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京都十一R 菊花賞

 その年の夏は例年に以上に暑く、夏に弱いユメミガオカの調整がかなり遅れて、帰厩がかなり遅れた。馬体はガレてしまい、背が伸びた分、華奢な体がさらに華奢に見えた。厩舎に戻すと、杉本から連絡がきて、かなり文句を言われてしまった。結局、トライアルレースは使わずに、ぶっつけで菊花賞(芝・GⅠ・三〇〇〇m)に出走することとなった。

 だが、それ以上にショックな出来事だったのが、ヒイアカだった。


 それは、ユメミガオカが帰厩して二週間後のことだった。秋華賞(芝・GⅠ・二〇〇〇m)に向けて調整しているときだった。突然、杉本から連絡があり、ヒイアカが故障したとのことだった。

 現地の獣医の診断では、屈腱炎――骨を繋ぐ腱が一部断裂し、発熱し腫れあがること――を発症し、かなり重症で、もう競走馬として復帰は難しく、そのまま引退となった。

 その話を聞いた美空は、黙り込んでしまい、外へと駆けだした。大泣きしているすみれをあやしながら、麻奈美はそっとしておいた方がいいと言ったが、気になってしまった和馬は、初秋の夜空の下で美空を探した――美空は、放牧地の柵に座って空を眺めていた。

 「風邪ひくよ」

 「マス子に比べたら、たいしたことじゃないよ」

 「そんな顔した美空が出迎えても、マス子は喜ばないだろ?」

 「だって、だって――」

 「まずケガを治して、それから母親としてこの牧場で過ごすことになる。美空が頑張らないと、マス子は安心して過ごせないじゃん! 同じ母親だろ?」

 「……和馬さんも手伝ってくれる?」

 「もちろん! 手伝うよ」

 「ホント?」

 「うん」

 「わかった。約束だからね」

 美空は涙を拭くと、笑顔で家に戻っていった――和馬は、安心すると美空を追いかけた。

 「あ、でも基本的には美空がやるんだからね!」


 次の週、登録を抹消されたマス子が、牧場に帰ってきた。その馬体は、まだ走れそうな雰囲気を醸し出していたが、脚の腫れはまだ痛々しかった。

 マス子が着くと、一番に美空が近づき、馬房へと引っ張っていった――美空も切り替えて、マス子の面倒を見ていた。それに応えるように、マス子のケガも予定より早く治り、放牧地でゆったりと美空と過ごしていた。

 マジックファームも悪いことばかりではなく、二頭の新馬が無事デビューを果たし、うち一頭がデビュー勝ちを収めた。もう一頭も未勝利戦で勝利を収め、二頭とも勝利することができ、みんな一安心していた。

 そして、秋シーズン。各競馬場で、秋のGⅠへ向けてレースが行われ、ウォーアーマメントが無傷の七連勝で菊花賞へ出走するのを筆頭に、ライバルたちが各々調整を進めている中、ユメミガオカの調整だけがうまく進まずにいた。



 競馬界は、オルフェーヴル以来の三冠馬誕生になるかで盛り上がっていた――そして、それを阻止するのはどの馬かとファンの中で討論されてもいた。

 その一番手に上がっていたのはユメミガオカだったが、陣営は回避を考えていた。あまりにも調子が上がらず、馬体も完ぺきにはほど遠かった。

 しかし、馬主の河内が出した答えは、出走だった。ファンの期待を裏切ってまで勝負を避けるなら、果敢に挑んで無様な姿をさらした方がマシだ、という自論で出走が決まった。杉本は呆れながらも、必死にユメミガオカの調子を取り戻そうと調整に力が入っていた。


 菊花賞ウィーク。各紙、ウォーアーマメントの三冠確実と報じていた。他の陣営も、勝つというよりはどこまで王者に近づくかがカギと言っていた――それほど、この秋の王者の調子がいいということでもあった。

