第9話 ため息によるカンタータ3
2021/08/31追加
マスクにフード、認識阻害の眼鏡まで重なると立派な不審者の出来上がりだ。
当然街へ近づくに従い、衛兵から集まる視線は警戒度を増してゆく。
とは言え身分証明書は持っている、声をかけられても問題はない。
「そこの一行、止まれ。……せめてフードは取れんのか。身分証を見せてもらおう。」
案の定、衛兵に呼び止められた。
フードに関してはお嬢様のわがままだ。
折角撫でてもらった髪を排煙に晒したくなかった。
相方はちゃっかり目立たぬよう風を使ってカバーしている。
つまりこの中で、不審人物はお嬢様のみ。
「こちらで良いでしょうか?」
マスク越しでは、澄んだ声もやや曇る。
素直に冒険者証を見せ、この場を凌ぐが得策だ。
続いて相方、フォクシ嬢、ゼルド氏も提示して事なきを得た。
「……王国訛りのはぐれ共か。」
通り抜ける間際の蔑称と、鼻で笑う気配。
どうやらこの辺りの州でも竜人は歓迎されないらしい。
これでもお母様の見立てでは中立州だ。
過去の戦いは凄惨だったということだろう。
「恨みつらみってぇのは継承されるもんだ。あいつ自身の感情じゃあないだろうよ。」
少し離れてから姉弟子がフォローを入れる。
王国の抱える呪いも暗に仄めかしているのだろう。
時間が憤りを風化させる前に子へ伝えられ、また子へと伝わる。
継承は短命な純人の利点でもあり、欠点でもあった。
「王国によって、恩恵も得ているはずなのだがな……。」
「人は暗い感情に振り回されやすいです。ゼルドさんも傭兵業の最中、見たことはあるのでは?」
「……確かに。」
負の感情は想定外の力を生む。
その対価が己の存在であろうと、激情は様々なものを破壊する。
だからこそ非常に厄介で、扱いが難しい。
その権化だった相方は、煙を退ける風の操作を分け身に押し付けたところ。
感情の波にもまれて随分と変わったものだ。
「さあ、早く動かないと今日が終わってしまいます。集合場所はこの案内板前にしましょう。」
お母様の送ってくれた人との接触も、全員が心にとどめてある。
大通り、と言うにはこの町は混沌としすぎていた。
計画性皆無で建物が並び、採石場が設けられている。
そのため、各所に案内板は設置されているようだ。
なかでも入ってきた門からまっすぐ突き当りならば解りやすい。
「ギルドと植物店は西区か。ゼルドもこっちだ。手綱が離れずに済むのはありがてぇ。」
「仕入れの関係だろうな。雑貨もこちら方面にあるが……。」
「来州する人のための店舗は駅舎のある東区です。私たちが宿を取ってきますね。」
一応の区画分けはされているが、明確な線が引かれているわけではない。
大まかに南、東が訪れる人用、西がこの町に住む者用と言った具合だ。
北に飛行船の発着場があるが、同時に樹海に近い。
マギク州に向かう際には、気をつけたほうが良さそうだ。
「宿の質は大事だが、きちんと財布と相談するんだぞ? 六ツ葉雇ってんだからな。」
「解ってます。」
一日の終わりに、きちんと支払いは行っている。
お小遣いからの切り崩しのため、早々に仕事を受けて収入を得ておきたい。
バシリス嬢から技術料を貰ったほうが良かっただろうかと思ったが即時否定。
同好の士にそういう事はしたくない。
「……情は大事だが、それに囚われすぎんな。あと食事当番だからって気張りすぎ無くてもいいからな。」
「ちゃんと切り替えはします。料理も趣味ですので、無理をしているわけではないですから。」
「手荷物には気をつけろよ。ゼルドの話じゃ、何か合っても泣き寝入りが基本みてーだからな。」
「あの、フォクシさん。」
「お前らなら、そうそう不覚はとらねーと思うが――。」
「……ちょっとセラさんに似てきたね?」
「フォクシ、そろそろ移動したいのだが。」
調子が戻ってきたかと思えば、妹弟に対する過保護が顔を出す。
依頼主の身を案じているといった口調では断じてない。
これで耳を立て、周囲の音も探っているのだから大したものだ。
「じゃあ最後に、デートだからって浮かれすぎんな。」
「……返す言葉もないよ。」
「う、浮かれてませんし。」
最後の最後、しっかりと二人の心を暴いて釘を刺す。
どちらもデートであることは否定しない。
ここに来るまでお嬢様はこっそり相方と手を触れ合わせたままだ。
少々唸りながら、ギルド方向へ向かう二人の背中を見送った。
「どうする?」
「……解って聞いてますよね。」
相方の楽しそうな声に、お嬢様は恨みがましそうな視線を向ける。
仕返しに細い指を素早く絡め、きゅっと手を繋ぎ直した。
気持ちが浮き立つ声を遠のかせるために、相方のマスク購入は最優先だ。
* * *
馬車が辛うじて通れるような幅の道。
左右の壁が高く、圧迫されるような道。
その左右に無理やり開けられた店舗のスペース。
