【一章一話】ノア・ムーア
どうしよう!どうしよう!どうしよう!
どうすればこの状況を…!
「『ポワ』」
呪文と共に再び空中に浮かび始める無数の水玉。シャボン玉のような可愛らしい見た目とは裏腹に、一つ一つが鉛玉のような威力を持っている。
「―――っ!」
降り注ぐ水玉を、身をひねり回避する。
直後、よけた水玉がたった今僕が立っていた地面を抉る。
今の僕では反撃は疎か、守りを固めることすらできない。
「ほらほら~!逃げてばかりじゃ私は倒せないよ?」
くっそ!どうすればこの状況を…!
――どうして、こんなことになったのか。
時は数日前に遡る。
王立魔法学園バビノミア――
魔法を学ぶ者なら、誰もが一度は名を聞く三大魔法学園の一つ。
そのバビノミアでは、ちょうど入学式が行われていた。
僕、ノア・ムーアは、幼い頃に植え付けられたあの熱が冷めることはなく、バビノミアの門を叩いた。
「やあ、みんな校長のアダ・ネライダ・フェータだ。気軽にアダちゃんと呼んでくれ。」
壇上に立つ妖精のようなその女は、拍子抜けするほど気さくに話し始めた。
「長々と挨拶して、若者の時間を奪っては勿体ないからね。一言だけ…。面白いものを見せてくれ。諸君。」
――それが、魔王を目指す僕らの学園生活の始まりだった。
入学式を終え、僕らはそれぞれの教室へ向かった。
「……のはいいけど……校舎、広すぎ……」
僕は入学初日にして、すでに壁にぶつかっていた。
「どうしたの?……もしかして、迷子かい?」
突然背後から声をかけられ、僕は思わず肩を跳ねさせた。
「うへぇ!?」
「ふふふ、驚かせたね。ごめんよ。君が困っているように見えたからさ」
中世的な顔立ちに、海のような澄んだ瞳。まるで雲など存在しなかったかのような、透き通る空色の髪をした女性がそこに立っていた。
「ジブレ・スカジ・クロース。3年生だよ。よろしく」
「あ、あぁ!僕はノア・ムーアです!よろしくお願いします!」
…黒色の制服。卒業資格を得ている証拠だ。
バビノミアでは、卒業資格を得るまでは白い制服を着る決まりになっている。
白は何にでも染まれる色―まだ、自分だけの色を持たない証。
「さ、さっき入学式を終えたばっかで、えーっと…校舎、広くて、迷っちゃいまして…」
自分で喋っていて、嫌になるほど支離滅裂なのが分かる…。最悪だ…。
「ふふっ。新入生だね。このまま真っ直ぐ行って、階段を上がれば、1年生のフロアだよ」
「ありがとうございます!」
魔法について詳しく聞きたいとこだったけど、今はそんな時間が無い。後で改めてお礼をしようと、心に決め、深々とお辞儀をし、言われた通りの方向へ駆け出した。
「あぁそうだ。入学おめでとう。ようこそ――王立魔法学園バビノミアへ」
――そう祝福する声を背に。
それにしても、男の僕も見惚れてしまうほどの美青年だった。
いや、女性だったし、この場合は美少女のほうが正しい気もするが、中性的な顔立ちに加え、まるで王子様のような風貌だったため美青年でも問題ないだろう。
ともかく、彼女のおかげで助かった。
「初日から遅刻なんて笑えないからね…」
既にほとんど生徒が集まっている。迷ってたのなんて僕くらいみたいだ。
教室には貴族も平民も分け隔てなく席についている。
「本当だったんだ。平等に扱うっていうのは…」
バビノミアは他の三大魔法学園とは違い、貴族も平民も優劣をつけないことで知られていた。
「目を疑うよな。俺もそうだった」
「うわぅ!」
今度は横から覗き込むように声を掛けられ、肩が跳ねた。
「わりぃわりぃ、俺もさっき同じこと思ってたからよ」
金色の髪、左耳にピアス、既に少し着崩した白い制服。僕とは真逆を生きている人類だ…。
先ほどの支離滅裂な自己紹介を思い出し、ここは慎重に。
「あ、ぼ、僕はノア・ムーア!よ、よろしくお願いします!」
少し言葉に詰まったが、先に挨拶もできたし僕にしては及第点だろう。
「はははっ!固すぎんだろお前!グネット・サーボルト、まあ、ノアと同じ平民だよ。よろしく」
あまりに自然な自己紹介に加え、さらっと名前まで呼ばれてしまい、距離は縮まったが、不思議と少し差は開いた気がした。
「にしてもあれだな。この中で真剣に魔王目指してるやつなんて何人いんだろうな」
「サーボルト君は…」
「固えって。名前で呼んでくれよ。バビノミア友人一号だろ?」
友人一号これから増えていく友人に、順番を付けるのはよくない気がするが。何とも耳心地の良い単語だ。
「あ、え…っと。じゃあグネット君!…は、魔王とか目指してないの…?」
「そりゃ誰だって目指せんなら目指すけどよぉ。常識的に考えて無理だろ。血筋も悪けりゃ才能も無ぇ。魔法職に就けりゃ御の字だろ」
早々に、現実を突きつけられてしまった。
ただ、言ってることは何も間違ってはいない。魔王になるには幼い頃からの英才教育。類稀なる魔法の才能が重要なのだ。普通は両方とも持ち合わせていない。
「そう…だね…」
「あ、わりぃ。ノアはそっちだったか」
彼が悪いことなんて何もない。ただ――やっぱり住む世界が違うんだろうなと思った。




