婚約発表とダンス
まだ何も起きていない。自分との接点もない。だから大丈夫だとレセリカは自分に何度も言い聞かせる。それでも、どうしても手は小刻みに震えてしまう。
「姉上? なんだか顔色が優れないようですが……」
そんなレセリカの様子にいち早く気付いたのはロミオだった。心配そうに顔を覗き込み、姉の体調不良を危惧している。
「ええ、ごめんなさい。少し緊張してきたのかもしれないわ。始まってしまえば大丈夫よ」
「そう、ですか? もし、無理そうだったらすぐに言ってくださいね」
レセリカがありがとう、とロミオに告げるのとほぼ同時に、会場のざわめきが収まり始めた。どうやら新緑の宴が始まるようだ。
レセリカとロミオも広間前方に身体を向け、国王夫妻と王太子の入場を待った。
前方の扉が開かれ、国王夫妻と王太子が前に出てくる。それから、招待客に向かい合うように立った。
(……あら? セオフィラス様のチェーンブローチのお色が変わってらっしゃる?)
前に立つ姿を見て、レセリカは僅かに首を傾げた。服装は先ほど会った時と同じようにグレーがかった白いスーツに、金糸で模様の描かれた服を着ているのだが、胸にワンポイントとしてあったチェーンブローチの石は確か赤い宝石だったはず。それが今は紫色の宝石に変わっていたのだ。
「よく集まってくれた。皆の社交界デビューを心より祝おう。そして今日は、我が息子セオフィラスのデビューでもある」
いつの間にか、国王の話が始まっていたようだ。レセリカはハッとなって意識を前に向け、いつ呼ばれてもいいようにと心構えをした。
「さて、早速パーティーを楽しんでもらいたい、と言いたいところだが。今日は他にも報告がある」
国王はそう言った後、レセリカに目を向けて小さく頷いた。これが合図だ。レセリカは目礼をしてからゆっくりと前へ向かう。緊張はしていたが、それしきのことでレセリカの完璧な所作は崩れない。
会場内にどよめきが広がるのを感じながら、レセリカはセオフィラスの隣に立つ。
「彼女は、ベッドフォード公爵家のレセリカ・ベッドフォード嬢。この度セオフィラスとの婚約が決まった」
国王の紹介を受け、レセリカはしっかりと背筋を伸ばして会場に顔を向けた。婚約者のお披露目の場なのだ。この顔を覚えてもらう必要がある。
名前だけならこの場で知らぬ者などいないのだが、レセリカも今日初めて公の場に姿を現している。
第一印象は大事なのだ。自信のなさそうな姿を見せてはならない。
実際、会場内の大多数は納得したようにこの発表を受け止めていた。レセリカは見るからに教育の行き届いた優秀な令嬢であったし、何より美しい。見目麗しい王太子の隣に立つにふさわしいと思わせることに成功したといえよう。
もちろん全員ではなく、良く思わない者もいるであろうが。
「さぁ、パーティーの始まりだ。曲を!」
国王の合図で、会場内に明るいダンス曲が流れ始める。新緑の宴では必ず最初に流れる曲で、皆がこの一曲だけは踊るのが通例だ。
今回は王太子とその婚約者だけがまず中央で踊り、二回目に他の者たちが踊ることとなっている。
セオフィラスが差し出した手を、レセリカが取る。そのまま広場の中央に向かう二人に、会場内の視線は集まっていた。
「言い忘れていたことがあったんだ。レセリカ」
「? はい、なんでしょう」
移動しながら、音楽に紛れてセオフィラスが小さく話しかけてくる。レセリカが前を向いたまま答えると、セオフィラスは耳に口を近付けて囁いた。
「今日のドレス姿、とても似合っている」
「お褒めにあずかり、光栄です」
広場の中央に辿り着き、二人は向かい合う。それから音楽に合わせて手を取り合うと、ステップを踏み始めた。
「本当に思っているよ?」
「疑ってなどいませんが……」
「……だって、あまりにも反応がないから」
踊りながらも、二人の会話は続く。反応がないと言われたレセリカは、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「申し訳ありません。私は感情があまり表に出ないみたいで……」
「ふむ、なるほどね」
セオフィラスが片手を持ち上げ、タイミングを合わせてレセリカがクルリと回る。それに合わせて彼女のチュールスカートがフワリと可憐に揺れた。
「そのコサージュって、私の髪の色と同じだよね? 髪飾りも」
「はい。レディ・ジョーが用意してくれたのです」
手を取ったまま二人の身体が離れ、そしてまた近付く。明るいメロディーに合わせて、二人の足が軽やかにステップを踏む。
「自分の色を令嬢たちが身に着けるのを見るのは、あまり好きじゃなかったんだ」
近付く度に、セオフィラスはレセリカに話しかけた。レセリカはその言葉を聞いてわずかに目を見開く。もしかしたら不快にさせてしまったのかもと心配したのだ。
しかし、セオフィラスはすぐに否定した。
「ああ、勘違いしないで。君は別。さっき思ったんだよ。他のご令嬢が勝手に身に着けるのは嫌だけど、婚約者が私の色を身に着けているのは……なんだか気分がいいなって」
アピールのためだとわかっていたし、別に禁止したわけでもないから黙っているのだと彼は語った。禁止すればドレスを選ぶのに困る人もいるだろうから、と。
確かに、セオフィラスと同じ髪の色や目の色を持つ男性は他にもいるのだから、全てを禁止にするのは恋する乙女に申し訳なくなる。
自分の気持ちを抑えてそういった配慮を優先するのはある意味当然ではあるが、出来ない者も多い。それを彼がきちんと考えているというだけで尊敬出来る、とレセリカは思う。
「だからほら、私も君の色を身に着けることにしたんだよ。紫はレセリカ、君の瞳の色だろう? 互いに身に着ければ、特別感が出ると思ったんだ」
セオフィラスの口から告げられた「特別」という単語に、レセリカはほんのり頬を染めた。自分の色を相手が身に着けるというのは、なかなか恥ずかしいらしいことに気付いたのである。
セオフィラスはレセリカの表情の変化に気付き、僅かに意地悪く微笑む。
「あ、いいね。今の表情はすごく可愛い」
「ご、ご冗談を……!」
「あはは、冗談なんかじゃないんだけどな。うーん、君の表情を崩すの、癖になりそうだ」
楽しそうに笑ったセオフィラスは、続けざまに上級ステップは踏めるかとレセリカに訊ねる。
このダンスで踏むステップはスタンダードの他に上級者向けの難易度の高いものも存在する。大人でも出来る人は少ないステップと言われていたが、レセリカは当然それも完璧に習得していた。
控えめに頷いたレセリカを見て、セオフィラスは瞳を輝かせる。
「やっぱり。レセリカはダンスがとても上手いね。せっかくだ、ダンスを思い切り楽しまない?」
「ええ、喜んで」
次の瞬間、二人はタイミングを合わせて上級ステップに切り替えた。とても初めて踊ったとは思えない程息がピッタリと合っている。それでいて余裕もあり、無理をしている様子は微塵も感じられない。
いつの間にか招待客は二人のダンスに見入っており、曲の終わりには数秒の間を置いて会場内に盛大な拍手が響き渡った。




