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決着をつけなければいけない相手

 和馬が早来に戻って、まもなくユメミガオカも牧場に戻ってきた。春だけで五レースというタフなローテーション、そして宝塚記念での王者との対決と、内容の濃い戦いだったが、牧場に戻ってきたユメミガオカはケロッとしていて、去年とは比べ物にならないぐらいたくましくなっていた。

 マジックファームの馬たちが、まだ条件戦を戦っている間、牧場の放牧地でゆったりとしているユメミガオカの世話をしている和馬は、柵に寄りかかった草を食べているユメミガオカを見ていた――すると、よちよち歩いているすみれが、楽しそうな笑顔で和馬の脚に抱きついた。

 「どうしたの?」振り返ると、美空がすみれのお散歩に付き合いながら訪ねてきた。

 「いや、やっぱスノーがいるとホッとするよ」

 「牧場にいるときはスノーなんだ」

 和馬は、すみれを抱き上げながらスノーを見た。美空も和馬の隣に立って、白くなったスノーを見ていた――牧場にいるときはスノー、競馬場にいるときはユメミガオカ。二つの名前があるとややこしいときがある。そしてときどき間違える。

 「んま! んま!」

 すみれは、スノーのことが大好きだった。他の芦毛の馬には反応しないが、スノーが出るレースでは、声を上げて指を差す。

 「そうだよ。パパの友達」

 「こっち来ないかな?」

 「呼べば来るよ」

 そう言うと、和馬は口笛を鳴らした――すると、むくっとスノーが顔を上げ和馬たちを見ると、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 「すごい! いつ仕込んだの?」

 「友達だからね」

 顔をすり寄せてくるスノーの鼻筋をなでながら、和馬は得意げな顔をした。

 「マス子もできるかな?」

 「ほら、すみれもなでてあげて」

 和馬は、すみれの手を持って顔をなでさせた。気持ちよさそうにスノーが目をつむると、すみれも嬉しそうに笑った。

 「秋が最後の勝負だからね、頑張ってって」

 「スノーの最後レースはどうするの?」

 「有馬記念だろうな。向こうもそういうつもりだろうし」

 「お相手さんは、今どうしてるの?」

 「今は、牧場でゆっくりしてるんじゃない。そのあと札幌で調整して、アイルランドで一回使ってからフランスに入るらしい。吉井さんも同行するみたい」

 「何で札幌なの?」

 「札幌の競馬場は、他の競馬場と違って、洋芝を使ってるんだ。どちらかというと、欧州の芝に近いパワーのいる芝なんだ」

 「へえ、そうなんだ」

 「お前は、ゆっくり休んで、最後の秋、必ず勝とうな」

 スノーは、和馬の言葉を理解したかのように、大きく首を振った――その行動に、すみれが驚いた。驚いたすみれを見て、二人は笑ってしまった。

 「すみれ、乗ってみれば?」

 「そうだな」

 和馬は、ゆっくりすみれを抱き上げると、スノーの背中に座らせた。スノーは嫌がるそぶりも見せず、ただジッと前を見ていた。

 すみれは、何も言わずに馬の鬣を持って堂々と座っていた――ビックリしたのは、恐がりもせず、姿勢よく座っている。

 「すみれ、カッコいい!」美空は、ポケットから急いで携帯電話を取り出し、写メを取り始めた。その間、スノーとすみれはピクリとも動かなかった。

 「いい騎手になりそうだ」

 「じゃあ、マジックファーム第一号のGⅠは、すみれとスノーの子供で決まりだね」

 「いや、その前にGⅠは取りたいな……」

 和馬は、苦笑いだったが、すみれはスノーの背中の上で手を叩いて笑っていた。

 「あ、あ、危ない!」

 二人は、慌てふためいて、すみれに駆け寄った――それでも、すみれは笑っていた。



 八月にはいると、北海道も夏本番となり、暑さに弱いスノーには厳しい季節がやってきた。牧場スタッフは、去年のこともあり、細心の注意を払ってスノーを世話していた。その配慮もそうだが、一番はスノーの体調面もさることながら精神面の成長もあり、最後の夏を無事乗り切ることができた。

