<21>
――自然と、恐怖はなかった。
隣に先輩が居てくれるから、何も恐れることはない。
「ああ、そうだ。やってやるさ……」
宗二郎の独り言を真横で聞いている祈理であるが、彼女の視線はずっと異形を見続けたまま、離れなかった。
「…………先輩」
「――――はい」
お互いは目を合わさない。二人は異形を見続ける。
いつ、何が起こっても良いように。二人は固く手を握り絞める。
「準備は大丈夫か?」
「――信じるって、決めましたから。もう後には退けません……東堂くん。絶対倒して下さい」
もう二人に交わす言葉は無く。残すはどちらかが死に。どちらかが生き残る未来しかない。
宗二郎は無言で、祈理の手から魔力を吸い取る。
自分の中に流れ込んでくる力を、頭の中で転換した。
この身で書くには莫大すぎて手に余る。再現するには魔力が無い。
いま……燃料は人任せだ。彼女にある魔力を、求める分だけ、ありったけ吸い上げてやる。
動かす機構は己の固有刻印。物質を削り取る能力。
もしこれで……魔術の術式を掘り起こす事ができたら? ひょっとすれば、この無価値に等しい刻印は、他の刻印を凌駕する試金石なのではないかと、薄々感じていた。
刻印を利用して術式が構築できたとすれば、あらゆる可能性が広がる。人間の手で何時間も掛かる精巧な術式は、この能力を使えば、再現が可能だ。
あとは、削り取るだけの時間的猶予。そこまで必要はない。言葉を紡がずとも、思い起こす時間さえも要らない。
――――俺は……たったそれだけしかできないんだから。
異形もまた、本能的な何かを感じとっていた。
相手は人間であり、自分が殺すべき生き物でしかない。
なのに――二人からは自分を脅かす何かが沸き上がっている。
判らない。ソレがなんで有るのか判らない。
だから――異形は叫んだ。腹の底から己の活力を絶叫にして。
闘争本能を呼び起こし、自らの不安を掻き消した。
「来いよ! 俺たちはここにいるぞ!」
「ォオオオオオオオッ!」
豪腕を振りながら突進してくる異形、祈理は小さな悲鳴を上げるも、逃げる様子はない。
「――それで良い! ヘタに動かれると死んじまうからなッ! 先輩。魔力を途切れさせないで下さいよッ!」
心で思っていた言葉をそのまま口に出して吐き出した。
宗二郎は腕から伝わってくる、熱のある力の奔流をそのまま、自らの力へと転換し固有刻印に押し込んだ。
これから行うは――今まで行った経験のない、刻印の連続使用。疲労感はあるものの、いま居る瞬間は生き死にを左右する時間である。
四の五の言っている余力など、どこにも有りはしない。
「…………檜山先生。……先生に感謝っすよッ!」
異形はすぐ目の前。固い地面を踏み砕き、一歩一歩を踏み出す度に加速してくる。赤い隻眼が揺れていた。それは鬼火のようで……敵の魂が目に宿っているようにも見えた。暴風を纏いながら突進してくる巨大な肉体。触れれば人間の身体など粉微塵になってしまうと直感できるほどの目に見える力。
地面に向かって手のひらを叩き込んだ途端……地面が大きく削り上げられる。一秒もかからぬ半秒で地面には宗二郎が|過去から掘り出し現在に再現した術式。地面が繊細なコンクリートであるからこそ描ける術式。ソレは何も知らない人間が見ても芸術的な紋様で、まるで天使が手を繋ぎ合って環を作っているような図形。継いで自らを導線として祈理から伝導した魔力を流すことによって、術式が起動した。