 そして、菊花賞当日。この日の京都競馬場は大雨だった。前日から降り続いた雨の影響で馬場状態は不良。京都に着いた和馬は、かすかな希望が見えた――重馬場なら逆転できるかもしれない。

 午後三時。静かな京都競馬場のパドックで、出走馬が雨に打たれて歩いていた。

ファンは、日本ダービーのときのような睨み合いを期待していたが、二頭とも目を合わせない――ダントツの一番人気ウォーアーマメントは顔を上げ、完璧に仕上がった馬体で堂々と歩いているのに対し、ユメミガオカは華奢な馬体が戻らず、日本ダービーのときからマイナス体重で臨んでいた。人気も六番人気と低く、顔を下げ元気がなかった――そんなユメミガオカには興味がないと言わんばかりに、ウォーアーマメントは前をジッと見つめていた。

 「細いな……」

 和馬の正直な感想だった。その言葉に河内も唸るだけだった。

 「ま、こいつの底知れない力を信じよう」

 「そうですね……」

 こうして、雨の菊花賞の幕が開いた。


           京都十一R 菊花賞(GⅠ)


 一枠 一番  シーザーローズ

    二番  シンフォニア

 二枠 三番  ゴールウィン

    四番  ラフ

 三枠 五番  ジハード

    六番  メモリアルラー

 四枠 七番  ウォーアーマメント

    八番  アドマイヤイチバン

 五枠 九番  ショウナンダビデ

    十番  エアマキシマム

 六枠十一番  ウインバルン

   十二番  ツーシーム

 七枠十三番  クロノスライド

   十四番  ユメミガオカ

   十五番  エクセルトゥーレ

 八枠十六番  クローディア

   十七番  ヴォーヴォーヴォー

   十八番  エルデスト


 「初秋、菊花の季節、大雨が降っていますが、白熱したレースが見られそうです。ゲート入りが順調に進んでいます。さあ、三冠に挑む、ウォーアーマメント一番人気。この馬を負かすのは雨なのか、それともライバルたちなのか? 二番人気は、十八番夏の上がり馬エルデスト四・三倍。三番人気はシーザーローズ六・七倍。しかし今日の主役はウォーアーマメントです。タカシさん、この馬を負かす馬はいるんですかね?」

「距離が長いですからね。何が起こってもおかしくないと思います」

「さあ見せてやろう、オレの強さを! 菊花賞スタートです。きれいに飛び出しました、十八頭。これから坂を上って三コーナーに向かいます。まず何が行く? 予想通り四番ラフが先頭に立ちました。そしてなんと、二番手にユメミガオカです。日本ダービーで見せた追い込みではなく前につきます! これは奇襲なのか? 月崎、ウォーアーマメントの前にポジションを取りました。その直後に十一番ウインバルン、ショウナンダビデ、ツーシームと続き、七番ウォーアーマメント、四・五番手で追走。シーザーローズ、ジハードはいつも通り後方からレースを進めます。

さあ、先頭は第三コーナーから第四コーナーの下り坂を下ります。先頭はラフ、リードは三馬身から四馬身と放す。二番手にユメミガオカ。その二馬身後ろにウインバルン、ショウナンダビデ、ウォーアーマメントはちょっと下げた。

雨にも負けず、ターフを掛ける十八頭が正面スタンドを通り、これから二週目に入ります。大雨の中、歓声を受けて先頭のラフ、さらにリードを広げます。単独の二番手はユメミガオカ、三馬身離れてウインバルン、ショウナンダビデ、十二番ツーシームが少しポジションを上げた。さあ、ここからどういった競馬を見せるのでしょうか、二冠馬ウォーアーマメント、その直後にクロノスライド、内から二番シンフォニア、並んで十番エアマキシマム。先頭は、早くも一コーナーを回っていきます。大雨の中、このペースはかなり早いぞ! 戻りまして、半馬身遅れてエクセルトゥーレ、十八番エルデストはここ。本格化した良血が虎視眈々と進んでいます。その後ろにメモリアルラー、三番ゴールウィン、ダービーの雪辱に燃えるシーザーローズこの位置、唯一の牝馬十六番クローディア、果敢に挑戦してきました。最後方に八番アドマイヤイチバン。もう一頭いました、十七番ヴォーヴォーヴォーが最後方です。かなりの縦長の展開、先頭から最後方まで二十馬身以上あります。