 三歳路線が、この夏面白いことになっていて、春にGⅠを勝った馬よりも、この夏を越えた馬たちの方が、牡馬・牝馬ともに評価が高かった。その中には、マジックファームの馬の名前も挙がっていた。

 古馬路線は、アイルランドへ渡ったウォーアーマメントのことで持ちきりだった。スノーが帰厩した九月頭、ウォーアーマメントは愛チャンピオンS(芝・GⅠ・二〇十二m)を快勝し、海外GⅠ制覇を成し遂げた。

 「強いな、やっぱり……」

 和馬は、競馬雑誌を見て声を漏らした。相手は、世界に名をとどろかせる名馬となったが、こちらはまだGⅠを勝てない重賞馬。名声の差は、どんどんと広がっていく。

 「でも、まだユメミガオカの方が強いと思ってるだろ?」悟朗が、悪戯な笑いを浮かべながら近寄ってきた。

 「まあ、オレが信じてやらなきゃ誰も信じないですからね――ユメミガオカの方が強いって」

 「オレも、ユメミガオカの方が強いと思うぞ。結果は、運だからな」

 「運ですか――そういえば、先週WIN5――指定された五レースの一着馬を予想する馬券のこと。最高で二億円が払い戻しとなり、キャリーオーバーもある――当たったらしいじゃないですか?」

 「ああ、ついにやったよ」悟朗は、今まで見たことのない笑顔で親指を立てた。

 「いいな~。オレなんか、WIN4もないのに――で、いくらだったんですか?」

 「一万九千円……」

 「……ガチガチの人気決着だったんですね」

 二人は、笑いながら仕事へと戻った。


 ユメミガオカは、凱旋門賞の次の週の京都大賞典(芝・GⅡ・二四〇〇m)を目標に調教をしていた。この夏、順調に過ごせたことが、ユメミガオカの充実ぶりで表れた。いたって順調だった――順調じゃなかったのは、そのあとのローテーションだった。

 「先生は、天皇賞を狙うべきだというんだが、オレはアルゼンチン共和国杯から有馬記念を目標にするべきだと言ったんだ。そこから衝突だよ」 

 珍しく興奮している河内は、出されたコーヒーを一口飲んで落ち着いた。和馬は、物珍しそうに見ていた。

 「どうしたの?」

 「いや、興奮している河内さん見るの初めてだな……って思って」

 「オレだって、興奮するさ」

 「そうですよね」和馬は、肩をすくめながら笑った。つられて、河内も照れくさそうに微笑む。

 「お互い、ユメミガオカのことを思ってのことだってわかってるけど、そうなればなるほど、お互い譲れないんだ」

 「幸せですよ、ユメミガオカは」

 「で、お願いなんだけど――」

 「何ですか?」

 「三人で、話し合いたいんだ。先生もそれを望んでる」

 「僕はそんな、言える立場じゃないですよ」

 「でも、ユメミガオカの気持ちを一番わかってるのは、オレでも先生でもない、和馬君だ。ちょっと、一緒に京都へ行けないかい?」

 「う~ん……。うちのスタッフが何て言うか――」そのときちょうど、トイレに行っていたスタッフの舞子が通った。

 「舞子さん――」

 「はい?」

 「オレが京都に行ったら牧場困るよね」

 「何ですか、いきなり?」

 「ちょっとユメミガオカのことで話し合いに来いって言うんだ」

 「来いとは言って――」

 「ユメミガオカのことならしょうがないじゃないですか。それどころか、行った方がいいんじゃないですか? 牧場の仕事も、たまにサボってるし、お土産をたくさん買ってきてくれるなら問題ないです」

 舞子は、悪戯っぽく話した。年下の和馬をからかっているようにしか聞こえない和馬は、ムスッと顔をしかめた。舞子は、舌を出して肩をすくめると、踵を返して仕事へと戻っていった。

