【真相編】
メグちゃんは居なくなってしまった。
僕はそのまま進級して、進学した高校も同じ街。 ユッキーと同じ学校で、僕たちは同じクラスになった。
ユッキーの家はあのあとお父さんが船の事故で亡くなって、アルバイトで家計を助けながらお母さんと二人暮らしだ。
イッちゃんは別の高校に進学したけど、中退してお父さんの仕事を手伝うことになった。 イッちゃんのお姉ちゃんは加山先生と結婚した。
マイちんの家も大変だった。 彼女が高校に進学してすぐに、実家の銭湯が火事になって店番をしていたおばあちゃんが亡くなった。
火の気が無い浴室が火元だとわかって随分騒がれたけど、結局原因はわからないままだった。 マイちんはとても落ち込んで、もしかしたらイジメサマの代償におばあちゃんが死んだんじゃないかって言ってた。
僕らはただ慰めるしかなくて、きっとおばあちゃんが護ってくれたから、マイちんは無事だったんだよと言った。
本当のことはわからないけど、だんだんマイちんも立ち直っていった。
そして年月が過ぎて、僕らはあの夏のことをあまり思い出さなくなっていった。
僕は地元で就職して実家から程近いアパートに移り住み、今は二人で暮らしている。
ユッキーこと猿田ゆきこは今は伊本ゆきこ、僕の奥さんだ。 イチと舞梨も今年の暮れに結婚する予定で、イチは女湯乃家の商売を勉強するために住み込みで働いている。
加山先生はまだあの中学で教師をやっている。 奥さんは三人の子どもを抱えて大忙しだけど、とても幸せそうだとイチが教えてくれた。
僕たちは大人になった。
いつものように仕事から帰ってドアを開くと、ゆきこが僕を出迎えてくれた。
「おかえり」
「ただいま、どうしたの?」
ゆきこがあんまり嬉しそうだったから、僕はちょっと疑ったような言い方をしてしまった。
「ん? 今日ね、病院行って来たの」
もしかして、僕が期待した顔をしていたがおかしかったのか、ゆきこは僕の首に飛びついてきた。
「うん! 三ヶ月だって、パパ!」
嬉しくって、僕は思わずゆきこを力いっぱい抱きしめた。
なかなか恵まれなかった子どもが授かったと知って、僕は天にも昇る心地だった。
その日は夜遅くまで、ふたりで子どもの名前を考えたり、将来設計図を描いてみたり、じつに気の早いことをやってしまった。
これから膨れていくゆきこのおなかに手を当てて、僕らはしあわせいっぱいだった。
そんなある日、イチが僕のケータイにメールしてきた。
『成野に会った』
その短い文面を見て、僕はすぐにイチに電話した。 イチがメールでこんな事を連絡してきたのは、僕が嫌なら無視できるようにという気遣いだとわかっていた。
でも、僕はそれを無視するなんてできなかった。
イチはまるで待っていたかのように、すぐさま電話に出てくれた。
「イチ、メグちゃんに会ったって、どういうこと?」
「親父、ああ、オレの実家のほうな。 そっちの仕事で取引のある会社に挨拶に行ったら、そのとき臨時で対応してくれた社員が成野だった。 苗字変わってたけど」
それを聞いて、僕はすこし安心した。 僕の頭の中の成野めぐみは、病室のカーテンの向こうにいたメグちゃんのままだったから。
「よくわかったね、間違いないの?」
「まあ顔見りゃな、それに向こうから寺野くん?って話しかけてきたし。 なんか、おまえに会いたがってたぞ」
久しぶりに会って、イチはどんな話しをしたんだろうか。 まあ仕事で会っているわけだから、余計なお喋りなんてしてる暇なかっただろうけど。
「どうする?」
イチが僕に確認するように尋ねた。 このどうするは、めぐみに会うかどうかという意味だ。
「連絡先、わかるの?」
「ああ、名刺渡されたからな。 番号とアドレス今からメールするわ。私用のほう教えてもらったから」
僕はイチ自身が彼女に会ってどう思ったかを聞けないまま、連絡先だけ教えてもらうことになった。
イチからのメールを待ちながら、僕は電話をかけるかメールを打つか迷った。 電話をして直接話すことに、なんだか抵抗があったからだ。
結局、僕はメールで連絡をすることにした。
