十二話 蓮の風
脚本を書き始めて四日が過ぎた。
初日のダメ出しがあってからも部室で結花と顔を合わせたが、脚本の内容についてはほとんど触れてこなかった。演者を集める必要があるため登場人物の数は昨日決定し伝えたが、その時も性別と大まかなイメージを聞かれただけだった。
今日も相談をかねてあらすじを聞いてもらおうとしたが「準備がある」と言い部室にも来ていなかった。信用されていると取るべきなのかわからないが、本音を言えば何も言われないほうがプレッシャーになって正直不安だ。
「蓮、どう思う?」
いつも結花にまとわりついている蓮だ。結花があえて脚本の内容を聞かないようにしているのには気づいているかもしれない。
「どう思うって?」
自分のノートのアイディアから使えそうな台詞が無いか探していた蓮が顔をあげる。
「だから、結花の事。脚本に一切触れてこないから気になって」
「そりゃもちろん俺の事を信用してくれているんだよ、結花さん。一昨日の打ち合わせだけすれば大丈夫って信じてくれている証拠だね、うん」
あっけらかんと言う。どうやらまったく疑問を抱いてなかったらしい。
俺もそういう風に考える事ができれば楽になるんだろうな、と羨ましくなる。
「それにさー結花さんの指定した条件を踏まえて書いたらそれっぽく仕上がってきてるし、大丈夫だって」
蓮の言う事も一理あった。
結花の提示した条件を守りつつ書いていくとどうしてもできる範囲が狭くなっていく。始めは俺も蓮も「なんかありきたりでつまらない」と思っていたが、そのつまらないと言っているストーリーは世間でよく見るドラマや舞台、映画のストーリーっぽくなっている事も事実だった。
「もしかして…根本的に間違ってたのかな…脚本の書き方…」
自嘲気味につぶやいた俺の顔を蓮が変な顔をして見たが何も言わなかった。
なんにせよ自分の今までの脚本の反省は後回しにして今はこれを仕上げなければいけない。脚本の進行具合は八割ほど完成しているので、明日には結花に見てもらえるはずだ。リミットである五日目に手直しをすれば間に合う計算だ。
そう自分に言い聞かせ再びキーボードに手を載せた瞬間、部室のドアが開いた。
何気なくそちらを見るとしっかりとした体格、後ろで結んだ長髪、そして長ラン。
その三点を認識した瞬間、急いでドアに駆け寄って思い切りドアを閉める、ついでに鍵もかける。
鍵をかけて安堵したのもつかの間、ドアを叩く音と大声が聞こえてくる。
「おい、コラ!なんだいきなり!開けろ、コラ」
「すいません、部室間違えてますよ。隣じゃないですか。オカルト心霊超状現象研究部さんは」
ドア越しにあえて長ったらしい正式名称を伝え、開けるべきドアは隣である事を伝える。
蓮と目が合うが真面目な顔で何度も頷いている。「決して開けるな」と目が言っている。
「フハハハ、問題ない。用があるのはこっちだからな」
大いに問題がある。
「お前のとこの部長に呼び出されてきたんだ。ほら、早く開けろ」
なんで結花が局長を呼び出したのかはわからないがせっかく脚本制作も進んでいるのに局長と同じ空間で仕上げられるとは到底思えない。
断固としてドアを開ける事を拒んでいるとドアを叩く音と局長の声が止み、別の声が聞こえてきた。
「あ、あの。真君、開けてもらってもいいですか?」
俺を「真君」と呼び、なおかつ可愛らしい声の持ち主は一人しか思い当たらない。
「あれ、今の声って美月ちゃんじゃない?それならいいじゃん開けようよ」
先程までの拒絶は無く、蓮があっさりと開けることを許可した。
「仙道を廊下に閉め出して罪悪感はないのか?この冷血漢め!ほら開けろ、今すぐ開けろ!」
再び局長の大声が聞こえてくる。
仕方ない。ため息をついてドアの鍵を開けた。
「というわけでだな、俺たちにメインキャストとして白羽の矢が立ったわけだ。わかったか!」
メインキャストの部分を若干ネイティブな発音で言う局長の事を心底ウザいと思いながらも向かい合って座っている二人を見る。
