第5話 断崖絶壁のスタートライン
2021/04/17大規模修正
お嬢様の朝は早い。
と言うか一夜過ごすにしても寝ずの番は必要だ。
半日ほど気を失っていたので、後半の見張りをお嬢様がかって出た。
王都から逃走開始して初日だ。
昨日の今日でいきなり大々的に追手が来ることもない。
徹夜すると頑なに宣言する姉弟子を説き伏せるのには少々時間がかかった。
何かあれば声をかける、動き回らない、危ないことはしない。
この三つを何度も復唱させられた。
「ふぁ……。」
焚き火も消え、木々に遮られた空がゆっくりと白み始めたあたり。
薄らぐ夜の気配にお嬢様の吐息が混じる。
身につけているのはインナーとスカート、それにニーソックスと革靴。
ケープとシャツは畳んで置いてある。
ガーターリングを外してあるため、靴下は随分ずり落ちている。
フォクシ嬢もカイゼルもまだ眠っている。
じわりと額に汗が浮かんでも、見咎められることはない。
激しく脈打ちそうな鼓動を深い呼吸で落ち着かせる。
浮かせた程度の腰は動かさず、震えそうな細い脚を抑えつける。
「く……ん……。」
きゅ、と強く瞼に力が篭もり、苦しげな声が喉から漏れる。
一方で全身は脱力し、強張らせないという矛盾。
新しい魔道具が体内魔力をかき乱してくれるお陰で世界から魔力は入ってこない。
お陰で治療用の魔道具が効果を発揮し、体中の痛みは引いている。
純粋に肉体だけを鍛えられるのならば、大変やりやすい。
額から頬を伝って顎でまとまり、ぽつん、と地面を打つ。
徹底的に重心を落とした姿勢は体に癖を定着させるため。
両足を開き、深く腰を落としたままの体勢維持、かれこれ一刻ほど。
魔法だけでなく、芯となる体の基礎を伸ばす必要があった。
華奢な体は剛を得るには不向きであることが解っている。
悲観することはない、それなら対策を講じれば良いだけだ。
まずは体を巡る魔力以外の経路を練り上げなおす。
「……は……。」
体の中を巡らせる呼気が熱を帯びて漏れた。
ゆら、と体の周りは陽炎のような靄が生じる。
陽光を思わせる金の髪が、風もないのに少しだけそよぐ。
試験のときも確認したが、矢張り魔力と共存できる。
――本日の行軍もある、これくらいにしておこう。
徐々に呼気を平常へ戻し、へたんと座り込む。
ど、と汗が吹き出してきた。
「……ふっ、はあっ!」
たちまち服がぐっしょりと汗を含んだ。
近くに川があるので、出立前に体を清めて着替えておこう。
幸いにも鞄の中には数着の替えがあるし、洗濯魔道具も組み込まれている。
一見すれば普通の遠出鞄だが、お母様大張り切りの一点物だ。
「何か来たか! 辛くなったら何時でも起こせって言っておいただろう!?」
息が弾んだ事で即時フォクシ嬢が飛び起きた。
状況確認を即座に終わらせる。
眠りの浅さと警戒は単独行動の多い冒険者の特技だろうか。
騎士科ではむしろ休む時はしっかり眠るよう言われていた。
目を釣り上げながらこちらの額へ手のひらを押し当て、熱を確かめられた。
こんな所までセラと同じ、嬉しくて思わず碧の瞳が緩む。
一瞬息を飲む気配がした。
そう言えば認識撹乱の魔道具はつけていない。
「大丈夫です、時間があったので少し鍛錬していただけですから!」
甘く透明な声は、淑やかなものではなく溌剌としたもの。
喉の方も完治している、呼吸も発声も問題ない。
「安静にしてるって約束は!」
動き回っていない、危ないこともしていない。
誓ったことに何ら反していない。
お嬢様は自信満々に碧瞳を開いて胸を張る。
「はい、ですので危ないことはしてなぃたっ!」
だがその発言を聞くと、がっつんと拳骨が振ってくる。
そう言えば走り回って倒れた後、最初に振ってきたのも拳骨だ。
かつてのお転婆は復活を遂げていた。
「ご、ごめんなさい。滅茶苦茶にされたのが悔しくてじっとしてられませんでした。」
泣くだけ泣いて気持ちの方はもう切り替えた。
