第4話 初見シグネチャー3
2021/12/06 前話が少し長かったので分割致しました。
ざ、ざ、ざ、と吹き飛んだお嬢様の軌道上に土煙が上がる。
受け身を取るのは久方ぶりだ。
幸いにも勢いの殺し方は鈍っていなかった。
握った土を撒いて視認性を悪くしたのは体勢を整える時間稼ぎだ。
「……覚醒、ですね。」
ようやく視界が落ち着けば、ラヴィテス氏の姿が確認できる。
彼を取り巻くのは白い兎の形をした魔力だ。
覚醒であればお嬢様の固定魔法の影響を受けない。
速度の目測を誤ったのもこれが原因だろう。
「これくらいしないと、俺でも瞬殺されかねなくてね。」
その言葉を残し、姿がかき消える。
踏み込みの音すら無く一息で懐へ潜られた。
爆発音のしない踏み込みはお嬢様とは正反対。
だが、その一息の時間があれば充分だ。
「呀!」
下腹部に走る疼きを経て、黄金の竜が超圧縮される。
襟元へ伸ばされた手を取るや否や、次に吹き飛ばすのはこちらの番。
足を刈ると同時に突進の勢いを使い、投げ飛ばした。
着地を待たずに追いすがる。
「これは激しい歓迎だ……!」
それが魔法の文言だった。
障壁魔法を動きの阻害として行使したものと解析を終える。
強化効果での搦め手だろうが、魔法ならばお嬢様は例外なく食ってしまう。
動きの減衰なく伸びてくる手の平を確認すると同時、全力の防御姿勢。
「難儀な術式を使っているな、金の君!」
「せぇ……。」
合図の声を上げたのは防御タイミングを教えるためだ。
とん、と十字に合わせた腕の中央へ掌を押し当てる。
握拳までコンマ一秒にも満たない。
着地、勁の伝達、距離はゼロからマイナスへ。
「のっ!!」
拳が腕に沈み込み、ぱん、と空気の破れる音が響く。
流石六ツ葉だ、綺麗にタイミングを合わせて自己防御へ全魔力を転じている。
ラヴィテス氏の身体はノンバウンドではるか後方の壁際まで吹き飛んだ。
そのまま叩きつけるつもりが、ふわりと壁に着地して勢いが消される。
わざわざタイミングを教えずとも凌がれていた可能性は高い。
これで手合わせは終了だ、圧縮された黄金竜は金の竜人へ戻る。
「ひええ……。バシリス嬢ちゃんはすげえ護衛を見つけてきたもんだ。」
「ふ、ふふん。わたくしの目に狂いはありませんわ!」
フェア氏の言葉にバシリス嬢は胸を張るが、若干震え声になっていた。
彼女が見たお嬢様の手腕は、違法技術による砲撃の一切を遮断する障壁のみ。
まさか近接戦で六ツ葉と渡り合うとは思っていなかったようだ。
「流石にキモが冷えたな。金の君、キミははぐれじゃないね?」
飛ばされたぶんの距離をあっという間に詰めたラヴィテス氏が指摘する。
はぐれ竜人はどれだけ補われようが、半端者から抜け出すことができない。
お嬢様の動きはいずれもはぐれの枠を超えていた。
簡単にたどり着ける解だが、わざわざ名言する必要はない。
「秘密です。」
冒険者となった背景は人それぞれ。
中には踏み込んで貰いたくないところもあろう。
現在必要なのは、護衛に際して力量があるか、信頼がおけるか。
淑女の隠し事を暴く必要性はどこにもない。
「ルール違反だな、詮索は忘れてくれ。キミの拳を信じよう。真っ直ぐな一打だった。」
「……エル、あんまりそういう事してると勘違いする人が出てくるから。」
一方お嬢様の仕草について唇を尖らせるのは、独占欲を見せる相方だ。
少し拗ねた様子の彼に寄ると、淀みのない動きで抱きついて髪を梳く。
覚醒の影響が同等である彼にも現れているのだろう。
「私が恋をするのは千年、万年経とうと貴方だけです。――わぷっ。」
「それじゃあ短い。命果てても手放すものか。」
間髪入れずに柔らかな身体が抱きすくめられた。
お嬢様の顔が相方の胸板に押し付けられる。
ほんのり汗ばんだ身体が気になるが、離してくれそうにない。
そもそも大好きな相方の匂いが側にあるのだ、離れる気がわかない。
「う、うわっ……。」
ベルドラド氏が熱にあてられ呻いた。
腕前は階級以上だが、初心な性格をしている。
わかりやすい弱点が四ツ葉で止まっている原因だ。
「はいはい、お二方そこまで! 予定も迫ってますし、戻りますわよ! 皆さんもお疲れさまでした、所定の仕事に戻ってくださいまし!」
