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東京十一R 東京優駿

 ダービー出走というニュースは、小さな早来の町にすぐ広がった。柳は、牧場に訪問するなり飛び跳ねて喜び、すみれを抱いている美空に飛び付いた――が、美空に冷静にかわされた。かわされた柳は、へこたれることなく態勢を整えると、今度はすみれの前で面白い顔をした――でも逆効果で、すみれは大声を出して泣いてしまい、柳は慌ててすみれをあやしていた。

 ユーアンの田中と吉井オーナーからも祝福されたが、同じ舞台に立つ者として、敵対心が言葉に滲んでいた。和馬は、敵対心を持ってくれた嬉しさの半面、絶対に負けたくないという気持ちが上回っていた。


 ダービー出走前々日、和馬は麻奈美と一緒に東京へ行く準備をしていた。その光景を、美空がすみれを抱きながら見ていた。

 「荷物はこれでいいかな」

 「ああ。二泊だけだし、河内さんもいるから大丈夫だよ」

 「河内さんによろしく言ってよ。春衣も、お世話になったるんだから」

 「わかってるよ。もう子供じゃないんだから」

 「何言ってんの! ほら、早く仕舞って、ご飯できてるんだから! ねえ、すみれちゃん!」

 麻奈美は、すみれの頬をくすぐると、慌ただしく部屋を出ていった。

 「ったく、修学旅行じゃねえってつうの」

 和馬は、子供扱いにふて腐れながらカバンを閉じた。

 「ついに来たね……」美空は、百合をあやしながら和馬を見た。

 「ああ。すみれのお祝いを貰いに行かなきゃね」

 「そう簡単にくれるかな?」

 「こればかりはわからないよ。なんたって、史上最強の邪魔者がいるからね」

 「競馬ファンは、そっちを応援するのよ。三冠馬を見たから」

 「オレだって見たいよ――三冠を阻止する瞬間を」

 「そうね。すみれ、パパは明日から東京に行くのよ」

 「お土産買ってくるからね。スノーの賞金で」

 二人は、すみれの笑う顔を嬉しそうに見て、居間で麻奈美と一緒に食事をし、その日は早めにベッドに入った――ユメミガオカがダービーのターフを走る姿を夢見て……。


 ダービー前日。朝早く、麻奈美と美空に見送られて牧場を出た和馬は、新千歳空港のロビーで河内と待ち合わせた。

 「おはようございます」

 和馬は、待ち合わせのロビーの喫煙所から出てきた河内に近づいた。

 「おう、おはよう。迷わなかった?」

 「キョロキョロはしましたけど……」

 「オレもだから大丈夫。時間も近いから荷物預けて中に入ろうか」

 二人は、出発カウンターに向かい、飛行機へ搭乗した。


 ちょうどお昼に東京に着いた和馬は、久し振りの東京の地に足を踏み入れた。しばらく来ていないので、懐かしく思うかと思ったが、以外と何の感情もなかった――どちらかといえば、北海道が早くも恋しくなっていた。愛娘の顔を早く見たかった。

 「どう? 久し振りの東京は?」

 「なんか、観光しに来たみたいな感じです」

 「そうなの? 懐かしく思うかなと思ったけど――」

 河内は、驚いた顔でタクシーのトランクに荷物を乗せた。和馬も荷物を入れながら、首をかしげる。

 「何でですかね? 自分でもわからないです」

 「北海道が好きになったじゃない? 可愛い奥さんに、愛する娘もいるしね。それとも他に好きな人が――」

 「そ、そんなことないですよ」

 そんなことある和馬の反応に笑いながら、河内はタクシーに乗り込む。

 「本当にそんなことないですからね! 河内さん、聞いてます? 美空が聞いたら、オレ殺されますよ!」


 二人の乗ったタクシーは、東京競馬場に着いた。

 「きれいだな……」

 東京競馬場を見た和馬の正直な感想だった。他の競馬場とは違う雰囲気がある――明日がダービーだからかもしれないと和馬は思う半面、よく考えると、他の競馬場を見たことがなかった。