 「これで決まりだな!」

 河内は、大声で笑った。その笑い声に、さらに和馬は鋭い目で河内を睨んだ。

 「……わかりました」和馬は、頭を振りながら答えた。

 「でも、もうちょっと様子見た方がいいと思います。ウォーのこともあるし――」

 「そうだな――じゃあ、また連絡するよ。仕事の邪魔して悪かったね」

 「大丈夫です。サボるの得意ですから」

 二人は、顔を合わせると大笑いをして、河内は帰っていった――そして、和馬はそのままたばこを吹かしてサボっていた。

 「ちょっと、何サボってるの!」

 美空に見つかってしまった和馬は、慌ててたばこを消し、外へと駆け出していった。


 そして、その様子を見ると言っていた運命の日が来た。

 ウォーアーマメントが、フランス・ロンシャン競馬場にて行われる凱旋門賞(芝・GⅠ・二四〇〇m)に出走する。和馬たちも、深夜スタッフ全員と海外で羽を伸ばし真っ黒に日焼けした柳と一緒に見ていた――といっても、柳は新しく入った舞子の手をずっとさすっていたが、和馬が間に入って止めた。が、柳は和馬を押し退けて、舞子の隣を確保する。その様子を見ていたすみれが、柳の前に立ち、〟エロじじい〝と指差し、場がドッと沸き上がった――柳も笑っていたが、和馬を見る目は鋭く、和馬は息をのんだ。


 この年の凱旋門賞は、一頭飛びぬけた四歳馬がいた。その名は〟オーシャンオブライト〝。去年、ウォーアーマメントと同じ、欧州で三冠馬になった馬だ。四歳になってもその力は衰えず、ドバイシーマクラシック(芝・GⅠ・二四〇〇m)、アメリカのアーリントンミリオンS(芝・GⅠ・二〇一一m)に遠征し、見事勝利している。その他にも、欧州の強豪たちが集結していた。

 地元でのウォーアーマメントの評価は高く、オーシャンオブライトとの一騎打ちと予想されていた。前走を快勝していたこともあり、ウォーアーマメントは二番人気に推されていた。

 「さあ、始まるぞ……」和馬は、固唾をのんで見守った。

 レースは十一頭立てで行われ、ウォーアーマメントは先頭から六頭目と前目で道中を進めていた。その前にオーシャンオブライトが走るという超スローペースの展開だった。こんなにスローになる展開なら、我慢できず折り合いにかける馬もいそうなものだが、ウォーアーマメント始め、全馬がジョッキーの指示通りじっと我慢していた。そして、四コーナーを回って直線を向いたところで、一気にペースが上がり各馬が激しくスパートが始まった。


 「日本の期待を背負ったウォーアーマメントが、ロンシャンの直線を向きます。手応え抜群で、上がってきたぞ! その前を走るオーシャンオブライトが先頭に立った。だが、ウォーアーマメントの方が手応えがいい!

さあ、日本の声援を受けて、ウォーアーマメントが襲い掛かる! オーシャンオブライトも必死に追う! 平良の鞭が唸る! 勢いが違う! ウォーがかわした! ウォーがかわした! さらに突き放す! オーシャンオブライトも、必死に追いすがる! 突き放した! 突き放した! その差は、二馬身から三馬身!

日本の夢が、ホースマンの夢が、今この瞬間に達成される! この日本生まれの馬が世界最強だ! ウォーアーマメント!

 父の無念を、ここロンシャンの地で成し遂げました! 圧勝です! 欧州のチャンピオンも歯が立たなかった! もうこの馬は止まらない! 世界武装戦争の勝者は、日本のウォーアーマメントです!」


 ライバルの活躍に、こんなに興奮したのは初めてだった。直線では思わず力が入り、オーシャンオブライトをかわすとき、深夜にもかかわらず、大声を出して叫んだ。そして勝利の瞬間は、手を叩いて喜んだ。

 和馬は、勝利した瞬間思った――この馬を倒すことのできる馬は、ユメミガオカしかいないのだと。


 チャンピオンに対して、そんなことを考えていたのは和馬だけではなかった。その場にいた美空・麻奈美・悟朗に涼子、柳に牧場スタッフも同じこと考えてみたいで、レースが終わると、もうユメミガオカがウォーアーマメントに勝つにはどう立ち向かうのかとか、勝利パターンを子供が夢を語るように話していた。