とは言え心配をかけたことは確かだ。
じんじんと痛む頭を抑えて謝る。
だがもうしないとは言わないし、大人しくするとも言っていない。
その裏を察せるのが狐人。
フォクシ嬢はまたも手のひらで顔を覆って天を仰ぐ。
「お袋から聞かされてた以上のやんちゃだな、この馬鹿妹! ああもういい。朝飯作っとくから、相方見張りに連れてその汗なんとかしてこい!」
「はいっ!」
軽い調整だけで終わらせたが、鍛錬後のご飯はとても美味しい。
相変わらず寝息をたてるカイゼルをゆすり起こし、小川へ水浴びに向かう。
きゅああ、とのんきにあくびなどしている相方に一言。
「……カイゼルは起きてくれないんですねー?」
「きゅい!?」
姉弟子は起きたのに。
なんて意地悪を言ったところ慌てて弁明を始めた。
相方が頑張っているのだ、カイゼルも自分磨いて欲しい。
さもなくばそのふわふわもふもふのたてがみを一層もふらせてもらおう。
むしろそちらが目的だ。
抜かりはない、きちんとカイゼル用のブラシも準備済み。
結局見張りどころではなく容赦なくふかふかケアに引きずり込む。
さっぱりした所で着衣、髪を高い位置で一つに結わえて完了。
朝食は昨夜のパン粥を温め直してチーズを少し溶いたもの。
テーブルマナーに囚われない食事はお忍び以来だった。
* * *
焚き火跡を隠し、森を抜けて再び丘陵へ。
出立前にシルヴィ嬢のため、魔道具で一報を送っておいた。
何と映像付きだ、お母様は新技術をまた打ち立てたらしい。
王都内はシルヴィ嬢が抜け出したことで騒ぎになったことだろう。
近接格闘部隊の隊長肩書は治安維持に大きな影響を持つ。
貴族間のどろどろした部分しか見ていなかったが、王都にだってスラムはある。
お嬢様一人に固執して、肝心の国を揺るがす短慮な者はそう居ない。
念の為引かれている主要道路から外れた道を選んでいるため、歩調はやや遅い。
急いで国境を超えねばならないのは確かだが、足を取られるほど急ぐ程でもない。
「まぁ、冒険者なんてのは何でも屋だ。採取、調査、討伐、護衛あたりが基本にゃなるが、それ以外に傭兵みたいに使われることもある。」
そんなわけで道中、フォクシ嬢に冒険者の心得のようなものを聞いている。
お嬢様の立ち位置は、現在駆け出しの冒険者。
腕前はフォクシ嬢が良しとするほどだが、業界のことは全く知らない。
情報は盾にもなり、武器にもなる。
お嬢様としての身分はこの国に最早存在しない。
ならば冒険者ギルドを縁に新しく生活基盤を構築していかなければならない。
「学園街の冒険者ギルドに入ったこともありましたけれど、そう言えば色々な話題が飛び交っていました。」
害獣、魔獣の討伐方法や薬草採取の方法。
学園街で耳にしたのは大体がこの二種だ。
護衛ならば討伐方法の応用になるし、調査ならば採取の知識が役に立つ。
「ま、情報交換は基本だ。大体はそんな雰囲気であってるぜ。ただ、想像している以上にガラが悪い。女の冒険者はまず絡まれる。」
そう言って顔をしかめるフォクシ嬢。
色々と嫌がらせもあったのだろう。
ついでにこちらへ視線を向けてくる。
認識阻害は働かせているので、足元から頭の先まで俯瞰するようなもの。
言われずとも解っている。
着物から覗く四肢は引き締まり、冒険者として働いてきた経歴のあるフォクシ嬢。
対して細い手足は色白で争い事とは無縁そうな柔らかさ。
セラの手ほどきのおかげで隙があるようでないが、経歴ゼロのお嬢様。
側に比較対象が居る以上、冒険者ですと言った所で鼻で笑われる。
「……最初は護衛対象だって事にしといたほうが波風はたたねーんだが。」
「て、手間じゃないかなあ……と……。」
ぎくり、とお嬢様の視線が逃げた。
昨日の今朝だ、すっかり性格は読まれている。
とりあえずしつこい人には牽制入れれば良いんですよね。
物騒なことを考えていた所だ。
「目立とうとすんな。せめて手槍だけにしろ。あの固定魔法は見せるにゃ危なすぎる。」