確かに昨日、結花と話した際に登場人物のイメージは伝えたが、どうやら目の前の二人に声をかけたらしい。
ヒロインのイメージは結花で書いていたが美月でも十分にいける気がする。結花に比べると身長も高く女の子らしい雰囲気なのでもしかしたら合っている可能性もある。
だがもう一人のメインキャストの役柄は爽やかな男子高校生だ。正直言って局長の中に爽やかさを見出す事は不可能だった。豪快な漁師役とかならぴったりなんだけどなぁ…と口には出さずに思う。よりによって結花が局長に声をかけるとは夢にも思わなかった。
「それで、部長さんはどこにいったんだ?」
局長が部室の中をキョロキョロと見回す。
「結花は舞台の準備で出かけていますよ。それにまだ脚本が出来上がっていないんです。」
そう言いながらノートパソコンを指差す。
「なので…今日のところはお引取りいただ…」
「どれ、ちょっと見せてみろ。」
喋っている途中で局長の筋肉質な腕が伸びてきて目の前のノートパソコンを取ろうとする。
咄嗟にそれを阻止しようとするがすでに遅くディスプレイ部分を掴まれた。
せめて途中保存したい。そう思った瞬間、顔の横を突風が吹いた。
驚いて振り返ると蓮が局長にむけて片手を伸ばしていた。その姿はまるで蓮が風を起こしたかのように見える。
「で、出た…」
出た?思わず蓮の言葉に首を傾げてしまうが蓮が顔をあげ、
「ほら、今のうちに!真。」
蓮が焦ったように言う。その意味を理解し局長の目に前にあるパソコンを取り戻す。
「おい…今の風はなんだ?」
局長が呆然としながら小さくつぶやいた。
その問いかけを少し放置して急いで脚本を途中保存し、念のためバックアップを取る。
顔を上げると未だに局長はぼうっとした顔をしており、美月はキョロキョロと周りを見ている。
「多分…ですけど。蓮の仕業だと思います」
そう言って蓮のほうを見るとニカッとした笑みでブイサインをしている。RPGのレベルアップ音が聞こえた気がしたのは気のせいだろうか?
「いやぁーまさか本当に出るとは思わなかったけどねー実は蛍と一緒に練習してたんだよ」
どういう事か説明を求めると蓮はあっけらかんとした様子でそう言った。
「練習して不思議な力が使えるようになるのは漫画の世界だけだ!」
「でもそれを言うなら俺の存在も十分に非現実的じゃない?」
蓮らしからぬ冷静な返しに思わず怯んでしまう。確かにその通りだ。
横にいた局長が痺れを切らし話しかけてくる。
「おい!お前だけ楽しそうにずるいぞ!何だ?今のはやっぱり超常現象なのか?幽霊の仕業か?俺にもわかるように説明しろ!」
まったく楽しくもないのだがそこで反論しても場が荒れるだけだと思い蓮に詳しい事を話してもらうように言う。
「ま、待て!これは記録の必要があるな…。しばし待て!」
そう言うと慌ただしく局長が出て行く。きっと自分の部室から記録用のファイルを持ってくる気なのだろう。
「それじゃあ私はコーヒーを入れてきますね。」
出て行った局長に続き美月が部室を出て行く。顔も性格も良く、品があってしっかりしている印象だがどこか抜けた感じのマイペースぶりが時々出るのはやはり天然なのだろうか。
美月と局長が出て行き再び平穏が訪れる。
蓮は「ふんっ!ふーーんっ!」と気張った声を出しながら先程同じく片手で素振りをしている。
さっきも「出ると思わなかった」と言っていたし自在に操れるわけではないようだ。
それにしてもさっきの風は…。
ふと、蓮と初めて会ったときを思い出す。初めて会ったのはこの場所、演劇部室。
あの日も窓が開いていないのに蓮に話しかけた瞬間、突風が吹いた。
そこから連鎖反応を起こすように記憶がよみがえる。旧校舎の演劇部室。あの時も風は吹いたはずだ。「何だと。」という声とともに。あれもきっと蓮の声だった。
もともと蓮にそういう力が備わっていたという事だろうか?蛍が言っていた一人に一つの力。
蓮は風を起こす事ができるという事なのか?