 散り散りに一人帰り二人帰り、最後に柳がすみれの寝顔を見たあと、のたのたと帰っていったのを見送った和馬は、大きくため息をついて、ソファーに腰掛けた。

 「疲れた……」

 「お疲れ様」

 美空が、冷たいお茶を持って和馬の隣に座った。

 「母さんは?」

 「もう寝たよ」

 「そうか……」

 「今日は寝れないね」

 「何で?」

 「あんなレースを見せられたら、ユメミガオカのことで頭がいっぱいになってるでしょ?」

 「さすが、オレの嫁さんだ」

 「何それ――でも、本当に強かったね」

 「ああ。でも、ユメミガオカは負けない。もう負けられないよ」

 「そうだね。で、どうするの?」

 「そうだな――もう寝る。考える力残ってないよ」

 「よし! じゃあ、寝よう!」

 美空は、大きなあくびをして、和馬よりも先にそそくさと寝室に向かった。置いて行かれた和馬は、ポカーンと美空の後姿を見ていた。

 「自分が眠たいだけじゃん……」


 次の日、朝のワイドショーでも、ウォーアーマメントのことがトップで報道された。

 知らない人には興味のないことかもしれないが、この勝利は本当に世界に衝撃を与えたのだ。近年まで鎖国状態だった日本競馬が、外国へ挑戦し、勝利することがとんでもない価値があることだった――一一年、ヴィクトワールピサが優勝賞金世界一のドバイワールドカップを勝ったときは、震災で落ち込んでいた日本に明るい話題を与えた――しかもそれが、優勝賞金世界第二位の凱旋門賞という芝の世界一を決めるレースだということが、これから日本に来る外国馬を本気にさせ、海外のバイヤーが日本馬に注目し、大きな取引も行われるかもしれない、そんな大きなマーケットのきっかけになるかもしれないことだった――日本は、当時〟奇跡の馬〝と言われた欧州三冠馬ラムタラを高額で購入し、アメリカから購入したサンデーサイレンスは、日本で大成功を収め名種牡馬になった。その息子たちもシャトル種牡馬――日本で種付けが終わると、季節差がある南半球へ行き、種付けを行う種牡馬のこと――でも、海外で多くの重賞馬を出している。

 最近では、アラブの王族である世界的馬主が日本で馬主申請して日本競馬に参戦。〇七年、牝馬で六十四年ぶりに日本ダービーを勝ったウオッカは、アイルランドで種付けをしていた。今や、競馬は世界的マーケットとなっている。そんな競馬の世界に衝撃を与えたウォーアーマメントが、ニュースで取り上げられることが、和馬は嬉しくもあり、どこか悔しくもあった。

 そしてこのあと、和馬が奮い立たずにはいられない出来事が起こった。


 それは、ワイドショーのコーナーで、ウォーアーマメントが特集を組まれたときの吉井のインタビューを見ていたときだった。


 「吉井オーナー、おめでとうございます!」

 「どうもありがとうございます」

 「朝早くからすいません」

 「いいえ、大丈夫です」

 「一晩明けましたが、どうですか? 落ち着きましたか?」

 「いや~、まだ信じられないです。勝つ自信はありましたけど、本当に勝つと、もう言葉がないです」

 「凱旋門賞ですよ!?」

 「そうですね、世界のホースマンやジョッキーが憧れ、目標とするレースですから、本当に勝てて良かったです」

 「オーシャンオブライトという、もう世界で一番強いんじゃないかと言われている馬に圧勝でしたね?」

 「圧勝かどうかはわからないですが、今回はウォーアーマメントが先頭でゴールしたっていうことです。でも、あの馬も迫力のあるいい馬でした。ああいうタイプの馬は日本ではお目にかかれないですね」

 「謙遜してますね」

 「いやいや、僕は正直ものですから……」

 「地元でもかなり話題になってるんじゃないですか?」

 「そうですね、海外の記者からもかなりインタビューは受けました」

 「すいません、お疲れのところ……」

 「いえいえ、大丈夫です」

 「日本でも、かなり各局のニュース番組で取り上げるぐらい、話題になってますよ」

 「いや、本当にありがたいです」

 「まだ、インタビューあるんですか?」

 「まあ……、あと何社か……」

 「お疲れですから、あまり長くやるとあれなんで――最後に、これからの日程とか決まってるんですか? こちらでは、アメリカのブリーダーズカップに挑戦するという話が出てますけど」

