第9話 二人だけのリング
2022/02/04 追加
マギク州州都バトイディア。
あの襲撃以来お嬢様とその相方は州長の屋敷から出られていない。
降り注いだ黄金の魔力は見紛うこと無くお嬢様のものだ。
うっかり外に出ようものなら、体内魔力が目立ってしまう。
加えて下手に動いて闇組織の面々を刺激するわけにもいかないというのが理由だ。
「……暇です。」
だが、その結果お嬢様は時間を持て余す日々を送っている。
始めの数日はバシリス嬢の工房に向かい、あれこれ提案を残してきた。
姉弟子への報酬のため、たまに設備を借りて早馬作成に勤しんだりもした。
最もこれは途中から興が乗り出した機械姫に引き継がれている。
おかげでフォクシ嬢は連日、要望を聞くために引きずられているとか。
「まだ訓練場もけが人で埋まってるからね。」
いくら魔法や魔道具で治療ができるとは言え、傷が深ければ簡単にはいかない。
表面上は塞がってもどんな後遺症が残っているかわからないからだ。
州都全域に発生した魔物の被害は、確かに爪痕を残している。
州長は建物の修繕に様々な資材の手配に追われていた。
「大体なんですか、バシリスさん。構造と方法を告げたら即座に再現するんですけれど!」
今となっては工房に向かう理由は、見学と冷やかし以外にない。
大体事あるごとにこっそり特許としてこちらにお金を振り込んでくるのだ。
領地に回すだけの資金はできたが、冒険者に多すぎる資産は余計な厄を呼ぶ。
「それに関しては天才型ってことなんじゃないかな。」
蒸気圧を使った様々な日用品。
減圧を利用して保温効果を高めた魔法瓶や、調理用の鍋、圧力鍋の構造など。
原理を伝えただけで第一弾の試作品の時点で随分完成していた。
最も真空化の技術はそこまで高くないため、異世界に比べて断熱効果は薄かったが。
調理に関してはコツを掴んでしまえば問題なく行えた。
働きとしては十分だ。
その際に作った肉じゃがは一瞬で食べつくされたことも添えておく。
「携帯したまま煮込み調理できるってすごいよね。」
刻印を用いれば、似たような効果で更に小型化できるだろう。
だが忘れてはならない、魔法とは世界に対する負債であるということ。
本来あるべき現象を願いによって捻じ曲げれば、その分停滞が生まれる。
現実を歪めずに使える技術であれば、世界に無理を強いることはない。
「考案者は私じゃありませんけどね。おそらく行商の方に向けた製品になるでしょう。冒険者家業では重すぎて扱えません。」
流石に提供する知識は取捨選別している。
実現の可能不可能もあるし、急激な技術の進歩は人を滅ぼす。
どのみち提供した知識も枝葉のように分岐していくだろう。
技術ある者は未来を負うを謳う彼女達のことだ。
この代で間違った方向へ手を出す可能性は低い。
仮に他者が手を出したところで、特許と監視から隠れ続けることは難しい。
「じっとしている時間にも耐性がついたと思ったのですが……。」
はしたないがベッドにうつ伏せのまま、脚をぱたりぱたりと揺らした。
きちんとしたドレス姿のため、あとでちゃんとしわを伸ばす必要がある。
屋敷で異世界の人格群を自覚した後や、学園での生活に思いを馳せる。
そこではお転婆を極力控えて――。
「身体を動かす訓練、屋敷でも結構入れてもらってたよね。」
「はっ。学園では毎日のように模擬戦訓練と、レオンさんに引きずられてお忍びしていました。」
いなかった。
思い返しても、大抵何か行動をしている。
時間が生まれ時は衝動的に早馬の免許を取得しにいった。
ドタバタの後冒険者になってからも、姉弟子から授業を受けている。
毎食の献立を考える必要もあった。
相方が側に腰掛け、きしりとベッドがきしむ。
この距離にも慣れたもの、軽く顎を反らして上目遣いで伺う。
「ずっと動きっぱなしだった反動もあると思うよ。そういう状況に慣れ過ぎちゃって。」
降りてきた手が金の髪を優しく撫で、心地よさに目を細めた。
一方喉からは、うー、と不満げな声が漏れる。
それはそれ、これはこれ、暇の潰し方が浮かばない。
いっそもう一度バシリス嬢の工房に遊びに行くべきだろうか。
「……墓荒らしの件も、レオンさんの連絡待ちですし。そもそもああいったものの分析は嫌いなんです。」