ぺちん、と顔を覆うフォクシ嬢。
止めても無駄と即座に判断されてしまった。
どんな対処をするか、お嬢様の自由意志に任せてくれるらしい。
ただし固定魔法は封印。
あんな極端な魔法式、お嬢様以外に組もうとするおかしな者は居ない。
少なくとも国内で使えば即座に場所がバレる。
「ともあれ、普通は一人で全てこなすにゃ得手不得手が出てくる。そんな仕事にも対応するために仲間を組んだりする奴らもいる。その分報酬は減るけどな。」
分配の都合がある。
パーティーを組めば受けられる仕事の幅は増えるが一人あたりの報酬は減る。
仕事の報酬を満額全て自分の懐にいれるか。
受けられる仕事の幅を広げ、継続して収入を得られる状況を作るか。
個々人でどちらを重視するかは変わってくる。
最も一時的に仲間を募り、仕事が受けられない状況を少なくするのも手の一つ。
「……つまりセラは。」
「お袋は異常だ。一人で何でもやってきた。……とりあえず採取の話からするか。大体よく依頼が入るのは――。」
異常とは言うが、フォクシ嬢も誰かとパーティーを組んでいる様子がない。
その割に知識量は非常に豊富だ。
一般的な薬草の類から平時見つけ次第確保しておいたほうが良い止血剤や解熱剤。
その材料と調合方法と保存方法、提出の際の注意点。
冒険者であも念の為、薬研の一つは持っていたほうが良いそうだ。
――薬師が依頼に出す専門的な採取物とその取り扱い知識。
武器を交えた所から討伐の腕も充分だし、今回はお嬢様の護衛依頼を受けている。
つまり、あの母にしてこの娘あり。
「……実入りが良いんだよ、この方が実入りが!」
考えていることを読んだらしい。
決して真似しているわけではない、憧れがあるわけではない。
実利を取っているだけだと主張している。
なるほど姉弟子は母親に似てツンデレさんのようだ。
「あいたっ!」
余計なことを考えたら拳が振ってきた。
すぐに拳を振り上げるところ、よくないと思います。
思わず尖り耳を下げて恨みがましい目を向けた。
認識阻害のせいで多分届いていない。
「……こんな具合に冒険者は割とすぐ腕っぷしに頼るからな。真っ直ぐ突っ走る分にゃ構わねーけど、毒盛られて滅茶苦茶されても知らねーぞ。」
「ごめんなさい。その時は助けて下さい。」
「おう、任せとけ。」
すっと凄く真面目な顔になった。
昨日滅茶苦茶にされたばかりではあるが、この場合はニュアンスが全く違う。
最終手段は股間を蹴り上げる、その心得はしっかりと覚えている。
だがそんな状況になること事態全力で回避したい。
力で来られたら対策はできるだろう。
だが薬などで意識を奪われたらどうしようもない。
薬学の説明を最初に持ってきたのはそれに対する処方を覚えさせるため。
ガイダンスの順序も割ときっちり考えられていた。
「ぎゅうう……。」
「カイゼル。ちゃんと貴方にも頼りますから。」
「昨日は威嚇するばかりで何もできなかったけどな。」
「ぎゅう。」
お嬢様の言葉をフォクシ嬢があっさり切り捨て、カイゼルがしゅんとする。
学園での基礎訓練はカイゼルも受けている。
ミズール嬢とズーラ、ハルト氏とルードは連携練習をしている。
一方お嬢様は相方と連携する訓練を避けてきた。
お嬢様自身がカイゼルを荒事の場から遠ざけようとしていたからだ。
だからあの時、シルヴィ嬢に対して威嚇できただけでも満足だった。
「あまりカイゼルをいじめないであげて下さい。弟みたいなものです、あまり荒事に向かわせたくないんです。」
「良いのかね? 狐人のオレが言うのもなんだが、竜人は相方と揃って初めて一人なんだろ?」
竜人と相方の竜は同格。
その意味は揃うことで一人前という意味だ。
片方がどれだけ練磨したところで釣り合いが取れなければ何処までいっても半人前。
それでもあの日の事が脳裏をちらつく。
自分を庇って傷ついた相方がお嬢様にとって大きなトラウマになっていた。