「……こほんっ。ルゼイア、これくらいで。」
「後も控えているし、仕方ないか。」
バシリス嬢が甘ったるくなった空気を払拭するように声を張り上げる。
姉弟子とのやり取りといい、意識の切り替えはもう少し早めるべきだ。
* * *
お嬢様達は別の応接間で待機していた。
これから州長との顔合わせだ。
内容は議会での協力に関して正式な契約となる。
そのため否応なく貴族としての立ち振舞が要求される。
「相変わらずお母様は抜かりがありません。」
そのため、身を清めた後にしっかりと着飾っている。
現在のお嬢様用に設えた一式は、当然邪魔になりそうなレースやフリルが満載だ。
貴族の戦いは武ではないのだ、動きやすさはむしろ悪印象を抱かせかねない。
身につけているのも、魔力撹乱の扇子のみ。
「流石セラさんの教えだ、屋敷の頃と寸分狂いがない。」
学園生活である程度の着付けは一人でもできるようになっている。
時間があったのでゆるく髪を持ち上げ、編み込み、留めてバランスを整えた。
ハーフアップにアレンジを施せば、癖のない金髪も多少は柔らかく見える。
気を抜くと解けるため、見えない場所に多くの髪留めを用いていた。
「いい鏡を用意してもらえたのも幸いだ。手鏡だけだとバランスが取りづらいし。」
相方は小さな竜の姿に戻っている。
お嬢様はバシリス嬢達に素性を知られていた。
竜人として相対する以上、相方を引き連れるのは当然だ。
「その時は、あなたに手伝ってもらうつもりでした。」
「残念、僕はエルに触れられるほうが嬉しかったんだけど。」
程なくして訪問があるはずなので、軽く冗談を言い合う程度で留める。
うっかり身を寄せようものなら、気まずいタイミングで入室されるのがオチだ。
事実すぐに扉がノックされ、着飾り直したバシリス嬢と着飾った巨漢が入ってくる。
「お初にお目通り致します。王国にて旧ベーラ領を賜りました、エルエル・ディム・ファウベルトです。」
扉の前に気配が近づいた時点で挨拶の準備は整っている。
州長は純人の平均を超えて背が高く、がっちりとした筋肉で覆われていた。
獅人の冒険者や傭兵と言われた方が違和感がない。
加えて体から拭えぬほどの油と排煙の匂いが漂っている。
『……流石バシリスさんの父親、といったところかな。』
絆から伝わる相方の意見に大賛成するお嬢様。
技術を磨き、技術と向き合い続けた結果が現在のマギク州だ。
その長たる者が修めていないはずがない。
「ああ! 畏まる必要はない! 儂はそういうのは苦手での、どうせこの部屋だけの話だ!」
びりびりと大声量に部屋のガラスが揺れている。
お嬢様は一瞬耳が聞こえなくなるかと思った。
真横のバシリス嬢は慣れたように耳を塞いでいた。
「それにしても噂通り随分な別嬪だ、スフォル爺が自慢するだけの事はある!」
「お父様、直前まで工房に閉じこもってましたのよ! 声量には! 気をつけなさいと! あれほど念押ししたでしょう!?」
「うごぉう!? 年々儂に対する当たりがひどくなっておらんか!?」
だが、流石に客人を前にその音量はいささか威嚇的だ。
バシリス嬢のヒールが州長の靴にめり込んだ。
いかに巨体であろうが、巨人ではない。
娘の全体重を乗せた一点攻撃、通じないはずがない。
「小指の当たりを的確に……。マギク州の州長、アトミス・レグル・マギク殿とお見受けしますが。」
「いかにも! 娘から聞いておるぞ! 流石フリグ婆の娘、面白い発想の持ち主だとか!」
予想通りお嬢様の情報はバシリス嬢経由で伝わっている。
本来なら改めての名乗りが入るのだが、娘とのやり取りですっぽ抜けたようだ。
痛みから立ち直り、ずんと胸を張り直せば頭が見えなくなるほどの身長差。
「あれはバシリスさんの基礎設計があってこそです。工房の方も拝見させていただきましたが――。」
「早速本題だが、フェイル州の件についてだ! 我が州に手を出すだけにとどまらず、他国に手を伸ばすとは言語道断! 次の議会の場で王国の関係者として口添えをいただきたい!」
発言途中に被せられ、名乗りも中途半端だが、挨拶も中途半端。
まさかいきなり本題に移るとは思いもしなかった。
なるほど、頑固とは聞いていたが融通も効かないタイプらしい。
