↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/32

9 軒下 ー緑栄ー

「あら? 紫鈴様、今日はお休みなのでは?」

 しずしずと廊下を歩いている緑栄を呼び止めたのは顔見知りの女官だ。

「急務が入って呼び出されたのよ。まいっちゃうわ」

 と振り向きざまにふてくされた様には言うと、まあ、と眉をひそめられ、お気の毒に、と慰められて行き交う。

 本当に、と眉をしかめた顔を顔面に縫い付けながら、内心は動揺している。


(こう毎回休養日のたびに入れ替わっていたら、さすがに不審がられる。どうしたものか……)


 紫鈴曰く、掟で一週間に一回は顔を合わせなければならないらしい。

 シルバとは普段、同じ奥宮にいるとはいえ、職種が違うので会うことはない。従って互いの休養日に顔を合わせるしかないのだという。

 それにしたって毎回はきついと断ると、内々に紫鈴を呼び出したと聞くから相当に厳しい掟なのだと思う。

 辟易している紫鈴を送り出し、

(辟易しているのはこちらの方だ)

 と一人ごちる。

 緑栄とて表宮の仕事があり、紫鈴に化けるときは必然、自分の休養日を当てるしかない。

(私の休みも返してくれ……)

 ぶちぶちと心の中でこぼす。

 それに合わせるように足さばきが荒くなり、はっとして元の歩調に戻した。

 さりげなく周りを見るが、特に見られている訳でもないのでほっとする。

 心穏やかになれず、宮中の様子を見回ったら紫鈴の私室でゆっくりしようと心に決めた時、


「きゃーーーー!!」


 と前方の廊下で悲鳴が上がった。

 さっと裾を掴み走る。


 角を曲がった所で中年の女官が腰砕けて座り込んでいた。

 近くに数人の女官が心配そうに佇《たたず》んでいる。


「どうされました?!」

「あ、ああ、あそこ…あそこに……」


 座り込んだ女官が庭の片隅を指差す。


「庭になにか?」

「黒い…黒い…」

「黒い?!」



「黒いネコが横切ったのです…!!!」



 悲痛な叫びと共に周りの女官が まぁあ!! とすっとんきょうな声を上げた。



(……)



 緑栄は努めて周りの女官達と同じ様に、


 まぁあ!!!


 という顔をした。



 不吉だわ、怖いわ、なんという事! 早く白いものを身にまとわなくては!! と口々に言う女官達に向かって、意を決した様に言う。


「皆様、落ち着かれて。私がまだ近くに居ないか見てきますから」


 まぁそんな! 危ないわ! でもよろしいの? 見て下さる? ありがたいわ!!


 勝手極まる言葉を背に、庭へと入って行く。

 ガサガサと適当に木を揺らし、探すふりをして適当に戻った。


「皆様、黒いネコとやらはもう何処かへ行ってしまった様です。もう心配いりませんわ」


 本当に? 大丈夫? ありがとうございます、紫鈴様。 ああ、今日は日が悪いわ、このままお休みもらおうかしら。 とにかく戻りましょう。 そうしましょう。


 喧しく言いながら女官達が去ると、一息ついて、廊下の軒下にいる人影に声をかけた。


「もう出てきても良さそうよ」


 暫くしてばつ悪そうに出てきたのは春華だった。

 その腕の中に黒い小さなネコが、金色の目を瞬かせながらこちらを見ている。

 黙っている春華に、

「宮中での飼育はご法度よ。知っているとは思うけど」

 あえて厳しい声で言った。


「…飼っているのではありません」

「その格好で?」


 大事そうに抱えているネコは、大人しく春華の胸に収まっている。

「会うと近くに寄り添うだけです」

「年配の女官方が腰を抜かしてしまうわ」

「…あんなの、迷信です」

「それは同感だけど」


 白陽国では最近、何故か〝黒猫が横切ると不幸が起きる〟という迷信が、年配の女性の中で流行っていた。

 〝見た後に白い物を身にまとうと不幸が回避される〟などと回避方法までも流行っていて、王都で白い布が一時期品切れする現象も起きた程である。

 ちなみに迷信に踊らされているのは年配の方のみで、若者はそんな馬鹿なと鼻にもかけないのだが。


 春華は同感という言葉にぱっと顔を上げるが、緑栄の厳しい表情を見てまたぱっと俯く。


「餌を上げるのはやめなさい」

「餌など…」

「やめなさい」


 春華は黙ったままだ。

 少し強く抱き締めたのだろう。ネコは苦しそうに鳴き、慌てて力を緩めた春華の腕から飛び降り、庭の方へと走って行った。

 横を向いている春華の手を取り、緑栄は廊下へと上がる。

 そのまま黙って歩き出した。


「あの」

「手、引っかかれているわよ。薬つけるからついて来て」

「結構です」

「医務室には行かないから。いいからついて来て」


 そう言うと、手を離そうとしていた力が抜けた。

 緑栄はそれを認めると、幾度かの回廊を抜け、紫鈴の私室へと導いた。

 私室の扉を開けて入ろうとすると、春華の足がピタッと止まった。

 緑栄は構わず入ろうとするのだが、動かない。

 訝しんで振り向くと、思いの外緊張した面持ちの春華の顔があった。


「何も取って食やしないわよ。傷の手当てをしたいだけだから、入って」

 そう言うと、何度か生唾を飲み、意を決した様に足を踏み入れて来た。

 緑栄は春華が何をそんなに躊躇するのか検討もつかなかったが、とにかく窓際の卓に座らせ、桶に水を汲み浸した布で丁寧に患部を拭いた。

 春華の右上腕の内側はミミズ腫れのような筋が二、三ヶ所あり、緑栄は切り傷に効く軟膏を滑らかに塗る。


「あの…紫鈴様は医療の心得があるのですか?」

 処置の手際がよかったのだろう。春華は口についたように問うてきた。

「いえ、私は…」


(職業柄生傷が絶えない…とは言えない)