 「いえ、昨日の今日ですから、まだ調教師とも今後のことはあまり話してないんですけど。この二ヶ月で二ヶ国移動しましたから、ちょっと疲れが見えるので、日本に帰って最後の引退レースになると思います」

 「ということは、ジャパンカップには出ずに、有馬記念で引退?」

 「そうですね。最後に日本の競馬ファンのみなさんに勇姿を見せたいですし、最後にちゃんと〟決着をつけなければならない相手〝もいますから、そこを目標に調整することになると思います」

 「最後に、日本でライバルとの戦いを選ぶということですね?」

 「そうなると思います」

 「そうですか――お疲れのところありがとうございました。そして、おめでとうございます!」

 「ありがとうございます」


 「和馬さん、これって――」

 すみれを抱いている美空の言葉を遮るかのように、和馬の携帯電話が鳴った。和馬は、テレビ画面を見たまま、電話を取った。

 「もしもし」

 (和馬君――見てたんだね)

 「河内さん……」和馬と河内の間に、ほんの数秒間沈黙が続いた。

 (〟決着をつけなければいけない相手〝のこれからを話し合いたいから、いつが都合いい?)

 「偶然ですね。僕も今、いつ河内さんたちと話し合おうか考えていたところです――はい、また連絡します」

 和馬は電話を切ると、大きくため息をついた。

 「美空、今週末に京都へ行くよ」

 「わかった。ちゃんと話し合ってきてね」

 「ああ……」

 こうして、和馬は土曜日の昼に京都へと向かった。


 「だから、今のこの馬なら、絶対にGⅠ勝てるて! ていうか、今しかない言うとるやろ! 何でわからへんねや?!」

 杉本が、声を荒げて河内に指差し、首を振りながら指摘している。

 「僕が言ってるのは、GⅠよりも世界一の馬を倒すことに専念しましょうってことですよ! あのインタビュー見たでしょ? 〟決着をつけないといけない相手〝ってユメミガオカのことですよ! 向こうがそう言ってるんだから、こっちも迎え討ちましょうよ」

 「せやから、GⅠに出しながら調整せやええやろ? 今、ウォーがいない今が、GⅠ獲れるチャンスや! 秋古馬三冠――秋に行われる天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念と、三つのGⅠを三連勝すること――も夢やないど!」

 「それじゃあ、ローテーションがきついでしょ?」

 「それぐらいしなきゃ、ウォーに勝てんて」

 「なら、体調を整えて挑みましょうよ」

 「お前な、GⅠ勝つのとGⅠに挑戦しないでチャンピオンに負けるのとどっちがええねん?」

 「負けるかなんてわからないでしょ! 負けると思ってるんですか?」

 「確率の話や! 今、GⅠに挑戦する方が勝つ確率が高いやろ? GⅠ勝ちたくないんか?」

 「GⅠも勝ちたいですが、それ以上にウォーを負かしたい!」

 「いや、だから、GⅠに挑戦してもできるやろ!?」

 「だから、それじゃあローテーションがきつくなるって――」

 「あの――」

 「何や!?」

 「何!?」

 和馬が間に入ると、杉本と河内が声を合わせて和馬を睨んだ。和馬は二人の殺気にたじろぎながら、重い口を開いた。

 「明日の京都大賞典を見てから決めたらどうですか?」

 「何言うてんねん! お前まで――」

 「ちょっと待ってください――和馬君、話して」河内が杉本を抑えると、和馬に話す時間を与えた。和馬は、戦々恐々と話し始めた。

 「確かに、先生の言う通り、ウォーがいない今がGⅠを勝つチャンスだと思います――」

 「だから言うとるやないかい……」

 「黙って」

 「……だけど、春重賞は勝っても、ウォーがいなかったメンバーのGⅠで勝つことができなかった。逆に言えば、ウォーがいた方がGⅠを勝つチャンスがあるということかもしれない――」

