大舞踏会での断罪 3
「俺達、フィーに騙されていた」
城内を猛スピードで走りながらオーリムはそう言い、悲痛な顔をする。ソフィアリアは微笑を湛えたまま首を横に振り、宥めるように髪を撫でてあげた。
ずっと走り回って探してくれたのか、髪型もすっかりいつも通りに戻っていた。それを整えるように梳いていく。
「リム様はどこまで知ったのかしら?」
「あまりよくわかっていない。が、フィーが俺達を騙していたという事はわかった。さっきもフィーの側近の赤髪の男が混じっていたし、今回の騒動、全部フィーのせいなんだろ?」
「そう……。わたくしの推測だけれど、お話しするわね」
そうして自分の中で情報を整理しながら、オーリムに導き出した自分の考えを伝えた。
フィーギス殿下は王鳥妃という存在に真っ先に危機感を抱いた事。
その存在に楯突くとどうなるのか、最低自分を――最悪国を賭けて知らしめようとした事。
その為にソフィアリアに王命を下すのとほぼ同時か後には作戦を決行し、プリモア公女の恋心を利用してアウィスという代行人の偽物を仕立て上げ、婚約させた事。
二人の婚約破棄をソフィアリアのせいとでっち上げて、社交界にソフィアリアの醜聞を撒き散らした事。
そうやってソフィアリアに悪感情を集めて、人の集まる今日、大勢の前で何かしらの危害を加える人が現れるのを待っていた事――
「……すまない、フィア。こんな所に連れてきたせいで、こんな事になって……」
最近は見なくなって久しいしょんぼり顔にソフィアリアは首を横に振ると、オーリムの首筋に額を埋めるように密着した。色々余裕がないのか、オーリムはそんなソフィアリアに反応を示さない。
「わたくしの事はいいの。……結局わたくしは悪人と呼ばれるのが一番相応しいのね。わたくしはここに立つ為に、あんなに綺麗な恋心を踏み台にした」
蔑みの視線も言葉もどうでもいい。煽ったのはソフィアリア自身だし、揚げ足を取って悦に浸るような人達の言う事を間に受けて落ち込むほど、繊細ではない。
けれど……王鳥妃という立場を確固たるものにする為に、王妃教育を受けて高位貴族のご令嬢として相応しく成長し、幸せな恋をしただけのプリモアの恋心を踏み躙ってしまった。その事だけが、とても辛い。
珍しく弱ったソフィアリアを、オーリムは少し腕に力を入れ、より抱き寄せる。そして背を優しく叩いてくれた。……昨日の王鳥と同じように。
「フィーが勝手にした事だから、フィアが責任を感じる事はない」
「でもフィーギス殿下は、わたくしの為にやってくださった事だわ」
「なら、王と俺のせいでもある。だから三人で背負おう? 三人で背負って、でも勝手に背負わせた事はムカつくから、フィーは絶対ぶん殴る」
「ふふっ、ほどほどになさってあげてくださいませ」
くすくすと笑ってしまう。三人でという言葉が嬉しくて、好きな人に優しく慰めてもらうのはふわふわと心地いいと思った。
けれど恋しい婚約者からの慰めというのも、プリモアから奪ってしまった権利の一つだったので、チクリと胸が痛む。
きっとこれから恋心を募らせる度に、踏み躙ったプリモアの恋心を思い出し、どこか影を落とすのだろう。人の恋を踏み台にした癖に、ソフィアリア自身は恋に溺れて幸せになるのかと。
それがきっと罰なのだ。幸せなだけの恋など、もう出来ない。
けれどそれでいい。それでもソフィアリアは二人への恋心だけは絶対捨てられないのだから、一生背負って生きていく。そう、決めたのだ。
「……王と同じく、俺もフィアと結婚するんだって、今日まで誰にも伝わってなかったんだな」
少し寂しそうにそう言ったオーリムに、胸が苦しくなる。そして屋外庭園でずっと押し込めていた嫌な思いが溢れてきて、つい言ってしまった。
「そう、ね。わたくし、悔しかったの。アウィスという方はリム様ではないとすぐわかっていたけれど、それでも代行人様と婚約者になったと幸せそうに語るプリモア様を見るのも、わたくしがお邪魔虫だと皆様に思われている事も。……だから必要以上にプリモア様にも皆様にもキツくあたってしまったわ。本当に、悪人みたいに嫌な女ね」
ギュッとオーリムに縋り付く。こうするだけで気持ちが楽になるのだから、恋とは不思議なものだ。
ソフィアリアは自分を清廉潔白だなんて思っていない。けれど人に優しくありたいし、嫌な思いは出来るだけさせたくないのも確かなのだ。
