第63話
「はい、サリナ」
バスケットには王宮の料理人の作ったサンドイッチが詰まっていた。
それをいつものようにヒースが毒味する。
今日はサンドイッチだから半分ヒースが先に食べて、大丈夫ならわたしが食べる。
……わたしは差し出されたサンドイッチの半分を見つめて、どうにも顔が熱かった。
間接キスがどうとか、今更言うつもりはないのよ。
それはいい、どうでもいい。
魔女たちが見てる前だっていうのはあるけど、そこはいいということにするのっ。
……よくないのは別のことだった。
「ヒース……」
「なんですか?」
「やっぱり……お、降りちゃだめ?」
「駄目です」
いつもより五割増しくらいでキラキラにこにこ笑って、ヒースは答えた……
どこから降りたいかって言うと、ヒースの膝の上から。
今、わたしはヒースの膝の上に横座りで乗せられている。
ふだん食堂で二人きりで食べさせてもらう時だって、こんな恥ずかしい体勢じゃないのに……!
これでしかもサンドイッチだから、手掴みで「あーん」とか恥ずかしすぎると思うの……なのに、降りちゃだめっていうんだもん。
「私を気が狂うかというほど心配させたお仕置きですよ、我慢して」
「わたしだって心配したのにー!」
「駄目ですよ、口開けて?」
泣きそうになりながら口を開けると、そこにサンドイッチが入ってくる。
パンは柔らかい部分だけを使っていて、具の薄切りのお肉と野菜ごと噛み千切るのに困らない。
「……サリナの口は小さいよね。入りきらないな」
いや、いっぺんに全部入れようとしないで……!
もぐもぐして、飲み込んでから、もう一度口を開いた。
「ひとくちじゃ無理よ」
「ああ、これはね、いいんですけど。さ、口開けて」
じゃあ何が? と思ってるうちに、また口にサンドイッチが入ってきた。
またもぐもぐして、飲み込む。
半分ずつ食べても、バスケットの中身のサンドイッチはわたしには多くって、すぐお腹いっぱいになった。
残りを少しヒースが食べて、バスケットの中身が半分近くまで減ったあたりで玄関の表で馬の蹄と車輪の音がした。
「来たようですね。では、私はちょっと行ってきます」
やっと膝から降ろしてもらって、普通に椅子に座る。
ヒースは席を立って、庭に面した扉を開け放したリビングと、扉の前のテラス部分でくつろいでいた魔女たち三人を呼ぶ。
「ミルラ、ヒルダ、フランシスカ。残りのサンドイッチは三人で分けて食べてください。多分大丈夫だと思いますから」
「はい」
いつも食事はみんなの分も含めて持ってきてもらう。
でも食べるのは、ヒースとわたしが先。
それは魔女たち三人が使用人扱いだからということではなく、ヒースが毒味するのを待たせているから。
魔女たちがテーブルに来て食事を始めるのを、わたしはお茶を飲みながら眺めていた。
家の中では、がたがたと音がしている。
迂闊に人を入れられないからと言っても、ヒースもギルバートも本当なら自分で荷物を運んだりしない身分だと思うのに、やっぱりなんだかわたしのせいで申し訳ない。
「サリナ様、もう少し召し上がります?」
「ううん、もうお腹いっぱい」
フランシスカがサンドイッチを勧めてくれたけど、首を振る。
「言い訳じゃなかったんですね」
……それは、あの「あーん」攻撃を躱すためにお腹いっぱいだって言い訳したと思われたってことかしら……
「サリナ様ったら熱々で羨ましいわ! このまま嫁き遅れだと思ってたけど、どうにかして相手を見つけたくなってくるわね」
「あら、ヒルダもまだ大丈夫じゃない? わたくしが結婚したのは24ですもの」
そういえば、ちゃんと年齢を聞いたことがない。
ミルラとヒルダは十代だと言われても納得する感じだけど、ミルラは前に嫁き遅れだって言ってた気がした。
でも年齢を聞くのはやっぱり憚られて、違う話を口にする。
「フランシスカの旦那様って貴族なのよね?」
「はい、塔に入る前には家族で行き来のあった幼馴染みでしたの。年下ですけれど」
「フランシスカみたいに結婚が向こうから転がり込んでくればいいけど……魔女と結婚しようなんて男を捜すのは大変よ」
ヒルダは結婚願望が盛り上がっているようで、ぶつぶつと呟いている。
「同じ魔法使いとはだめなの?」
「魔法使い同士は……」
語尾を濁されて、首を傾げた。
「同年代の魔法使いの男たちは、だめなんです。十代の絶世の美少女な殿下といっしょに過ごしちゃったから、目が肥えちゃって」
「あー……」
ミルラが代わりに答えて、わたしも唸った。
これにまつわるエピソードは、聞いちゃいけないような気がする。
それで、一所懸命お茶を飲んでるふりをした。
そうしているうちに、サンドイッチがバスケットから姿を消した頃、大きくはない木箱を二つ重ねて持ってヒースが戻ってきた。
「テレセ夫人からの贈り物もやっぱりあったから、しまっておいてくれますか」
「はい」
三人に運んだ荷物の後片付けを頼み、もう一度ヒースは椅子に腰を降ろした。
「ヒースが待ってた荷物は贈り物じゃないのよね? その箱なの?」
「ああ、全部じゃないですが。……こっちの箱は、サリナのですよ」
「わたしの?」
びっくりして、目を見開く。
「昨日は、森の塔に戻っていたんです」
そう言って開かれた箱の中に入っていたものに、息を飲んだ。
それは森の塔を出てくる時に置いてきてしまった、この世界にきた時に着ていた服だった。
ヒースに助けられて、魔女の服を借りて着るようになってから、袖を通したことはなかった。
「君にとっては大切なものでしょう? 置いてきたことはわかっていましたが、取りに行くのを迷ってしまって、ここまで遅れてしまいました……すみません」
大切なものであることは、確かだ。
わたしと日本を繋ぐ、数少ない品物。
森に落ちた時には、もう鞄も何も失っていた。
着ていた服ぐらいしか、いっしょに世界を越えてきたものはなかった。
わたしは洗って畳んで箱に入っている服を、撫でた。
「気にしないで。わたしが残してきたんだし……ヒースは忙しかったし。そっちの箱は?」
気にしてないことを伝えるために、もう一つの箱に興味を示してみる。
「これは私の研究記録です」
そう言って開けた箱の中には、革の表紙の冊子が何冊か入っていた。