『お久しぶりです、伊本楷です。 寺野一から連絡を受けました。僕も久しぶりに会って話したいので、都合のいい日時と場所を教えてください』
できるだけ簡潔にしようとして、おそろしく余所余所しい文面になったけど構わず僕は送信した。 程なくめぐみからの返信が来た。
『伊本くん、久しぶり~。 なんかメールの文章がヘンで笑っちゃった。 で、時間と待ち合わせ場所だけど……』
なんだろう。引っ越してしまってから一度も連絡を取ってなかったのに、メグちゃんは昔よりもずっと元気そうだ。
僕の中でも古い記憶になっていたあの夏のことは、彼女の中ではずっとあの日のままなんじゃないかと心配だったけど、どうやら僕の取り越し苦労らしい。
そうさ。 いつまでも同じなんかじゃない。僕も結婚して、彼女にも旦那さんがいる。 つらいことも悲しいこともあったけど、恐ろしい目にもあったけど、それでも僕らは進んでいける。
なんだかずっと胸の奥にしまいこんでいたものが、ふと軽くなったような気がして、僕はめぐみのメールに返事を書いた。
『じゃあ、今度の日曜に。 楽しみにしてるよメグちゃん』
馴れ馴れしく昔の呼び名で返信して、怒られないかな。 でも、なんだかこれくらいは許される気がした。
そして日曜の午後、僕は駅前の喫茶店でメグちゃんを待った。
僕が早く着きすぎてしまったけど、メグちゃんも時間より随分早く店に入ってきた。
ドアベルが鳴って入り口を見たとき、さらさらの黒髪を靡かせた綺麗な女性が目に映った。 すらりと背が高くて、鼻筋の通ったきりっとした女性だ。
それがメグちゃんだと、ひと目でわかった。 だって、愛らしい口元と大きな目は昔のままだったからだ。
「伊本くん!」
手を振りながら彼女はパンプスの踵を鳴らしてこっちに来る。 僕は席を立って彼女に手を上げて見せた。
「やあ、久しぶり、ええと……」
メグちゃんと呼びそうになったけど、向こうも苗字だし、僕は彼女の今の姓を知らない。
「ふふ、いいよめぐみで。 メグちゃんだって構わないわよ」
改めて言われると、僕は何だか恥ずかしかった。
「久しぶり、めぐみさん」
僕はできるだけ笑顔で挨拶して、二人同時に椅子に腰掛けた。
「あの、結婚したんだよね、イチから聞いた」
「ああ、苗字が変わってたからでしょ。 それより、伊本くんもゆきこと結婚したんだって?」
「そうなんだ。 その、まだ生まれてないけど、子どもも……」
言いながら照れる僕に、メグちゃんは大人の笑顔でおめでとう、と言ってくれた。
「それで。 何か話しがあるみたいだったけど」
イチがわざわざ会いたがっていたと言ってきたぐらいだ。 ただ顔がみたいってわけじゃないだろう。
「そうなのよ。 寺野くんに聞いてもよかったんだけど、ちょっと彼はね」
言わんとしたことが予想できたけど、あえて触れないでおく。
「伊本くん、加山先生って今どうしてる?」
そう聞かれて、義理の弟であるイチには直接聞けなかったのか、何て思った。 同時に、あらぬ疑いをかけたイチに、心の中で謝っておく。
「ああ、イチのお姉さんと結婚して、まだ中学にいるよ。 それがどうしたの?」
僕は冷めてしまったコーヒーを口に運びながら答える。 でも言いながら、違和感を覚えた。
メグちゃんは僕らと違う学校だったのに、どうして加山先生のことを知っているだろう。
そう思って彼女を見ると、メグちゃんは運ばれてきたばかりのコーヒーにミルクを垂らしていた。 静かに円を描いて、ミルクが広がっていく。
「そう、まだ学校にいるの。 それで、なにか先生のご家族に変わった事なかった? 事故とか」
なんの話しなんだろうか。じっとコーヒーの表面を見つめたまま言うメグちゃんの顔は笑顔だったけれど、さっきまでの明るさは微塵も感じられない。
「いや、聞いたこと無いけど」
「ふうん、やっぱりね」
「ねえ、めぐみさんは何で加山先生のこと知ってるの? 一度も会ったことないはずだよね?」
僕が尋ねても彼女は答えなかった。 コーヒーを軽く混ぜて、一口飲み込む。
「イチから聞いたの? それともゆきこや舞梨からかな」
コーヒーをコースターに戻したメグちゃんの表情は、口元だけが笑っていて、視線は鋭く僕を捉えていた。
