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――こんな事になるなんて。
石蕗祈理は膝を抱え、助けが来るのを待っていた。
どうして異形なんかが……ここは十八区のはず。異界でも魔力がまともにあるわけでもない。
安全な場所だから養成所が作られたのではないのか?
彼女の中には『戦う』という選択はなかった。
自分では何もできない。期待をされ膨らんだだけの、中身がない風船にしかすぎない。
虚飾――どんなに強く見せようとしても、いざとなると、化けの皮が剥がれる。
異形の姿を初めて見た祈理。相手はこちらに気がついていなかったが、思い出すだけで恐怖の震えが止まらない。
機械室の地面は冷たく、空気も澱んでいる。
冷たくなった手に持っていた携帯端末。最後に言葉を交わした相手は東堂宗二郎。
きっと――彼が助けを呼んでくれるはず。サイファーの人も初日の訓練に来るはずだった。
はやく……助けに、来て欲しい。
手から端末が落ちて、地面に転がる。
よりにもよって、機械室は壁が分厚いらしく、電波が遮断された状態。
逃げ込み、扉を閉めた瞬間、電波はなくなってしまった。
異形の襲撃からどれほどの時間が経ったのだろうか。
地面に落ちた端末を拾い上げて、時刻を調べる気力もない。
自分から行動する気は無かった。扉を開けて異形が居るかどうかを確認するなど、絶対にしたくない。もし目の前にいたら、何もできないまま――殺されてしまうだろう。
じっと、うずくまり。機械室に設置されている用途不明の機械の一つと擬態し続ける。
すると――急に扉が開かれた。
「……ここ電気付いてるのか。…………せん、ぱい?」
男の子の声。端末の向こう側から話していた声と同じ。
「とうどう……くん?」
涙で目を赤く腫らした祈理は、一年生の後輩が幻のように見えた。
「いた。よかった、先輩無事だったんですねっ」
安堵が声の抑揚に変わる。宗二郎を見る祈理の唇は震えていた。
「どうして、あなたがこ……ここに、いるんですか」
「そんなん、助けに来たからに決まってるじゃないですか」
「…………怪我、どこで」
腕……制服が引き裂け、傷が出来ていた。
顔も擦りむき、血が出ている。
「いや。ハハ。なんかジンジンすると思ってたんですよ。どおりで。…………さっき異形とバッタリ出くわして、逃げたときに怪我したんじゃないですかねぇ」
祈理を見つけることに必死だった東堂宗二郎は、痛みさえも鈍くなるほどの精神状態だったらしい。
彼女はおもむろにポケットからハンカチを取り出し、二つに裂く。
「コレで少しでも血が止まれば良いのですが」
「おお、献身的。俺のことキライじゃなかったんですか?」
「こんな時まで軽口。………………………………どうして助けに来てくれたんですか」
きつい態度で接していた祈理は、宗二郎がナゼ行動を起こしたのか、疑問が膨らむばかりであった。
結び終わったハンカチが、血によって染まる。
じっと腕を見ながら、宗二郎は答えた。
「そらぁ、先輩が危ないってんだったら助けにいかなきゃなのは、当然っしょ」
「…………何で。どうしてあなたは笑っていられるんですか」
涙ぐみ、青ざめた祈理は、高揚が抑えきれずに顔に出てしまっている宗二郎に向かって、恐怖を含んだ疑念を投げかけた。
すると、彼は場違いな表情のまま、予想だにしない言葉を放つ。
「俺は戦えるんだ。先輩……俺といっしょに戦ってくれ」
真剣な眼差しで、あまりにも非現実的な事を言う宗二郎。
祈理は欠片ほどに理解できない。
「……なにを、いってるのですか」
「戦うんだよ。あの異形を、俺たちで倒すんだよ」
頭でも打ってしまったのだろうか。自分の魔術すらどうすることも出来なかった彼が、異形と戦うなど。まるでセルバンテスの小説に出てくる主人公。理想と現実の区別が付いていない。異形を風車かなにかと勘違いしているのではないだろうか。
祈理はいよいよ、宗二郎から狂気を感じ、自分がどうにかして逸脱した彼を現実に戻してやらねばならないと感じた。
「ふざけたことを言わないで下さい! あんなの無理。勝てません! サイファーの方が来るまで待たなきゃ。それが一番なんですよ」
宗二郎は慌てふためく祈理の両肩を掴んだ。痛いくらいに掴んだ。
「そんなん、待てねえよ。…………いいか石蕗先輩。このままサイファーを待っていたら、死人が増える。俺達は訓練生だけども……異形と戦う訓練をしているはず。戦えない人間を助けなくちゃ、なんのための訓練生なんだよ」
「アナタだって、何もできっこない。頭がおかしくなってしまったんですか!? 私と立ち合ったって何もできなかったじゃないですかっ!」
「できっこないならッ! ………………できっこないならさ、出来ないなりに、足掻いてみせよう。俺だって死にたいわけじゃない。でも目の前で死ぬかもしれない人達が居るのに、黙って見て見ぬフリなんか……できっかよ。石蕗先輩。策はあるんだ。そのためには先輩の力が必要なんだよ。俺は狂ってない。頭も打ってない…………頼む。信じてくれ」
その『信じてくれ』を祈理は信じていない。
彼女が見てきた東堂宗二郎とは、異形と戦えるような人間では無かったからである。
「先輩は優秀な魔導師になるんだろ? だったらココでも優秀な先輩を見せてくれよ」
ガタガタ震える祈理は膝をかかえて縮こまる。両足に埋めた顔を上げず、長い髪を左右に振った。
ついに祈理は――自らが一年間守り通してきた、
築き上げたプライドや、隠している内面を吐露し始めた。
「…………こ、怖いんです。私は、私は優秀なんかじゃない! いつもみんなの期待に答えようとして、必死になって取り繕っているだけにしかすぎないんです! 怖い。こわいのッ」
涙を流しながら、訴える祈理に。宗二郎は祈理の両手を握った。緊張からか。お互いの温度は低く、祈理の方が宗二郎の温かさを感じた。
「戦えないんだったら、力を貸してくれ。アンタは『魔力』を。オレは『戦う魔術』をもっているんだから……大丈夫。俺が何とかする。俺が全てやるから。あんたは俺に力をくれるだけでいい」
「なんなんです。どうして! むり! 怖い……こわいよぉ。もう、いや……」
「先輩。お願いだ。先輩だけが……この状況に活路を開ける。嘘じゃない。本当だ」
説得するのもつかの間、地面が微震する。
異形が、こちらに近づいてきているのだと、本能で悟った。
「と、とにかくこの部屋から逃げるのが先決。……こんな場所でかち合ったら、本当に死んじゃいますから」




