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関原養成所魔導科講師……檜山颯太は広場のベンチで、がっくり肩を落としている生徒を、窓枠に肘をつきながら眺めていた。
裸眼であれば視力は弱く。眼鏡の補正があれば遠くにあるものも、よく見通せる。
少年の肩には『斜線逆三角形』を現すシンボル。
身なりと佇まいから、一年生であると檜山は判断した。何かに悩んでいるのか、遠くから見ているだけなのに、少年の葛藤が目の前にあるような気分になってくる。
ぼんやりと眺める先。少年は何かに気がついたかのように顔を上げて、檜山のほうをじっと見つめた。
「………………………………」
檜山もまた、少年の顔を見つめる――視線が合っているような、錯覚を起こす。
やがて、少年はまた携帯端末を見つめ、ようやく誰かに電話を始めた。
どうやら、悩んでいるだけの自分と折り合いを付け、ようやく一歩を踏み出す気になったらしい。人間は誰しも決断ができるわけじゃない。決めるのには勇気が必要になるだろうし、小さな一歩だとも本人には途轍もない前進になることもある。
ごく少数の生徒たちが、人の喧噪を逃れて空き教室を利用するように、檜山もまた人の重なる煩わしさに嫌気を感じる人種であった。
人の多いところは苦手だ。パンドラクライシスが訪れて良かったと思うことがあるとすれば、朝の通勤ラッシュや夜の帰宅混雑に巻き込まれなくて済んだことくらいだ。その代償は――世界の命運を左右する現場で生活をしなくてはならないという、なんとも釣り合わない対価を払わされてしまったわけで。
自身の昼食はもう終わっていて。残すは次の授業が始まるまでの自由時間のみとなった。
無言で眼下に見える、幾人かの生徒の動きを目で追い、人間観察を続けた。
「あれ? ここって鍵が掛かってんのか?」
「おっかしいな。昨日はかかってなかったんだけど。他探すか」
急にガタガタと、教室の扉が鳴り出した。
だが、扉は動くだけで開く気配はなく。微動だにしない。
諦めた生徒が教室を離れてゆく。檜山は二人分の気配を壁を通して追う。
――扉はどうやっても開けられない。何故なら、扉には強い魔術を展開させていたからだ。
術式の内容は扉を固着させるだけの単純なものであった。
扉だけではなく、その四方の壁にも別の紋様があり、その術式からは一本ずつ線が飛び出していた。線はケーブルのように伸びて、術者である檜山の足の裏で一つに纏まっていた。
二年生になると学ぶ、魔術の一つ。――〝遠隔魔術〟だ。
本来なら、術者の近くに魔法陣がないと発動しないのが魔術の基本であるが、遠隔魔術は〝導脈〟と呼ばれるもので、術者と術式を直結させることで魔術や魔道具を離れたところから使用する事ができる。
地面を這わせるのが基本形であるが、中には空中で繋がっていたり、ライン自体が不可視や漠然とした繋がりによって展開できたりする。
この〝導脈〟は個人の能力によって伸ばせる距離も数も限定され、多ければ多いほど維持が難しく、また周囲の空間を把握していない限り、導脈を伸ばすことが出来ない。
いま、檜山は十本の導脈を伸ばし、三種類の魔術を同時に展開させていた。
一つは内部の音を外に漏らさない防音。そしてもう一つは二枚ある出入り口の固着化。
最後は、窓に面した外部から、自分を認識させない術式である。
休み時間は、刻一刻と消費されてゆく。
下に居た男子生徒に触発された檜山は――携帯端末を取り出す。
その端末は、本部から正式に支給されているものではなく、この内界で独自に電波を飛ばしている業者から入手した、黒端末と呼ばれる代物だ。
黒端末は死んだサイファーや、学校で廃棄された端末が横流しされた先で、独自に改造されたガジェットである。もちろんブラックボックスは容認していないし、見つければ破壊するよう言われている。普通の職員や生徒が持っていようものならば、まず厳罰は免れられない。
檜山は数人しか登録されていない黒端末を操作し、電話をかけた。
ワンコール……ツーコール……スリーコール。相手先が電話を取る気配がない。
それでも檜山は粘り強く、コールが途切れるのを待つ。
何コール目かも判らなくなったとき、ようやく電話が取られる、相手側の億劫そうな声と共に会話が始まった。
「…………なんだよ。檜山さん。寝てるところだったんだけど」
「また夜遅くまで起きていたのか?」
「ったりめーだよ。俺の仕事忘れたのかよ」
「――いや。キミの立場を再確認したかっただけだ」
「………………んで、わざわざ俺の機嫌と近況を聞きたいが為に、連絡をよこしたわけじゃねえんだろ?」
電話の主と会話をするときは、必ずなんらかしらかの用件が絡んでくる。
お互いに険悪な雰囲気を漂わせ始め、双方が相手の気配を感じ合うところで、檜山の方から話し出した。
「……………………例の悲願。憶えてるか?」
電話の向こう側の主は、しばらく無言になった。
沈黙が受話器の向こう側から、どす黒い触椀となって自分の耳の中へ入り込んできた気分になった。彼の持っている殺気は……昔から変わらない。檜山は感心しながら眼鏡を外し、肩で端末を支えながら、レンズに付いた汚れを指で拭い落とす。会話が行われている正にいまでも、彼の足の裏で〝導脈〟は術式を発動させながら生きている。
「忘れるわけねえよ。俺はそれだけの為に、臓腑を飲み込み、血を浴びる覚悟をしたんだぞ。明日死んでもおかしくねえ崖に立たされつづけても、目的だけは忘れたことがねえ。殺す……全員。一切合切。容赦なく。慈悲なく。躊躇なく。全てを……鏖にしてやる」
彼が潜ませている決意の心は、憎悪と共に溶接されている。心が砕かれない限り、彼の意志がねじ曲がることはあり得ないだろう。
「もし、全てが正しければ、俺たちは……ようやく前に進めるかもしれない」
相手にとっては、小さな兆し。
いままでの暗中の中にあった目的が、なんとなくの気配をもって近づいた気がした。
「……で、次は誰を殺せばいい」
「――また、連絡をする」
用件を先延ばしにする形で、檜山は黒端末の通話を一方的に切り、端末の電源を落とした。