「会ったことがあるからよ」
何も知らない僕をあざ笑うような口ぶりだった。 どこで、僕がそう訊く前に彼女が続ける。
「覚えてるわよね、イジメサマのこと」
彼女の口からその名前が出たとき、僕は心の中でまだ終わっていないんだと確信した。 彼女が戻ってきた理由も、きっと僕が思っていたようなことじゃない。
「ああ、心配しないで。 わたしの分はもう終わってるから。 でも、このまえ寺野くんに会った時、みんなはまだかも知れないって思ったのよ」
まだかもしれない、その“まだ”には心当たりがあった。 でも彼女が言いたい事を理解するのがとても恐ろしいことに思えて、僕はそのことには触れなかった。
「なんで、そう思ったの?」
僕はテーブルに置かれたままのカップに指をかけたまま、持ち上げることが出来なかった。 メグちゃんは俯いて答える。
「だって寺野くん、幸せそうだったんだもん」
イチは舞梨と結婚する。そのことを彼女は知っているんだろうか。
にっこりと彼女が微笑む。 その笑顔は、あの日懐中電灯を取換えっこしたときを思い出させた。
僕は黙ってメグちゃんを見ていた。 やがて彼女の笑顔が歪んで、口端が三日月のように冷たく持ち上がる。
「ねえ伊本くん、あのときわたしの部屋から、イジメサマの首を盗んだでしょ?」
言われるんじゃないかと思ったけど、いざそのことを聞かれると返事すらできなかった。
「あの首、どうしてわたしが持ってたと思う?」
まるで試すように、彼女は僕に尋ねた。
そうだ。 メグちゃんがイジメサマを持ち帰ったのは、僕らがイジメサマを処分しようとしたときだったはずだ。 メグちゃんが懐中電灯にイジメサマを隠していたとしたら、あの大きな頭部はどこに隠していたんだろう。
メグちゃんの部屋でイジメサマの首を見つけたとき、僕らはどうしてそれがここにあるのということよりも、それを始末することばかり考えていた。
あの首がイジメサマの本体だと、僕らはそう心のどこかで決め付けることで、事件に決着をつけたかったんだと思う。
「わからない。 でも、僕らが林で会ったときに持ってたわけじゃないんだよね」
彼女は僕の言葉に嬉しそうに頷いた。 きっと、彼女はこの会話を楽しんでいる。
「そう。 だってあのとき、もうイジメサマの首はわたしの部屋にあったんだもの」
僕は耳を疑った。 考えて見れば、僕らはお願いをしにいったあの夜以降、イジメサマを見ていない。
だから僕らがイジメサマを処分しようと決めたあのとき、すでにあそこに無かったんだとしても、何の不思議も無いのだ。
でも、だったらなぜ、メグちゃんはあの日、林にいたんだろう。
「夏休みにね、お別れ会の連絡が回ってきたの。 覚えてるでしょ、事故で死んだ子のお通夜よ」
忘れるわけが無い。 僕らがイジメサマにお願いしたせいで、死んでしまった子たちだ。
「わたしね、すっごくショックだった。 わたしクラスで酷いことされてたし、誰かに助けて欲しかったけど、自分がイジメサマにお願いしたせいで本当に死人が出るなんて思わなかったの」
思い出すように、ぼんやりと窓の外に視線を向けてメグちゃんが話す。
「考えたら怖くなって、みんなにも話せなくて、わたしね、夏休みの間にもう一度ひとりで林に行ったの。 そのとき、加山先生に会ったのよ……」
僕は信じられない気持ちで、メグちゃんの話しを聞いていた。 僕らを助けてくれたはずの先生が、メグちゃんを知っていた。
戸惑う僕を置き去りにしたまま、メグちゃんの話しは続く。
あの木の前にしゃがんで、何かお祈りしている男の人がいた。 背の高いひとだった。
わたしは固まってしまって、そのひとがわたしに気付いて近づいて来ても逃げることも出来なかった。
「きみは、イジメサマにお願いに来たのか?」
そう訊かれて、わたしはこくこくと頷いた。
事故があってクラスの子たちが死んでから、わたしはずっと悩んでいた。 そして、イジメサマにもうやめてってお願いしようと決めてここにきた。
そのひとがカイちゃんの学校の先生だとわかって、心を許したわたしはぜんぶ先生に話した。