不運なことにお嬢様自身、それに気づいていない。
同じようにと口にしながら、最後の一歩をお嬢様が許さない。
学園時代もそうだったし、昨日の一件でもそうだ。
「良いんです。カイゼルのたてがみには癒やされていますから。」
「……。」
「ま、それぞれだからな、考え方は。」
ぎゅう、と傍らを歩く相方の首に腕を回して抱きしめる。
カイゼルからの反応は薄かった。
――緩やかに世界は変質を開始する。
その日の夜も夜営になる。
街道を真っ直ぐ進んでいないため、宿場町までどうしても時間がかかる。
場所は念の為塹壕の中。
古戦場だったこの辺り、隠れる場所が多いため隠れる場所には困らない。
今日の寝ずの番、先はお嬢様だ。
昼食は携帯食、夕食と翌日の朝食はしっかりと調理したもの。
なるほど、採取の知識は香辛料としても役に立つのか。
手に入れられる時には複数種の調味料を買い揃えておこう、専用ケースも欲しい。
とは言えあまり多くを望むとかさばりすぎるため、ある程度の取捨選択は必要だ。
大規模な空間圧縮など奇跡も奇跡。
下手にそんな魔道具を作ろうものなら魔物が多発しかねない。
「……。」
お嬢様は朝と同じように腰を落とし、呼気を整えている。
本来なら覚醒の練習を行いたいが、こんな所で試そうものなら大変目立つ。
――意識が集中できない。
例えるなら外からの酷い騒音が思考の実を結ぶ前に落としていくような。
まだ四半刻も過ぎていないのに膝ががくがく根を上げている。
汗を止めることもできず、背中に張り付いてくる服と髪がとても邪魔だ。
「……っあ!」
ぱちん、と焚き火の音で完全に集中が途切れた。
姿勢の維持ができず、後ろに倒れかかる。
受け身を取ろうとする前に、ぽふっと何かに支えられた。
「熱心なのは良いけど、夜はきちんと休めってセラさんに言われなかった?」
振ってきた声は意外なもの。
楽しそうで、一方困ったような落ち着いた声。
くるんと喉を反らして見上げた。
碧瞳が学園でしょっちゅう顔をあわせていた青瞳と合う。
銀髪の主は見知った人物だ。
「……ルゼイア?」
ルゼイア・ファウル。
はぐれの竜人。
レフス帝国の留学生で、騎士科と魔法科に在籍してる同級生だった少年。
学園では実地訓練後ほとんど外に出ていない。
夜会の後即座に学園街を出たため顔を合わせる機会はなかった。
少し会っていないだけなのに、だいぶ青年らしくなっている。
相手を確認するや否や、お嬢様の体は金の髪を流して彼から距離を取る。
じゃ、と足元には波紋のような足さばきの跡が残される。
思わず両手握拳して構えるが、新しい扇子の効果で黄金が広がることはない。
警戒して――ではなく、今お嬢様は汗だくな上薄着だ。
「どうしてここに?」
動揺を隠して問う。
離れて見れば見慣れた学生服ではない。
ラフに着崩した麻の白いシャツに藍色染めのズボンと一般的な王国装束。
気温のせいか、随分と前を緩めているため鍛えた肌が覗いている。
……見上げた際に頭が触れた場所だ。
そこに羽織っているのはレフス帝国の小袖、片肌脱ぎをして帯で結び止め。
実地訓練の際に使っていた柄だけの魔道具も帯に引っ掛けてある。
王国と帝国の折衷着付けと言った所。
そう言えば私服姿は初めて見た気がする。
いや、そもそも授業時間以外で彼を見たことがない。
「頼まれて。そうでなくてもついてくるつもりだったけどね? エルはさっきみたいに無理するから。」
「む、無理はしてないです。ちょっと調子が整わないだけです。」
「そういう時はなおのこと休まないと。」
近づいてこないで欲しい。
全身汗まみれな上に本日の行軍。
気温が上がってきているせいで道中も相当汗をかいた。
どうせ鍛錬するのだしと全く清めていない。
間違いなく汗臭いだろうし、服は体にべったり張り付いている。
髪だって整えていない。
らしくもない緊張をしたところに布が被せられる。
確か鞄の中に入れておいた衛生用のタオルだ。
