番外編 . ギデオン視点
「しっんじらんない!ざけんな!もういい別れる!騎士の若手ホープっていうから、クラウディア団長みたいな人かと思ったのに!」
俺は呆然としながら、彼女に叩かれた右頬をおさえて、座り込む。
ふざけんなってこっちの台詞だろ。
付き合って一ヶ月も経ってないのに、いきなり破局の危機かよ?
「まてよ!何でだよ!?俺の何が悪かったんだよ!」
「そういう振られる理由をわかってないところ!あんたなんてクラウディア団長と似てるのは同年代ってだけじゃない!クラウディア団長が男だったらあんたなんかと付き合ってなかったわ!あーあ時間無駄にした!」
「そこまで言うか?!言っとくけどな!クラウディア団長が男だったらお前なんて相手にされねーかんな!」
「さいっってー!死ね!」
左頬を追加で叩かれる。
彼女の後ろ姿が角を曲がり消えた。
残された俺は痛む両頬を押さえながら立ち上がれないでいる。
騎士として鍛えた肉体よりも、心の方が千切れそうだ。
「…死ねって、そこまで言うか?ひどすぎだろ」
そこまでのことを俺が何かしたのかよ。
自問自答しても答えは出てこない。
むしろ何もしてないくらいだ。
ほんの一週間前に初めて手をつないだばかりだったのに。
「ふざけるなよ…」
何がクラウディアだ!
女のくせに白馬の王子様気取りやがって!ケッ!
こっちは本気で騎士やってんだよ。
ままごと遊びは他でやれってんだ。
やさぐれた気分で拳を握りしめる。
痛みと共に怒りがこみ上げてくる。
しかしすぐに、それは深い諦念へと変わり果てる。
ルパート団長なら、こういう時どうするだろう?
あの豪快な笑い声と共に「まあ飲め、男は失恋で強くなるもんだ!」などと言いながら肩を叩いてくるかもしれない。
遠くから鐘の音が聞こえ始める。
夜警の交代時間を告げる合図だ。
立ち上がると膝が軋み、歩き出す足取りは重い。
騎士宿舎へ戻る道すがら、何度も振り返るが、彼女の姿はない。
宿舎のドアを開けると、共用食堂で朝食の準備をする兵士たちの背中が見える。
いつもの日常がそこにあった。
仕事中に振られたなんて、笑い話にしかならない。
俺は頬が腫れ上がってないことを祈りながら、食堂の隅に座り込む。
受け取った温かいスープに手を伸ばすが、味覚は鈍く、スプーンを口元へ運ぶ動作も機械的だ。
「夜勤明けか?お疲れさん。ん?何ふてくされてるんだ」
隣の席に腰掛けてきた先輩に、何でもないですと不貞腐れながら答える。
温かなスープを一口すすると、冷えていた身体の芯まで染みていくようだった。
「おい、シケた顔してんな。そんな顔してたら、せっかくできた彼女だって、逃げてくぞ」
「はぁ…」
ド地雷を踏まれて、言葉にならない嘆きが喉から漏れた。
「…おい、まさかその反応」
「聞いたかよ。白百合騎士団と今度合同訓練だとよ!」
「まじか!どさくさに紛れて胸揉めねえかな」
「あいつら男に飢えてんだから、喜ぶんじゃねえか!」
すぐ近くで男達の野太くいやらしい笑い声が上がる。
白百合騎士団。
数年前に女性だけの騎士団が設立されたばかりなのに、王族女性たちの護衛を任せられている新興騎士団。
驚くべきことに、最年少で女騎士団長になったのがクラウディア団長だ。
そもそも白百合騎士団そのものが、クラウディアのために設立されたとかなんとか。
王女殿下の命を救った英雄だと言われているが、どうだか。
その功績は疑わしいと俺は思っている。
いくら相手が素人とはいえ、複数人の成人男性を、王女殿下や内宮の使用人たちを守りながら倒すというのは無理があるだろ。
男女の肉体の差はどうしてもあるのだから、どうせ後からやってきた近衛が捕らえて、その功績を分捕ってるだけだ。
訓練で見たクラウディアの剣技は確かによく練られていたが、実戦で通用するかは別問題だ。
「やめとけやめとけ」
先輩は下世話な話をする男たちをたしなめた。
「はあ、一人だけ紳士を気取るつもりですか?」
「違わい。ただ、クラウディア団長にだけは手を出すのをやめとけって言ってんだよ」
「白馬の王子様〜?先輩、ビビってんすか?」
「…お前らは訓練でしか、あの方を見たことがないから、わからねえだろうが、俺はあの王女殿下の事件に駆けつけた近衛からの話と、あの方が近衛時代に犯罪者を捕縛したところを見たことがあんだよ。白馬の王子様のように美形で、押しに弱そうで、温和で優しくつけ込みやすい。そんな印象持ってるのはお前らみたいな若手だけだよ。
あの団長は若干16で近衛騎士団入りして、それから王女殿下の暗殺未遂を防いだのが17の時だ。