酷い目にあっていたこと、カイちゃんたちに相談したこと、イジメサマにお願いしたこと。
先生は寺野くんに電話されて、そんなことじゃないかと思っていたと言った。
「でも、きみは本当にそれでいいのか?」
先生に言われて、わたしは何のことかわからなかった。 戸惑うわたしに、先生は静かな声で言った。
「イジメサマにお願いして、それは叶った。 もう始まってしまっていて、まだ終わりじゃない」
まだ犠牲者が増えるという意味だと思った。 それがいやでわたしは来たんだと話すと、先生はそうじゃないと言った。
「もう契約が成立してしまっているんだ、きみとイジメサマとの間でね。 だから、お願いしたことの代償を、きみは支払うことになる」
わたしは震えた。 ひとの命を奪うような行為の代償が、どんなものなのか想像したくなかった。
俯いて泣き出しそうになったわたしに、先生はいい方法がある、と教えてくれた。
「きみが、イジメサマのお願いを聞くんだ。 きみはイジメサマにお願いをする、イジメサマは君にお願いをする。 対等な立場で取引をするんだよ」
そうすれば、代償は他のひとから取り立てるようにお願いできるかもしれない。 先生はそうも言った。
わたしは怖かった。 怖くて堪らなかったから、先生の言うとおりにした。
先生はイジメサマの首をもぎとって、ハンカチにくるんでわたしに手渡した。
「まずは、イジメサマの新しい首を見つけるんだ。 そして、きみだけの呼び名をつけろ。 いいか、形と名前はこの世界で大きな意味を持つ。それを支配するものが、相手の魂まで支配できるんだ」
本当かどうかはわからなかったけど、わたしには他に方法が無いように思えた。
新しい首を見つけろといわれても、どうしていいかわからなかったから、わたしはイジメサマの首を箱に入れて隠した。
ベッドに入って眠る前に、わたしは毎晩イジメサマの首にお願いするようになった。
代償をわたしから取らないでとお願いした。 みんなもお願いしたから、悪いのはクラスのみんなだからってお願いした。
夏休みが終わって、わたしは自分のお願いが通じたんだと思った。
クラスのなかで特に酷いことをしてきた子が、死んだ子も含めてみんな学校に来ていなかった。
教室の中で、わたしを見る目が変わったことが実感できた。
夜、加山先生から電話がかかってきた。 寺野くんがイジメサマのことで相談したいって言ってきたそうだ。
きっとイジメサマを処分して、きみのお願いを無かったことにするつもりだ、そう教えてくれた。
「まだ首は見つからないのか? なら、イジメサマの胴体も隠したほうがいい。 あいつら、イジメサマを何とかしたいと言い出すだろうからな。 明日、寺野たちはぎりぎりまで引き止めておくから、きみが取りに行くんだ」
そういわれて、わたしは翌日の放課後に林に向かった。 カイちゃんたちが来る前にイジメサマの胴体を持ち帰ってしまおうと思った。
木の根元に、首のないイジメサマが座っていた。
わたしはそれを手にとって、初めて中がほとんど空ろなことに気がついた。 簡単な骨組みに、着物が被せてあるだけだ。
入れ物を探して、わたしは足元に懐中電灯が落ちているのを見つけた。 中の電池を抜くと、バラバラにすればイジメサマをぜんぶ入れてしまえるほどの空間が出来た。
わたしは着物を脱がして広げてみた。
着物の内側には、毛筆のような筆跡の見開いた目が描かれていた。 その眼がじっとわたしを見つめ返してるようで、わたしは本能的にこれがイジメサマの正体だと感じた。
急いで骨組みと畳んだ着物を懐中電灯のなかに隠して、わたしは道を戻った。
途中でカイちゃんたちに会ったけど、うまくごまかせたと思う。
この日からわたしはイジメサマに命令されるようになった。 わたしのお願いも聞いてくれるけど、もっと多く要求されるようになった。
新しい首を探すようになった。
イジメサマはわたしを急かした。 早くしろとわたしをせかして、わたしを脅した。
わたしは部屋の中の人形から、どれか気に入るものが無いかと試してみた。
でも、どれも、これも、ぜんぶ駄目だった。
イジメサマは、わたしを許してくれなかった。
