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――その男。檜山颯太は、関原養成所に勤めている魔導科講師だ。
教職員も昼時になれば、食事をするため、教員専用の食堂へと行く。
だが、今日の檜山は空腹よりも疲労回復を優先し、睡眠に時間を使いたかった。
彼が使用している教員用の個室は、夥しい本の山で埋め尽くされている。その大半が、魔術に関する参考書であり、パンドラクライシスや旧首都に魔力が満ちるよりも以前から存在していた書物だ。
この旧首都、内界で使用されている魔力。……そして魔術と呼ばれている存在について、世間一般が持っている概念とは、少しばかり齟齬がある。
魔術……それぞれ人や世代によって、認識の違いはあるだろうが、共通して持っている物があるとすれば、それは物理の常識を超えた先にある、神秘を現実の物として体現する術、といったところか。そんな点を踏まえて、この内界に定着している魔術を照らし合わせれば、齟齬といっても、著しい懸隔があるわけでもない。当たらずとも遠からず。近しくも決して触れあってはいない。
魔術は――東京がこうなってしまう前から世界中に存在していた。
近年では、どちらかと言えば物語に登場する幻想的印象が強く。
過去の文献や言い伝えから、魔術様式というものは確かにあって、儀式や別の世界への接続を試みようと、本気で行われていた時代もあった。
数百年前までは、科学や政治、宗教にいたるまで、様々な舞台で『魔術』は機能をしていた。
現実のものとして表すことが出来ていたかどうか、肝心な部分は謎である。
我々が使用している魔術は、基本的に旧首都である『内界』でしか使用できない。
魔術と魔力は言葉は違えど、密接な関係性がある。
大昔から言われてきた魔力は、どこかに流れている超自然的な、漠然としたエネルギーなどと例えられているのだが、内界の魔力は目に見えず、物質でもないから、周期表にも該当しない。世界を構成している部品から外れた異分子。
東京の中心に開いている孔……あるいは扉となっているパンドラクライシスの爆心地。
そこから、この世界へ入り込んで来ている〝正体不明の不可思議な力〟が、魔術を動かす確立された燃料になっているということだ。
つまり――内界魔術における全ては、この世の物ではなく。本来であれば存在せず、我々人類が知りもしない次元の向こう側の世界で流通している力を、そのまま利用しているという結果が、現在使用されている『魔力』と『魔術』の関係なのだ。
慣れ親しんでいるからこそ、聞こえに違和感はないが、檜山からすれば、『旧首都で使用されている魔術』を懸念していた。なぜならば、旧首都にしかない非情に不透明性の高い力を、人間の体内で変換して、別のエネルギーとして作り替えることが出来るなど、単純に結果としてある『魔力の消費』のみが等価ではないと考えているからだ。
酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出すのとは訳がちがう。
どこにあるかも解らない魔力を、体のどこから取り込んで、体内でどのようにして自らの燃料として転換しているのか。探求されていても、まるで解明されていない。
常識を覆せる力を、リスクも無しに使用できるなど、都合が良すぎる。
都合の良い能力の一つとして……固有刻印が挙げられる。
たった一つの魔術のみを、一切合切の過程を省略し、発動可能な特殊能力で、固有刻印そのものは、何の前触れも無く、体に宿るとしか解っていない。
刻印に含まれる魔術の種類も様々で、中には中枢機関が〝上級〟と定める魔術も、固有刻印で発動可能な人物も確認されている。
そして……関原養成所の授業でも教えているのだが。
――固有刻印を与えたのは、一匹の異形によるものだと生徒に伝えている。
異形には等級が存在し、中でも知識ある者――『ウィザード級』と呼ばれる存在は、人類において大きな脅威と定められている。知識があるということは、自らの意志があり、考えがあり。何らかしらかの思惑があったのだろう。どうして人間に固有刻印を与えたのか。異形の考える事は人間の思考できる範囲を大きく通り越している。
この知識をもった異形は、人間に固有刻印を与えた後に滅びたとされている。
異形の死後も固有刻印は広範囲にわたって分散し、今でも能力に覚醒する数を増やしている。固有刻印の覚醒条件は不明。
どうして異形が人間に肩入れするような真似をするのか。
授業では結果を伝えるだけで――理由は一切不明とされている。
パンドラクライシスが起こった当初から、この異常な流れに絡め取られ生きてきた檜山でさえも……固有刻印を与えたとされる異形の真相は知らない。
本来ならば、固有刻印の素因は隠しておくべきものなのだろうが、恐らく……納得いく真実を伝えなければ、固有刻印という奇怪極まりないものに対して恐怖と混乱を生むからであろうか。
最低限の真実を提示し、残りは隠す。いかにも……うさんくさい。
檜山は教えられているそのものは嘘偽りが無いと思っている。
魔術を使用できる固有刻印。魔術を使える魔力は次元の向こう側にある要素。そして次元の向こう側から現れた異形の者たち。固有刻印を人間に付与したのが異形だというのは道理に適っている。もし固有刻印が独自に中枢機関が発明したものだと公表していたのなら、絶対に信じなかっただろうし、今よりも大きな混乱に包まれた未来になっていたかもしれない。
敵の異形に対し、絶大的なダメージの与えられる固有刻印が、何もせずに自然に身につくわけがない。現代兵器の火力で打ち勝てない別次元の生物。固有刻印や魔術が無かったら、間違いなく世界は滅びている。