 「行くよ」和馬は、河内に付いて東京競馬場へと入る。

 「あれ? こっちじゃないんですか?」

 「オレたちはこっち」

 そこには、馬主エントランスと書かれていた。

 「ここは、馬主しか入れないんだ」

 「勝者の部屋だ……」

 「……そんなことはないと思うけど」

 この日は、ヒイアカの復帰戦、三歳五00万下(ダート・一六〇〇m)を観戦し、二馬身差し切って勝利したヒイアカの話をしながら東京競馬場を後にして、和馬は河内においしい料理をご馳走になった――美空に電話でヒイアカの勝利を報告すると、大声で喜んでいた。


 ダービー当日。マジックファームは緊張感のある重い雰囲気に包まれていた。それは、東京競馬場も同じだった。

 午後三時。麻奈美と美空を中心に、悟朗・柳・涼子がテレビの目にくぎ付けになっていた――すみれは、隣の部屋でぐっすり寝ていた。

 そして、画面がパドックに移ると、一同の顔に緊張が走る。その中、全員がパドックの異様な雰囲気に気付いた――それは、テレビのアナウンサーも話していた。

 「日本ダービーのパドックですが、今年のダービーのパドックは異様な雰囲気が漂っています。その原因は、一枠一番王者ウォーアーマメントと五枠九番ユメミガオカの睨み合いです」

 テレビを見ていた美空たちは驚いた。本当に二頭の馬はパドックを周回している間、ずっと互いを正面から見据えて歩いていた。これに気付いたお客さんもざわざわしていた――それもそのはず、一番人気の王者と馬場状態の助けでギリギリ滑り込んだ最低人気がずっと睨み合っていたからだ――すると、すみれが突然泣き出し、美空が急いであやしに立ち上がった。

 「どうしたんだ、ユメミガオカは?」

 悟朗の問いに誰もが首を傾げる中、すみれを抱いた美空は強い目で画面を見ながら答えた。

 「ライバル同士だもん。気合いも入りますよ。勝負をつけたがってるんですよ――二頭とも」


 和馬は初めてのパドック、そしてダービーの重圧を感じながら、ユメミガオカの周回を見ていた。

 「意識してるね、ユメミガオカ」

 「ええ。王者もスノーが気になるみたいですよ」

 和馬たちが、王者に目を移すと、吉井の姿が目に入った。和馬たちは、頭を小さく下げただけで言葉はかわさなかった――お互いの馬を意識していたからだ。お互いの馬の強さは知っているがゆえの行動だった。


 すみれを麻奈美に預け、トイレに行っていた美空が戻ると、ダービーの本場馬入場が始まっていた。


 「さあ、いよいよ今年の三歳馬の頂点を決めるダービーの本馬場入場です。

ひと際大きな歓声を受けて、最強伝説第二章、絶好枠のウォーアーマメント、漆黒の馬体が堂々入場です。

 ――五枠九番、パドックでは王者を睨みつけて挑戦状を叩きつけたユメミガオカ。十八番人気――」

 美空は、ユメミガオカの紹介が短いことに腹が立ったが、何も言わずにテレビを睨みつけた。


 「さあ、始まるぞ」

 河内は、観覧席にどっしりと座りながらターフを見ていた。和馬も横に座りな緊張してユメミガオカを見ていた。

 「和馬君が緊張してもしょうがないじゃん! しっかり応援しよう!」

河内は、和馬の背中を叩きながら笑った――和馬は、むせながらうなずいた。

 そして、いよいよ日本ダービーのファンファーレが始まった――和馬も、美空も、全員がユメミガオカの好走と無事を祈っていた。

 頑張れ、スノー!



           東京十一R 東京優駿(GⅠ)


 一枠 一番  ウォーアーマメント

    二番  メガパンチ

 二枠 三番  アドマイヤゾーン

    四番  ブラストバスター

 三枠 五番  ウインバルン

    六番  メモリアルラー

 四枠 七番  トーセンジョー

    八番  アダムオー

 五枠 九番  ユメミガオカ

    十番  ゴールデンモダン

 六枠十一番  シーザーローズ

   十二番  ショウナンダビデ

 七枠十三番  アスピリン 

   十四番  エヴァンスピサ

   十五番  サダムパルフェ

 八枠十六番  マイネルバトン

   十七番  シンフォニア

   十八番  ラフ


 「春も終わり、もうすぐ夏が来ます。しかしその前に、今年の〟一番運のいい馬〝を決めます。日本ダービー、芝二四〇〇m、一八頭フルゲートでの出走となります。 

 ダントツの一番人気は、一番ウォーアーマメントで一・七倍。二番人気は、十一番シーザーローズ八・三倍。三番人気は、八番メモリアルラーで九・〇倍。ここまでが、一〇倍を切る倍率。しかし今日の主役は、ウォーアーマメントと言ってもいいでしょう。他の馬たちは、どこまでくらいつけるでしょうか。

