第6話 一段落のフィースト
2020/06/03大規模修正
国境と製粉の街、フロワ領シアンフロー。
今や良き隣人となっている連邦国へかかる巨橋を有する唯一の街だ。
とはいえ他国との玄関口となればその門を易々とくぐることは難しい。
何せ王宮から近衛騎士団と魔法団が派遣されており、監視の目を光らせている。
未だ現役の物見櫓からベーラ領の異変を聞いた騎士達は走り出す。
六ツ葉の冒険者から緊急報告も受けていたため、護送用の馬車も忘れない。
平時活躍のない騎兵部隊の数少ない出番であった。
張り切らないはずがない。
「ええと……。」
そんな一団を迎えたのは、場違いなほど甘く澄んだ声色。
竜人の少年に抱き上げられ、耳の先を真っ赤に染めた白磁のお嬢様だった。
狐人の冒険者は他の隊員に状況の説明をしているところ。
ガントレットをつけた純人の青年は縛り上げていた白い青年を引き渡す。
「……お、おひさしぶりです。リュカン卿。」
大変困ったように眉をハの字にしながら、澄んだ声の少女が挨拶をする。
此度の騎兵部隊を率いて来た狼人も、何ともいえない表情をしていた。
近衛騎士団長ことお父様の職務上、お嬢様も幾人かと顔を合わせている。
運の良いことに、あるいは悪いことに今回は知った顔であった。
認識阻害の眼鏡を外しているため、ちらちらと此方へ視線を向ける者もいる。
その辺りは即時リュカン卿の統率によって職務へ戻された。
「その包帯。またお転婆をされたと言うのなら解りますが、そういうわけでもないのでしょうな。」
現実を受け入れるためだろう、ふかぁく息を吐かれた。
お嬢様の肩がびくりと跳ねる。
彼もまたお転婆被害者の一人なのだ。
詳細は彼とお嬢様の名誉のために伏せる。
結果として毛根の一部に深刻なダメージを負わせてしまった。
火の扱いはとても危険だということが、双方の心に強く刻み込まれた事件だった。
今でも彼の頭部は頭巾を被って隠されている。
そんな彼がくわ、と目を見開いて大声で。
「まさかあのお転婆お嬢が! 楚々として男性の腕に抱かれる姿を見ようとは! 魔性とまで呼ばれているお方が!」
「笑うなら、素直に笑ってください……。」
毛並みが自慢だったこともあり、仕返しは当然だ。
しっかりと新聞に載った情報は仕入れている、からかいの言葉に乗せてきた。
全力を超えて打った竜の息に度重なる無茶な動き。
回復の怠さが加わってお嬢様の声が沈む。
彼はお転婆時代のお嬢様しか知らない。
妙にしおらしい態度に不思議な生き物を見るような表情を浮かべている。
「……よもや本気と仰るか。そちらの少年にぞっこんだと? ラヴだと?」
「リュカン卿、無理に口調を維持しないでください。私の身分は剥奪されておりますので。」
「ああ、僕はカイゼルだよ。ほら、リンドさんが人の姿になったりするだろう?」
ほう、とリュカン卿が目を細め、お嬢様が身を縮める。
庇うように抱き上げる腕に力が込められてちょっとどきりとした。
同時に手足がずきんと痛むのは仕方がない。
それにしても相方の体は随分逞しい、いやこれ以上は考えない方が良い。
「つまり姉弟だったのがいつの間にかお互いを思い合う恋仲に。これは良いネタができ……おっと。」
「隊長ー、どうするんっすか。お嬢さんらの捕縛なんて命令は下ってませんし、今は国境問題のほうがやべぇす。」
部下が伺いを立ててきたので流石に意識を切り替える。
だが、良いネタと言われたのを聞き逃すようなお嬢様ではない。
できれば聞き逃したかった、羞恥心でぷるぷる震え始める。
これは後で散々言われるに違いない。
「あん? 国境問題って、オレが報告した領土侵犯以外にもなんかあったのかい。」
ゼルド氏と共に状況説明をしていたフォクシ嬢が戻ってきた。
ベーラ領で行われていた出来事やその結果の報告も終わったらしい。
副隊長の指示によって騎兵部隊数名がそのままベーラ領へ駆けてゆく。
「ひとまず怪我人と参考人の輸送だ、護送馬車の準備を。……現在ヴィオニカ連邦国側から、橋が分けられていてな。」
指示を出すリュカン卿の言葉遣いがようやく定まった。
彼は畏まった話し方は苦手なほうなのだ。
姉弟子達は街まで向かうため、各々馬に相乗りさせてもらう。
人を抱えて移動するよりずっと早いので助かった。
なお、お嬢様は重症のため馬車送りだ。
ルゼイアに抱き上げられたまま乗り込む。
バレッタ氏も一緒だが、彼は堅硬な魔力撹乱の収容檻の中だ。
「あっち側からねえ……。あのお嬢様を追い込みたかったみてーだし、時間稼ぎだろうな。一応の名目は?」
「谷から上がる風が規定よりも強いため。随分と古い基準だ。お陰で国境を渡れん商人からの苦情がひっきりなしだ。あちら側でもそうだろうよ。」