手を繋いでおいて正解だ、これだけ狭いと身を寄せておく方が良い。
体を寄せられるのは大変嬉しいことではある。
「……ですが。」
食材としてキノコを数点購入し、店先から離れる矢先。
踏み出そうとした一歩を半歩引き、お嬢様は独りごちる。
甲高い音と友に足先に金属片が落ちてきた。
ご丁寧に大変鋭く磨かれている。
勢いから自然落下したものでないことは明らかだ。
「それなりに仕掛けてくるものだね。」
風が流れて排煙が密度を増し、建物上の下手人へ飛ばす。
二人が西へ移動し始めてから、奇妙な妨害が多くなってきた。
害意は広く分布しているため、どれだけの人員が割かれているのか解らない。
「それに、随分工夫してくれるものです。」
「早めにマスクが買えたのは幸いだったよ。煙避けに回していた力が使える。」
妨害行動の全てがその場所で起きてもおかしくないようなことばかり。
上空からの落下物、店先の荷崩れ、曲がり角で突然馬車の暴走とかちあう。
何かあるごとに人混みにまじり、近づこうとする気配が動く。
怪我をすれば善意の住民がやってきて、治療という名目で連れて行く目論見か。
それらを避けているうち、次第に進路は北へ移動させられている。
まともに二人きりで歩くのは初めての機会だ。
そこへ水を指すということは、蹴り飛ばされたいという意思表示に他ならない。
「……とは、いかないんですよね。」
ぎゅうと相方の手を握って我慢する。
ここは異国であり、地の利、心の利は相手方にあった。
力任せに暴れて全員叩きのめすことは、やろうと思えば簡単だ。
だが、その後はどうなる。
自身の正体が暴かれ、重鎮の娘と知られれば国家間の軋轢が増す。
ただでさえ曰く付きの領地を押し付けられたばかりの身だ。
墓荒らしも関わってくる以上、強制送還だけで済むはずがない。
「短絡的な措置が、結果として嫌な枷になったものだよ。」
「もう、マスクもフードも邪魔ばかりです。折角並んで歩けるの――!」
言葉を途切り、ふっと膝から力を抜く。
今度の仕掛けは、少し意識しなければ間に合わないほど狙いが良い。
自重の落下だけでは足りない、上体を反らしながら手槍を短く振り下ろす。
ぷつ、と細い糸を穂先が切り裂き、体が落ちきる前に地を踏みしめ直す。
念の為補助に伸ばされた相方の腕にはしっかり腰を乗せさせてもらった。
「あっ。」
無理やり体重移動をしたせいで、フードが外れて金の髪が露わになる。
長い髪はがちがちに編んだため、地面につくことはない。
折角撫でられた感覚を残していたのに、排煙に晒され声が上がった。
「……突然だね、手法が違う。」
一方の相方は竜だ。
人の形をしてはいるが、対人の武器は驚異にならない。
軽く首を動かすだけで引っかかった糸を引きちぎる。
お嬢様を支える一方、ふわりと風を使って外れたフードを戻す。
体勢が戻る頃には、二人揃って意識を戦闘用に切り替えている。
「そこの路地奥です。」
「あの体内魔力は……。」
突然の強襲は、闇組織の縄張りに入ったということだろうか。
人通りもある中で、躊躇なく首を落としにくるとは思わなかった。
墓荒らしと繋がりのない一派なのかも知れない。
気になるのは明らかに致命傷を狙ってきた癖に、殺意も害意も感じないところだ。
体勢を崩したのに誰かが寄ってくる様子もなく、妨害行為もぴたりと止んでいる。
こういった事は早めに対処せねば、後の禍根となりかねない。
二人揃って路地へと駆け込み、同時に肩から力が抜けた。
「蜘蛛の巣、ですか?」
薄暗い路地の奥、建物の影と排煙に塗れて視界が遮られている。
だが、何者かの意識が介在するならば、そこには気配が生じるものだ。
配管に、僅かな溝に、僅かな出っ張りに、見えないほど細い糸が絡み合っていた。
薄闇の奥では巣の主が茶色の猫耳を立て、爛々と輝く金の目を向けてくる。
こういう接触のされ方は考えていなかった。
「閉所ならいくらでも仕掛けが利く。」
無表情な少女の声だ。
厚い革で作られた藍の上下、同色のブルゾンの肩には獅子の横顔の刺繍。
口元を隠すスカーフは、貧民層では排煙マスクの代わりに使うこともあるそうだ。
総じて西部劇を思わせる、排煙対策を兼ねた連邦国装束。
彼女は蜘蛛の巣の終点を厚手の革手袋で引っ張り、支えていた。
以前見た侍女服よりも、こちらのほうが着慣れている感じがする。
「……姉御達に押し付けられた。」
視線を向けていると、初めて会ったときと同じ様に不服そうな顔になった。
スカーフのせいでくぐもっているが、声色は表情を裏切らない。
扱っている糸からして、二人に仕掛けてきた者と同一人物だ。
「その恨みで突然首を狙うのはどうかと思います、ミリィさん。」
「あの程度、子供だまし。」
猫人は気難しいため、従う立場に甘んじることはない。
