第2話 ファーストマッチに備えて1
2021/03/28大規模修正
アップテンポは犠牲になりました……犠牲の犠牲に……。
主が留守にしている間、部屋を整えるのは侍女の仕事だ。
とはいえお嬢様付きの侍女はそれらをこなすに四半刻もあれば充分。
余った時間を何に使うかと言えば、翌日に備えた買い出しや調理の下準備。
帰ってきた際に湯船を使うのであればその準備。
それら全ても終わらせた後ならば?
一般的な侍女であれば自分の時間を使うか、主が無事に帰りを祈るくらい。
「ウォルフ卿からの依頼もありますし、何よりお嬢様のため。そろそろ動きましょう。」
そしてセラは一般的な侍女ではなかった。
身にまとうのは何時ものようなメイド服ではなく、随分と年季の入った古着。
形状はこの国のものではなく、レフス帝国で使われている小袖だ。
――これに再び袖を通すことになるとは。
軽く息を整えれば、体内を巡る魔力の質が変わり始める。
乳白色から白金へ、柔らかな音から金属を研ぐ音へ。
同時に外見にも変化が現れる。
三十後半の年季の入った様相から最盛期、二十手前の白銀の髪と尾を持つ狐人へ。
見開いた真紅の瞳は意志が強く、時間を逆戻したように巡る体内魔力は若々しい。
狐人の特性の一つ、場に溶け込むため様々な外観へ化ける。
最もセラほどの変化ができるのは異常な部類。
認識阻害の魔法も体内魔力のみで発動、とは言え命を削る必要はない。
お嬢様と同じように式を折り曲げ循環させる方法はこちらが源流。
世界に多くは望まない。
教えた覚えはない、恐らく見て真似られた。
「斯様な場所ゆえ、商人や冒険者ギルドの繋がりは密でしょう。ちょうどよい場所もありますので……。」
侍女へのお願いではなく、依頼という形を取られたのならば成果を出そう。
貴族からの依頼などフォールンベルト家からの一件で終わるつもりだった。
だが今回の以来は最初の仕事の延長線上でもある。
動き出すには侍女として登録された姿は枷となる。
ゆえに全くの別人として振る舞わねばならない。
「全く、お嬢様にお仕えしていると実に充実した日々を送れます。」
若返った声で告げるが、それに対して唇を尖らせる主は今居ない。
赤い瞳に宿るのは剣呑な色。
大切なお嬢様とその相方を陥れようとしたのだ。
依頼が無くとも動くつもりだった。
十年ほど前に引退したソロの最上級冒険者。
手に馴染んだ武器こそ手放したが、『万能』の二つ名は伊達ではない。
仕事のタイムリミットはお嬢様が部屋に戻るまでの間。
彼女にとって仕込みを行うには充分過ぎる時間だ。
* * *
対策を講じるにしても、目に見えて警戒するわけにはいかない。
先だってのことを鑑みるに相手は水面下で動くことを得意としているのだから。
シルヴィ嬢が任せろと言っていたのでぶん投げることにした。
考えすぎることは苦手なのだ。
なので日常に変わりはない。
今日のお昼休みはレオン嬢とカリスト嬢が屋台の新作クレープを持ってきてくれた。
甘いものは大好きなお嬢様としてはこの上ない差し入れだ。
ハルト氏も皆制服なので赤面することもない。
というか甘いもの好きなんですね、新発見。
相方三名も昼食に参加したので一安心だ。
カイゼルはあれから日に日に大きくなり、今では中型犬ほどに成長している。
不覚を取ったことがよほど悔しかったらしい。
小動物的だった頃に比べて手足が伸び、やや人よりのフォルム。
だが、歩行よりも飛行のほうが相変わらず得意のようだ。
ちょっと図鑑で見た空帝竜とシルエットが違う気がする。
「ここまで大きくなると、私の頭の上にはもう乗れませんね?」
「きゅう!」
「あ、はい。」
問題ない、と一鳴き。
カイゼルの身体のサイズが元の子猫くらいまで縮小した。
変わった魔法を覚えたものだ。
再び相方たちと別れて、午後の第一講。
二週間の療養生活で溜まった鬱憤を晴らすため、模擬戦訓練の授業を入れている。
専用の騎士服を持っている者はそれを着用し、それ以外の者は模擬戦用の学生服。
受講者はお嬢様、ルゼイア、カール氏、フュースト氏、カリスト嬢、モルグ氏。
シルヴィ嬢が入ると訓練どころではなくなる、周辺への警戒警備を行ってもらう。
本格的に動く前に体を慣らしておかねば余計な箇所を痛めかねない。
一同、現在柔軟を含め準備体操中だ。
「……エルエルさん、体が柔らかいのね? 羨ましい。」
お嬢様の服装は、運動時はいつも通り。
レース細工にフリルたっぷり、フォールンベルト家の騎士礼服。
認識阻害の眼鏡は最早日常を送るための必須品になっている。
柔軟体操の組になっているカリスト嬢は黒の燕尾服と脚にぴったりフィットした白ズボン。
カフスボタンに家紋の四つ葉だ。
「お風呂上がりに体をほぐしておくと、いずれこれくらい出来るようになりますよ?」
カリスト嬢が前屈補助のために背中を押してくれるが、お嬢様は何の抵抗もなくぺたんと上半身が地面につく。
レオンさんのような抵抗もなく!ぺたんと!
