拒絶
ガタリ、ギシッ
そう音を立てて、馬車が揺れる。
お義母様が唇を固くかみしめられて、私を抱きしめられる。
一体、何が起こっているというの?馬車の軋む音は聞こえるのに、街の音が聞こえない。血の気が引く。
「お義母様。」
「大丈夫よ。安心なさい。」
その時、また、馬車が動き出す。
「お義母様?今のは…?」
「多分、お義父様と、宰相様の予想が当たったのでしょう。だから、大丈夫よ。」
「予想?」
「ええ。帰り道に襲撃を受ける可能性があると、聞かされていたの。」
「襲撃…?」
背筋が凍るように、身体が固まる。
「大丈夫。備えて、護衛をつけていただいているから。」
私の震える手を握り、お義母様が、私を安心させようと優しく背中を撫でてくださる。
ガタガタと揺れる馬車。
その音がゆっくりになり、止まった。
「無事に、着いたようね。」
と、お義母様。
ガチャリと、扉が開かれる。
そこにいたのは、ずっと私が会いたかった人。
驚きに目を見開くも、声も出ず。
「到着しました。」
静かに声をかけられる。
「ありがとう。」
お義母様が、落ち着いて返事をされる。
「どうぞ。」
声をかけられ、手を差し出される。お義母様に促され、差し出されたルークスタッド様の手をかりて、馬車を降りる。続いて、お義母様も。
降りて、御者が、ぐったりと御者台で伸びているのに気が付いてゾッとする。
スッと一礼されると、ルークスタッド様は、そのまま去って行かれた。
一言も、言葉を交わすことなく。
ただ、呆然と私は立っていた。
お義母様に促されて、屋敷に入る。事の仔細を聞いて、屋敷の使用人達が慌てだした。メイドに付き添われ、自室に戻る。
就寝の用意が済んでも、ふと思い出すと、ショックで手が震える。精神が高ぶっているはずなのに、横になると急に意識は遠のいて。気が付くと朝になっていた。
翌日、王城にいつものように出仕する。
その、廊下でルークスタッド様に偶然、出会う。
「あの…。昨日は、ありがとうございました。」
「私は何も。」
一瞥されただけで、すれ違う。
明確な拒絶。
会話すら拒否される。
どうして。どうして。
確かに、以前の私は浅はかだったけれど。
その日、一日、考えることはあの人の事ばかりで。
仕事をしていても、何か、宙に浮いているような、変な気分。浮ついた気持ちを抑えて、なんとか、仕事を終えて帰路に着く。
家族には、この動揺を悟られないように、いつものように。いつものように。
そうして、一人になった自室で、大きくため息を落とす。
不意に涙が零れ落ちる。
ああ。私。やっぱり、あの人が好きなんだわ。
そう、痛いほどわかった。それでも、あの人から返してもらえたのは、何の感情もこもっていない一瞥のみで。
悲しくて、悲しくて。やりきれない。この想いは、どうすればいいのだろう。
玉砕覚悟だったじゃないか。
駄目なら、文官として生きていくと、初めから決めていたではないか。
なのに。
なのに、この心は。
未練がましくて。嫌になる。
ねえ。誰か。誰か。私を慰めてよ。
頑張ってきたのに。ずっと、努力してきたのに。
わかってる。誰かに縋りたいけれど。それでも、あの人じゃないと、駄目なんだ。他の誰かに声をかけられても、気休めにすら、ならないわ。
キラキラと煌めくあの一条の光。
手を伸ばしても届かない。どれだけ、どれだけ頑張っても、声さえ届かない。
ねえ。どうして。問うても答えなどないというのに。どうして、どうして。
そんな底なし沼のような絶望に苛まれる。
心の内を叫びたい。でも、声にすらならずに、崩れ落ちる。
意気地なしの心が。嫌で嫌でたまらない。
でも、私、何にもしてないじゃないか。
とりあえず、お義父様から、文官になるようにって言われて頑張って来た。令嬢の嗜みも、一通り出来る。でも、私、何一つ、あの人に近づく為の努力をしていない。
臆病すぎて。私、何もしてないじゃないか。
涙は止まる事無く、流れ落ちる。
沢山泣いた。もう、いつになったら涙が枯れるんだろうって思いながら。
昔読んだおとぎ話みたいに。私の涙で、王子様をよみがえらせる事ができる壺、いっぱいに涙が溜まるのではないかって思うくらい。
このまま、あきらめるの?でも、そんなの、絶対に嫌だ。
ほかの人に嫁ぐなんて論外。
私に。私に出来る事。
じゃあ、私を無視できないくらいにならないといけない。
高位の文官になれば、何か接触があるのだろうか。
涙で濡れて、冷たくなった布を握りしめて考える。
美貌を磨いて。令嬢の中でもトップに立って。それでいて、文官という立場で認められなくては。
そう考えると、高位の貴族の縁談も蹴ってしまえるイング家にいるという事が、なんと幸運な事なんだろう。
フッと、笑みが漏れた。
大丈夫。私、まだ、頑張れる。
だって、今まで、自分からあの人に近づこうなんてしていないから。
焦りは禁物。
急に追いかけても、きっと、逃げられてしまって。また、あの冷たい視線を浴びたら、私の心が持たない。
臆病で、脆い私の心は、砕け散って、再起不能になってしまう。
だから私は、あの人が、つい振り返ってしまうような、そんな女性になるんだ。あの人から、私を見てもらえるように。
今日は、いっぱい泣いた。手も、身体も、冷たくなっている。自分で、自分を抱きしめる。
さあ。明日から、忙しくなる。
やる事は、沢山だ。
覚悟しなさい。
そして、待っていて。
絶対に、私が、貴方を捕まえるから。
大丈夫。私は、まだ、頑張れる。
そう何度も自分に言い聞かせて。静かな夜が更けていく。