向こう正面に入っても飛ばしています、ラフ。リードは七馬身ぐらいでしょうか。そして二番手にユメミガオカ、三番手集団はウインバルン、ショウナンダビデで持っていかれ気味。ツーシームがいてウォーアーマメントしっかり折り合っている。

 さあ先頭は、また坂を上って三コーナーを回ります。ラフが先頭。二番手との差はまだ五馬身以上ある。ユメミガオカが二番手、三番手ショウナンダビデが上がり、ウインバルンが続くが、ウォーアーマメントはまだ動かない。坂を下って三コーナーから四コーナーへ。先頭はラフ、さあ、差がなくなってきたぞ。二番手のユメミガオカの手応えがいい。ウォーアーマメントは、この位置から追いつくのか? 後続たちも上がってまいりました。

さあ、最後の勝負どころ! 幾多の名馬たちが通ったこの四コーナー回って、直線の勝負。大歓声の中、先頭はラフ! しかし、ユメミガオカが早くもかわして先頭に立つ! 三番手はまだ後方! さらに突き離す! ウォーアーマメントは間に合うのか!? 先頭はユメミガオカ、リードはまだ四馬身ある! このリードは、後方の馬にはきつい! 逃げる、逃げるユメミガオカ、月崎が懸命に追う!

来た、来たぞ、ウォーアーマメント! ただ一頭、ユメミガオカに襲い掛かる! 物凄い末脚! ユメミガオカも必死に逃げる! 後方の馬たちはついてこれないか!? エルデストが、大外から必死の追い上げ!

残り二〇〇を切った! またダービーの再現になるのか!? ウォーが来た! ウォーが来た! ユメミガオカを並ぶ間もなくかわしていった! ウォーアーマメントが先頭!

ライバルたちよ、お前たちの夢に付き合っている暇はない! なぜなら、オレの夢はさらに先にある! 待っていろ、世界! この勝利が、世界武装戦争の始まりの合図だ!

三冠遺伝子はこの馬に受け継がれた、ウォーアーマメント! 雨もペースも関係ない! 強い! 日本レコードでの勝利! そして、オルフェーヴル以来史上八頭目、そして父ディープインパクト以来、史上三頭目の無敗の三冠馬です!

二着にユメミガオカ、ダービーの再現ならず、三馬身差をつけられました!」



 和馬は、泣きそうになった。ウォーアーマメントに負けたからではない――調子も上がらず、馬体も完ぺきに仕上がったわけでもない。なのに、ユメミガオカは最後まで勝負をしていた。直線を向いたときは、河内も勝ったと思っただろう。最後は、ウォーアーマメントにかわされてしまったが、ここまで頑張るユメミガオカの姿に胸を打たれてしまったのだ。

 「強すぎだろ……」

 河内は、前のイスの背もたれに手をついてうなだれた。

 「なかなか隙がないですね……」

 「ま、今回は調子も良くなかったし、頑張ったユメミガオカに拍手だな」

 「……ダービーのときもそんなこと言ってませんでした?」

 「そうだっけ?」

 「そうですよ」

 「でもさ、オレらがユメミガオカを褒めてやらないと、あいつは誰に褒めてもらえんのさ。そうだろ?」

 「……そうですね」

 河内の言葉は、いつも和馬の心の支えになり、勇気を与えてくれる――和馬は、自分もこうありたいと思った。そして、和馬と河内が、合流した杉本と話をしているとき、三人の前を吉井が通った。

 「次は、有馬記念。今度こそ、ちゃんと白黒つけよう」

 そう言うと、吉井は去っていった。

 三人は、俄然やる気が出た――とくに杉本が。

 「おう、やったろうやないか!」


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