股開きもほぼ180度、左右にだって身体はぺたり、補助の必要すらない。
……誰とは言いませんけど、視線は解ってますからね。
このスカートは鉄壁です。
攻守交代、羨ましがったカリスト嬢だが、別に体が硬いというわけではない。
補助さえあれば簡単に体が倒れていく。
「カリストさんだって充分柔らかいじゃないですか。ほら、あちらなんて見て下さい。」
「モルグ君!? ちょっと押しすぎじゃあないかい、ミシミシ言っているけれど!」
前半戦ではなかった光景、男子組から悲鳴が上がっている。
シルヴィ嬢よりなお暗い黒一色の礼服で身を包んだモルグ氏。
防御も式典の場も一切考えない喪服だが、二の腕辺りに十字の家紋が刻まれている。
現在は身体が半分くらいしか倒れていないルゼイアの背中を押していた。
彼は学園配布の模擬戦装束、一般騎士の礼服を模したものだ。
「君は体が硬すぎるんだ、ルゼイア。」
「……カール様! 自分これ以上は!」
そしてもう一方。
筋肉質な上半身に張り付くような焦げ茶の服に、少し裾の広いズボンを履いたフュースト氏。
太ももの辺りに獅子の二本牙の家紋。
補助をしているのは白と空色をした王子様のような騎士服を着込んだカール氏だ。
家紋の場所は胸中央、十本の枝を伸ばした樹。
……お嬢様のフリルも大概だが汚れないのだろうか、あの色。
「基礎を疎かにするからだ、馬鹿者。」
二人してちょっと笑ってしまった。
さて、準備運動とストレッチが終われば早速各々が得意とする武器を取る。
当然ながら全て木製だ。
お嬢様は槍、ルゼイアは片手剣を。
カール氏は鞘付きの木剣、フュースト氏は大盾を二つと潔い。
カリスト嬢は細剣と円盾、モルグ氏は短槍と円盾だ。
「では、皆さん武器は持たれましたか? 多少の怪我は構いませんが、治療不可能な傷を負わせないようお願いします。」
教師代行として場にいるのはルナリィさん。
何でも担当教官が現在二週間前の処遇を貴族科教官と話を詰めているのだとか。
加害者は明らかに貴族科の面々であるため、お嬢様の立場が危ぶまれることはない。
当たり前だが模擬戦となれば怪我をする危険性が大きい。
いつでも衛生班を呼べる彼女がついているのは安心だ。
訓練場中央、円形の枠を取り囲むように六人が並ぶ。
「一巡目はカールさんとカリストさん、フューストさんとモルグさん、そしてエルエルさんとルゼイアさんとしましょう。各々の動きを見て学んで下さい。」
割り振りは妥当といった所。
フュースト氏はカール氏の護衛のため力を出しきれない。
他のクラスメイトの動きは何度か見ているが、お嬢様にとってルゼイアは初見だし、逆もまた然り。
第一模擬戦、カール氏対カリスト嬢。
両者適正に距離を取ってから、まずは挨拶変わりの舌戦。
「どうぞお手柔らかに、ロベリア卿。」
「相変わらず田舎貴族と馬鹿にするのね。今の所貴方が負け越している記憶だけれど?」
「この場所で我らは学徒。そもそも辺鄙な……失礼、領民と別け隔てなく接することができる貴方はよほど好かれているのでしょう?」
朗らかな笑顔で言うことがえげつない。
カール氏は言葉言葉に随分と含みを持たせるものだ。
応対するカリスト嬢は若干以上の不機嫌な雰囲気、顔に出さないところは流石貴族。
それにしてもそれが一般的な貴族の娘とはいえ、田舎貴族の女は武器など持たずに家の中で守られてろとは中々の挑発。
構えはカール氏は左腰に鞘を宛て、柄に手を添える。
カリスト嬢は左腕の盾を前に、右手の細剣で隙を伺う。
先程のやり取りが開始の合図だ。