足の早いものをあえて扱う商人も居る。
彼らにとって、時間の経過は最大の敵だ。
最悪その場で市を開いて売りさばけることを祈るしかない。
巨橋は浮遊岩を加工し、巨大な刻印魔法によって制御されている。
竜巻でも起こらない限り、風程度でどうにかなる作りではない。
安全規定値と言っても、魔法に関して一歩劣る連邦国が独自に決めていることだ。
その定義は古い飛行船時代のまま変わっていない。
宮廷魔法団団長の組み上げた刻印設計は綻ばない。
とはいえ王国側と連邦国側、両方から術式を通さねば道が出来ないのもまた事実。
「……オレ、今までそんな情けない理由で国境橋が分けられたの聞いたことねぇぞ。」
「俺らもっすよ。長いことここに居ますけど、唐突に橋を解けさせたのは始めてみたっすわ。」
問題は王国側だけではなく連邦国側にまで及んでいる。
大方何かあった場合、連邦国まで陸路を使わせないためだろう。
これは相当な悪手だ、王国との信頼関係に泥を塗るようなもの。
場当たり的な行動は散々見てきた墓荒らし全般に当てはまる。
どうやら向こう側に渡るまで、もう一踏ん張りしなければならないようだ。
* * *
西側は高い壁に覆われ、東側には小麦畑が広がる風車の街。
町中へ入れば大瀑布の音は随分と静かになる。
街全体に遮音の刻印魔法が施されているようだ。
確かに、あの音量そのままでは安眠できない。
王都と同じ木とレンガで組まれた建物は間隔が広く取られており、随分開放的だ。
その分小さな水路が隙間の所々に敷かれている。
大河から引き込まれた水路のお陰で、体感的には随分涼しい。
堪能する暇もなく、一同は早々に近衛騎士団の詰め所に入ることになった。
詳しい事情聴取は姉弟子とゼルド氏が改めて行ってくれている。
あとはバレッタ氏が目を覚まし次第彼への尋問か。
お嬢様達は別の打ち合わせ、執務室で顔なじみと相対していた。
「あのエルエル嬢が恋を。いや何度我が目と頭を疑いそうになった事か。ここまで変わるとは。」
「……そろそろ勘弁してください。」
いじるネタを得たリュカン卿は上機嫌。
過去のお嬢様のしでかした事の報いだろう。
なるほど、彼にとってこれほどの辱めだったのか。
甘んじて受け入れていたが、愛だの恋だの甘酸っぱいだの乙女になっただの。
回復魔道具のお陰で随分体力を持っていかれている、聞いているだけで辛い。
「まあまあ、良いことではないか? 運命の相手が生まれた時より側に居たとは!」
「あうっ。」
とつっ、とそのフレーズがお嬢様の側頭部を殴り飛ばす。
迂闊にもその運命の相手に、何もかも見られている事を思い出した。
過去に戻れるなら自分の頭を叩き回したい。
恨みがましそうに力の入らない碧瞳を向けるが、過去を知るものは惑わされない。
その代わり相方がお嬢様の肩を抱き寄せて、無事な右耳を塞ぐ。
突然は危うい、心臓が止まるかと思った。
「竜人と相方の深い絆の物語の中には恋物語もあるぞ。何冊か紹介しようか。」
完全に撃沈したお嬢様を見やって追加の茶々。
執務室に入ってから散々これだ、肝心の話が出来ていない。
流石に見かねたルゼイアが口を挟む。
「リュカン卿。僕としては聞いていて嬉しいけど、それくらいで。エルはかなりの重症だ、回復に体力の殆どを持っていかれている。」
「なるほど、大切な娘を慮る姿勢は大事だな、きちんと守り通せよ。……さて、本題に入ろう。我々もエルエル嬢、今はエルシィ嬢か、取り巻く状況はある程度調べてある。」
随分と長い前置きだった。
まだ耳を抑えられているので篭もったように聞こえるが、音はきちんと拾える。
「王室の決定に、その後連日面白おかしく書き立てられる記事。流石にどこへ向かって愛の逃避行を行ったかは記していなかったが――。」
いつの間にか、身分剥奪が身分違いの恋による駆け落ち話になっているらしい。
剥奪を受けたのはお嬢様だけだ。
相方は今もフォールンベルト家に籍があってもおかしくない。
そう考えれば身分違いの恋という表現もあながち間違いではなかった。
いや、問題はそこではなく。
「ず、随分最初の頃と情報が変わってませんか!?」
「その辺りは裏方が頑張ったのだろうさ。こちらに来られるとは驚いたが、まあ想像の範囲内だ。今の所国境の封鎖の指令も届いていないので安心するといい。」
魔物を使役し、国へ仇をなすとすれば即刻拘束の上王都送りだ。
だが彼らは知っている、一部の貴族の様子がおかしいことを。
その上で滅茶苦茶な情報が流れれば、独自に調べだってする。
末席とはいえ王室の一員が魔災を起こそうとしたことなど隠しきれることではない。
事件を知っている学園の生徒は一部卒業している。