異形は三メートルもない距離に迫る。もはやどう動こうとも回避できない。
巨大な身体は二人の視界一杯に収まり、敵が纏っている風は彼らの身体を、空気の圧となって押し込む。
走りながら、異形は自らの腕を畳み、二人を纏めて貫かんと突き出した。
その時――地面が輝き、宗二郎と祈理は――消失した。
伸ばされた腕は、彼らがいたはずの中空を通り過ぎ、異形は加速したスピードで宗二郎が削った地面を破壊する。
文字通り、消失した二人を、一つ目がグルグル見回して探す。
首を左右に……どこを見ても二人の姿はなく、
吹き抜けになった構造の訓練場。遮るものは何もなく。そのはるか上空、二百メートルの高度に、彼らは瞬間移動していた。
地面に術式を刻みながら、その転移先は上空に作られていた。
転移魔術は――障害物のある向こう側に行こうとはしないこと。檜山が言っていた警告を信じるのなら、転移先は上空以外、ありはしない。
地面に立っていて、視界は一瞬で上空へと変わる不思議な光景。
一瞬だけ二人は呆ける。そして同じ感覚を味わう。即ち重力による落下と内臓が持ち上げられる独特の浮遊感。
――今だけなら、俺は自由だ。片翼を見つけた。俺は自由に飛べる。
「は、ははは。アッハアハハハハハハハッ! やった、やってやったああああッ!」
自らが落下しているのを知覚している余裕無く、祈理は恐怖よりも驚愕の色で宗二郎を見た。
「うそ……これって――て、転移魔術!? しかもなんの工程も暗示詠唱もないなんて。アナタ一体なんなんですかっ!? どうしてこんな魔術がつかえるんですかッ!」
「先輩しゃべってっと、舌ぁ噛むぞ! 絶対に手だけは離さないで下さいよ! 離したら二人とも落ちて死ぬからさぁっ! あと先輩――着地任せた!」
「もうどうにでもなれです! 最大限。頑張って見せます!」
恐怖に染まる祈理の表情。地面を見ていられず宗二郎を見ると。彼もまた祈理を見つめていた。
「……生きて帰ろう。絶対!」
「…………はいっ」
お互いが結んでいる手だけが一蓮托生。生き残る唯一の道。
落下速度は更に高まる、祈理を離して仕舞わぬよう、宗二郎は彼女を片腕に抱きしめる。
「繋ぎ、結べッ!」
祈理の言葉は最小限に。彼女が作りあげた術式が二人を包む、空気の圧力となる。
彼女が着地の準備を完了したと判るや、宗二郎は間髪入れず、落下から拭き上げてくる暴風の中――自分の刻印を使用した。
頭の中では更なる魔術を、イメージさせていた。
「あの時を……そのまま再現する。やる事は単純。そうすれば……出せるはず」
だが、この魔術は中空で発動出来るものではない。地面に描いて出現させる為の魔術。
もう他の魔術を考えている余裕はない。一秒で地面がぐんと迫る。
「ウァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ。間に合えええええええええッ!」
地面に書けないのなら――直接、身体に刻むまで。
地面の代替である――手の平を宗二郎の固有刻印が、薄皮一枚の下を切り刻む。
そうして作りあげられた傷の数は六十を超える。
繊細に、一ミリの誤差も許されない。
できる、俺なら出来る。もとい……それだけに費やしてきたのだから。
無価値であるはずの行為は、いつの日か実を結ぶ。そう信じた。自分を信じ続けた!
…………それが、この瞬間でなくてどうするというのだ!