にも関わらずグラウンド家の従者に就いている変わり者。
学園都市脱出の際お世話になったミリィ・レオルド嬢が首を狙った張本人。
「その子供だましに、随分引っかかった人がいるんだね。闇組織の面々かな。」
相方の視線は路地の上に向いていた。
お嬢様が蜘蛛の巣と表現した理由もそこにある。
路地には数十人規模で人が縛られ、吊り下げられていた。
相変わらずどうして成り立っているのか解らない術式で意識を奪っている。
「仕掛ける事に夢中になりすぎ。キナップも質が落ちた。」
ミリィ嬢はさして関心も示さず鼻を鳴らした。
聞き慣れない単語は前後の会話から、妨害してきた集団と推測できる。
指に引っ掛けた糸を動かすたびに、釣られている者たちがゆらゆらと揺れる。
あちこちに引っ掛けることで荷重を分散させているようだ。
「そういえば闇組織は互助組織の総称でしたね。ミリィさんがお母様からの助っ人でしょうか?」
「あいあい。ところで、なんで鉄道で来なかったの?」
問いながら、ミリィ嬢はお嬢様たちを追い越して路地から出た。
吊るした者は興味を失った玩具のようにそのまま放置。
支えていた指がなくなり、ぶら下がっていた面々が落下する。
いずれも大怪我を負わぬよう数度引っかかるような落ち方だった。
どの道お嬢様達には、彼らをどうこうするだけの証拠がない。
「途中、マギク州の飛行船が襲われていまして。助けるために降りざるを得ませんでした。」
答えを返しながらお嬢様たちはミリィ嬢へ続く。
進路は南、意図的にずらされた方向から元の軌道へ戻っている。
同行者が増えたからか、今回は移動中に何事も起こらない。
「お人好し、それとも向こう見ず? 姉御がストッパー頑張れって言ってた理由が解った。」
「レオンさん、私をどんな目で見ていたのでしょうか……。」
学園都市で、そこまで致命的な暴走はやらかしていない。
真面目に授業を受け、真面目に自己鍛錬に励み、真面目に自分磨きをしていた。
屋敷時代のやんちゃをミズール嬢から聞いたにしても、実感は無いはずだ。
「僕がさらわれた時と、模擬戦訓練の時のはしゃぎ方と、実地研修の出来事があれば充分だったんじゃないかな。シアンフローでも飛び回ってたよね。」
「……振り返ると納得してしまう自分が居ます。」
思い返せば、ずいぶん恥ずかしいことをしていた。
実感のある悪夢を挟んだため、随分昔のように思えるがつい数日前の出来事。
そんな自覚は芽生えども、未だに評価基準は異世界に寄っている。
具体的には、買ったショートパンツ丈を伝えようものならお母様が卒倒する。
王国ではまず見ないようなデザインだが、お嬢様は違和感を感じていない。
この流れは非常に危険な予感がする。
仕切り直すため、お嬢様は話の種を周囲に求めた。
「ところでミリィさん。この魔法も、あなた方の?」
「……エル? 魔力が動いた形跡は――。」
話を逸らすため口にしたことに対し、相方が首を傾げる。
魔王はその特性上、魔力の流れに敏感だ。
その彼が首を傾げた以上、魔法の行使は行われていない。
お嬢様だって、世界の違和感を見つけたのはただの偶然だ。
ミリィ嬢がぱちりと目を瞬かせ、初めて楽しそうな笑みを浮かべる。
「へえ、想定外。グラウンド一味じゃないのに迷宮を見破るなんて。」
思えば路地に吊り下げられていた組織員は、気配の数に対して少なすぎた。
ぱちりと指を鳴らすや否や、精密に作られた世界の贋作が形を変える。
動くことでようやく支えていた術式が垣間見えた。
滅茶苦茶に編み上げられ、整合性など全く無いに等しいはずなのに成立する術式群。
それが世界からお嬢様と相方を隠してくれていたのだ。
「見破れたところで、私やお母様では再現できそうにないです。」
見立てでは、ミリィ嬢を中心に半径二十メートルほどの球範囲。
その規模にも関わらず、術式自体が世界を騙し、停滞は生み出されない。
理論に沿って編み上げる身では、理解のできない領域だ。
似た魔法を編むとすれば、膨大な式で空間を埋め尽くし、とても気軽に使えない。
「いつの間に……。僕はもう少し、鑑定眼を磨かないといけないかな。」
「ギルドに向かった二人との合流場所まではあたしが案内する。だから妨害はもう来ない。」
魔法の効果は認識阻害に近い。
違いは対象を選別している点、かけられた対象がまるで気づけ無い点だ。
お嬢様も話を逸らそうとしなければ見つけられなかっただろう。
ロウエルでレオン嬢がこちらを看破したのは、これで認識阻害を上書きしたからか。
宣言通り、最初の看板へたどり着くまで妨害は一切無かった。
「……あっ。すみません、私たち宿も選ぶのでした!」
「なんでもっと早く言わないの?」
到着直前で思い出し、大慌てで引き返す羽目になる。
ミリィ嬢が一気に不機嫌顔になったのは言うまでもない。
次回閑話を1話はさみます