 ゲート入りがスムーズに進んでいます。ウォーアーマメントは、もうゲートに収まりスタートをじっと待っています。タカシさん、最後に一言お願いします」

 「もう、王者を誰が追い詰めるか、ここに限ると思います。強すぎますからね」

 「さあ、大外のラフが納まって、今年の日本ダービーがスタートします! 大きく出遅れはありません。

 さあ、歓声を受けながら正面スタンド前を通り先行争い。どの馬が先頭に立つのか。大外十八番ラフが出鞭を入れて果敢に先頭を狙います。内からはウインバルン、アダムオーもこれに付いて行く。十一番シーザーローズはいつも通り後方から。ウォーアーマメントは、五・六番手で第一コーナーに入ります。この漆黒の馬体に注目してください! 今年唯一の三冠権利のある馬、一番人気一枠一番ウォーアーマメントはここです!

 先頭はラフ、押して押してペースを作ります。二馬身離れて二番手にウインバルン、並んで八番アダムオー、半馬身後ろにショウナンダビデ、内からブラストバスターかかり気味、ウォーアーマメントは五・六番手でしっかり折り合いがついている。外にNHKマイルCの勝ち馬メモリアルラー、十番ゴールデンモダン、外にシンフォニア、その直後にエヴァンスピサ、内にアドマイヤゾーン、トーセンジョー、十三番アスピリン、マイネルバトン、シーザーローズはここにいます。内にサダムパルフェ、最後方に九番ユメミガオカといった体勢です。やや縦長で、向こう正面を進んで行きます。

 先頭はラフ、リードは五馬身。前半の一〇〇〇mを通過は一分ちょうどぐらい、平均ペースでレースが進みます。今年は、どういったドラマが待っているのでしょうか、十八頭。二番手にウインバルン。ウォーアーマメントは、五・六番手。内でじっと抜け出すタイミングを待っています。今日は何馬身ぶっちぎるのでしょうか。しかしライバルたちも虎視眈々と、その座を狙っています。

 さあ先頭は、大欅を通って第三コーナーに入ります。先頭は相変わらずラフ。しかし後続との差がなくなってきた。最後方のユメミガオカが大外まくって上がってくる。続いてシーザーローズも上がる。ウォーアーマメントはまだじっと内で我慢している。

 さあ、ここからが勝負どころ! 各馬どう動くか! ジョッキーの手が忙しくなってきたぞ! 四コーナーを回って、長い最後の直線に入る! 先頭は、まだラフ。だが、もう後続との差がなくなった! 外からメモリアルラー、そのさらに外からシーザーローズを連れてユメミガオカがすごい勢い!

直線向いて、先頭はウインバルンに変わった! ラフは、苦しい! ウォーアーマメント、外に持ち出して抜群の手応えで、坂を駆け上がる! 外からユメミガオカ! 月崎が剛腕が唸る! シーザーローズも来ているぞ!

先頭はウォーアーマメント! ここからまた突き離すのか! ユメミガオカがすごい脚! シーザーローズを置いて上がってきた! シーザーローズ遅れた! ウォーアーマメントがまだ先頭! メモリアルラー、ちょっときついか? ユメミガオカがやってきた! ウォーアーマメントと馬体を合わせる! 激しい先頭争い! 二頭が抜け出す! 三番手以降はついて行けない! 二頭が完全に抜け出した!

 残り二〇〇! 芦毛の馬体が、王者に襲い掛かる! ウォーが逃げる! ユメミが追う! 若手の勢いか! ベテランの意地か! 馬体を合わせて必死に追う! 並んだ! 並んだぞ! どっちだ? どっちだ!? どっちなんだーーーー!