だから、どうしたらいいのか聞いてみた。 答えは簡単だった。
カイちゃんが欲しい。
わたしの大事なカイちゃんを、イジメサマは気に入った。 わたしの好きなカイちゃんを、イジメサマは気に入った。
たぶん、わたしにとって本当に大切だから、イジメサマはカイちゃんを欲しがったんだと思う。
わたしはカイちゃんを差し出すなんて出来なかった。 だから、イジメサマに別の名前をつけることにした。
『名前と形はこの世界では重要な意味がある。それを支配するものが、相手の魂まで支配できるんだ』
本当かどうかわからないけど、わたしはイジメサマに新しい形と名前を与えることにした。
着物の内側に書かれたあの目に見られないように、着物をおしぼりみたいにぐるぐるに巻いて、それを首を切り落としたパンダのヌイグルミの綿を出した中に押し込んだ。
外側から赤い糸でさらにぐるぐるに縛って、イジメサマの形を変えた。
それから夜中の中学校に忍び込んで、わたしのクラスの死んだ生徒のロッカーの中にそれを入れて、開けないように外側からしっかりと南京錠をかけた。
アカズサマ、それが今からあなたの名前、もうわたしたちには関わらないで、アカズサマ。
わたしは気持ちを強くして、命じるように唱えた。 でも、こんなことで何かが変えられるほど甘くなんてなかった。
懐中電灯の明かりがわたしを照らして、まぶしさで目がくらんだところに何かが覆いかぶさってきた。
大きくて、力が強くて、嫌な臭いがした。
耳元で荒い息遣いが聞こえて、パジャマが引っ張られてボタンが飛んだ。
教室の窓ガラスに反射した姿が見えて、それが用務員のおじさんだとわかった。
わたしは悲鳴を上げたけど、おじさんはわたしの手を掴んで、床に押し倒した。
怖かった。 もう自分が何をされるのか怖くて死にそうだった。
おじさんがわたしに馬乗りになって、焦点の合わない目でわたしを見下ろしている。 口元によだれを垂らしていた。
「首ガホシイ。 アノ子ノ血ガ欲シイ」
おじさんが言った。 でもその声はおじさんの話す声と全然違って、女の子のようだった。
「ゆ、許して! お願いだから許して!!」
必死に叫ぶと、おじさんは、いやおじさんの中にいるものは、にったりと笑った。
「選バセテアゲル。 イヤナラ、今、貰ウ」
おじさんのごつごつした手が、わたしのお腹を撫で回した。 気絶しそうなほど、怖くて気持ちが悪かった。
「わかった。 選ぶから、もう少しまって! それに、みんなからは奪わないで!」
わたしが叫ぶと、おじさんの体から力が抜けた。 思い切り胸の辺りを蹴飛ばして、わたしは泣きながら教室を飛び出した。
パジャマはボロボロで、髪の毛はぼさぼさだったけど、わたしは構わずに走り続けた。
涙がどんどん溢れてきて、このままだと本当に殺されると思った。
気がつくと、わたしはカイちゃんの家の前にいた。
一階のリビングに電気がついていて、中からテレビの音が漏れていた。
見上げると、二階の窓にはカーテンが引かれていなくて、電気は消えていた。 あそこがカイちゃんの部屋だ。
わたしの手には、どこで拾ってきたのか、錆びてところどころ欠けて尖った鋏が握られていた。
そこまで話して、メグちゃんは深く息をついた。 手元に置かれた彼女のコーヒーも、すっかり冷めてしまっている。
僕は彼女の話しをどう理解すればいいのか、わからなかった。
あの夜、窓から覗いていたのはやっぱりメグちゃんだった。
用務員のおじさんに乱暴されかけて、服がボロボロで、髪がぼさぼさに乱れたメグちゃんだったのだ。
そして彼女の手には、そのとき刃物が握られていた。
「でもわたし、やっぱり無理だった。 もう無理って思った。 だから、別のことをお願いすることにしたの」
そう、僕は何もされなかった。 そして僕たちも何もできないまま、メグちゃんは僕らの前から居なくなってしまった。
『もう、無理なんだよ。わたし、無理だったんだよ』
メグちゃんの部屋に忍び込んだとき、病院からかけてきた電話のメッセージを思い出す。
もう無理、無理だったというのはそういうことだったんだ。