詳細を掴むのにさして時間はかからなかった。
不祥事を隠すため、より大きな事件で目をそらそうとする。
大変解りやすい流れだった。
「良いのですか?」
過去のことはさておき、リュカン卿は全面的にお嬢様達へ協力してくれるらしい。
それは何かあった時、墓荒らしから攻め立てられる種になる。
これ以上誰かに迷惑を掛けることは御免だ。
そんなお嬢様の内心をリュカン卿は笑い飛ばす。
「はっ、益を貪る馬鹿どもより、手を焼かせてくれた盟友の血に義理立てするだけだ。ベーラ領の大馬鹿も張り倒してくれたようだしな!」
「……フォクシさん達から報告が上がると思いますが、腹に据えかねまして。」
近衛騎士団は王国を守るための組織。
国を構成するのは王族貴族だけではない、民もまた守るべき対象だ。
間違っていると判断すれば、たとえ王室相手でも我を通す。
上の頭が抑えられていても、各組織にはまた別の頭がある。
全てを抑えつけるのは墓荒らしが悪目立ちする。
「問題ない。明日にでも改めて、あちらへ橋を元に戻すよう再要求しよう。今回は良い手土産を持ってきてくれた、流石に断らせん。」
領空侵犯、領土侵犯、他国における人体実験。
勿論ベーラ領の領主も罪には問われるが、それは国内の問題だ。
王国からの調査と、連絡を円滑に行うための橋の起動要求。
なお渋るようならば、連邦国は王国に対して宣戦の意志ありと告げるようなもの。
「ありがたいね、いい加減この国で足踏み続けるのにも飽きてきた。」
相方が手近なクッションを膝の上に乗せ、お嬢様を寝かせる。
あっさりと膝枕されてしまったが、体が怠くて逆らえなかった。
左耳は再生中で感覚がない、横たわった拍子にうとうとし始める。
リュカン卿はまた奇妙な表情になったが、お嬢様は確認できない。
「あのじゃじゃ馬娘がよくここまでしおらしく……、ああ。自分の縄張りだと安心できるのは我らも同じか。」
「この場所ばかりは誰にも譲るつもりはないよ。」
「全く、恋を知り愛を知れば人は変わるか。そら、今朝方この騎士団宛に届いたエルエル嬢へのプレゼントだ。」
大変恥ずかしいことを言われている。
眠気のせいでぐずるような声しか上がらない。
横になった視界に入るのは木製の小箱。
相方が手を伸ばして開けてくれた。
「……私、まだお母様に報告していないのに。」
中身を確認すると同時に眠気が半分くらい吹き飛んだ。
中に入っていたのは指揮棒と手紙だ。
差出人はお母様、それにしては記されている文字は酷く単純明快。
答え合わせ、正解おめでとう、という短い文章だった。
指揮棒の外側はお嬢様の体内魔力によって覆われている。
それを起点に内部を解析。
相方による断絶に包まれ、魔力の急速吸収の回路と世界から切り離された空間。
唯一出力部分、イコールの部分だけ外へと面している。
つまり、先だってお嬢様が理論建てた通りの魔道具だ。
「魔法の法則は『愛』で表される感情によって強度を決める……か。」
手紙はもう一枚あったらしい。
どちらかと言えばこれは相方へ向けた言葉だろう。
彼の魔法行使が扱うのは、基本的に憎しみだ。
一方でお嬢様に対する愛情は人一倍……百倍くらいある。
それを力にしろというのだろうけれど。
「なるほど、愛か。」
リュカン卿の視線が、一向に相方の膝から頭を上げないお嬢様へ注がれる。
優しく髪を撫でる相方の手で、あっという間に眠気が襲ってきた。
プレゼントの魔道具を胸に抱きながら、不服そうな顔をするのが精一杯の反抗だ。
「明日まで動きがないのなら、エルを寝かしつけてからフォクシさんたちと合流して宿を決めないとね。」
「騎士団の宿舎にいくつか空きがある、まとめて使って貰って構わんのだが。」
「きちんと部屋をわけて見張り役が居ないと、僕が我慢できそうにないんだ。」
馬鹿な事を言う相方の足をぺち、と力の抜けたお嬢様がはたく。
護衛依頼はフォクシ嬢の領分だ、勝手に予定を変えさせるわけにはいかない。
だからといってその建前はどうだろうか。
恨めしげに頭を動かして、片目で睨む。
「ひゃ……!」
青い瞳で真っ直ぐに返される。
少しの恐怖と大きな羞恥に、らしくもない声が上がった。
さっきの手紙で愛だの言われたせいで伝わる想いが熱い。
慌ててクッションに顔を埋め直す。
ルゼイアは本気の顔だった、本気で求める顔だった。
それはそうだ、忘れていた、お嬢様が甘すぎた。
どきどきが止まらない、身体に熱が一気に増した。
「……そうだな、傷も治りきっていない。これは部屋をわけたほうがいい。」
「でしょう?」
リュカン卿から納得の声が振ってくる。
手を出されたら、されるがままになってしまう。
キスまでと互いで決めたのだ、反論はできなかった。