 全くどっちが勝ったかわかりません! 激しいこの勝負、今まで見たことのない次元の全く違う競馬しました、この二頭! まだ場内がざわついています! 芦毛と青鹿毛の戦い、白黒どっちが勝ったか全くわかりません! 三番手は、五馬身以上離れている。この二頭のどちらかが今年のダービー馬ですが、ここからでは全くわかりません!」


 レースが終わっても、レースを観戦していた和馬と河内も、テレビで観戦していた美空たちもまだ鼻息が荒かった――初年度生産馬が、日本ダービーで優勝争いをした。相手は、三冠確実と言われていた王者。牧場にいたときからのライバル関係。歩んだ道も違うが、同じ舞台で、二頭の意地がぶつかりあったレースに、誰もが手に汗をかいて見守っていた――だが、勝つのはどちらか一頭。この二頭に同着はない。和馬はそう考えた。

 「もう、まだわからないの?!」

 麻奈美は、はらはらしながらレースの結果を待っていた。悟朗も落ち着けないのか、同じ場所を行ったり来たりしている。柳は、心臓に悪かったのか胸に手を当てて呼吸を整えている。

 もう二十分以上経っている。「まるで、〇八年のウオッカ対ダイワスカーレット以上だな」と言う話を、美空と麻奈美は右から左に受け流し、テレビに釘づけだった。

 スタンドで見守っていた和馬と河内は、検量室前に移動し、杉本と合流して結果を待っていた――杉本は、珍しくあごをさすって真剣な目でテレビモニターを見ていた。

 そして、ターフビジョンに映し出された電光掲示板にゆっくりと順位が発表され、確定の赤いランプが灯った――勝ったのは、ウォーアーマメント。


 和馬は、気丈に振舞おうと思ったが、やっぱり負けると悔しい――その場にしゃがみ込み、大きくため息をついた。河内も、髪をかき上げて悔しそうに掲示板を見ていた。

 「ま、しょうがないよ。ダービーで二着になったんだ。ユメミガオカを褒めてやろう」

 「……そうですね」

 負けたことよりも、ケガなく無事に走り終えたことに感謝しようと立ち上がったとき、吉井がホッとした表情で近寄ってきた。

 「吉井さん……」

 「河内君、それに和馬君も……。やっぱり、あの馬はわからない馬だね。あんなに走る馬とは思わなかったけど、心のどこかでうちの馬と対等に走れるのはこの馬だと思ってた。今日、確信したよ――次は菊花賞だ」

 吉井は二人と握手すると、静かにその場を去っていった――と同時に、ライバルと認められた瞬間でもあった。二人は顔を見合わせると、次に向けてやる気に満ちた顔で握手していた。


 その日の夜に早来に帰ってきた和馬は、疲れた体をもたれるようにしてソファに座り、すみれを抱きかかえていた。

 「ああ、疲れた――ねえ、すみれ」

 「ご苦労さま。はい」

 「ありがとう」

 和馬は、麻奈美が差し出した冷たい麦茶を一気に飲み干した。

 「お帰りなさい」

 美空が、バスタオルで髪を拭きながら居間に入ってきた。

 「おう。あ、美空の顔見て思い出した」

 和馬は立ち上がると、荷物の中をほじくり、お土産を取り出した。

 「はい、東京のお見上げ。東京バナナ」

 「定番! ……ていうか、何で私の顔を見て思い出したの?」

 「何か言われそうだったから」

 「なんか、ひどい!」

 美空の怒りの声にすみれが笑った。三人はすみれの笑顔に顔を合わせつられて笑い、三人で東京バナナを食べた――和馬が、初めて買って的中させた馬単の払い戻しで買ったお土産だった。


 それからしばらくして、ユメミガオカがマジックファームに戻ってきた。あの激闘の疲れも少し見えたが、元気そうだったのが和馬は嬉しかった――夏はゆっくり休んで、秋の菊花賞へ、大事な調整が和馬には待っていた。 

 ユメミガオカがもたらした効果は、とても大きかった。次の日の新聞には、ウォーアーマメントより評価が高く、〟秋はこの馬が主役〝という評価が各紙に載せられた。

 それだけで終わらず、ユーアンファームと共同で、ウォーアーマメントとユメミガオカのグッズを販売すると飛ぶように売れ、マジックファームにも収入が入った。

 夏競馬が始まると、ゆっくり休んでいるユメミガオカやウォーアーマメントなどの有力馬たちに変わり、評価を上げたのはヒイアカだった。格上で挑戦したオープン特別に勝利すると、続く札幌競馬場で行われたクイーンS(芝・GⅢ・一八〇〇m)に出走した。