色々と考えてみるが後ろから聞こえてくる「おっかしいなぁ。ふんっ!ふううんっ!」という声で真剣に考えていた自分が馬鹿らしく思えてくる。
しばらくすると部室のドアが勢いよく開き、局長が戻ってきた。
手にはやはり報告書のファイルがある。
「待たせたな。では続きを始めようか」
「まったく待ってないです」
なんだか局長のマイペースぶりが悔しくなって言ってみたが、まったくの無反応だ。
「みなさん、お待たせしました」
部長に続いて美月がトレイを持って戻ってきた。すぐにコーヒーの良い香りがしてくる。
それぞれが席に着きコーヒーが配られる。
「蓮さんの分は…どうしますか?」
美月が聞いてくるので蓮のほうを見ると、
「大丈夫、大丈夫!俺飲めないし」
と蓮が笑顔で言ったがどことなく寂しそうな顔に見えた。
「大丈夫みたい。ありがとうって言ってる」
美月にそう言うと少し安心したように笑った。どう接するべきなのか気を使ってくれていたのかもしれない。
「でもせっかく持ってきたので置いておきますね。香りだけでも…どうなんでしょうか?」
コーヒーが入ったカップとソーサーを空席の前に置きながら再び俺に聞いてくる。
「うん、匂いはわかる!美月さん優しいなぁ」
蓮が感動したように言うのでそのまま伝えると嬉しそうに「良かった」と言って微笑んだ。
確かに優しくて笑顔もかわいい。心の中で蓮の賞賛に同意しながらコーヒーに口をつける。先程の賞賛に加えて「コーヒーをいれるのが上手」という賞賛も付け足す。
コーヒーを飲み始めると局長も静かになり、まったりとした空気が流れる。
蓮はしきりにコーヒーの匂いをかいでいる。
「良い香りだな、これはブルマンだね。うん、ブルマン。真、ブルマンだよ」
自身ありげに言っているが、俺はコーヒーに詳しくないので匂いだけで違いが分るものなのか良く分らない。
「美月さん、これってブルーマウンテンっていう豆なの?」
試しに美月に聞いてみると美月は「確か…」と言いながら斜め上を見つめ、
「確か小笠原諸島で作られた国産のコーヒーです。」
「ダハハハッ。知ったかぶって恥ずかしいヤツだな。ハハッ、ゴホゴホッ」
人の事を笑いながらコーヒーを飲んでむせるのは恥ずかしい事ではないのだろうか?
ここで「蓮が言ったんだ」と言うのも言い訳がましくとられて面倒そうなので、
「国内でコーヒー豆の栽培なんてしてるんだ、知らなかった」
とだけ美月に言うと「そうなんです。生産も少ないので」と教えてくれた。
部室のドアがゆっくりと開く。なんだか今日は訪問者が多いな。
そう思いドアのほうに顔を向けると今度の訪問者はダンボールだった。
訪問者はダンボール…なんだかイマジネーションの扉が開きそうな語感に身震いしながらも、現状を確認する。
よくよく見ればそれはやたら大きいダンボールを持った結花だった。ダンボールの大きさと結花の背の小ささでダンボールしか見えなかったのだ。
「結花、大丈夫か?」
そう言ってダンボールを受け取るとうっすらと汗をかきながら「ありがと」と言ってくる。
「あぁー!俺が結花さんのサポートしたかった!」
毎度のごとく蓮が後ろでごねているので毎度のごとく無視をする。あいつは結花がらみだと異様に執着するなと思う。
ダンボールの中を見ると桜の造花だった。50センチほどの枝に桜の花がついているものが何本も入っている。
「言ってくれれば手伝ったのに」
「真には脚本があるでしょ」
「だとしてもこれだけの荷物一人で持ってくるなんて」
「大丈夫よ、これはほんの一部だから明日脚本が仕上がったら全部お願いね」
そう言って笑いかけてくる。いったいあと何箱あるのか心配になってきた。
「ふぅ…ノド渇いたわ」
やはり重かったのだろう。結花はそう言いながら座るとコーヒーに目を向けた。さらにその中にあった手の付けられていないカップにロックオンされる。
先程、これでもか!というくらいに蓮が匂いを嗅いでいたコーヒーだ。
「私も、もらってもいい?」
そう美月に尋ねると美月は「それなら新しいカップを…」と言い、隣に取りに行こうとしたが、
「これでいいわ。誰も飲んでいないみたいだし」
よほどノドが渇いていたのかいつも以上にマイペースな物言いでカップを手に取ると一気に飲み干してブラックコーヒーは空になった。
「結花さぁん!男前すぎ!エスプレッソを飲み干すイタリア紳士のごとし!」
コーヒーを飲まれたはずの蓮が訳のわからない事を言いながら嬉しそうにしている。
コーヒータイムが終わると結花が局長と美月に話し始めた。
「今回は協力してくれてすごい助かるわ。時間がないから簡単だけど、今までの経緯を説明するわね」
