魔女、少年を拾う。
その地に着いてすぐ、はて、と魔女は首を傾げた。
大国ドミニアの国境沿いに位置するここには、かつて小さな村が存在したはずだ。
ほんの40年前の記憶では、青々とした緑に囲まれ、川のせせらぎが穏やかに感じられる農村部だった。
しかし、今目の前の惨状はどうだろうか。
そこには荒廃した大地が広がっており、木造の家々は焼き払われ、あたりに肉の腐った臭いが立ち込めている。
生きた人の気配はなく、あるのは死屍累々の有り様だけだ。
時代は戦乱……と言いたいところだが、それは違う。
魔女はふう、とため息をついて艶やかな髪を指にくるくると巻きつけながら、まるで近所を散歩でもするかのような軽やかな足取りで闊歩する。
「いつの世も人間という生き物は愚かね。理解できない」
人間はどの時代においても間違いを積み重ね、小さな物事を争いの火種とし、異端者を排除しようとしてきた。
ことこの国においてはそれが顕著で、人が人を使うのは当たり前、弱者は切り捨てて然るべし、強者こそ正義であれ、そんな思想に取り憑かれている。
長い時を生き、その成り立ちを見てきた魔女は、この国をこう評していた。
まるで、ゴミの掃き溜めのような場所だと。
自国の弱者排除の理念に基づく内乱か、飢えに狂った村民の内部抗争か、はたまた周辺諸国からの挑戦か。
いずれにせよどうでもいい。
燃え広がる炎を眺めながら、似た光景を見るのは何度目だろうか、と思考する。
ゴウゴウと燃える音と、コツコツという自身の足音以外に音はない。
ぼんやりとした思考の最中、不意にあるものを目の端に捉え、ここまで迷いなく歩き続けていた足がピタリと止まった。
「……本当に、愚かだわ」
スッと目を細め、目に留めたものにゆったりとした動作で近付く。
目の前まで来て、しゃがみ込んだ魔女はにっこりと笑った。
「こんにちは」
そこにいたのは、年の頃なら10歳程度の幼い子供。
囚人のような、否、それ以下のボロを身に纏い、伸ばしっぱなしのくすんだ鼠色の乱れ髪が顔を覆い隠している。
声をかけられたその子供は振り返り、無機質な表情が露わになった。
魔女の目を引いたのは、前髪の隙間から覗く、眼前に広がる炎よりも一際赤い深紅の瞳。
背筋がゾクリとするような妙な眼力で見つめられ、魔女は一層笑みを深めた。
「少年、名前は?」
人間に対し興味を抱いたのは幾年ぶりだろうか。
とはいえこれも退屈な刻の戯れの一環に過ぎない。
ただの暇つぶしだと認識しつつ、魔女は問う。
「知らない」
「ふうん…」
つまらない子、と思い、瞬く間に興が削がれた。
首元の無骨な首輪を見れば、この子供が奴隷であることなど一目瞭然だった。
この国で奴隷など珍しくもないのだから、このまま放って行けばいいだけだ。
だが、足が動かない。
彼女自身にもその理由が分からない。
「どこから来たの?」
その質問にも、少年は淀みなく答える。
「知らない」
その顔には怒りも悲しみもなく、ただ卑屈になっているわけでも、世界を嘆いているわけでもない。
ただ生きているからここに存在している、とそう解釈できた。
生気のない無機質な表情を眺めて、魔女は静かに呟いた。
「貴方は私を怖がらないのね」
キョトン、と少年は初めて表情を変えた。
何が言いたいのか分からないと言いたげだ。
黒髪黒目。
何百年と生きているが、この国では見たことのない稀有な色だ。
それ故に迫害の対象にもなった。
人々からは厄災をもたらす魔女と呼ばれ、磔にされ炎に巻かれた。
ギロチンに撥ねられたこともあった。
凄惨な拷問も幾度となく経験した。
しかし魔女は死ぬことはない。
どれだけ痛めつけられようがその傷は瞬く間に癒え、更に恐怖の象徴となった。
魔女が死ねるとするならば、それはおそらく寿命が尽きた時だけだ。
だが、その時は未だ訪れていない。
「貴方、行くところがないなら一緒にいらっしゃい」
何故こんなことを言ったのか、気付けば口をついて出ていた。
自分を怖がらない。ただそれだけの理由だとでも言うのか。
そんなはずはないと、魔女自身が一番よく分かっていた。
少年は微動だにせず、魔女の瞳をじっと見つめてくるばかり。
おそらくこの少年には行くところがない。
それが分かっていながら魔女はくすりと笑う。
「あら、行くところがあるの?」
少年はふるふると首を横に振る。
「帰ってこいとは言われてない」
「……そう、良かったわ。ちょうど働き手がいなくて困っていたの。助かるわ」
「……僕がいると助かるの?」
「ええ、とっても」
貼り付けた笑みを依然浮かべる魔女に、少年はしばし口を閉ざした。
数秒ほど視線を落とした少年は、ぽつりと呟く。
「そうなんだ」
相変わらず無機質で抑揚のない声は、しかしどこか思いを巡らせているかのように低かった。
魔女は手を差し出すが、それを見た少年は首を傾げる。
何も言わず、魔女は少年の手を引いて歩き出した。