だから屋外庭園で、誰にもオーリムとの仲を認められていない事にむかっ腹が立って、故意に悪意を集めなければいけないからという建前で、半分八つ当たりをしている自分に驚いた。そしてそれを全く悪い事だと思わなかったのだ。
無意識に悪意を振り撒く事はあったが、自分勝手に、自分の意思で悪意を込めたのは初めてだった。ソフィアリアにも、あんな嫌な一面があったらしい。
でもオーリムの腕の中にいる今、その事に罪悪感を感じていた。綺麗なままでオーリムの傍に在れない自分が嫌だった。
何だか今日のソフィアリアはぐちゃぐちゃだ。自分で自分が掴めない。
「……俺も、フィーがフィアの愛人と貴族達に思われているの、すごく嫌だった。王に止められていなかったら、あのまま殴り掛かっていた。フィアは口頭で済ませたみたいだけど、同じ状況になったら、俺と王は間違いなく手が出る」
「ふふっ、同じね」
「同じ、だな」
くすくすといつものように笑い合う。恋とはなんと厄介なものなのだろう。
でも、オーリムも王鳥も同じ気持ちなら、どんなに厄介でも悪い気はしない。
「……ねぇ、リム様。わたくしのデビュタントの日、リム様も会場にいたのかしら?」
「あ、ああ……。社交シーズン最初のデビュタントと最後の大舞踏会には、さっきの垂れ幕の内側に居て顔は見せないが、代行人として参加している。毎年恒例の事だ」
そう言って何かを誤魔化そうとするように目を泳がせていたから確信した。……確信してしまった。
「そう……だったのね」
――やはりデビュタントでプリモアが一目惚れしたのは、オーリム本人だったのだ。彼にとっては無意識で何も覚えていないような些事だったのかもしれないが、それで彼女の恋心を弄び、今回の件を引き起こしてしまった。
そしてそのきっかけを作ったのはやはりソフィアリアらしい。だってオーリムは身長の話をしていた時に、口を滑らせて言っていたではないか。「遠目で見た時は気付かなかったんだが」と。
本当に、ソフィアリア達の恋はどこまでも罪深い。
*
王城の上空には、無数の大鳥達が飛び交っている。その事に気付いた貴族達は悲鳴を上げ、我先に逃げようとしたが、防壁に阻まれ会場周辺から逃げられなくなってしまっていた。
大きな鳥の姿をした彼らによって籠の中の鳥にされるだなんて皮肉なものだ。殺生与奪の権は大鳥にあるのだ。その事をもっと実感すればいい。人間である我らでは、絶対彼らに敵わないのだと。
「随分とたくさん来たものだね。さすがにこれは、戦力過剰じゃないかな? なあ、王」
大舞踏会会場のすぐ傍にある、一流の庭師によって整えられた国一番の大庭園。フィーギスは王鳥に呼ばれ、後ろで手を組み、笑みを浮かべて一人で立っていた。
眼前の上空で、王鳥はその場で空中停滞をしながら鋭い目でフィーギスに睨みを効かせている。
護衛の騎士達も見えない防壁に阻まれてこの場には近寄る事は叶わず、会場からは貴族達の視線を感じる。何とかして欲しいという期待を込めているようだが、今回ばかりは叶えられそうもない。
これから始まるのは、王鳥によるフィーギス・ビドゥア・マクローラ王太子殿下への断罪だ。罪状は彼の愛しい妃を間接的に醜聞を流して皆に囲ませ、危害を与えるよう仕向けた騒乱扇動罪といったところか。
どうやら上手く事を運べたようだと安堵した。ソフィアリアという王鳥妃は、元は男爵令嬢でしかない筈なのに妙に切れ者で、途中で邪魔されるかとヒヤヒヤしたものだ。踊った時に思い通りにならないと宣言された時は、特に肝を冷やした。
この作戦を邪魔されるのは困るのだ。フィーギスはこの国の王族として……王鳥と話せる最期の王族として、己の責任を果たさねばならないのだから。
けれど、出来ればソフィアリアの被害は未遂か軽傷で済んでいればいい。それは、一季半を共に過ごした私人のフィーギスとしての想いだった。
『そうでもあるまい? 我が民達は妃の事を大層気に入っておるのでな。人間如きでは判別の難しい大鳥を個別で認識して覚え、全てに応対出来る稀代の人間で、我らの妃ぞ。これでも少ないくらいよ』
「さすがセイド嬢だ。君達も初代の王鳥妃が彼女で幸せだね。……なら、もっと早く来てもよかったんじゃないかな?」