わかるか?男爵家の養女がだぞ?コネも何もねえだろ?ところが、女の身で、たった14歳で騎士見習いとして入隊してから、いろんな過程をすっ飛ばして近衛騎士団に入団したんだよ。それから、8人の男たちを一人で皆殺しだ。あの方の戦闘を見たことがある奴らは白馬の王子様なんて呼ばねえ」
悪魔、って呼ぶんだよ。
先輩の低い声が食堂に静寂をもたらした。
周りの喧騒が一瞬止み、全員が息を呑む音が聞こえるようだった。
「お、脅そうったってそうはいきませんよ」
「まあ実際目で見ないとわかねえだろうしな。ただ、俺はあの方が戦うところは二度と見たくねえよ」
そう、吐き捨てた先輩は一気に朝ごはんをかきこみ、ご馳走様と言って食堂を出ていく。
後には妙な静けさだけが残された。
先輩は散々脅していたが、訓練するところだって見たことがある。
悪魔?そんな化け物じみた怖さなんて微塵も感じたことがねえ。
むしろ、他の女騎士たちに言い寄られて、タジタジになって困っていたり、苦笑している事勿れ主義のような弱ささえ垣間見えた。
だから、俺はあの姿を見るまでは、すっかり先輩の話を忘れていたのだ。
暗殺事件の首謀者の情報を入手するために、王女殿下自身を囮にした作戦で、予定になかったクラウディア団長の誘拐。
その後の、王女殿下を守りきったものの、たった一人で十人もの男たちを血祭りに上げ、男一人を残して、九人の惨殺死体を作り上げた。
流れるように人を殺し、楽しんでいるわけでも、恐怖しているわけでもなく、作業のように何の乱れも見せず正確に淡々と人を殺す姿に、俺は人間ではない何かを見たのだ。
その姿は、まさに悪魔だった。
その日は噂されていたように、王国騎士団と白百合騎士団の交流試合が組まれていた。
訓練場に整列する騎士たちの中、俺はたった一人に目が釘付けだった。
陽光に煌めく銀髪、蒼玉のような瞳。
細身の身体からは想像できない、あの日以来、感じる威圧感。
俺の目に焼き付いて離れない彼女の姿。
周囲の歓声に我に返ると、クラウディアがこちらに向かってくる。
距離が縮まるにつれて鼓動が速くなる。
過去の凄惨な光景と、目の前の清廉な男装の麗人が重なる不協和音に戸惑う。
「今日は宜しくお願い致します」
柔らかな声とともに美しい礼。
騎士仲間たちが溜息をつき、あるいは欲望混じりの視線を送る中、俺だけが石像のように固まっていた。
その瞬間、視線が絡み合う。
寒気が走り、本能的な恐怖が全身を貫く。
訓練開始の号令がかかる。
周囲の期待と嘲笑が渦巻く中、木剣を受け取る手が震えた。
模擬戦とはいえ、あの血塗れの光景が瞼の裏にちらつき、汗が背筋を伝っていく。
次の瞬間、俺の眼前には刃のような切っ先があった。
反射的に横跳びした体が地面を滑る。
あと一秒遅ければ顔面に命中していた。
一撃目で悟った。
これは試合ではなく狩猟だ。
獲物となった自分が逃げ回るしかない生存競争なのだ。
木剣が宙を裂く音と舞う土埃に惑わされながら、額を掠めた衝撃で我に返る。
防御すら間に合わない。
次第に呼吸が荒くなり、足が鉛のように重くなる。
一方でクラウディア団長は汗一つ掻かず、余裕の表情を浮かべている。
再び突進してきた彼女の動きが一瞬遅くなったように感じた。
隙か?罠か?
迷いが生じたその刹那、腹部に強烈な衝撃が走る。
肺から空気が搾り出され、俺は後方に吹き飛ばされていた。
観客席から悲鳴が上がり、審判が慌てて止めに入ろうとする。
しかしクラウディアは制止を無視し、倒れた俺の傍らに立った。
日陰で逆光になる彼女の姿が、あの殺戮の場面と完全に重なった。
だが、意外なことに彼女は手を差し伸べてきた。
優雅な仕草で、慈愛に満ちた微笑みさえ湛えて。
その矛盾した姿に混乱する。
差し出された手を掴んだ瞬間、掌から電流が走った。
ゆっくりと立ち上がると、彼女の澄んだ瞳が深く輝いていた。
恐怖を超えた何かが胸の中に芽生えつつあった。
それが何か探ろうとする前に、ルパート団長がクラウディアに駆け寄る。
大柄な騎士団長は息を切らせながら彼女の手を取り、「怪我はないか?」と心配げに尋ねた。
先程までの人間味のない表情に赤みが差し、恥じらいのような笑みすら浮かべて、彼女がルパート団長を見つめている。
「ルパート団長とクラウディア団長が見合いしたって本当かよ」
「まじか!?」
あんな顔もできるのか。
二人の間に漂う親密な空気を察し、訓練場に黄色い声援が飛び交い始めた。
俺は、訓練場一人取り残されたような気持ちで、ただただ美しい悪魔の横顔を、物欲しげに見つめることしかできなかった。