ある程度人となりが解っており、眼前の状況を把握できているのならばともかく。
意図して少しだけ情報を見せ、本当の動きを探らせない。
こうなると相手の核にまで考察の枝葉を伸ばすことができず、腹立たしいだけ。
「姿も見えず、目的も今までの墓荒らしとズレがある。情報が少ないからね。」
一方的に撫でられるだけなのは納得がいかない。
考え込む前に服の裾を引いて、身をかがませる。
ずりずりと身体の角度を変え、仰向けになって膝の上に頭を移した。
体勢を無理やり変えたので、余計ドレスにしわができる。
うんしょと細腕を伸ばし、相方の銀髪を撫で返した。
「エル、体勢を変える時ものぐさしない。」
「二人きりのときくらい、気を抜かせてくだ……わひゃっ!」
相方からの苦言に反論した後、素っ頓狂な声が上がる。
めくれ上がったスカートを直すために伸ばされた手で露出していた腿を撫でられた。
脚の露出に関しては、シアンフローから度々言われている。
二人の関係は対等に恋人ということを忘れてはならない。
異世界の残滓に引きずられてしまうと危ない状況だ。
「決め事がなければ、誘惑してると思ってたところだよ。」
「し、してません。気をつけます。ですからその据わった目をやめてください。」
上げたのが色気のない声で助かった。
昼食後早々に腰砕けにされてはたまらない。
それはそれで時間が潰れるが、そんな理由でして欲しいわけがない。
若干思考がピンク色に偏っているのは相方の感情に引きずられたもの。
こほん、こほんと数度咳払いして振り払う。
「エルは言っても中々聞いてくれないからね、たまには実力行使に出ないと――。」
魔王が不穏な事を言い始めた矢先。
まるで測ったかのように連絡用の魔道具からコール音が響いた。
頭上から口惜しげな息が漏れたのは聞かなかったことにして飛び起きる。
「お、お母様の方から連絡というのは珍しいですね!」
これ幸いとベッド脇に置いてある鞄へと手を伸ばした。
基本的に身を隠しながら動いているため、連絡するのはお嬢様からだ。
こんな専用魔道具を持っていると知られれば、否応なく目立ってしまう。
通話に出れば王国の最重鎮貴族が映し出されるのだ、更に目立つ。
州長の屋敷に居ると掴んでいたためだろうが、それだって侍女をつけられている。
情報はどこから漏れるか解ったものではないのだ。
「緊急なんだろうね。とりあえず続きは話を聞いた後で。」
許してはくれないらしい。
戦々恐々とする一方、少しドキドキする部分もある。
深呼吸して思考のリセット、魔道具を起動する。
『唐突な連絡申し訳ありません、お嬢様。』
「……セラ? お母様達が居ないのですが。」
浮き上がった画面に出てきたのは、予想に反してセラだった。
長年の付き合いだ、何かに呆れ果てている様子がすぐに解る。
それが画面内に居ない両親に関する事だと察しがついた。
『――繋がりましたよ、奥様。』
『も、もう少し深呼吸させてくれないかしら?』
『半刻もそうしたままではありませんか。』
珍しく狼狽えた声が入ってくる。
緊急事態の可能性も考えたのだが、この様子では違うようだ。
だが、だとすれば危険を犯してまでコールした理由が解らない。
「あの、お母様。何かあったのですか?」
『お嬢様、先に申しておきますとわたくしは反対いたしました、ええ全力で。』
「……セラ?」
「何だか僕も嫌な予感がしてきたんだけど。」
侍女の様子もいつもと違う。
きゅう、とお嬢様の眉根にしわが寄る。
そう言えばベッドの上で寄り添ったままだ。
この状況を見れば騒がれるものなのだが、それすらない。
『か、カイゼルね……。そう、相談。相談があるのよ。』
お母様が見切れながら画面に入ってきた。
王国最恐が、まるで怯えた小動物のようだ。
『ルゼイア・ファウルの冒険者証はどうなってるかしら?』
「学生証と同じだよ。世界を変えたものだから、その名前の冒険者は存在しているけれど存在していない。」
「私、初耳なんですけれど。」
いや、少し気にすれば解ることだ。
ルゼイア・ファウルは停滞の塊。
カイゼルの体内魔力ではルゼイアとカイゼルがイコールで結ばれる。
お嬢様を欺き、相方ではなく異性としてあるには別人になる必要があった。