「夜番は変わるよ。寝袋も敷いておいたから眠ったほうが良い。」
「あ、り、がとうございます?」
休むにしても汗で濡れた服では眠れない、着替えは必須だ。
恥じらえばいいのか怒ればいいのか感謝すればいいのか、感情が混線する。
いつの間にそこまで準備されていたのだろう。
変に集中が乱れていたせいで全く気づけなかった。
違和感は男性の近くで肌を晒す葛藤に塗りつぶされる。
大きいタオルを取り出し、背中に羽織って見られないよう防御。
急いで寝支度を整えて、薄手の寝袋に潜り込んだ。
――がち、がち、世界の歯車が軋み出す。
「……セラ達も居るし、カイゼルはきっと大丈夫。」
預けてきた相方の身を案じる。
過去のような事件はもう起こらない。
そう信じこむための呟き。
ついぞ自らの発言に疑問が生じることはなかった。
* * *
誰だ、真っ先に浮かんだまっとうな疑問。
妹弟子が寝ずの番をするにあたって鍛錬をすることは既に承知。
相当距離を進んだお陰でもうすぐ中継点の宿場町も見えてくる。
警戒を怠るほどフォクシ嬢は楽観的ではない。
僅かな息の乱れでも即時覚醒できる彼女があれだけ騒いで起きないはずがない。
にもかかわらず動かなかったのは状況が把握できないからだ。
お嬢様の知己のようだが、何時から、どこから来た。
何かが接近してくれば眠っていても目が覚める。
それがフォクシ嬢という冒険者だ。
――誰に頼まれた?
学友が自らの意志で来たというのなら話は解る。
だが聞いていれば、母親であるセラの事も知っている様子。
ならばなおのこと違和感が募る。
あの母親が依頼の際、増援を伝え忘れるなんて初歩的な失敗をするはずがない。
今回はお嬢様を国外へ逃がすということもあり、動かせる人員も限られる。
情報がどれだけ強力な力であるのか、幼少の頃散々聞かされてきた。
――どうして違和感を感じね―んだよ、あの馬鹿!
心のなかで毒づいた。
少年の声に言われるまま床につくお嬢様。
お転婆であることは確かだが、決して馬鹿ではなかったはずだ。
何らかの敵意、害意に対して過敏な妹弟子が程なくして寝息を立て始める。
「……さて、困ったねフォクシさん。」
背筋が凍る。
意識をこちらへ向けられた。
起きていた事はばれているらしい。
動こうとしても体が反応してくれない。
シルヴィ嬢に統率されたときとは話が違う。
これは力任せに巨大な圧力で縫い留められているだけだ。
「言われた通り、どうも僕は僕のままじゃあ一緒に並ばせてもらえないらしい。」
距離は縮めてこない。
その必要がないからだ。
世界から魔力の匂いが消滅している。
未だ万能と呼ばれるには程遠いが、武芸以外の手ほどきも受けている。
改変前ならばレオン嬢よりはるかに早く答えへ到達した。
――何で魔王が発生してやがるんだ!
声が出せない。
神話、伝説、伝承に点在する、魔物の中で最もおぞましきもの、と称されるもの。
それが生まれるプロセスは至って簡単。
長時間停滞に曝され、魔物化してなお歪まぬ知性を保つこと。
奇跡の代償は一個体が背負うには重すぎる、だからこそ憎しみの感情しか残らない。
思考能力を持ったまま発生すること事態が負の奇跡。
突き動かすのは憎しみと言う強い原動力。
知性による狡猾さを併せ持つ魔王が及ぼす影響は魔災規模に留まらない。
世界の破壊手段を最適化して行うため、登場する話では最低でも国が消える。
「だから、ここからは僕は僕で居る。少し弄らせてもらうよ、フォクシさん。」
心を折らないのは意図してのことだろう。
状況が変わりすぎては世界に存在を気づかれる。
空白がじわりじわりと中へ潜り、魂を弄りだす。
意識を保つことが難しくなってきた。
「安心して。僕の代わりにエルを守ってくれたんだ、命は奪わない。」
――相方が魔王なんて……聞……い……。
最後まで毒づくこともでなかった。
がちん、と世界の歯車が再び違う。
短い感覚ですが、次回閑話を1話はさみます




