10 居酒屋 ー緑栄ー
2日後、緑栄は王都・成遼の街中に居た。
ある居酒屋の中で一人、濁り酒を片手に小羊の煮込みをちまちまとつついている。
格子窓の近くに陣取り、大通りや居酒屋の店員の動きをぼんやりとした目で見ている。
「大丈夫? お客さん、だいぶ酔ってそうだけど」
艶っぽい声をかけられ、ぼんやりと目を上げると店子の長といった風の年増の店員が話しかけて来た。
「昼間っからそんなキツイ酒飲んじまって、お冷でも持ってきてあげるわ」
そんな声に緑栄はふらふらと手を振った。
「いーのいーの、今日だけらから。
今日のおれはついてねっから、ここの美味い酒飲んでうさはらしてっから」
「ついてないって、どうしたね」
年増はさも心配そうに眉を寄せる。
緑栄は据わった目でおっ? と身を乗り出す。
「おねっさん、聞いてくれっかい? ほれ、あすこの、向かいの、華月堂がさ、先月まで黒糖まんじゅう1個50貫で売ってたのにさ、今日から60貫に値上げしたってんだよ、冗談じゃないよ。親方に30個買ってこいって1元500貫預かったのにさ、これじゃあ25個しか買えねぇよ。
頼み込んでもどうにもならねって言うしよ。くやしくここで酒でも飲まにゃやってらんねぇよ」
「あらら、それじゃあますますおまんじゅう買うお金がなくなっちゃうよ」
笑いながら言う年増に、いーのいーのとまた手を振って、
「こうなったら明日日銭稼いで意地でも30個買って帰っからさ。今日は景気付けだぜ」
腕を組んで鼻息荒く言う緑栄に隣のオヤジが「よっ、男前!」と茶々を入れた。
「だろ?」と返して、
「それにしてもなんだよな、急によぉ。税が上がった訳でも無いのに値上げなんてよ」
「あー…それは華月堂だけ特別なのよぅ」
年増が訳知り顔で言った。
「特別って?」
「華月堂には年頃の娘さんがいるんだけどね、その娘さんの婚約者が砂糖問屋の息子なのよぅ。
なんでも店子をしていたその子を見初めて無理矢理婚約話を持ってったみたいなの。
でも娘さんは結婚したくないってつっぱねたんだけどさ、そう言われてバカ息子、親に泣きついみたいなのね。
華月堂さん可哀想に、昔からの取引先から砂糖を売ってもらえなくなって、仕方なくバカ息子の問屋から仕入れようとしたら、婚約しなければ売らないってさ。
泣く泣く婚約したら、売値が相場の倍よ。
それでもなんとか今まで抑えて売ってたみたいなんだけど、とうとう赤字が抑えられなくなったみたいね。お店の皆さん総出で平謝りして売ってるみたいよ」
「確かに、申し訳ないって言ってたなぁ。そうかい、そんな事情がねぇ」
「娘さんも、バカ息子があんまりしつこく付きまとうからとうとう王宮まで出稼ぎに出ちまったしね。でももうあと半年もすれぼ年季だって言ってたしね。どうするんだろうねぇ」
「問屋の所へ行くんじゃないのか?」
とオヤジ。
「でもねぇ…娘さんじゃなくったって、あんなバカ息子所なんざ、誰もねぇ…」
「そんなにひでぇのかい?」
「酷いも何も、自分の店ほったらかして毎日娘さんが帰って来てないか見にくる息子だよ?
気持ち悪いったら。
娘さん、王宮に上がってから一度も帰って来てないみたいだし、いい加減諦めればいいのに」
「ふぅん。そんなに良い娘なのかい? 一度見てみたかったね」
「あらん、お客さんも若い子がいいの? しょうがないねぇ」
「若い娘は若いなりに、おねぇさんはおねぇさんなりに魅力があらぁな」
「あん、お世辞でも嬉しいわぁ。でも春華ちゃんはそりゃあ気立ての良い子でね。お店もよく立ってお手伝いして。大店の娘さんなのにね。
キリッとした勝気な目が笑うと猫みたいに緩むの。かぁわいいわよぅ。……春華ちゃんのそんな顔、久しく見てないわねぇ……」
緑栄は先日見た春華の笑顔を思い出し、そっと微笑んだ。
「ふぅん。そんな事情じゃあ、ますます金稼いで30個買わなきゃな。おねぇさん、ごっそさん! おれ、仕事探してくるわ」
「あらもう? 残念ね」
「稼いだらまた飲みにくっから」
「あら! それも楽しみだね、待ってるわぁ。
大将! お勘定!!」
奥から、あいよ、とだけ声がした。
緑栄は片手を上げて店を出た。
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翌朝、表宮に出仕すると、珍しく早々に帝の私室に呼ばれた。
「お呼びでしょうか」
おう、と手を挙げたのは緑栄の主でありこの国の王・張煌明だ。
「お前、最近休んでばかりじゃないか?」
「は?」
帝の言葉に怪訝そうに伺う。
紫鈴が休んでいる間、替わりに出仕しているのは帝も承知の筈だ。
「と、従者長から苦言が出た」
「はぁ…」
そんな事か、という顔をすると、
「そんな事か、ではないぞ。週に二日も休んでいる計算になるからな」
通常休みは5日に一度だ。場合によって週二日になる事もあるが、毎週の事ではない。
「はぁ、そうですね」
「気の無い返事だな」
「どうしろと?」
紫鈴の願いを聞いてやっている、という形だか、実際は帝からの勅命である。緑栄がどうこうするというものでも無い。
「全くお前は。自分の事となると暖簾に腕押しだな」
「そんな事もないですけど。これに関しては私が考えるべき事でも無いですから」
「俺に考えさせるのか?」
「勅命ですからね」
ふむ、と如何にもめんどくさそうに口元に手をやる。
「お前に案が無いとすると…」
にやっと帝の口に笑みが湧いた。
「あ、やっぱり自分で対処します」
緑栄は嫌な予感がして挙手した。
帝の口元が緩む時は要注意だ。無理難題を言ってくるに違いない。
「そうか、では考えておけよ。今の所無理に休んでいる状態だからな。従者長からいびられても甘んじて受けておけよ」
と帝はさも嬉しそうに言った。
「緑栄様、本当にいろんなお顔を持っているのですね」
「ああ、青蘭に見せている顔はほんの一部だぞ。騙されるなよ」
「人聞きの悪い事言わないで下さい……青蘭、私はあなたに普通に接しているわよ!」
「はい! 緑……違った、紫鈴姉さん!」
by青蘭&煌明&緑…紫鈴