 「さあ、先頭はここでヒイアカに変わった! 二番手は、クイーンダブリュー! ヒイアカが差を広げる! これは態勢決まった! ヒイアカが先頭でゴールイン! 三歳馬、ヒイアカが勝ちました!」

 ゴールとともに、マジックファーム初の重賞制覇が決まった。和馬たちは飛び跳ねて喜び、美空は新馬戦を勝ったとき以上に泣いて喜んだ――この日の夕食は、もちろんケンタッキーだった。


 「親父、マジックファームもだいぶにぎやかになったぞ。もうすぐ、二頭の新馬もデビューするし、親父が育てた馬たちも一線で頑張ってし――」

 和馬は、朝から雅喜の仏壇の前で、近況の報告をしていた――思えば、雅喜の突然の転身に付き合ってから、早五年。いろんなことがあったが、とても楽しく、嬉しいことばかりだ。辛いこともあるが、それ以上の喜びがある。今では、ここに連れて来てくれた親父に――

 「和馬さん、早く!」

 美空の呼び声で、思いに浸っていた和馬は我に返った。

 「……ったく。今行くよ!」

 和馬は立ち上がると、いつも通り外に出て厩舎に向かった。

 「あ、河内さん」

 河内が放牧地の柵にもたれ、駆けまわる仔馬たちを見ていた。河内は、和馬の声に気付くと、右手を上げ挨拶をした。

 「どうしたんですか? 珍しいですね」

 「ああ、実は――ちょっと、他の場所で話せない?」

 「え? ああ、ちょっと待ってください――美空、ちょっと河内さんと話しあるから!」

 「サボるんでしょ!?」美空は、牧草にピッチフォークを刺した。

 「違えよ! 大事な話――なんですよね?」

 「ああ、そうなんだ! ダンナさん、借りていいかい?」

 「釣りはいらねえよ!」美空は、手の平で鼻をさすり上げた。

 「何言ってんだ、あいつ――すいません、たまに壊れるんです……」

 「可愛いじゃん。じゃ、場所変えよ」

 「……河内さん、美空のこと狙ってます? ダメですよ! 絶対に手を出さないでくださいね」

 「壊れるところは、夫婦似るんだね……」

 河内は、首をかしげて和馬について行った。


 「で、話って何ですか?」和馬は、ソファに座る河内に冷たい麦茶を出した。

 「麦茶――懐かしい」河内は、勢いよく麦茶を飲み干した。

 「うまい! 夏はこれだね!」

 「河内さん……?」

 「ああ、ゴメン、ゴメン――いやね、こないだ柳の親父と話したんだけど、無事すみれちゃんも生まれたんだし、結婚式でも挙げたらどうかなって」

 「え?」よく考えてみれば、婚姻届だけ出して、まだ結婚式を挙げてなかった。指輪も買ってない。和馬は、自分のバカさ加減に頭をガクッと下げた。ユメミガオカのことばかり考えて、美空の花嫁姿を考えもしなかった。だが、河内に指摘され、頭を上げて考えると、すぐ和馬の頭の中に、ブーケを持って純白のウエディングドレスを着た美空が現れた――もの凄く、綺麗だ……。