「なら、領民に受けがいいのを見せてあげないとね、貴方も好かれるように学びなさい。」
仕掛けたのはカリスト嬢から
盾で視界を遮り、細身の刀身が狙う先を隠している。
暴漢相手程度ならそれで充分だが、この場に居るのは戦い方を学んだ騎士見習い。
「ええ、期待させていただきましょう。まさか一つしかないとは仰らないでください。」
鞘を縦に、地へとつける。
と同時に真上に向けて逆手で抜刀。
突進に対して並行に剣の腹を宛て、腕と後ろ足の踏ん張りで盾へとぶつかり合う。
カリスト嬢とて真正面から受けることは想定済み。
とはいえ鞘が邪魔で脚を狙う経路は断たれた。
こうなると今度は円盾が自分の視界を遮る。
「もちろん、ただの一つで回していけるほど、うちの領地は潤沢じゃあないの!」
カール氏の武器は片手剣、ゆえに盾ほどの幅はない。
接している円盾で剣を外へ弾くようにしながら足首をひねり、更に内側へ。
逆手ならば動きは相当狭まる、隙をつくようにひゅうん、と軽い音。
地面で溜めを作り、鞘をもつカール氏の手首をしなった木で打ち付ける。
「く……、随分とお転婆でいらっしゃる!」
さくっとお嬢様の過去に突き刺さる。
戦いが出来ることはお転婆とは言いません、お転婆というのはもっと……。
ざくっ、お嬢様が自爆した。
さておき、強かに打たれたカール氏の左手から鞘が落ちる。
その代わりに剣が勢いを利用し、手の内で刃の天地を逆転。
これで相当に動きが利くが、カリスト嬢の攻勢はまだ止まらない。
「――内に命ずる、氷刃展開!」
簡略化された呪文。
魂に記憶された方程式が即時体内魔力に反映される。
超至近距離での詠唱など騎士にとっては当たり前だが、カリスト嬢はその中でも群を抜いて効率が良い。
魔法により生成した氷は総数十五本、瞬間的にその切っ先を丸める応用までしている。
その分弾道制御の方程式は破棄している。
即時の式変換を加えるとは、魔法使いとしてもやっていける。
制御は行わず、カール氏の頭上から背面を取り囲むように。
自重にまかせての落下で退路を断つ気だ。
「散々その手で負けています。私が手を打たないとでも?」
降り注ぐ氷を回した剣で後方へ逸らす。
自重落下目的の氷を背に宛て、後方の氷塊への盾とする。
ほんの少し下がる空間を得た。
片手剣の間合いを作ることが出来ればそれで充分。
払った動作から蛇がうねるように中段を狙うと見せかけ下段が本命。
応じて円盾を移動させるカリスト嬢もフェイントにはかからない。
だが片手剣の間合いは、そのまま細剣の間合いでもある。
ひぅん、と風を割く刺突音。
喉元へ細剣が伸び、カール氏はその切っ先を木剣の柄頭で受け止めた。
みし、と木の軋む音がしたのは強度の差だ。
カール氏にとっての好機。
まっすぐに伸ばされた切っ先は柄頭に食らいつかせたまま急速に接近。
――結果、べきんと音が響き、カリスト嬢の細剣が半ばからへし折れる。
「内に命ずる――」
「そこまでです。」
ルナリィさんの声がカリスト嬢の詠唱へ割り込み、終了を告げる。
刹那で編み上がりかけていた魔法式が霧散する。
見えた部分から推測するに、今度は背後に突き刺さった氷の塊から針を打ち出すものだ。
結局あれも布石だったということか。
「これで私の十勝目、差は縮まっておりますね。」
当然の結果とばかり嫌味なほど爽やかな笑顔を浮かべるカール氏。
一方カリスト嬢は忌々しげな表情だ。
「……ああ、はいはい。装備を失えば模擬戦は終わりの規則ね。鞘は装備じゃないものね。」
瞬時に魔法行使に移ろうとしていたカリスト嬢だったが、勝敗決定の言葉を聞いて準備を解く。
