ヒロインが好きだから。
ヤンキーなどの怖い人がいないのは、主人公君が圧の強い人が総じて苦手だから。
この世界に生きる人々は、「全ては主人公君のために」という考えを無意識に持っているからこそ、自然とこんな風になる。
そして、その理屈を突き詰めると一つの結論に行き着く。
現実にいるであろう妄想主――主人公君はモテたい。とにかくモテたい。何が何でもモテたい。あらゆる王道美少女JKから死ぬほどモテたい。若い頃に戻って、そんな甘酸っぱい青春を何度も、何度でも、何百回でも送りたいという欲がとんでもなく強い。
だから主人公君だけは永遠に高校二年生のままだし、何をしなくとも死ぬほどモテるし、必然的に主人公君以外は決してモテない。誰もそのことに違和感を感じていないが……まあ、そういう考えすぎると怖いことは気にしない方向で。
こう説明すると怖いかもしれないが、細かいことにさえ目を瞑れば、案外この世界だっていいものだ。
「ごめんね、授業が始まっちゃうから、みんな席につかないと怒られちゃうよ」
主人公君がやりたいことを否定する人はこの世界にはいない。美少女達は「そうだね」と少し頬を紅潮させながら頷くと、大人しく自分の席に着き始めた。
「はあー、僕、平穏に暮らしたいだけなんだけどなあ」
そう小さく呟いた主人公君は、窓際の一番後ろの席につき、カバンから本を取り出した。授業が始まるまでの少しの間、ラノベを読むみたいだ。
今までの傾向なら、あのラノベは明日からこの世界で大流行するだろう。
彼がページをめくると、突然主人公君の近くの窓からエモい風が吹き、桜の花びらが舞った。そんな姿を見て、女子たちがきゃあきゃあとどよめく。
相変わらず世界から愛されているようでなによりだ。
それから授業が始まり、昼食を食べ、天然ドジっ子教師による帰りのホームルームが行われ、部活に励む。
臨時の柔道部顧問であるお母さんに「ありがとうございました」と礼をし、帰りに柔道部の後輩とちょっとだけ寄り道をし、家に帰る。
ご飯を食べ、裏垢でシチュエーションボイスをファンクラブに投稿して、早めに寝る。このシチュボに関しては……まあ、秘密だ。
雑に一日を振り返ってみたが、今日はいい一日だった。本当はもっと色々あったかもしれないが、まあ俺、細かいことは気にしないタイプなんでね。
今日は主人公君関連のイベントにちょっとしか巻き込まれなかったので、比較的平穏に過ごせた方だろう。なんなら、みんなが主人公君に夢中なお陰で、中学の時より比較的平穏に日常を過ごすことができているくらいだ。
ほんと、小中学の時とは大違い。あの頃の女子達は生殖器や排泄物、彼氏、男、性交などの下ネタばかり叫んでいたこと、俺は忘れてない。
彼女達は主人公君のいる学校ではあんなキラキラしていても、一皮剥けば中身は前世の男子高校生みたいなものだ。要は性欲しか頭にないアホなのだ。
基本的にエロエロの肉食獣なのに、あそこまで性欲を隠し通せてしまうほど、今が彼女達にとって大事な時期なのだろう。
一方男の俺も、様々な個人的な事情があり、この高校の時期がかなり大事だと認識している。ここは主人公君のための妄想世界かもしれないが、俺が生きる世界でもあるので、あまり彼だけのために生きるつもりはない。
精力善用、自他共栄。それに加え、少し楽しく賑やかな日々を。それらは全て、後悔しないために。
主人公君の妄想世界の可能性はかなり高いが、それでもここに生きる人達にはそれぞれの人生があり、それぞれの日常がある。
だからこそ、俺は淡々と全力で日々を生きる。