 「その通り。ウォーがいないとユメミガオカは走らない!」

 「黙らんかい」

 「……ユメミガオカを唯一本気で走らせるのがウォーです。だけど、GⅠを勝つぐらいの実力がないとウォーには勝てないような気がします」

 「で、結局どっちやねん?」和馬の言い方にしびれを切らした杉本が突っ込んだ。

 「だから、ユメミガオカに自分で決めさせたいんです」

 「どういうこと?」

 「ユメミガオカは、僕の言葉がわかります――少なくとも、僕はそう信じてます」

 「信じたいだけやないかい」

 「そうかもしれません。でも、最後のレースぐらいユメミガオカ自身に決めさせてやりたい」

 「どうするの?」

 「これから、ユメミガオカに会いにいきます。そこで僕から話します。明日のレースに勝ったら秋古馬三冠を狙う。もし負けたら、アルゼンチン共和国杯を使って有馬記念」

 「そんなんでわかるわけないやろ!」

 「オレは、和馬君を信じよう」

 「ありがとうございます」

 和馬と河内の間では合意した。あとは――

 「……」

 「……」

 「……何や」

 「……」

 「わかった、わかった! 好きせえ!」

 「好きにしますよ。いいんですね?」

 「どうせ、もう決まってんねやろ? 最後に決めるのは馬主やからな」

 「男に二言はないですね」

 「あるか! あるのは、三言に四言や!」

 こんな荒々しい話し合いの結果、京都大賞典の勝敗を見てから決めることとなった――そのあと、和馬たちは何事もなかったかのように楽しくお酒を飲んだ。


 「一人で大丈夫か?」

 「ええ、ちょっと話すだけですから」

 「じゃあ、オレは帰るで」

 夜遅く厩舎に着いた和馬と河内を置いて、杉本は家へと帰った。

 「オレはここで待ってるから」

 「すぐ戻ります」和馬は、早歩きで厩舎の中に入っていった。

 厩舎の中は暗かったが、ユメミガオカの馬房はすぐにわかった。和馬が来るのをわかっていたかのような白い顔のユメミガオカは、馬房から顔を出し和馬を見ていた。

 「スノー……」和馬は、ユメミガオカに走り寄り、首に抱きついた。

 「頑張ってるか?」

 和馬の言葉に、ユメミガオカは鼻をすり寄せた。

 「くすぐったいよ――先生の厳しい調教にちゃんとついて行けてるか?」和馬の顔に、ユメミガオカの鼻息がかかった。

 「そうだよな。お前ももう大人だもんな」しばらくの間、二人は黙ってお互いの目を見ていた。

 「なあ、お前は今年で引退するんだ。わかるか?」和馬を見ているユメミガオカの瞳が、あまりにも綺麗で和馬は見惚れてしまった。

 「それでだ、明日のレースに勝ったら、お前は日本で一番強い馬の称号を取りに行く。もし負けたら、お前は世界最強の馬を倒しに向かう。いいか、お前自身が明日のレースで決めるんだ。決めれるか?」

 ユメミガオカが、鼻先で和馬の顔を叩いた――それは、わかってるという答えでもあったが、また違う答えを答えているようにも感じれた。

 「そうだな――オレは、どっちになろうがお前を信じてる。お前が日本で、いや世界で一番の馬だ。それを証明しよう!」

 和馬の言葉に、ユメミガオカが嘶いた。和馬は、その澄んだ瞳の中に小さな炎を感じ取った。明日のレース、ちゃんとユメミガオカ自身が答えを出すと確信した和馬は、安心したかのように微笑んだ。

 「よし! 明日、ちゃんとお前の走りを見てるからな。オレみたいにサボるなよ」

 和馬は、ユメミガオカの首をポンポンと叩くと、馬房を離れた。ユメミガオカは和馬が離れると、すぐ馬房の中に戻り、和馬が厩舎の入り口で振り返ると、もう顔が見えなくなっていた。

 「お待たせしました」

 「おう。終わったかい?」河内は小刻みに震えていて、とても寒そうだった。

 「大丈夫です。明日、ユメミガオカ自身が決めます」

 「ならよかった。じゃあ、もう一軒行こうか? 寒くて、酔いが醒めちゃったよ」

 「はい、飲み直しましょう!」


 寒空に輝く星を見上げた和馬は、久し振りに会ったユメミガオカを見て、何故だか晴れやかな気持ちになった――明日のレースで、ユメミガオカがどんなレースをするか楽しみで仕方がなかった。


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