カール氏は片手剣と鞘を巧みに使う。
鞘引きからの抜刀、直剣での居合じみた動きはこの世界で始めてみた。
今回は攻撃に転じるより先に防御へ向けたが、相打ち覚悟なら手のうちで回した剣で攻撃することもできただろう。
王宮ともなれば、貴族科以上に粘質だとか。
それ故に不意打ちへの即時行動として、居合わせの技術が伸びてゆくのも納得か。
「では、続きましてフューストさんとモルグさん。」
入れ替わり、赤髪の獅人とまだら灰髪の鼹人が相対する。
がっしりとした体格が二枚の盾を持つ様は難攻不落の有様。
相対するひょろりとした体格からはいまいち様子がつかめない。
利き手である左に手槍、右手に円盾だが構えは取らない。
「さて、自分の守りを何処まで崩せますか?」
「できるだけ破ってみよう。手前の役割は墓所の扉を守ることなのだが。」
ずん、と両足を地に付け、大盾を前に前傾姿勢。
突進に対する構えだが、力任せに大盾を動かすだけの腕力があることを皆知っている。
口上は終わり、試合は始まる。
モルグ氏が何気なく歩みはじめた。
重心の移動も安定しておらず、体幹もゆうらりと揺れ、外観も相まって随分不安感を掻き立てる。
「……のあ!?」
悲鳴を上げたのはフュースト氏。
大盾が邪魔で突如眼前からモルグ氏が消えたのだろう。
周りから見ていれば、突然ぐらりと横へ倒れる動作。
緩から急へ。
その上突然槍でも盾でもなく脚が目の前に飛んできたのだ。
反射的に大盾を浮かせてしまっても仕方がない。
大盾の隙間を縫うような蹴撃を弾くように守りが上へ。
その隙をモルグ氏は逃さない。
槍も盾も、離さないまま地に手を付いている。
「しっ……!」
めきっ。
すごい音がした。
「ぎゃあ!!」
モルグ氏が浮いた大盾の隙間から脚めがけて丸盾を投げつけたのだ。
皆当たり前のように脚を狙うが、最初に機動力削ぐことは重要だ。
上手く行けば動きの選択肢が狭まり、こちらの攻め手は増える。
丁度今のように。
それにしてもあれは痛い。
向う脛に相当な速度で盾の縁が直撃した。
ちょっと聞きたくない音だった。
即座に大盾が下に降ろされたのは追撃に備えてではない。
被弾した箇所を抑えようとしたからだ。
「痛っ。」
「うわぁ……。」
思わず息を呑んだ後ろからルゼイアの声がする。
振り返れば、凄く痛そうな表情を浮かべていた。
……いつの間にそこまで来たんですか、近いです。
しかし恐るべきは左手一本で体を支えるモルグ氏のバランス感覚。
わざと不安定な動きをしていた時と違い、安定感がある。
とはいえ――
「……モルグさん、失格です。」
ルナリィさんの宣言が響く。
「しまった、これも武器の喪失に当てはまるのだった。フュースト、大丈夫か?」
模擬戦の規則に沿うならば、盾であれ所持していた装備が無くなれば試合終了。
つい先程、カリスト嬢が盾は残っているのに止められたのと同じこと。
モルグ氏は勝敗自体にこだわりはないのか、残念そうな様子もない。
「相変わらず、モルグの攻撃は読めませんね……。しかし私の護衛だろうに、安易に防御を逸らすとは情けない。」
「結構やり方がえげつないのよね、モルグ君。試合には負けたけど、実戦だったら手槍で終わってたでしょう?」
それを言い出せばカリスト嬢とカール氏の戦いだって解らない。
……ともあれ、彼と模擬戦する機会があったら気をつけよう。
授業は一時中断。
女子の前で無様を晒すものかと意地で痛みを堪えるフュースト氏。
衛生班による現場治療が行われるのはすぐ後のことだった。