真横で目を釣り上げているバシリス嬢にも気づかず、アトミス氏は大声量で続ける。
「無論、ただ力を借りるだけでは儂らの気が収まらん! 礼はさせてもらおう! 国際問題でもあるでの、議会では賠償金の話題も出よう!」
『停滞めようか?』
『怒ってくれるのは嬉しいですけど、私たちの相手は墓荒らし関係者です。』
絆越しに過激な提案をする相方をなだめた。
なるほど目下財政難のファウベルト領には嬉しい話だ。
人もお金も足りていない、支援を受けられるのならばそれに越したことはない。
押し付けられたとは言え貴族であれば、領民の生活に責務を負う。
お嬢様の唇が柔らかな笑みに綻んだ。
――ただし大きな碧の瞳は、ひどく凪いでいる。
次の言葉は遮らせてなるものか。
「アトミス殿。私たち王国の貴族は、地位あるものは責務を負うを旨としております。」
「……ぬっ。」
静かな声色が大声を飲み込ませた。
貴族が纏うものは空気、やり方によっては小さな身体でも充分な存在感が生じる。
大貴族の家系に生まれ、苦手とはいえセラに叩き込まれた作法は身についていた。
そも、責務を負うということは領地の代弁者として在るということだ。
「スフォル・シル・フォールンベルトの娘と話して頂いては困ります。領地を賜ったからには、私とて一人の貴族です。」
春のような笑顔だが、相手を映す水鏡のような静かな碧瞳。
領土を背負う名乗りをした、身分を間違われてはならない。
その責務を放り出しては墓荒らしと同類になってしまう。
「お解りいただけるでしょうか。」
澄んだ声の一音一音が暗く深くまで沈むほど重い。
楚々とした娘の存在は、今や場を飲み込む程に大きくなっていた。
州長ならば様々な相手と話す機会がある。
その中でも、決して侮ってはならない相手が持つ空気。
「……失礼した。改めてマギク州の州長、アトミス・レグル・マギクからファウベルト領主殿へ、議会の席での助力を願いたい。」
「承りました。エルエル・ディム・ファウベルトがご期待に添えるよう尽力させていただきます。きちんとした書面の作成は後ほど。」
これだけのやり取りが、最低限行われなければならないことだ。
口調を崩す許可にも順序というものがある。
人の上に立つものは、自身の立ち位置を常々確認しなければならない。
「固い話はここまでとしていただきたい。工房篭もりゆえ、失言が多いことは改めて詫びよう。」
「父からアトミス殿は頑固者だと伺っております。そう仰られるのでしたら、畏まるのはここまでに。」
改めて要請を受け、今度こそお嬢様の碧瞳に柔らかな感情が戻った。
口調にも温かみが宿り、軽い冗句まで添えられる。
綻んだ表情に相応しい空気へ変わり、先程までの存在は消え失せた。
巨漢の目の前に立つのは、可愛らしいドレスで着飾った令嬢とその相方だ。
「……あの二人が親馬鹿になるわけだの。」
その差に、思わずアトミス氏が息と共に声を吐き出す。
数瞬の出来事に過ぎないが、背筋に鉄棒を押し当てられた気分だ。
また、同時にお嬢様の真横から大きく息を吐く音が聞こえる。
『……カイゼル?』
『雰囲気がね、怒った時のフリグさんやセラさんそっくりだったんだ。』
雰囲気に飲まれ、相方まで力が入ってしまったらしい。
お嬢様が二人に似ているのは仕方あるまい。
何せお母様の血を引いていて、主な教育はセラから受けているのだから。
とは言えお嬢様はアトミス氏をたしなめる程度のつもりだった。
そこまで強烈な圧を纏ったつもりはない。
「……ふはあっ! お父様、わたくしもう少し礼儀作法を真面目に取り組みますわ。」
「うむ、うっかり竜の尾を踏むと危険だの。」
「踏んだお父様も一緒に受けるべきですわ。」
「ぐぬっ。」
ないのだが、そもそも比べる相手が異常なのだ。
かたや王国における最恐、かたや元八ツ葉の冒険者。
屋敷から出たことがなく、学園ではセラ並であるシルヴィ嬢がいた。
「……あの、私そんなに怖かったのでしょうか。」
遠慮がちなお嬢様の問いに、二人揃って頷いた。
育った環境のため、一般常識に寄せようとしてもお嬢様は常識を知らない。
一種の超人達が纏う空気は半分でも常人には重すぎるのだ。




