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かみがきないね ― 加美鳴村異聞 ―  作者: 泰平紋太郎


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第壱願 報せ

「来月度で客先との契約終了です」


自社の営業から届いた無機質なTeamsチャットを見ながら、

俺はぬるくなった缶コーヒーを啜った。


デスクの隅には、昨日の飲みかけのペットボトル。


モニターには監視ツールが起動している。


その画面には対応待ちのチケットが三件並んでいる。


どれも俺がいなくなっても、誰かが処理する仕事だった。


そうしてまた、一つの現場が終わる。


これはそんなに別に珍しいことじゃない。


SESなんてそんなもんだ。


必要な時だけ使われて、不要になれば切られる。


もはやITエンジニアというより、レンタル工具という方が正解だろう。


違うのは、工具は文句を言わないことくらいだ。


「次の案件も探していますので、スキルシートも更新しておいてください。」


営業がお決まりの文面を送ってくる。


似たような案件。


似たような客先。


そして、似たような人生だ。


俺はその文章を見ることすら下らなく感じ、チャットを閉じた。


その時、スマホが震えた。


画面に表示された名前を見て、少しだけ眉をひそめる。


母だった。


俺は一度深呼吸してから通話ボタンを押した。


「もしもし」


『あんた、今電話いけるか?』


「仕事中やから後でかけ直すわ」


『分かった。ほな待ってるわ』


ブツッと通話が切れる。


仕方なく俺は、ギシギシと軋むビジネスチェアから腰を上げた。


オフィスを出て、非常階段の踊り場へ向かう。


外に出たものの、電話の内容を想像すると、気分転換にもならない。


どうせ昼間に母から電話がかかってくる時は、大抵ろくな話じゃない。


そう思いながらスマホを耳に当て、折り返した。


「仕事中やから手短にな。何かあったんか」


少しの沈黙。


その間だけで嫌な予感がした。


『おじいちゃんが亡くなった』


視線を外に向ける。


隣のビルの室外機が回っている。


遠くで救急車のサイレンが聞える。


世界は何も変わっていないが、どこか現実味が無く浮ついた感覚になる。


「そうか」


それでも自分でも驚くほど平坦な声だった。


最後に祖父に会ったのはいつだったろうか。


たぶん十年以上前になる。


『お葬式、明後日や』


「平日やな」


『分かってる』


「…じいちゃん、どこ住んでたん?」


『地元よ』


「地元か…遠いな」


『せやな』


「仕事忙しいんやけど…」


『忌引あるやろ。あんた、来なさい』


母の声が少しだけ強くなった。


俺は思わず心の中で舌打ちした。


昔からこうだ。


相談しているようで、最初から答えは決まっている。


『家のこともあるし』


「家?」


『おじいちゃん、一人やったやろ』


そう言われて思い出した。


祖父は、一族の中で最後まで村に残った人だった。


父が死んで。


祖母が死んで。


親戚は皆、街へ出ていった。


それでも祖父だけは村を離れなかった。


『せやから、しばらく向こうにおらなあかんかもせん』


「…めんどくさ……」


電話の向こうで母がため息をつく。


『加美鳴村、十五年ぶりやな』


その名前を聞いた瞬間、妙に胸の奥がざわつく。


懐かしさではない、嫌悪に近い違和感。


『……ほんまに、来るんやな』


母の声が、少しだけ落ちたのを感じた。


さっきまでの軽さが、すっと消えている。


「来い言うたの自分やん、やっぱ来んでええってことか?」


『そんなんちゃう』


即答だった。


「じゃあ何やねん」



『……気ぃつけや』



その言葉だけが、やけに浮いていた。


「何をや」


『別に、深い意味あらへんよ』


また即答だった。


“別に”という言葉が、逆に引っかかる。


何もないなら、言う必要もないはずだ。


妙に引っかかったので、少しだけ声を落として問いかける。


「あの村って何かあったっけ」


その瞬間、電話の向こうが一瞬だけ無音になる。


音が消えたというより、空気が止まった感じだった。



『……あんた、何も覚えてへんねやな』



責めるでもなく、確認するような声。


「覚えてるって何をや」


『いやええわ』


そこで会話は途切れた。


その間の沈黙が、やけに長く感じられた。


そして次に出た言葉は、妙に軽かった。


『とにかく、普通においでや』


「普通にって何やねん」


『普通は普通や』


説明になっていない。


だがそれ以上聞いても、意味がない気がした。


「……分かった」


そう言って通話を切った。


俺は母との会話の歯切れの悪さを感じつつ、オフィスに戻った。


そそくさと椅子に座り、モニターを見る。


いつもの監視ツール画面。

チケット。

ログ。


なにも変わっていない。


いや──


一つだけ違っていた。


Teamsの見覚えのないチャットが増えている。


───

社内人事システムより自動送信


【身内忌引き申請】

ステータス:承認完了


申請者:はざま 恒一こういち


対象者:鳴神なるかみ きよし


続柄:祖父

───


「……は?」


画面を見直す。


さっきと同じ。


間違いなくそこには自分の名前と、祖父の名前。


内容も間違っていない。


でも、一つだけおかしい。


“申請者:硲 恒一”


(こんなん出してへんぞ……)


確かについさっきまで、非常階段で母と電話していたばかりだ。


祖父が死んだと言われて。


加美鳴村の名前を聞いて。


そう逡巡しているその時、机の上に置いたスマホが震える。


母からのメッセージ。


『さっきの電話やけど』


「……」


画面を見たまま止まる。



『あんな訳分からん事言うてたけど、大丈夫やな?』


「……訳分からんこと?」


思い出そうとする。


だが、心当たりがない。


「……どういう事やねん…」


誰に聞こえない様な声で小さく呟く。


その後の業務は上の空のまま、時間だけが過ぎてゆき定時となった。


帰りのエレベーターのボタンに指を伸ばし、到着を待つ。


自分のいるフロアのランプが点灯し、音もなく扉が開き、乗り込む。


エレベーターは下に降りていく。


そのまま止まることなく、地面に吸い込まれてしまいそうな感覚と共に、俺は会社を後にした。


帰宅した頃には、空はすっかり暗くなっていた。


スーツを適当に脱ぎ捨て、スーパーで買った割引弁当をレンジに放り込む。


テーブルの上にスマホを置き、明日の新幹線を予約する。


加美鳴村。


十五年ぶりに聞く地名だった。


予約を終えた後、ふと気になって検索欄にその名前を打ち込む。


するとこんな候補が出てきた。


───


加美鳴村 願いが叶う


加美鳴村 神社


加美鳴村 御利益


───


「なんや、願いが叶うて」


思わず鼻で笑ってしまった。


どうせ田舎の村おこしにありがちな話だろう。


願いが叶う村。


そんな都合のいい話がある訳がない。


そんな事があるなら、宝くじでも当てて、一生仕事をしなくても済むようにしてくれって話だ。


そんな馬鹿げた事を考えながら、その下に表示された候補を見た。


思わず指が止まる。




───


加美鳴村 失踪


加美鳴村 行方不明


加美鳴村 自殺


───




検索候補なんて当てにならない。


そう、自分に言い聞かせる。


画面には、異様なぐらい正反対の言葉が並んでいる。


俺は無意識のうちにスマホを伏せる。


窓の外では、いつの間にか雨が降り始めていた。


静かな雨音だけが、部屋に響いていた。


明日には、加美鳴村へ向かう─。

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