落下の風が、真下に翳した掌から流出する血を巻き上げ、宗二郎の顔を染め上げた。
もう余力を残す必要は無い。ここで――。
「――ケリを付けてやる! 残らずよこせええええええ!」
残す全ての魔力を祈理から奪い取り、手の平にある術式の起動に使う。
――火傷しそうなほどの熱さが手を、腕を包み込み。
残り五十メートル足らずで、ソレは発動した。
手の平を基点として、中空で広がり、展開されたは――直径数メートルの術式。
彼の思惑通り、面となった掌に合わせて、術式も落下していた。
…………飛び出たのは巨大な剣。魔力の塊で形作られた光の剣。
あとは剣を維持しておけば、落下に合わせて異形を突けるはず。そのはずだった――。
宗二郎は、真上を向く異形が自分たちの落下地点から、逸れようとしているのを見逃さなかった。このままでは外れる。
「こ、こんな所で!」
容赦なく迫る地面。もう落下に軌道修正を加えられる余力も、手法も知らない。
腕に抱えられている……俺を信じてくれた人を、このままだと失う。
信じていた未来が、異形を倒して二人で帰還する未来が揺らいだ。
……………………その時だった。
「…………〝クラックロウズ〟」
宗二郎が剣を展開させていた時を同じくして。
金属の装飾が施されている手袋をした男は、地上で二本の指を拳銃のように異形に向け、頭上に気を取られている異形に目掛けて――言葉の引き金を引いた。
手袋の指先から連続して放たれたのは、五発の光弾。
一発逸れたが、残りの四発は異形の足に着弾し、爆発を伴い敵の表皮を抉り取る。
引き裂けた皮膚。血を噴き出しながら、異形はどうすることもできず、その場に両膝を突いた。
異形は苦痛の叫び声を上げ、その目は点から落下してくる光の剣を見る。
空中で最大の勝機と確実に当てられる確信を得た宗二郎は、祈理の身体を強く抱いたまま、光の剣を異形の身体に打ち落とした。切っ先は異形の脳天を貫き、その勢いは留まるところを知らず、地面を刺し抜き両断へと導いた。
すかさず祈理は言葉と残されたありったけの魔力を紡いで、魔術を発動させた。
目に見えない力が、地面に衝突することなく全身を受け止める。
無事に両足で着地した宗二郎は、震える両足を押さえつつ。バランスを保とうとするが、力が抜けて四つん這いになった。
死んだ異形の残骸を見遣り、自分が成し得た成果に、身体を縮め、大きくジャンプした――つもりだったが身体に力が入らず、奇妙な跳ねになった。
「勝った……あ、あは――あはは。ははははははははは。センパイ……先輩! 俺たち、勝ったんですよッ!」
着地に失敗して尻餅をついたままの祈理も、目の前で分断されている異形に対して、青白い顔をしながらも、どこか瞳には輝きが戻っていた。笑いたくとも笑えない。喜びたくとも喜べない。
恐怖の残り香が、まだ彼女の全身にあって――その手足はガタガタと震えたままだった。
「わ、私たちが……信じられ、ません」
「信じるもクソも、これが現実ゥ! ありのままってやつですよ。余裕の大勝利ってやつです! アハハハ!」
はしゃぎ続ける宗二郎に。ようやく異形に横槍を入れた人物が彼らに歩み寄った。
「大勝利だと? 間一髪の間違いじゃないのか? ……まったく。色々と信じられんよ」
檜山は金属の装飾が成された片方だけの手袋を撫でながら、宗二郎に苦言を呈する。
「異形を止めたのって檜山先生だったんですね。すげえ! 何をやったんです!?」
まるで話を聞いて居なさそうな宗二郎に、檜山は呆れて溜息をつく。
「…………まさか、実戦であれを使ってみせるとは。無茶をする」
話を続けようと思ったところに、祈理は小さな悲鳴じみた声を出す。檜山と宗二郎は何事かと彼女を見るが、祈理は恥ずかしげに、両手で口を塞ぐも、目を輝かせて檜山が身につけている手袋に視線を注ぎ続けた。
「す、すごい! 略式魔導鉄甲ですよねッ! は、初めて見ました!」
「しゃっふらぁ?」
祈理が興奮しているということは、それなりにすごい道具なのかもしれないが――宗二郎からしたらスチームパンクな手袋にしか見えない。
「やっぱり、檜山先生は――高位魔導師だったんですね!?」
「…………これは、あまり喋らないでくれると助かる」
檜山は無造作に『略式魔導鉄甲』と呼んだグローブをポケットに突っ込んだ。
「とにかくココは俺が処理をしておく。一介の生徒が異形を倒したなんて話が広まったら、大変な事になるぞ。…………名声を得たいのならば話は別であるが?」
二人を見る檜山。
宗二郎はそんなモノに興味はないと首を振る。祈理も同じ意見だった。
「じゃあ、さっさとおさらばしちゃいましょうか」
宗二郎が背を向け、歩き出そうとしたところ。
「あの…………ち、ちょっとまってください」
「ん? どうしたの先輩?」
「こ、腰が抜けてしまって……立てません」