 「和馬君……?」

 「ふあぁ! すいません……」

 「可愛かったんだね」

 河内は、和馬の頭の中が見えているかのように、ズバッと言い当てた。和馬は恥ずかしくなり、顔を伏せてもじもじしていた。

 「でも、式場とか何も決めてませんけど――」

 「この牧場でやればいいじゃん」

 「え、いや、でも――」

 「段取りは、オレと柳の親父でやっとくから――」

 「その話、私も乗るわ!」二人の話を陰から聞いていた麻奈美が、すみれを抱いて現れた。

 「そういうサプライズ大好きなの!」

 麻奈美は、和馬をお尻で押し退けると、強引に割り込んで座った――すみれは、何の話をしているのかわからないといった表情で大人たち三人を見ていた。

 「じゃあ、とりあえず和馬君は、明後日札幌で指輪を買おう。オレも付き合うから」

 「でも指輪のサイズが――」

 「それは、私に任せなさい!」麻奈美は、本当に楽しそうに話していた。

 「じゃあ、それは麻奈美さんに任せて、和馬君は明後日札幌で指輪を買う」

 「わかりました」

 「じゃあ、段取りは――」

 「それは、私たちだけで話しましょう。和馬、仕事に戻っていいわよ」

 和馬は、間髪入れる間もなく麻奈美にあしらわれ、のそのそと納得いかない顔で仕事へと戻っていった。

 「長かったね。何話してたの?」

 美空が、自宅から出てきた和馬にピッチフォークを渡した。美空は、話が長かったことに少々機嫌が悪くなっていた。

 「いや……、明後日札幌に行くことになった」和馬は、厩舎に向かいながら話した。

 「そうなの? 何で急に?」

 「なんか、杉本先生が今後のユメミガオカの話をしたいって。河内さんと一緒に来てくれって」

 和馬は、牧草を均しながら、言葉を選んでウソをついた。美空もバカじゃない。下手なウソをついたら被害を受けるのは和馬の方だ。最近の美空は、母親になっていろんな意味で強くなった。だから、真剣にウソをつかなければならない――これも、美空を喜ばせるためだ。

 「ふ~ん……、じゃあ、お土産ね。あと、すみれのおもちゃも買ってきて」

 「わかったよ……」と、和馬が手を差し出すと、美空は肩すくめて、手を思いっきり叩いた。「頼んだよ!」と言うと、自宅へと歩き始めた。

 「おい! 仕事は?」

 「すみれにオッパイあげないと!」

 「いや、でも――」

 このままでは、計画がバレてしまうと思った和馬は、必死で止めようと美空を追いかけた――と、美空が自宅に入ろうとしたとき、ちょうど河内が出てくるところだった。遠目で和馬と美空が話しているのを見て、ちょっとだけ安心した和馬に河内が近づいてきた。

 「危ない! もう少し遅かったら、バレるところだった……」河内は、胸を押さえて大きく息を吐いた。

 「間一髪でしたね」

 「ああ。じゃあ、オレはこれで帰るから。明後日札幌に着いたら、連絡してくれ――あと、壊れるのは遺伝だね」

 河内は、和馬の肩を叩いて車に乗り込んで帰ってしまった。和馬は、大きくため息をついて、放牧地の馬たちの様子を見にのろのろとたばこに火をつけて歩き始めた。


 二日後、河内と一緒にショッピングモールを歩く和馬の顔は暗かった。

 「はあ……」

 「どうしたの? 着いてから、ため息しかついてないけど」

 「オレが、指輪買うなんて……」

 「何だよ、それ……」

 「だって、こないだまで高校生だったのに、牧場を親父の事故から引き継いで、子供も生まれて――人生ペース早過ぎですよ……」

 「そうだね。オレもまだ結婚してないのに。まさか、年下の指輪を買うのを付き合うなんて――」

 「河内さんが企画したんですよ……でも、ありがとうございます。きっかけを与えてくれて」

 「いいよ。いい馬に出会えたのは、マジックファームがあったからだからね。これぐらいは――あ、あの店だよ」

 「え、あそこですか……」

 和馬の顔が、さらに暗くなった。河内が指差した店は、高級ブランドを知らない和馬でも、名前を聞いたことのある、超一流のジュエリーショップだった。

 「あそこ高いですよ……」

 「でも、今の和馬君なら安いもんだろ?」

 「何言ってるんですか!? オレの稼ぎなんて――」

 「違うよ。お金じゃなくて、気持ちのことだよ。指輪の値段は、愛する気持ちと比例するようなことを誰かが言ってたような気もしないでもない」

 「んんん、どっちなんですか?」

 「とにかく、これで男見せてよ!」

 河内は、笑顔で和馬の背中を叩いた――いつもながらに痛かった。

 「……なら、男見せますよ!」

 河内の乗せられた感が否めない和馬は、大盤振る舞いで、エンゲージリングとマリッジリングを買った――合計で、三十五万の買い物をした。


 次の日の夕方、和馬は札幌から帰ってくると、部屋に荷物を置き、居間で美空と麻奈美と三人で夕食を食べていた――すみれは、ミルクを飲んでぐっすり寝ていた。

 「ご馳走様」

 「あら、もう終わり?」

 「ああ、疲れたから部屋にいるわ」

 そういうと、和馬は席を立ち、そそくさと部屋に戻った。

 ドアを静かに閉めて、和馬はベッドにバタンと倒れ込んだ。

 「指輪、いつ渡せばいいんだよ……」

 和馬は、枕に顔をうずめながら呻いた。すみれもいるし、麻奈美もいる。できれば、二人きりのときに渡したいという想いがあった――恥ずかしいし――でも、そのチャンスはなかなか訪れなかった。