そう前置きをして局長と美月に蛍と出会ってからの話を始める。
話が始まる前に「二人は脚本を書くのに集中して」という部長命令が発令されたため窓際で蓮と脚本の続きを作る。
しばらくすると結花の説明が終わったのか局長の声が聞こえてきた。
「なるほどな、そういう事なら全面的に協力させてもらう。これでセットを作るんだな、もちろんセット作りも手伝うぞぉ!」
「ありがとう、助かるわ」
そちらのほうを見るとダンボールの中の造花をいじっていた局長と目が合う。
その瞬間、局長が何かを思い出したような顔をして大声を出す。
「そうだ!あの奇妙な風の話はどうした羽鳥!」
そういえばその話の途中だったなと思っていると結花も不思議そうな顔をしている。
「風?何の話?」
脚本は仕上げのレベルにもなった。パソコンを閉じて蓮と一緒に会話に加わる事にする。俺としてもあの力の正体は気になっていた。
俺と結花が蓮から話を聞いてそれを局長たちに伝える事になったが、蓮の説明を理解するのは非常に難しい作業だった。一緒に脚本制作をするようになって、蓮が何を言いたいか、どんなイメージを考えているか等、ある程度分るようになったつもりだったがどうやら過信していたらしい。
「だからさ、『出したい!』って思ったりしたときに手の辺りがゾワゾワってしてね、バーーっと出るんだよ。蛍の場合もやっぱり同じ感じでブワワーって…」
擬音語のオンパレードだ…。とりあえず最後まで話が終わった。
「真、わかった?」
「まったくわからなかった」
結花も同じで意味がまったくわからなかったらしい。蓮は不満そうにしながらも、
「でもなぁ、俺も正直よくわからないし。他に伝えようが無いんだよなぁ」
確かにさっきも「本当に出ると思わなかった」と言っていたし自由自在に操れるわけではないのだろう。その事も結花と蓮に話してみると結花は「さらにわからなくなった」という顔になり、蓮は「自由に出せればカッコイイのになぁ」とただの個人的意見だけ言ってきた。俺の知った事ではない。
「おい、結局どうなんだ?早く教えろ!」
痺れを切らしたのか局長が口を開いた。教えるどころか何もわかっていなかった。だがこれ以上議論しても何もわからないだろう。
そう思い擬音語ばかりだった蓮の説明を局長にそのまま伝える。ついでに俺が先程思い出した初めて蓮に会ったときにも同じ事があった事を付け加えた。
局長はファイルに書き込みながら「なるほどな」とあたかも分ったような口ぶりで話を聞き、俺の説明が終わると実際に「なるほどな、よく分った!」と言った。
「何がわかったの?」
結花がそう尋ねると先程まで書いていたファイルをこちらに向ける。
「演劇部幽霊は出したくなるときに体がゾワゾワっとなると言ったな。今までわかる範囲で風が起こったタイミングを考えてみたが、どのタイミングも外部になにかしようとしたり、伝えようとしたりする時ばかりだ。初めて羽鳥に会って脚本をバカにされた時や部室で会ったときは羽鳥に対しての怒りがあった」
確かにあの時の蓮の怒り方はすさまじかった。初対面で殴りかかってきたのを思い出した。
「さっきのはパソコンを見られたくなかったのかわからんが、俺に対して風を出したのだろう。普段なら許さんが、まぁ許してやる。その前の生徒会が旧校舎の演劇部室に行ったときにも突風が起こったという報告がある。これは怒りというよりはどうにかして気づいてもらおうとしたのかもしれない」
「つまり、生徒会の人に気づいてもらおうとして蓮は無意識的に風を起こしていた」
結花がそう言うと局長は頷き口を開く。
「物が動いたり声が聞こえたり妙な光を見たり、いわゆる怪奇現象ではよくある事だ。風が吹くというのは聞いた事がなかったが、本来は見えない相手に気づいてもらおうとしている行為だと俺は思う。解釈の仕方によっては恨みをはらすだとか子供の霊のいたずらだとかあるがな。先程の事も踏まえると感情の高ぶりで出せたりするのかもな」
そこまで言うと局長は「どうだ」と言いたげな顔で俺たちを見てくる。
悔しいが、確かに筋が通っている気がする。
「なんだか局長が初めてまともに見えました」
「確かに、そうね」
「本当にそうだねー!ただの変人のバカな人だと思っていたのになぁ」
「私も初めてすごいと思いました」
皆がそれぞれ思った事を言う。
自分の演説に酔いしれているのか局長は褒められたと勘違いしているのかもしれない。
「ダハハハ、そうだろう、そうだろう」
とっても上機嫌なので水を差すのはやめておこう。
さり気なく美月も加わっていた事も言わなくていいだろう。天然だとしても局長が聞いたら少なからず傷つくだろう。