「陛下のお側に仕えているので、簡単な処置法をご皇医から教えて頂いているのです」

「そうなのですね。先日の膏薬といい、今回といい、重ね重ねありがとうございます」

「…前回は私の責任です。その後、腕は?」

「おかげ様で良くなりました」

「そうですか? 少し腫れ具合を診ましょうか?」

「とんでもない、大丈夫です」

 慌てて痛めた方の腕を後ろにまわす仕草に、

「あなたの場合の大丈夫は、大丈夫ではない事が往々にして有る事を私は学びましたよ」

 と言うが早いか、腕を捕らえて袖をまくし上げた。


「…だいぶ腫れが引きましたか。でもあと少し薬を塗り続けた方が良さそうです」

 そう言って前回渡した薬を塗ろうとすると、


「あの…もう、どうか、そのあたりで……

 帰ってから自分で塗れますから…」


 えっ? と顔を見ると、春華は顔を真っ赤にして、やっとの思いで羞恥に耐えている。

 その顔を見た途端、白くふくっとした嫋《たお》やかな二の腕が、とても艶めかしく感じた。


「こ、これは失……失礼…」


(まずい、失敬と言いそうになった…!

 というか…まずい。言葉が……)


 緑栄はいつの間にか自分の言葉で話している事に気付いた。


「それにしてもいい天気ねぇ。今日、私、休養日なのよ。よかったらお庭でも散策しない?」

「はい。私も休みなので、丁度いいです」


 なんとも言えない妙な間から抜け出せるとあって、春華も話を合わせてきた。

 お互いほっとして紫鈴の私室を出る。

 庭園に降りていくと、今までは木の花が多かったが、足元の野草も少しずつ色づいてきている。


「いつの間にか、もう春なのですね」

 口からこぼれ落ちる様に呟く春華に、そうね、とほほえみ返す。

 青蘭に聞けば花の名前をすぐに答えてくれるだろうが、あいにく緑栄には花の知識がない。だが、知識なくとも人並みに綺麗だと思う。

 暫く黙って春の花を楽しんだ。


「……お休みで、ご実家には帰らないの?」

 ふとついた疑問を口に出す。

 見習いの女官は大概が良家の子女で、王都の王宮に近い一等地に住んでいる者も多い。

 特別な長期休暇でなくても休養日にはほとんどの者が実家に帰っている。


「私はいいのです」

 以前、湯殿で見たあの頑なな表情になった春華を見て、緑栄はあえて軽い口調で、「そう、残念だわ」とため息まじりに言った。

「え?」

「あなた、華月堂の娘さんでしょう? 私、華月堂の黒糖まんじゅうが大好きなのよね。もし実家へ帰られるのだったら、あなたに頼んで買ってきて貰おうと思っていたのよ。残念だわー」

 淀みなく話す緑栄をあっけにとられて見てい春華だが、ふふっと笑って、実家には帰りませんけれど、と前置きをしつつ言った。

「よろしければ私が作りましょうか?」

「え?! あなたが?」

「材が違うので店と同じ味にはなりませんが、作り方は分かりますから」

「いいの? 悪いわ!」

 という緑栄の目が爛々と輝いている。

 悪いわといいながら頂戴と言っている様なものだ。

「次の休養日はいつですか? 合わせて作ってお待ちしますが」

「次は…」

 とうっかり自分の休養日を言いそうになってしばし黙る。


(紫鈴、紫鈴、紫鈴の休養日は…)


「5日後…かな」

「分かりました。 あの…その代わりといっては何なのですが…」

「黒いあの子を見逃せって?」

 皆まで言わずとも言い当てられて赤面する所はやはり良家の子女といった所か。

 どうしようかな、と思案する振りをする。

 勝気そうな猫目の顔がハラハラと心配そうにまなじりを下げるのを見て、微笑ましく思うと同時に、あのネコが彼女の支えなのだと思うと、何故か胸がじりっとした。


「では、黒糖まんじゅうを10個持って来て下さい」

「10個? あの、日持ちしませんけれど」

「大丈夫。当日食べますから」

「……分かりました」

 本当に? という疑惑の眼差しをしつつも了承してくれた。

「では、5日後に。場所は…」

「今日、私がいた場所でもいいですか? あの子、あの軒下が好きなんです」


 飼ってはだめだと言ったのに、と睨め付けると、飼ってないです、様子を見るだけです。と横を向いて言う春華に、一つため息をついて「分かったわ」と承諾した。

 勝気な目が緩んだのを見て、緑栄はうっと思う。

 ではまた、と別れた後、緑栄は急いで例の小部屋へと滑り込んだ。



 ばさっと結い上げた髪を解く。

 ガシガシと乱暴に頭を掻くと、

「不味いな…」

 と呟いた。

 大人になってから二度目の化身が解けた意味を、緑栄は紫鈴と違って素直に受け止めた。

 言葉を戻してもまた自分の言葉になってしまうのも。


「どうするかな…」

 と呟きながらも緑栄の脳内はすでにある目的の為に動き出している。

 こうなった以上、どうするかは実はもう結論としては出ているのだ。




 光の差さない薄暗闇の中で緑栄の口元が弓なりに上がる。さながら獲物を捕らえた狼の様に……





春華が紫鈴の私室に入るのに躊躇したのは、以前緑栄から受けた言葉が心にあったからなのですが、、、

緑栄はすっかり忘れているみたいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。