 「はあ……」

 寝返りを打ち、天井を見ながらポケットをまさぐる。そして、取り出した指輪の箱を開け、エンゲージリングをかざし、まじまじと見てため息をついた。

 すると、誰かが階段を上がってくる足音が聞こえた。足音は、和馬の部屋の前で止み、ドアをノックする音がした。和馬は、慌てて指輪を枕の下に隠した。

 「入りまーす」

 美空が、コーヒーを持って部屋に入ってきた。

 「疲れた?」

 「ああ、ちょっとな――」

 美空は、机に寄りかかって訊いた――これは神の悪戯か、またとない絶好のチャンスがやってきた。なのに、和馬はベッドから起き上がるだけで、もじもじしていた。

 「どうしたの?」

 「いや――すみれは?」

 「ぐっすり寝てるよ」

 「そうか……」

 「で、札幌はどうだったの?」

 「どうって?」

 「ヒイアカのユメミガオカのこと話してきたんでしょ?」

 「いや、杉本先生が都合悪くなって話してないんだ」

 「そうなの? じゃあ、札幌で何してたの?」美空の目が鋭くなる。「まさか、キャバクラ行ってたわけじゃ――」

 「行ってねえよ! ……ったく、タイミングがわかんねえ」

 「何?」

 「いや、その……。あ、お土産があるんだ」

 和馬は、お土産という名目で渡そうというサプライズを思いついた――サプライズにしては、かなりセオリーなやり方だ。

 「美空だけ、特別に買って来たんだ」

 さっきまでもじもじしていた和馬と打って変わって、笑顔で枕の下に手を突っ込んだ。そんな和馬を見て、美空は期待に胸を躍らせた。

 「何、何?」

 「はい、これ」

 和馬は、箱を手で包むように隠して差し出した。美空は、首をかしげて両手を差し出す。和馬が手を開き、美空の手に指輪の入った箱を落とした。

 美空は箱を見た瞬間、目が見開き溢れんばかりの涙が流れ出した。

 「やっと……、やっともらえた」

 「え?」

 「やっと実感が湧いた。和馬さんと一緒になれた」

 「……遅くなってごめん」

 和馬は、そっと美空を抱きしめた――美空は、和馬の胸の中で、大粒の涙を流しながら微笑んでいた。


 その一週間後、牧場はいつも通り変わらず馬の世話をしているように見えた。美空の左の薬指には、指輪が輝いている。和馬は、外せと言っているのだが――人に送った数少ないプレゼントの中で、一番高価なものだったから――美空は絶対に外そうとしなかった。

 だが、このとき美空以外の人間は、これから始まる結婚式のことでソワソワしていた。指輪をもらって一週間浮かれている美空は気にも留めていなかった。

 河内と柳、そして加奈子も自宅に集まってそのときを待っていた。

 「えー、あー、んんっ――」

 柳は、声の調子を確かめていた――柳の役は神父役でとても重要だった。愛する美空のため、この役を買って出たのだ――もっとも、一番やりたかった夫の役を和馬に取られたのだが。

 「もうそろそろ春衣から連絡が――」

 居間でソワソワしていた麻奈美の携帯電話が鳴った――春衣からのメールだった。そして、麻奈美は窓から外を眺める。そこには涼子がいて、麻奈美がうなずくと、目で反応をした。それを見ていた悟朗が、涼子と目を合わせると、放牧地でユメミガオカの隣にいる和馬に何気なく近寄り耳打ちをした。

 「スノー、仕事だよ」

 和馬は、顔を擦り付けるユメミガオカを連れて厩舎へと戻った。


 五分後、春衣がタクシーに乗って到着した――春衣が現れたのが、結婚式のスタートだった――麻奈美が迎えに出ると、近くを通った美空が春衣に気付き駆け寄ってきた――もちろん、美空が春衣に気が付くのは計算だった。美空の行動パターンを毎日見ている麻奈美だから計画で来たことだった。だが、麻奈美でも、和馬の行動は未だに読めなかった。だいたい美空や麻奈美の目を盗んで、どこかで油を売っているからだ。

