王都の夜
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side 主人公
こうしてひとりで行動するの久しぶりな気がする。夜も遅い時間、少し濡れた石畳の上を歩く感触を楽しむ。
街の中を自分の足で歩くのも久しぶりだし。というと今まで歩いていなかったのかといわれそうなのだが。
なんというかこのところしばらくいつも案内されるままについていくだけだったから、目的地から目的地までのただの移動みたいになっていて周りをみたりする心の余裕のようなものがなかった気がする。
とにかくここははじめての王都。何もかもがはじめて。なんだ、忙しかったのはしかたないけれど、惜しいことしちゃったかも。今まで立ち寄った村や町をもっと楽しめば良かった。
まぁまた行けばいい。今度はひとりでゆっくり見て回るのもいいだろう。
王都。静かで綺麗な都、石造りの家々は同じように見えて少しづつ個性がある。窓に揺れるカーテンや玄関や門の造り、庭の趣き、煙突から出る煙は魔法を用いているため少ないのだそうだ。
エコだなぁと思う。それにこうして歩くのが楽しい。道端に生える雑草さえ、生きている街という気がする。ところどころにある木陰、色づいた木の葉がまた絵画のようだった。
ここは中流庶民の住宅街、商人街や冒険者街、職人街はまた違う趣きなのだろう。
そういえば前世のわたしの住んでいた場所は、土が見えなくなっていたなぁと思う。隅から隅までアスファルトに覆われていて、一度どこか土を踏める場所はないか近所を探したことがある。
その結果は、街路樹の下さえ金属板が覆っていること。公園も人が歩いていい場所が決められていて、そこはアスファルトが覆っている上、立ち入りできない場所も整備されていて昔公園で遊んだ記憶とはかけ離れていること。
土の上を歩きたくて、地方のウォーキングの旅行を申し込んだりしたものだ。本当は自分の町を歩いていて好きだなぁと感じられたら良かったのだが。
昔祖母に連れられてお菓子を持って散歩したこともある。あの頃は、どの家も趣きのあるなんというか和風でも洋風でも暖かみがあった気がする。
思い出だからそう感じるのでは?というのとは違うと思う。今よく建築されている家とはやっぱり違う建築なのだ。門、玄関、表の庭、裏の庭、縁側、あるいはテラス。
空気の流れを遮らない、光と風を上手く活用した作り。今の家は外をすべて遮断するような、かたい見た目の家が増えた。たぶん、居住空間は快適なのだと思う。
でも街並みとして、地域として、なんだかまとまりがなくて全部バラバラに思えた。わたしがそんなに散歩好きになれなかったのは、地域が好きになれなかったからかもしれない。
寂れて閉鎖されたままの古い以前の商店街、人が住まなくなったらしい建物はなんだか近寄りたくなくて目を背けてしまっていたなぁ。
なんだか急速に自然から切り離されている気がして落ち込んだ時期もあった。
でもよかった。こうしていま異世界でやり直しをさせてもらっているのだから。もうあちらの世界を憂えたり生き物の未来を心配したりしなくていいのだ。
あちらに生きていてもわたしにはなんの力もなかったし、もう大きな流れができていてそれを変えるなんてわたしが生きていたあの日本ではとても無理そうだったもの。
そう、その大きな流れが正しいと全面的には思えなかったのはわたしが異分子だったからかもしれない。
あちらに馴染めなかったわたしはこうして別な場所にいる。これは世界にとって必要な措置なのかもしれない。
そう考えれば、今この時生き生きとした生命溢れるこの世界で魔力を補充するお役目を果たせばあとは自由に生きていいのだからなんて恵まれているのだろう。
落ちてきて怖かったけれども、美しい自然のど真ん中で季節とともになんとか生き延びた日々こそきっとスローライフというものだろう。
人恋しくて少し森の外に出て来たけれど、この世界にちょこっとづつある黒いモヤモヤをある程度浄化して正常化に努め、5:5みたいな比率になっている人種の欠損率をせめて7:3くらいにしたい。