「わたしの話しはおしまい。 先生が何でわたしたちを利用したのか、それは本人に聞いたほうがいいかもね」
そういいながら、まるでさっきまでの話しが嘘のように、メグちゃんは明るい表情になって伝票に手を伸ばす。
「メグちゃんは、どうするの?」
「わたしはもう関係ない。 でも、カイちゃんにだけは言っておきたかったの。他の選択肢もあるんだよって」
そう言って、メグちゃんは席を立った。 くるりと背中を向ける彼女に、僕も立ち上がりながら呼びかける。
「メグちゃんは何を取られたの? 結局、何を選んだの?」
どう考えても、不幸な選択だったはずだ。 彼女にとって思い出したくないことのはずだけど、聞かずには居られなかった。
彼女は肩越しに僕を見て、何の感情も込められていない口調で言った。
「わたし、結婚なんてしてないよ。 お母さんが再婚したから、苗字が変わっただけ」
そう言い残して、メグちゃんは去っていった。 たぶん、もう二度と会えないだろうと僕は思った。
イチに頼んで、僕は加山先生の家の電話番号を聞き出した。
事情は話せなかったけど、イチは深く追求することも無く、まあつもる話しもあるだろうから、と自分で自分を納得させてくれた。
電話をかけると、出たのは奥さんで、幸いなことに僕を覚えていてくれた。
そして加山先生は川に釣りに出かけていると教えてくれた。
場所は、女子生徒が転落したといわれるあの橋だ。
陽射しは暖かかったけど、ひどく風が冷たい。
橋に差し掛かると、水面を眺めながら釣り糸を垂れる加山先生が居た。
「お久しぶりです、加山先生」
僕は隣に立って、川面に写った先生に挨拶をした。 先生も同じように川面に写る僕を見る。
「伊本、そろそろ来ると思ってたよ」
そう言って懐から封筒を取り出して、僕に差し出した。
「一昨日、ポストに入っていた。 まったく、人騒がせなもんだ」
中を見ると、白い便箋にポツリと一行。
『日曜日に、伊本くんと会って話します。 成野』
そうか。メグちゃんからこの手紙を貰ったから、先生はここに来たんだ。
「ぜんぶ聞きました」
「そうか」
「わからないこともあります」
「だろうな」
「なぜなんですか?」
僕はようやく、先生のほうに向き直った。 先生は川を見下ろしたままだ。
「俺もな、イジメサマをやった」
先生が他人事みたいな言い方で答えた。
「学生のころにな、従姉があんなことになって、興味本位ってやつだ。 まあ、あとはおまえらと似たようなもんだ」
先生が色々知っているのが、ようやく理解できた気がする。 そういえば、初めて相談したときから、先生はイジメサマを知っているような口ぶりだった。
「でも、あの抜け道は先生には小さすぎたでしょう?」
「伊本、あの林は俺の家の土地なんだぞ」
初耳だ。 当然だろう、そんなことを口外するわけなんてない。
でもこれで、メグちゃんが林に行った時に先生がいたわけがわかった。
「成野は選んだって話しをしたか? 俺も選んだ。約束を守る代わりに、何も取らないでくれと頼んだ」
その選ぶとか、約束って何なんですか。
「昔言っただろう。 許可を与えた人間を殺してしまったらもう自由に振舞えない。 そんなことをするより、より多くの人間の魂を奪えるように仕向けたほうがいい。 だから俺も選択肢を与えられたんだ」
「どんな選択肢なんですか」
「俺の場合は、ちょっと例外かな。 新しい子どもを用意することだった」
それが、メグちゃんや僕たちだったというわけか。
先生が昔イジメサマに何かを願ったその代償に、僕らを差し出そうとしたわけだ。
「どうして僕らだったんですか?」
「イジメサマをやっただろう?」
「でも、そのときはまだメグちゃんのことは知らなかったはずでしょう?」
「なあ伊本、人知の及ばない流れってものは、あると思わないか?」
皮肉めいた口調で、先生は苦笑いする。 善は選び取って初めて得ることができると言ったあの大人は、実は初めからどこにも居なかったんだ。
「僕にはわかりません。 それで、僕は何を取られるんでしょうか」
なぜか先生はそれを知っているように思えた。 気持ちが冷めて、諦めに似た感情が溢れてくる。