この作戦、途中で王鳥や大鳥の邪魔が入る可能性は充分にあり、ここまで遂行出来るとはあまり思っていなかったのだ。
王鳥は人間からの評価や動向など、実害がなければ意に介さないとはいえ、代行人の騙りと最愛の妃の醜聞を捏造し、広めたのだ。さすがに黙っていないかと思ったのに、結局ここまで来てしまった。
『はっ。言うたであろう? 何故、余らが人間からの視線なぞいちいち気に留めねばならぬ? 人間という存在に対する我らからの評価を過信し、自惚れるでないわ。……それとも、止めに来る事を期待しておったのか? 甘えが過ぎるな、次代の王』
心底見下したような物言いに、ヒクリと口角が引き攣る。
そう、彼らは圧倒的強者なのだ。人間にとっては人間が食物連鎖の頂点で万能だと信じて疑っていないのかもしれないが、人間の事なんて彼らにとっては羽虫も同然。共存してもらっているだけ御の字だろう。
なのに彼らにとっては矮小な存在でしかない筈の人間の中から、よりによって妃を選んでしまった。そしてその妃は人間の中でも特に脆くて弱い場所に立つ、一人の男爵令嬢でしかなかった。
だからどうにかして、彼女を人間から護らなければならなかったのだ。刹那的ではなく永続的に、誰も触れる気を失くす程徹底的に。
こんな日が来るだろうとわかっていて、フィーギスはずっと、遠い昔から頭を悩ませていた。
結局捻り出せたのは少々心許ないこんな作戦だったけれど、やらないよりかはマシな結末を迎えられたと信じたい。
その結果を見る事は、もう叶わないけれど。
「……止めて欲しかったなんて言わないさ。この程度の事しか思いつかなかった私を、こうしなければならない人間を、君は笑うのかもしれないけどね」
『そうだな。まあ、この程度が人間の限界なのだろうて。……さて、次代の王よ。妃を貶めるのは構わぬが、手を出す事まで許す程、余は優しくない。当然、それなりの覚悟は出来ておろうな?』
突然グッと肩を強く押さえつけられたような圧力がかかり、思わずしゃがみ込む。王鳥は立派な鳥足でフィーギスを押し倒しながら、地上へ降り立った。
腹を足で押さえつけてガッチリと固定され、見上げた王鳥はその嘴をフィーギスの方へと向けていた。
遠い防壁の向こうで貴族の悲鳴や近衛騎士達の焦ったような声が聞こえる。大鳥に反逆など考えてくれるなよと、今はもう願う事しか出来ない。
死の恐怖で一瞬震えが走るが瞬時に抑えつけ、最期の矜持として、いつも通りの笑みを浮かべる。
「勿論。だが、王。人間である私が君にこう言うのは烏滸がましいと思うのだけれどね。私は君の事を怖いと思うと同時に、それなりの友だとも思っていたのだよ。だから、出来る事なら私の首一つで許してくれないか? 頼むよ」
その場で目を瞑って、軽く頭を下げた。最悪国を差し出す覚悟は出来ているが、この国の王族として、出来れば国民は護ってやりたかった。
王鳥は馬鹿にしたように、ふっと鼻で笑う。
『そなたの統治しないこの国など、残す価値があると思うてか? どうせ生きながらえても苦しむ羽目になる。なら、一思いに壊してやるのも優しさであろう?』
「確かに荒れるだろうね。けど、可能性のある人まで消してしまいたくはないのだよ。だから、頼む」
切実に訴えると、王鳥は仕方ないとばかりに溜息を吐いた。
『……よい。許す。余は寛大だからな』
「ありがとう、我が友よ」
心残りの最後の一つが消えた事に、ほっと安堵した。正直先行きに不安しかないが、誰かがどうにかしてくれる事を祈ろう。
『友のぅ……。まあ、よい。では、達者でな』
それだけ言うと、声が止む。月光に反射してキラリと光る、赤く鋭い嘴をまっすぐ見つめ続けていた。
――私人のフィーギスとしては、大きな心残りがある。
美しく柔らかなプラチナの髪を、キラキラ光る愛らしいアメジストの瞳を、すぐに赤く染まる頬とふにゃりと笑うあどけない表情を、もう一度この目で見たかった。結婚し、共に暮らす日々を夢見ていた。
結局、王族として生きる事を何よりも優先してしまう生き方しか出来なかったフィーギスには、それが叶う事はなかったけれど、叶うなら来世こそは平穏に、ずっと共に歩みたいと願ってもいいだろうか。
最愛の婚約者の笑顔を脳裏で思い浮かべながら、その嘴が眉間に振り下ろされるのを、最期の瞬間までずっと見ていた――