だから世界を改変した。
騎士科の実地研修合格者の数がおかしかったのは辻褄合わせのためだ。
『そのね、今後に向けての布石としてね? ルゼイア・ファウルの身分を裏付けます。レフス帝国の名門貴族として裏付けました。』
過去形である。
意図するところは容易に察せられた。
お嬢様を再びフォールンベルト家に取り返すための準備だろう。
何せ相手は相方であり対等であり恋人だ。
ファウベルト領主が嫁入りに反対するはずがない。
「養子に迎え入れるために、ですか。そ、それは嬉しいんですけれど。」
嫁入り、結婚、かつてなら反発していた言葉。
姿の見えぬ相手や、家の都合で押し付けられる相手などまっぴら御免。
地位のため誰かに侍る所など考えたくもない。
今でもそれは変わらないが、隣に並ぶのであれば。
その相手が相方であるのならば。
「そうなったら、気兼ねなく側にいられるね。」
あえてルゼイアという養子を設定することには意味がある。
相手が相方だった場合、極度のブラコンとみなされるためだ。
加えて人化の技を修めていようが、異種相手の特殊性癖持ちと判断される。
他家ならともかく、フォールンベルト家にとってそれは弱点になりかねない。
ぽわぽわと暖まった空気を誤魔化すように、髪を一房握って頬へ押し当てる。
相方へ甘えるよう体を預けたため、誤魔化すも何もあったものではない。
『セラ、映像保存をお願いするわ。』
『録画モードにしてあります。』
「そこは変わりませんね!?」
直前の空気を保ちながらも、愛娘のレアな姿は残しておきたいようだ。
思わず恥じらう乙女になってしまったお嬢様が威嚇の声を上げる。
ふにゃふにゃなので全く怖くない。
「……ええとそれでフリグさん、何か不整合でもあったのかな。必要なら冒険者証を少し書き換えるけど。」
『いえ、そこは大丈夫。学園に留学していたあなたはお忍びということにしたもの。ルゼイエ・ショウ・トウ・ファウル、トウ家の四男で学び歩く竜人という設定にしたわ。それだけ覚えておいてね。』
「思いの外世界に負担をかけていたから助かるよ。改変し続けるよりも過去の整合性を取ったほうが歪みは少なくてすむ。」
「え、ええと。それを伝えるために……、ではないですよね?」
これだけならば、あれほどまで怯える必要はないはずだ。
それこそ定期連絡のときに伝えれば――いや、そうなればお父様が拗ねるか。
とはいえ生じる問題はそれくらい、わざわざ連絡してきた肝はこれではない。
お嬢様の指摘に再びお母様が挙動不審に陥った。
『ほら、うちに男子が加わると色々縁談が入ってくるでしょう? エルもそれは嫌かなと思うの。諸々を考えた結果ね? ローズベルト家のミズールさんに一時的な婚約を――。』
流れを察した瞬間お嬢様の思考が停止した。
表情こそ変わらぬものの、纏う空気から暖かさが消える。
上げてから落とされ、瞬時に感情が絶対零度まで冷え込んだ。
激情のあまり発動した覚醒で、碧の目は縦に伸びた黄金に変わっている。
「お母様なんてだいっきらい。」
「フリグさんが崩れ落ちた!」
格の低いお嬢様を迎え入れる発表をしたとする。
そうなれば様々な身分の令嬢から婚約の打診が届くだろう。
そのままでは間違いなく墓荒らしの派閥も参入してくる。
ならば先んじて、格の高い相手を据えてやればいい。
頭では理解している、それが見せかけのものであると。
理性では納得している、それがルゼイアを守るために取れる最善だと。
相方の隣に自分以外が立つ可能性を、感情が拒否するのだ。
『わたくしは反対し続けました。とは言え王国からの新聞を通して伝わるよりはこうして伝えたほうが――。』
「止められなかったセラもきらいです。」
「セラさんまで!」
画面向こうで人外の域に達した二名そろって撃沈する。
想定を遥かに超える言葉のナイフが致命傷を負わせたらしい。
一方お嬢様も感情が凍りつくほどの衝撃を受けていた。
顔も名前も知らない誰かならまだしも、幼少期から唯一の馴染みの相手。
「……僕が心変わりすることなんて、世界が滅んでもありえないんだけど。」
流石に二人の様子を見かねてか、相方がフォローに入る。
後ろから抱きすくめられ、触れ合った暖かさに凍りついていた感情が動いた。
