魔女、旧友に会いに行く。
数日後。約束の日が訪れた。
ノアに今日の予定を切り出したのは、朝食の席でのことだった。
「お出かけ…」
「そう。ちょっと知人に会いにね。貴方も連れて行くことが絶対条件だけれど、お利口にできる?」
「うん」
何をしに行くのか、ノアにはまだ事情を話していない。
あの男の素性が複雑なだけに、詳しく話そうとすれば日が暮れてしまうだろう。
それよりも、実際に会ってもらった方が早いだろうし、ノアはあの男に懐かない。それは絶対だ。
「じゃあ行きましょうか」
言うが早いか、夜永は立ち上がる。
これから行く場所は、ここより遥か南方にある国。穏やかな国民性が特徴の海洋国家・アルカディア。小さな国ではあるが、ドミニアはここ数十年、彼の国を手に入れられずにいる。
遠方の国への侵攻は、小国とはいえ金と時間と人員が必要不可欠だからだ。
アルカディアは海に面した国ということもあり国交が難しく、閉鎖的。
唯一外交関係にあるのは、海を挟み数千マイル離れた大陸にある自由の国・クラシエ。特定のトップはいないが、軍事力は周辺諸国から脅威と恐れられるドミニアと同等の規模を誇る大国だ。
両国は友好的な関係にあり、ドミニアが侵攻すれば確実にクラシエは介入してくるだろう。
ドミニアにとって突ついてはいけない絶対領域。詰まるところ、侵略しようとしたとしても、労力に見合った結果が得られないのが最大の理由なのだ。
アルカディアまでは、ここから馬車を乗り継いだとしても数ヶ月はかかるだろう。
何より、国を出ようとすれば検閲で引っかかる可能性がある。
そのため、使うのは転移魔法による長距離移動。これならば、顔を晒さず一瞬で移動ができる。
欠点があるとすれば、転移魔法は膨大な魔力が必要だ。大きな魔力は国の警備網に強く反応するため、対象者の位置が無防備に筒抜けになる。それ故に危険も伴うが、数ヶ月もの時間を浪費するよりはマシだ。
安全のため、森から離れた方がいいだろう。人目を避け、尚且つノアを安全に送り届けるためにも最適な場所は、ノアを拾った村が都合が良い。
既に制圧されたあの地ならば、比較的安全に移動ができるだろう。
「夜永…」
瓦礫や焦げ跡だらけの村は、見るに耐えない光景だ。
手を繋いで歩く夜永に、ノアは不安そうに声を上げた。
少年の心境が手に取るように分かる。元いた場所に捨てられるかもしれないと、そう思っているに違いない。
そんな訳はないが、不安は拭い去れないのだろう。
本当に、どこまでも可哀想で可愛い子だ。
何も言わず、繋ぐ手に力を込めた夜永はノアにニコリと微笑みかけ、だが歩む足は止めない。
立ち止まってしまったら、この子は一瞬でも絶望感に苛まれてしまう。そんな一瞬、まっぴらだ。
「この辺りでいいかしらね」
寂れた小さな教会の中へ、外れた扉の隙間から入り込む。
マリア像の前で地面に手をかざすと、足元から小さく光が漏れ出してくる。
それはやがて眩い光となり、2人を包み込んだ。
「絶対に手を離さないでね。大丈夫、一瞬よ」
「うん」
頷いてギュッと、離すまいと手を繋ぎ直すノア。
瞬く間に、2人の姿はその場所から消えた。
眩しさに目を瞑っていたノアは、磯の香りと温風を受けて目を開ける。
眼前には、どこまでも広がる海と、小さな港町があった。
フードをパサリと下ろした夜永に倣い、自身もフードを外す。
ここでは顔を晒しても誰一人好奇の目で見ないし、外見で人を判断しない。それが許される国なのだ。治安の面ではこの上なく安心できる。
「ここから少し歩くわよ」
トコトコと忠実に着いてくる少年を微笑ましく思いながら、歩みを進める。
どのくらい歩いただろうか。小さな丘の上に聳える、蔦の巻き付いたおどろおどろしい石造りの塔の前に立った。
一見、何の変哲もない木の扉は魔法で結界が張られ、固く閉ざされている。
扉横のスイッチを押すと、リンゴーンと低い音が鳴り響いた。
これは奇特なあの男が開発したものだが、本人は気の向いた時にしか応対しないためあまり意味を成していない。が、取り付けた約束を破るような男ではないのでそこは信頼がおける。
ゴゴゴ…と重そうな扉が開き、二人を中へと招き入れる。
薄暗く広い空間は、所狭しと書物や資料が散乱しており、控えめに言って汚い。
カビ臭さが染み付いており、ホコリも酷い。
くしゅん、とノアが小さくくしゃみをした。
「やあやあやあ、深淵の魔女と……キミかね、奴隷のキッズは!いやはや、すっごくそそられるネ!ううーん、食べちゃいたいくらいだ!」
奥から現れた男が、大袈裟なほど恭しく礼をしてみせる。
腰まで伸びた無造作なアッシュグレーの髪、顔を覆い隠すほどの長い前髪の隙間から覗く同色の瞳はギラギラと輝き、無垢な少年を舐めるように見る。
防衛本能か、単純に目の前の男に引いたのか。思わず、というようにノアが一歩下がるとその分、男はノアに一歩近付く。
じりじり、と獲物を追い詰める獣のようだ。
ノアを守るように間に割って入った夜永は、無言でこの男から距離をとる。
「良い?あの男の脳みそは信用して良いけれど、人としての人格は信用しては駄目よ」
「うん」
あれでいて、ドミニアでは他の追随を許さないほどの頭脳を持つ逸材だ。
完全に変質者ではあるが、害はない。……否、害はあるから見張らなければ。ノアに手を出されないように。
「そぉーれぇーはぁー、ちょぉっとワタクシに手厳しくないかーい??」
「当然の措置よ」
本当に、何故この男に頼らざるを得ないのか。
素晴らしい頭脳と絶大な魔法の才がなければ、決して近付かない人種には違いない。