「あの呪文な、おかしいと思わなかったか?」
唐突に言われて、僕は何の話しかと思う。
「イジメサマの呪文、ほら、どうぞうらみを~のあとに、出てくるだろう」
すいじ せんたく かじ おかし
「炊事も洗濯も家事だ、それにいきなりお菓子といわれてもな」
確かに妙といえば妙だが、そんなことに大きな意味なんてあるのだろうか。
「だからあれはな、初めから順番と意味が間違っていたんだ本当なら、こうなんじゃないか?」
選択、水死、火事、犯し。
「ほらな、心当たりがあるだろう?」
メグちゃんは乱暴されそうになった。ゆきこの父親は船の事故で亡くなった。舞梨の家は火事になって、おばあさんが亡くなっている。
「でも、成野めぐみは無事でしたよ」
言い切ったところで、彼女の苗字が変わった理由に思い至った。
「別の何かで支払ったんだろう。 ほかのふたりも選んだわけじゃない、成野がみんなから“は”奪うなと願ったせいだ」
先生は乾いた笑い声を上げた。 それは残酷な現実を受け入れるような笑いだった。
「あとは伊本、おまえとイチだ」
確かに、僕とイチは何も失っていない。 まだなにも、差し出してもいない。
「知らないうちに奪われたほうが、気が楽だったかもしれないな」
そう言った先生の目は、どこか悲しそうだった。
「先生、最後に教えてください。 その選択をするには、どうしたらいいですか?」
僕の問いかけに、先生はすぐには答えなかった。
やがて釣竿を引き上げて、針を外しながらぽつりと答える。
「成野が通っていた中学校でな、今アカズサマって呼ばれる怪談があるらしい。 神様が閉じ込められたロッカーがあって、開けようとすると呪われるそうだ」
メグちゃんがイジメサマに与えた、新しい形と名前。
「だが、まだ首が無い。 だからアカズサマは完全じゃなく、イジメサマの力を持ったままなんだろう。 できれば成野やおまえたちで、イジメサマをお終いにして欲しかったんだがな」
「勝手な言い分ですね、でも、首があれば終わらせられるんですか?」
わからない、保障はない、と先生は言った。
「だが伊本、イジメサマはおまえの血を欲しがったんだろう? なら、それはおまえの血を引く誰か、でも代用ができるんじゃないか」
そう言った先生の顔が、僕には悪魔に見えた。 だって先生、僕らが助かるには、それしかないんでしょう?
自分勝手なことだけ言って、先生は釣り道具を片付けて行ってしまった。
ひとり残された僕は、ケータイを取り出してイチに電話をかける。
僕ひとりでは決められないことだったし、ゆきこにも話せない。 そしてなにより、イチもまだ選択できるんだ。
「もしもし、僕だけど。 大事な話しがあるんだ」
僕は全身の血が凍りついていくような感覚を覚えながら、イチに今までの話を始めた。
話しながら、僕は先生の言葉を思い出していた。
名前と形というのは、この世界では重要な意味がある。
人知の及ばない流れってものは、あると思わないか。
そうかもしれない、もしかすると、僕らが偶然出会って友達になったことが、大きな流れと意味を作り出したのかもしれない。
こんなことは、僕がこれからやろうとしていることへの逃げでしかないけれど、僕は何かを思い込むことで、自分を納得させたかった。
イチと話しながら、僕は先生に渡されたメグちゃんの手紙の裏に、カタカナで僕らの名前がバラバラに書いてあるのを見つけたんだ。
イモト ユキコ
ジノ メユノ
メグミ カ イ
サルタ ナルノ
マイリ イ チ
そして僕らは、夜中の中学校に向かう……。
余談。
ねぇねぇ、知ってる? うちの学校のアカズサマの話し。
知ってる知ってる、死んじゃった赤ちゃんが祀られてて、本当に困ったときにだけ助けてくれるんでしょ?
でも、本当に困っている人じゃないと、呪われて命をとられちゃうんだって。
え? それ、どのくらい困ってればいいとかあるの?
知らない、でも、ちょっと見てみたくない?
そのアカズサマが入ったロッカーなら場所わかるよ。 旧校舎の……。
イジメサマ【真相編】終わり
イジメサマはこれで終わりです。
前日譚はイジメサマ【加山編】です。