たちまち眼尻が釣り上がり、拗ねなのか怒りなのか解らない表情になる。
表情だけならば可愛らしいが、動き出した感情は般若のそれだ。
「解っています。でも、ミズールさんの方はそういきません。」
問題となるのはミズール嬢の性格だ。
仮初とはいえ政略的な婚約を結んだとなれば、その地位に縛られる。
彼女は滅私してでも地位あるものは責務を負うを貫く。
強さの影響を与えてしまったお嬢様には、その意志を挫く権利がない。
おまけに今の身分で言うならばお嬢様より遥かに上になる。
つまり、正妻がミズール嬢、妾がお嬢様と捉えられるだろう。
「あの頑固さは、うん。……どうしようか。」
「……ふうん。」
世界を捻じ曲げる魔王ですら躊躇した。
シアンフローで更に鍛え上げられた意志を見せつけられたのだ。
壊してしまう前提ならばあるいは何とかできるだろう。
当然ながら、王国の矛と盾がそれを許すはずがない。
歯切れの悪い相方の返事に黄金の魔力が爆発寸前まで膨れ上がる。
「僕はエルの側を離れるつもりはないから公の場には出られない、フリグさんならその辺りの手も打っているはずだよね!」
同格に並び立つお嬢様だが、制御していなければ即座に対応ができる。
借りている部屋が大破する前に黒銀の魔力が黄金の魔力を抑え込む。
きっちり停滞を挟み込み、騒ぎを隠す効果も忘れない。
とは言えずっとこのままというわけにはいかない。
早くフォローを、という魔王の視線が画面に向けられる。
『も、もちろんよ! 影武者として、グラウンド家の当主に代役を頼んであるわ! だからエルは今まで通り、カイゼルと一緒に居られるの!』
この機を逃せば愛娘の信頼を取り戻せない。
再起動したお母様が急いで言葉を続けた。
魔王が抑え込んでくれている間に弁明する必要がある。
『王国側の一派はローズベルト家に手を伸ばす段取りを進めておりました。ご友人であるミズール様を守る意味合いのほうが強いのです。』
当然セラもこの流れに乗る。
ミズール嬢はローズベルト家の唯一の跡取り。
相手が居なければそろそろ見合いの話が上がる頃。
そこには当然、フォールンベルト家と同じように墓荒らしが参入するだろう。
特に王国守護を生業としている家系だ、条件次第では呑まざるを得ない。
必死な形相を浮かべた二人の話を聞くうち、なんとか怒りの制御を取り戻す。
「……どうしてカイゼルはそんなに平然としてるんですか。」
理解も納得もできるが、すんなりと受け入れる事ができない情報。
暴れないよう羽交い締めにしている相方へ不満げな声を向ける。
それに対する返答は大変解りやすいなものだった。
「僕が怒るより先にエルがキレたから。」
「むむむ……。」
側に感情を荒ぶらせている者がいれば、不思議と冷静になる。
加えてあの場で抑えておかねば、間違いなく後でお嬢様が後悔していた。
修繕のための建材は先日の襲撃復興に充てている。
そんな時に追加で騒ぎがあれば、州都の民にまで迷惑をかける。
仕方がないので、つり上がった目をお母様とセラへと戻す。
二人同時に判決を聞くべく居住まいを正した。
「今日のところは、納得して差し上げます。後日細かいところを話し合いましょう。」
『わ、解ったわ。エルが幸せになれるよう、あらゆる手を尽くすわ。』
『では、わたくしはファウベルト領へ戻ります。そろそろカール様へ新しい胃薬を届けなくてはなりませんので。』
「ふんだ。」
ぶつん、と通信を切る。
即座に身体の向きを変え、相方に抱きつき直した。
この場所は自分のもの、幼馴染にだって分けるものか。
ぐりぐりと胸板に頭を押し付け、甘え始める。
すっかり拗ねたお嬢様を宥めながら、魔王は若干遠い目をした。
甘えてくれるのは非常に嬉しいのだが、それ以上に無視できない問題がある。
「……僕も胃薬調合してもらおうかな。」
婚約に関して、墓荒らしも邪魔はするまい。
何せその後、両家を崩すための明確な標的ができるのだから。
王国守護を担う家系の金の姫と銀の姫。
王国にさして地盤のない養子が、その両方を手に入れる。
当事者からすれば勘弁願いたいが、これほど美味しそうな餌はない。
グラウンド家当主がこれらの問題を解決してくれるよう願うしかなかった。




