月下の怪盗と消えた孔雀
【次回訪れます満月の折、
時計の針が午前十二時を示す頃、
貴殿の邸におわす白く美しい羽根を持つ孔雀が
逃げ出しませぬよう、何卒ご注意くださいませ。
——M.S】
帝都有数の実業家、久我 栄之助邸に一通の手紙が届いたのは今から十日前のことであった。
薄青の封筒に赤い封蝋が施され、中には件の内容の手紙が封入されていた。
この手紙の差出人こそ、かの有名な月下の怪盗こと、Moonlit Skyである。
月下の怪盗は犯行に及ぶ前に、律儀に日時と盗む対象物を書き記した慇懃無礼なまでの予告状を所蔵者によこす。
そして予告通りの時刻に姿を現し、獲物を奪っては夜の闇へ消えていく。
今、帝都を賑わす大怪盗である。
予告状にある【白く美しい羽根を持つ孔雀】とは、久我邸にある《白孔雀牡丹図屏風》のことだ。
金箔を惜しみなく用いた背景に、羽を休める白孔雀と艶やかな牡丹が描かれた、近代琳派屈指の豪華絢爛な逸品である。
久我はこの自慢の屏風を、自身の権力を誇示するかのように応接間に飾っていた。
応接間にはいささか華美に過ぎる、一歩間違えれば下品とも捉えかねないその輝きは、久我氏の一代で成功を収めた富を象徴している。
久我邸を訪れる客人もまた、この屏風をひとしきり褒めそやしてから本題に入るのが暗黙の作法となっていた。
異を唱える者などひとりもいない。
警告文が届いてからと言うもの、久我邸は大騒ぎだった。
今まで怪盗からの手紙が届いた美術品は全て、彼によって奪われてきたからだ。
久我は警察に警備を要請するとともに、己の人脈や財力を総動員し、私設の警備員や私立探偵にまで惜しみなく金を積み《白孔雀牡丹図屏風》の警護網を築き上げた。
* * *
そして今日が約束の満月の夜である。
「応接間には入り口が一つしかありません。この入り口に警備を配置すればネズミ一匹入ることはないでしょう」
体の大きな刑事指揮官は久我と一緒に応接間の扉を開け、明かりをつけて中を確認した。
そこにはいつもと同じように白孔雀と牡丹の描かれた金屏風が立てかけられていた。
扉を閉め鍵をかける。
「月下の怪盗は変装の名人です。
人を多くすればそれだけ紛れ込まれる隙が生まれてしまう。ここの警備はむしろ人数を減らして互いに信用のおける顔の見知った人員二名を配置しましょう」
そう提案された久我氏は鼻で笑い、人差し指を体の大きな指揮官に向ける。
「貴様ら警察とて私からすれば赤の他人。本物である保証など何処にあるというのかね」
指揮官は久我氏のその発言を想定していたかのように、落ち着いた声で応えた。
「では久我様、あなたも一緒にここにいらしてください。そうすれば安心でしょう」
こうして、警官二名と久我は応接間の扉の前に並ぶ。
押し黙ったまま、三名は時計の針だけを追った。
刻一刻と迫る約束の時間。
満月は薄い雲に隠れ、滲んでいる。
久我邸の外では、配置された大勢の警官や、どこからか有名人の騒ぎを聞きつけた野次馬、新聞記者などで埋め尽くされ、身動きも難しいほどの騒ぎになっていた。
「この騒ぎでは月下の怪盗も屋敷になぞ入れますまい!」
「いやいや、相手はあの月下の怪盗。きっとまた煙のように入り込んで、まんまと盗んでみせるさ!」
野次馬たちは興奮し、口々に好き勝手なことを語り合い大賑わいだった。
———その時、
夜中の十二時を告げる鐘が帝都に鳴り響く。
観衆のざわめきが一瞬静かになる。
満月を滲ませていた雲は晴れ、その姿をくっきりと現した。
「屋根だ!」
沈黙を切り裂くように誰かが叫ぶ。
一同が一斉に久我邸の瓦屋根に目を向けると、その先端に今宵の月の光のような青白い髪を持つ全身黒ずくめの服を着た男が、小脇に白い何かを抱えて姿勢良く立っていた。
月に照らされた彼の体躯の輪郭は、まるで名工が一刀ごとに削りあげた彫刻の如く無駄がない。
顔は逆光に沈んでいたが、その姿を見た誰もが影の下に彼の端正な面差しが隠れていると信じて疑わなかった。
屋根の上の男は、久我邸に集まった観衆をゆっくりと見回す。
そして、小脇の白い何かを夜空に解き放った。
バサバサと不器用な羽音が月明かりの下へ広がっていく。
観衆がざわめく中、白い影はゆっくりと久我邸の庭へ舞い降りた。
白孔雀だ。
「それでは皆様、ご機嫌よう」
月下の怪盗Moonlit Skyは、右手を胸に当て、左手を後ろに回し、恭しく一礼すると、黒い屋根の向こうへ翻り、闇夜に溶けてすっかり消えてしまった———
一方、久我邸の応接間前。
約束の時刻はとうに過ぎ、久我は高笑いしていた。
「金に人脈、名声、私は半端な金持ちどもとは違う!月下の怪盗に勝利したのだ!!」
二人の警官も肩を叩き合い、お互いの健闘を讃えていた。
その時だった。
外にいた指揮官がよろめくように廊下の奥から姿を現した。
久我は握手を交わすべく近寄ったが、彼は震える手で応接間の扉を指差しする。
「孔雀……孔雀……」
自らと、目の前にいる指揮官の温度差に嫌な予感を感じ取った久我は、すぐに応接間の鍵を開け、明かりを照らし、金屏風を確認する。
———数秒後、
体をわなわなと震わせたのち、膝から崩れ落ちた。
「白孔雀が……」
明かりに照らされた応接間には、六曲一双の牡丹のみが描かれた、主役のいない金屏風。
そしてその傍の床には薄青のカードと、白孔雀の羽根が添えられていた。
【白孔雀牡丹図屏風は確かにいただきました】
短い文の下には箔押しされたMとSで表現された朧月の図案。
その箔の反射が、白孔雀の羽を淡く照らしていた。