 「お帰り、春衣! どうしたの急に?」

 「牧場が恋しくなったの。ちょうど、授業も休校になったから――」三人は、何気ない会話を交わしながら、自宅へと向かった。

 「すごい荷物ね」

 「そうだ! 美空に、お土産!」

 自宅の前で春衣が立ち止ると、紙袋の中に手を入れ、乱暴にまさぐり始めた。

 「何?」美空は、片眉を上げて春衣を見ている。

 「ジャジャーン!」

 春衣が、派手に取り出したのはベールとブーケだった。

 「何それ……?」

 「いいから付けて!」春衣は、笑顔で美空にベールをかぶせる。そして麻奈美と一緒に腕を掴み放牧地へと向かった。

 「お義母さんまで――」

 「いいから、いいから」

 二人とも満面の笑顔だが、状況のわからない美空は困惑していた。すると、目の前に悟朗・涼子夫妻の向かいに河内と加奈子が並び、その真ん中に、神父の格好をした柳が泣きそうになりながら立っていた。

 「美空ちゃん、可愛い……」

 「親父、しっかりしろよ! ベールつけて、ブーケ持ってるだけだろ」

 「だって、だって……」

 口を押さえて泣いている柳を、河内が呆れながら叱咤した。それでも、柳の嗚咽は止まらない。

 「柳さんに、河内さん? おばさんも――何ですか、これ?」

 「え~、それでは、これから新郎前沢和馬、新婦美空の結婚式を始めたいと思います」

 美空の顔も気にせず、春衣が強引に式を始めた。美空は、突然始まった結婚式に困惑してあたりを見渡したが、和馬の姿がない。麻奈美が、すみれを連れてやってきただけだった。

 「それでは、新郎和馬とご友人ユメミガオカの登場です」

 美空が振り返ると、厩舎からいつもと変わらない格好に、蝶ネクタイだけ付けた和馬が、ユメミガオカに跨って歩いてきた――美空は、あまりにも滑稽な光景に思わず笑い出してしまった。和馬もユメミガオカの上で、ちょっと恥ずかしそうだった。

 「もう少し、カッコよく登場したかったんだけど――」和馬は、美空の隣にユメミガオカを止めると、そっと美空に手を伸ばした。

 「白馬には乗ってるけど、王子様ではないね」

 「オレもそう思う……」

 ユメミガオカに跨った二人は、恥ずかしそうにしながらも幸せそうな笑顔だった。

 「……親父!」

 河内は、美空の幸せそうな顔を見て見惚れている柳を小突いた。柳は、慌てたように持っていた本を開き、片言の日本語で話した。

 「シンロウ、カズマ。アナタハ、ツマミソラヲアイシツヅケルコトヲチカイマスカ?」

 「誓います」和馬は、美空の後ろから答える。美空が嬉しそうに振り返った。

 「ホントニチアイマスカ?」

 「誓います……」

 「……ホントニ?」

 「親父!」

 「わかってるよ!」

 柳が、あまりにも寂しそうな顔で怒るのを見て、まわりにいる人から笑いが漏れた。

 「シンプ、ミソラチャン」

 「〟ちゃん〝はおかしいだろ……」

 「セイシュクニ!」河内のツッコミに、柳はやり返すように怒鳴り、どや顔をかました――その二人のやりとりに、さらに笑いが増した。でも、すみれはポカーンとしていた。

 「アナタハ、シンロウカズマノコトヲトワニアイスルコトヲチカッチャイマスカ?」

 「誓っちゃいます」

 「ホントニホント?」

 「ホントにホントです」

 「はあ……――じゃあ、指輪交換したあと、誓いのキスを」

 柳はあしらうように手を払い、もう片方の手で目を隠し――だが、指の隙間から黒目が見えた――キスを促した。


 二人は、お互いの指に指輪をはめ、ユメミガオカの上でキスをした――その間、ユメミガオカは凛として動かなかった。


 そのあと、みんなでバーベキューをしながら結婚を祝い、みんなで盛り上がった。すみれもユメミガオカに触れて遊ぶと、スヤスヤと寝てしまった。


 だが、幸せな時間はそう長くは続かなかった。


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