野生の生き物にも片角だったり、尻尾が切れていたり、みみが齧られていたりしても強く生きているものもいる。
しかし、さすがに片足の生き物は少ない。きっと淘汰されたのだろう。弱い個体は種を弱くする。強い個体こそ種が望むもの。
分かっている。人種もそう大きく自然からはずれるわけにはいかないことは。しかしこのままでは、人自体が淘汰されそうで気になった。やり過ぎてはいけない。贔屓も良くない。
でも無知だから、貧しいからというのは大部分の生き物の弱肉強食の理由とは少し違う気がする。
無知な者の中にも才能や恵まれた体格の者や、貧しい中にも魔力を持つ者もいる。
人種の身分という在り方は、他の生き物の群れのリーダーや長とは違う。
わたしは等しく正しく世界の秩序が守られた世界の方が、世界にとっても生き物にとっても納得できる仕組みな気がする。
もちろん、それはわたしがかってにそう思うだけのこと。
でもこころ安らかにスローライフを楽しむためには、バランスのとれた?調和の取れたというべきだろうか?在り方の世界でこそ、その世界の片隅で穏やかに大地とともに季節の巡りを見つめて過ごせそうな気がするのだ。
食うか食われるかも受け入れる。わたしも食うために殺そう。簡単にやられはしない。でも食うわけでもない、無駄な殺戮、楽しみのために他者をおもちゃにするのはきっと今後も許さない。
つまり、わたしは人を助けもするが殺しもする。だからバランスが取れていることになるのだろうか?
思わず浸ってしまった…。
まぁ初心?にかえれたのかな!
さて下見のつもりで来たのだけれどここはなんだろう?
気配探査のおかげで、王都に地下に人が集められているのは分かった。そしてたくさんのスケルトンナイトの気配も。そう、スケルトンナイトだけ?なんで?
もうちょっと入り口とか探そうかな。
この辺りの建物はあまり感じよくない。
冷たい感じ。かたくて、味気ない。好きじゃないなぁ。取り壊したくなる。これじゃぁスラムの方がずっと暖かさがあるくらいだ。
ちょっと上空から解析してみる。
うーん、繋がっている?この建物はフェイク?
どこに繋がっているんだろう。なんだかこの一体が全部ひとつの構造物?
たぶんアレ。アレが中心。近くから観察すると、やっぱり教会。
やれやれ、やっぱりお金と権力と貴族社会に近い者たちを多く抱えればどうしても腐敗と無縁ではいられないよね。
でも、立派な人やちゃんとした人もいるのだろうに、それも各自の倫理観や精神力、道徳心とかの人間性頼みなのだろう。
いや仕方ない仕方ない。腐敗するのもしないのも個人の責任だ。貧しくったって、王族だって頑張っている人はいる。
腐敗している貴族や騎士もいれば、こころ正しく生きている貴族や騎士もいる。
揺らぎは正しい在り方なのだ。淀みや歪みが自浄作用を滞らせるだけ。
悩みも苦しみも努力もすべて正しい。哀しみも怒りもすべて正しい。喜びも憧れも願いもすべて正しい。
それらから搾取する者が現れるのは止められないのだろうから、こうしてこの世に時々気まぐれな世界の計らいで粛清する者が現れるのかもね。
スケルトンナイトに投影させる。
人々が集められている部屋がたくさんある。
地下になんだか神殿みたいなのがあるような?
スケルトンナイトが集められている部屋もある。
牢獄みたいなのもある?
実験施設みたいなのもある?
いったい、神の名の下に何やっているのか。
死にそうな状態の人はいるかしら?明日までとても保たない感じの?
あれって魔物?
本当に何やってんだ。
とりあえず明日正式に王都に入り回復の儀を行い、国王陛下に謁見するかもしれないのだから、それまで保つように魔力を与える。
ついでにこっそり、保護を掛けておく。これ以上酷いのはわたしの精神が保たない。キレたりして、大陸全土の教会が灰燼に帰すことになったら後始末が大変そうだ。
たくさんの作品がある中で
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